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苦手な方はご注意ください。

【至急】俺の相棒が(いつの間にか)神様になっていた件【救援求ム】~しかも異世界に拉致されてる!?~

作者: 茜野

息抜きに書いた派生話です。

本編とは関係なしですが、ネタバレは多め。

特定のカップリングがメインの話となっています。


本音:一アサのスケベが書きたくて書いた\(^o^)/

なのでここでは一話完結扱い。

続きは追々、Xにて投稿予定です(ゝω・´★)

 貴方はついさっきまで、何気ない日常を過ごしていたことだろう。

 いつものように一日を過ごし、そして変わらぬ明日が来ると信じて。


 けれど、そう間も無く貴方は気付くことだろう。

 今居る場所が、普段と違うことに。


「……? あ?」


 その景色を見て、貴方は戸惑うだろうか? いや、混乱するに違いない。

 何せ、今の今まで自分の部屋に居たのだと、貴方は思っていたのだから。

 いつの間にか眠っていたのか。あるいは、ふとした瞬間に景色が変わっていた──そう感じるのもおかしくない。


 その異常性に、鈍くも敏い貴方は直ぐ気が付く。

 そして目を見張ることだろう。

 何故ならば、今貴方の目に映るのは見渡す限りの白、白、白……。


「なんか、デジャヴを感じる……!!」


 そう感じてしまうのも当然だろう。

 何せ、貴方はそれを過去に経験したことがある。

 つまり、ここがどこかを貴方は既に知っているのだ。

 だから貴方はこれからどうなるのかがわかってしまった。

 否。

 強いて言うなれば、どうなってしまうのか先はわからない。けれど、展開だけは読める。


「おい! 今度は誰だ!? 誰の仕業なんだ!!」


 貴方は真っ白な空間に叫んだ。

 障害物も隆起するものもないらしい、あの虚無のような空間に向かって。


「おい! おいってば!!

 誰なんだよ! 俺の知ってる奴か!? それとも知らん奴なのか!?

 どっちでも良いけどな! 帰してくれよ! 俺にゃあまだ向こうでやらなきゃならんことがあるんだって!!」


 貴方は叫ぶ。

 どこに、そも、居るかどうかも怪しい相手に向かって、何度と声を張り上げた。

 しかし……貴方に返ってくる声はない。

 虚しいことに、木霊すらも。


「おい! お前!! お前だよ!!」


 なのに止めないのは、単に貴方が諦めの悪い性格をしているからか。

 最早自棄っぱちになりながらも、尚も貴方は叫び続けた。


「シラァ切ってンじゃあねェっての!! そこにいるお前! お前のこと言ってンだっつの!!!」


 そう怒鳴るように、貴方は一方に向けて指を指し……。


「…………はあ。」


 やいのやいのと散々言われ、思わず零れる溜め息一つ。

 膝の上、広げていた本をパタンと閉じて、吐息まじりに“僕”はぼやいた。


「全く。貴方って人は本当に、情緒の欠片もない。

 少しは場の雰囲気に流されてくれたって良いんじゃないの?」


 すると貴方はピタリと黙る。

 それからやや間を置いて、こう言った。


「情緒もクソもあるか、急に妙な場所に連れてきやがって!

 一体何のつもりだ? どういう風の吹き回しで、俺をこんなところに連れてきやがったんだ?


 なァ──“アーサー”!!」


 びしりと立てた人差し指を真っ直ぐこちらに向かってそう言う貴方。

 切れ長の目をより鋭くさせて、如何にも怒っている風な顔だ。

 ……いやまあ、確かに今の彼はご立腹ではあるけれど、これは本気の怒りじゃない。文句を言いたいだけの時の顔だ。

 貴方のことはよく知っているからね。その程度の違い、当然わかる。

 僕は組んでいた腕を片方持ち上げると、気だるげに頬を掌に置いた。


「何って……見たままだけど?」

「なぁーにが見たままか! ンなもん見ただけでわかるかってェの!!

 ……つーかさ、何だよその格好?」


 声を荒げてばかりいた貴方だったけど、対話している内に少しずつ冷静になってきたのだろう。

 突っ込み気質な貴方は自分の身に置かれた状況以外にも疑問を浮かべるようになり、険しかった顔を怪訝なものにして──戸惑いの色もその顔に浮かべながら──そう言った。


「ん? ……ああ、これ?」


 訊ねられてから僕は下を見る。

 僕の今の格好は、右片腕のない太袖と膝下まで長く伸びているのが特徴的な衣服と、その下にタイトなインナーを身に付けたものだ。

 両サイドが別れて見えている下半身では、白の七分丈パンツを履いている。それからは更に下を見れば踝を晒した簡素でタイトな靴。

 袖のある左腕を除いた四肢にはささやかな飾り付きの金具のブレスレットが少しの身動ぎでシャラシャラと音を奏でており、頬付けをついている腕の合間からは長く結った細い三つ編みが垂れ下がっていた。


 小さく呟かれた声に“チャンパオ”と言う単語があった。

 彼の目から見てそう思うなら、多分そう言う衣装なのだろう。

 因みに色は白の七分丈パンツを除き、髪色から瞳の色も込みでずうっと下って爪先まで、全て黒で統一。

 お陰で金具の金色がよく際立つ。


 何、と聞かれても特に大したものではない。

 強いて言うなら、僕の新衣装だとでも言うべきか。

 何の変哲もない衣装を改めてよく見えるように腕を広げて、何でもないように僕はこう答えた。


「……どう?」

「どう? じゃあねェよ! 何の変哲もない訳があるか!」


 ビシッと声を張りながら、貴方は僕の身体を指差した。

 僕の身に付けた衣装は、端々から黒い煙を吹いてゆらゆらと立ち上っていたのである。


「明らかに普通じゃあねェだろうがよ。ンだよそれ、服が煙になってンじゃん。思っ糞ファンタジーじゃあねェか。どうなってんの?」

「さぁ……僕も、気が付いた時にはこうなっていたから、何とも。」


 正直、そんなことはどうでも良いし。

 言いながら最後に小さくそうぼやくと、「良いのか」と貴方は苦く笑った。


「しかも何か浮いてるしよ、一体何だってこんな……

 ──うん?」


 貴方はよく見てみようと僕の方へと歩み寄ってくる。

 そして煙が立つ衣服に手を伸ばした、その時だった。


「んー……? …………あ??」


 貴方は出した自らの手を見て固まる。

 暫し思考するべく固まったのか、あるいは思考が止まって故のことか。

 掌をくるくる翻し、時にぐっぱと可動を確認。

 これが機械ならば頭上に“Now Reading…”とぐるぐる回ってばかりな輪でも表示されていそうな具合の様子で、沈黙。

 やがてその手が顔に触れ、ペタペタ。

 困惑の声を溢しながら、今度は下を見る。

 えっ? あれっ? と同じような声を繰り返し、前後自身の身体を見渡していき、ようやく放ったのはこんな言葉だ。


「……身体が、縮んどる……!!!?」

「……ハハッ!」


 やっと気付いたか、と思うと同時に、してやったり、とも思ったり。

 とは言えついつい、笑いを溢してしまう。

 顔を伏せ、手の甲で口元を覆って肩を揺らしていた僕に、混乱顔だった貴方はハッとしてまた僕に噛み付いてきた。


「アーサー!! お前ッ!! これお前の仕業だろッ!!?」

「ッふ、くくっ……良いね、その顔。貴方のそう言うところが見たかったんだ。」


 笑いすぎてか、目尻に浮かんだ僅かな水分を指の背で拭いながら、慌てふためく貴方を眺めてまた笑いを噛み殺す。


 今僕の目に映るのはよく知った顔。

 けれど見慣れたそれとは随分と異なる、幼い頃の小さな姿だ。

 齢は丁度成長期真っ只中と言ったところ。数字で例えるなら十四くらいだろうか。

 まだまだ子供と言って差し支えない程度の頃合いだ。

 いつもの人を上から見てばかりだった高身長も今やすっかり成りをひそめ、僕でも軽く見下ろせる程度の体格差。

 したり顔を浮かべていた僕は低くなった頭をここぞとばかりにポンポンと撫でた。

 その下に見える顔が不服そうで、それでいてどこか照れ臭そうにも感じてもいるらしい様子が、見ていて殊更僕の気分を良くしていった。


「ふふふ、良い気味。」

「くそっ……最悪な気分だ。」

「貴方がいつもしていることじゃない。」

「仕返しのつもりかよ。」


 彼なりのささやかな抵抗なのだろう。腕で僕の腕を押し退けると、幼顔ながらも少々険のある目付きでじとりと見上げてくる。

 そんなに嫌なら、一層のこと払い退けてしまえば良いのに。

 なのに乱暴に抵抗しない辺りが、彼の僕に対する親密さが浮き彫りに出ているかのようで、それを察してしまった僕は思わず口元を歪めてしまいそうになる笑みを、彼に見られてしまわないよう肩で隠した。


「そうだよ。」


 そして真っ向からそう言葉を返す。

 すると、途端に口を閉ざしてしまった彼。目を丸くして僕を見詰めていた。


「何、その顔?」

「……いや、別に。」


 今度は彼の方がフイッと余所を向いてしまう。


「…………嫌、だったのか?」

「馬鹿。」


 ペシリと軽く叩きながらの一言。

 「痛っ」と小さく悲鳴が上がる。


「何すんだよ!」


 非難の声をまた張り上げて、叩かれたところを擦る彼。

 力を込めていないのだから、そんなに痛くない筈なのに大袈裟だな。

 無論、その訴えは聞き入れるつもりはない。なので、ここはツンとした顔で知らんぷり。

 逆だよ、馬鹿。

 そんな言葉を直接伝えるつもりは、残念ながら今の僕には微塵もない。


「あーもう、お前って奴は……」


 相変わらず素直じゃあねェんだから。

 そんなぼやき声を口にしながら、手持ち無沙汰から後頭部をポリポリと。


「つーかさ、いい加減本題に戻るけどよ。」


 ようやく気が済んだ……と言うより、観念したのだろう。

 彼はもう一度ぐるりと辺りを見渡して、それから言う。


「コレ、お前の仕業であってるんだよな?」


 彼からの問いに僕はコクリと頷く。

 別段隠すことでもないし、誤魔化すつもりだって元よりないからね。


「そうだよ。」

「更地……で、あってるよな?」


 今度は難しい顔をして彼は次の質問を投げ掛けてくる。


「うん。」


 これについても特に隠し立てすることはない。

 僕が素直に肯定を示すと、彼の表情は余計に曇った。


「……新しく、世界を創る為のか?」


 それを訊ねる彼の表情はいつになく真剣だった。

 更地の空間と聞いて、やはり思い浮かぶのは“そういうこと”なのだろう。

 それが意味することを既に熟知している彼だ。だからこそ余計にはぐらかされたくないのだろう。

 僕はじっと彼を見詰めたのちに口角を小さく吊り上げると、何でもないように答えた。


「──そうだよ。」

「お前ッ……!!」


 ガシッ

 彼の右手が僕の胸ぐらを掴む。

 あ、と思った頃には僕の身体は彼の方へと引き寄せられる。

 間近となった顔同士、目の前の彼の目が怒りによって爛々としていた。


「お前っ……いつの間に“神”なんぞに成りやがった!」

「んー……ついさっき?」

「何で!!」

「そうする必要があったから。」

「どうしてッ……お前がッ……!!」

「僕じゃなきゃダメだったから。」

「何でッ……!!」


 そこで彼は堪えきれず頭を伏せた。

 興奮して荒くなる呼吸、上下する肩。

 僕の胸ぐらを掴む手が力を込めすぎて小さく震えている。


「……アーサー……」


 さっきまでと比べて、酷く弱った声で彼はまたその名前を口にする。

 けど、僕はそれに応えない。


「なァ……アーサー……これだけは、これだけは教えてくれ……」


 すん。

 微かに鼻を啜る音が聞こえた気がした。


「お前……死んだのか……?」

「死んでないけど。」


 すん。

 また鼻を啜る音がした。

 そして、続けて発せられる声。


「──えっ?」


 思わず上げられた顔。

 目尻と鼻がほんのり赤くなっていて、ポカンとした表情が殊更滑稽だ。


「死んでないよ、僕。」

「え……えっ?? じゃあ、なんで、お前……」


 そこまで言ってハッとする。


「え、てか、俺のこと覚えてる……ってことは、記憶も失くしてない?」

「うん。」


 キョトンと呆けた顔の彼は、何だか宇宙の中の猫みたいだった。

 何が何だか、と言った感じがありありと出ていて、いつも訳知り顔な彼ばかり見ていた側としては何とも新鮮な様子だった。




 神とは何か。

 それは、常人の枠を越えた者が自身に(制限)を掛けることで、更なる超常の力を得て、更にその先へと至った者のこと。

 自らの願いを叶える為に自らの願いを忘れ、あらゆる事象を思うがままに出来るが全て思い通りに出来るほど完璧なものほど理想には遠く、不変の身体を得たことで悠久の時間を手にすると同時に際限のない退屈に囚われて愉悦に飢える。他のどんなものよりも完璧で、何よりも不完全な存在だ。

 そんな偉大なる愚者のことを、僕らは“神”だと知っていた。


 そんなものに、つい先程に成った僕。

 神に至る為に人の身を棄てたり、人だった頃の記憶を消してしまったり、本来は色々と段階を踏まねばならないところを少しばかりズル(・・)をした。

 お陰で手放さなくてはならないものをそのままにして、ようやくここまで来たのだった。

 そのせいか、正規ルートで神に至った者と比べてかなり弱体化している。

 けれど、それでも常人からは外れた道だ。言うなれば腐っても神と言ったところ。

 物事を思い通りにする為の力はこの身に備わっているのだから、これ以上僕に望むものはない。




「……とは言っても、神に成る前のことは大体しか覚えていないけどね。」


 肩を竦めて僕は言う。


「ちょっとね、“裏ワザ”を使ったんだ。

 制限は結構重くなったけど、それを負ってでも譲れないものがあったからね。お陰で色々とパスも出来たし、その上で今の僕になっているよ。」


 それを伝えると、胸ぐらを掴む彼の手がよろよろと離れていった。

 今にも力が抜けてへたり込んでしまいそうな様子だが、顔色はさっきと比べて良い。


「なんだ、そうだったのか……」


 呟くようにそう言って、胸を押さえて大きく息を吐き出す彼。


「でも、裏ワザなんてあったっけか……?」

「そんなこと、今はどうだって良いじゃない。」


 僕は何もない場所で椅子に座っているかのような姿勢だったのを、膝に置いていた本を抱え直しよっこらせと立ち上がる。

 やや下方にある彼の姿は、軽く折った膝に手を付き俯いている。

 その顎を本の背でくんと持ち上げると、半ば強引に視線を合わさせてこう言った。


「それよりも他に、僕に聞きたいことがあるんじゃないの?」


 一瞬、彼の目が食い入るように本に向けられていたが、僕のそんな言葉を聞いてハッとすると慌てた様子でこう言った。


「そうだ。そうだった。

 お前、何だって急に神なんかになったんだ?

 それに、死んでないって……」

「んー……三十点。」


 呆れ交じりに肩を落とす僕。

 そう言うことじゃない。もっと聞くべきことがあるでしょうに。

 しかし彼はそれがわかっていない。

 キョトンとしてはまた考え出すが、僕が求める問いは中々出ず。

 ……ああもう、焦れったい。


「どうしてここに連れてこられたのか、気にならないの?」

「ん? ……ああ、それもそうか。」


 何だか彼の反応が薄い。

 思っていたような反応を得られず、僕は不服そうに腕を組んだ。


「興味ないの? どうでも良いってこと?」

「うんにゃ、別にそう言う訳じゃあないんだが……」

「じゃあ何。」


 じとりとした目で彼を見る。

 するとやり場なく所在なさげな手が頭を掻いた。


「うーん、なんつーか……お前のことだし、妙なことはされないだろうしなぁって、思って……」


 暫く悩むようにうんうんと唸り続けて、ようやく返ってきた返事はこんなものだった。


「いやまァ確かによ、知らん間に知らん場所に連れてこられたんだ。戸惑いは確かに今でもあるさ。

 でもよ、一緒にいるのはお前なんだろ? なら平気だろ。」

「……何それ。」


 それを聞いて僕の口から飛び出たのはその言葉だけ。呆気に取られてしまう。

 え、何、つまりそれって……。

 固まる僕に彼はさもそれが当然かのように、何を言っているんだ? とばかりにこうも言う。


「だってお前、何かあったら俺のこと守ってくれるし。」

「…………」


 キョトンとした顔の彼。思わず言葉を失ってしまう僕。

 やがて天を仰いだ顔を手で覆い、開いたまま塞がらなかった口から長く深い溜め息が溢れる。


「な、何だよ。俺、何か間違ったこと言ったか?」

「………………別に?」


 素っ気ない言葉で返した僕はそのまま顔面を撫で下ろし、口の前で頬を掴んだ。

 不味い。顔がにやけてしまいそうだ。

 自慢のポーカーフェイスが崩れかかっていて、どうにも治まらないから視線を逸らすことで気を紛らわす。

 その仕草を何と思ったのか、焦った様子の彼が何やら見当違いなことを言い出した。


「怒ンなよ。これでも何かあった時にゃあ危機感を持てるように努めちゃあいるんだ。

 そう簡単にゃあ危ない目に遇わんよ。」

「ああ、それについては大丈夫。期待していないから。」

「ンだと!?」


 どういう意味だそれ!!

 心外だとばかりにまた喚き出す彼に、ようやく落ち着いた僕はやっと口元から手を下ろした。


 彼は昔から危機感が足りなさすぎるのはよく知っている。

 笑顔で「大丈夫大丈夫!」と言いながら、次の瞬間には死んでいる……なーんてことが殆どだったのだ。

 彼は不死身だ。

 不死身だからどんな目に遇おうと死ぬことはない。

 ……とは言え、知り合いが目の前で肉塊ミンチになっているこっちの身にもなってくれ。心臓に悪い。


「まあ、良いか。」


 他愛もない話をしていたから。別に嬉しかったとかじゃないから。

 ……なんて、誰に向けてでもない無意味な言い訳を胸の内にてぼやきつつ、身の内で沸き立ってくる力を感じた僕はそれを確かめるように右手の開閉を繰り返した。


「……うん。今なら出来そうだ。」

「あ? 何が──」


 彼の質問に答えぬまま、僕は空間に手を翳した。

 そう。僕らが更地だと言った、あの真っ白な背景に向けて。

 すると僕の掌の前で、真っ白な空間の中でぐにゃりとマーブル模様を描くかのように、小さな“歪み”が現れた。




 ──始めは小さな変化だった。

 その中心に黒い点が現れた。

 それは膨張と収縮を繰り返す。

 同時に、徐々に徐々に体積を増していった──。




 辺りで風が渦を巻く。

 そもそも大気があるのかすら怪しいような、非現実的なこの空間で。

 荒ぶる風に吹き曝された小さな身体が、その勢いに押し負けふらりとよろけるのが見えた。


「おいで。」


 それをぐっと自分に引き寄せて、横目で彼を見下ろした。


「掴まってて。」


 コクリと頷く、剥き出しの額。

 発育途上の細い腕が僕の腰に回される。

 強い風に煽られているからか、目を開けるのも困難そうな様子だった。

 どうやら声も出せないみたい。口はきゅっと結ばれていた。




 ──逆巻く風の中心に、あの黒い点が鎮座する。

 全てを飲み込まんとする様はさながらブラックホールのようだった。

 周囲にあるものを全て、吸収し、喰らい、飲み込み、取り込んでいく。

 やがて十分に腹を満たしたそれは、影すら生まない漆黒色の珠となっていた──。




 風が止んだ。

 周囲の全てが、時が止まったかのようにピタリと停まった。

 嵐の前の静けさとは、きっとこのことを言うのだろう。

 僕にしがみつく彼の腕に力が籠るのを感じた。

 彼もそれを見たのだろう。

 強張る表情が、その危うさに気付いた証拠だった。

 凄まじいエネルギー量を孕んだ、この小さな球体。

 それが、ひび割れ、今にも砕け散りそうになっている様に。




 ──パキンッ




 酷く軽い音を立てて、球体が弾ける。

 その瞬間、溜め込まれていた凄まじいエネルギーが衝撃波となって周囲に飛び散った。

 波紋のように末広がっていくそれは一瞬の内に僕らまで飲み込んだ。

 目を焼く程の光と押し潰さんばかりの風圧を身に受けながら、僕らの視界と意識は白く白く染められていった。






 *****






「──う……ん……?」


 あれから程なくして、意識を失っていた彼がもぞりと身じろぎをした。

 微かに瞼が震え、ほんの少しだけ瞳が覗く。

 ぼうっとした様子のまま、目の前をじっと見詰めてからの一言。


「……知らない天井だ。」


 まだまだ寝惚けた様子の彼に、僕は「そうだね」と簡素に返す。

 そんな彼の目に映るのは、きっとこんな景色だ。


 木製の壁。薄手のシーツ。もはや燻りもしなくなった短い蝋燭。

 軋むばかりで差程柔らかくもない安物のベッド。

 必要最低限しか用意されていない家具達。

 日が差す窓には、ほんの少しの硝子が張られているだけ。

 透明度のないそれは、外を見るには窓を開けるしかないだろう。


「ここは……どこだ?」


 ようやく身体を起こした彼が真っ当な疑問を口にする。

 僕は開いていた本を閉じると、その質問に敢えて答えぬまま逆に問い返してみた。


「どこだと思う?」

「ンン……民家? にしては家具が少ないし、家電もない。日本ぽくもない……」


 それから彼はベッドを降り、身の回りを確認していく。


「これは……麻の服?

 うーん、科学製品がまるでない。ってことはまだ文明がそこまで行っていない……うん。中世ヨーロッパが近いな。ファンタジーじゃあ良く見られるモンだ。」


 他にヒントになるものは……

 そう言って彼は部屋中を歩き回ってあるもの全てを物色していく。

 様々なものから考察を重ねつつ首を捻るその横顔は、どこか愉しげにも見えた。

 そんな彼を眺めながら、僕は膝の上に置いた本の表紙を撫でつつ彼の回答を待つ。


 彼は既に察しているようだが、無論ここは異世界だ。

 彼の生まれた街、国、時代どころか、星や宇宙、次元すらも引っ括めて、全部、全部、全てが全く異なる場所。そんな場所に僕は彼を連れてきたのである。


 とは言え、彼が元の世界から異世界へとやって来たのは今よりもずっと昔のこと。

 “車”とか言うものに轢かれてしまったそうで、元の世界での彼の人生はとうに終えているのだった。

 それから余所の世界の神に拾われたり、異世界の危機に巻き込まれたり……それはもう、色んな出来事を経て様々な経験を得た彼。

 今や立派な“三千世界の管理人(グランドマスター)”と言える立場だ。

 多種多様の異世界の出来事を本に(したた)め、それを貯蔵する役目を持った次元の超越者となっていた。


 ──否。


 三千世界の全ては本の中での出来事。

 異世界とはつまり本の中に広がる異空間のこと。

 そしてその異世界に通ずる本を書き認める彼こそが、全ての物語の“筆者”だ。

 次元違いの異世界人と言えるのも当然だろう。

 しがない物語の登場人物(キャラクター)とは訳が違う。

 僕や他の神達だってそれは同様だ。


 とは言っても、本人曰く起きた出来事を綴っているだけに過ぎないのだとか。

 時折修正をすることは確かにあると言っていたけれど……卵が先か鶏が先か、真実は闇の中だ。

 

 そう言ったこともあって、別次元の彼は異世界の住人とは限られた者としか交流出来ない。

 区別するなら“名前持ち(ネームド)”か“名無し(ネームレス)”と言ったところ。

 役割のある者ならまだしも、その場かぎりなNPCにまで気に掛けていられないと言うのが本音だろう。

 時に姿を見えずとも声が届くこともあるようだが、ただそれだけ。

 まあ、見えたところで触れることすら叶わないことだってあるのだから、そう言うこともあるのだろう。


 そして本の中の事象に影響や感化されない立場にあるからこそ、彼はどんな目に遇おうとも何ともならない。

 時間についてもそうだ。

 常人だった頃の身体は既に失っている。

 彼の中の時間とて、そのまま針は動かなくなっていた。

 彼の肉体にもう成長の余地はない。


 つまるところ、常に同じコンディションが続くのだ。

 お陰様で疲れ知らずな身体を手に入れた彼は、それこそ休息を取らずに延々と活動を続けていられる。

 本拠地としている彼の部屋があらゆる時間の外にあることも相まって、彼はいよいよ時間という枷に囚われなくなった。

 そんな環境で己の使命を全うし続けて、もうどれ程経ったことだろう。

 考えるだけで途方に暮れそうだ。


「(四方やそのせいで僕に拉致されただなんて、貴方は微塵も考えやしないだろうね。)」


 僕は音もなく小さな吐息を溢し、本の表紙を指でなぞった。

 紐綴じされた亜麻色の冊子のようなその本は、まだ真新しく中身も薄い。

 題名(タイトル)はまだない。

 これから考えるつもりだが……さて、どうしたものか。

 表紙にはうっすらと“仮称・アーサー”だなんて文字が浮かび始めているが、それを手で払うような仕草で消し飛ばしつつ僕は頭を悩ませた。


 そんなことを考えていると、ふと周囲が静かになっていることに気が付く。

 何やらぶつぶつ言いながらガサゴソと物を漁っていた筈だが……彼の動向が気になって、顔を上げてみた。

 すると、彼は意外にも直ぐ傍にいた。

 こちらを食い入るようにじっと見詰めたまま、固まっている彼の視線の先には──


「なァ、なァ、アーサー、」

「見せないよ。」

「まだ何も言っていないんだが!?」


 如何にもソワソワとした様子で僕の手元に指を指し搔けていた彼に、有無を言わさず僕は断固拒否。

 ショックだと言わんばかりに彼の口から文句が飛び出してくるが、めげずにまた要求を口にする。


「なァなァ、アーサー、良いだろ? それ、俺がまだ見たことない本なんだよ。少しだけでも良いからさァ~」

「やだ。駄目。」

「なァ、アぁサぁ~」

「鬱陶しい。駄目ったら駄目。」


 この……本の虫め!

 迫る彼から本を遠ざけながら、僕は胸の内で呆れ混じりに悪態を吐いた。


 これだ。これが彼の悪い所なのだ。

 彼の役目の一つに、あらゆる事象を観測しなくてはならないと言う旨があるのだが、その為彼は出来事を本に書き記すと同時に、平行してそれらを読まねばならない。

 しかし……見ての通り、彼は読書好きだ。

 趣味が役目となっているのだから、際限がなくなってしまっていた。


 先程休息を取らないことを言った筈だ。

 それは周りが心配する程のものなのだが、その半面、彼からしてみれば十分休息を取っているつもりになっていた。

 何せ、読書の休息に読書をしているのだ。

 公私の区別が最早つかない程で、新たな本が出来る度に熱中してしまつものだからそれはそれで厄介だった。


「兎に角、この本は駄目。」

「えー」

「それよりも、答えはどうなの? まだわからない?」


 あからさまに話題を変えれば、渋々といった調子でようやく引いてくれた彼。

 とは言えまだ諦めてはいないらしい。

 文句ありげな顔で口を尖らせて、手をこう、ワキワキと……その動きは何? やめてよ気色悪い。


「ここ最近ずっと本に囲まれていたから、こう手元に何もないと落ち着かねー……」


 そこで彼が呟いたのはそんなことだった。

 何を言っているのやら……。

 そうは思ったがよくよく考えてみると、確かに彼は常日頃から本を抱えていたような気もする。

 それこそ、彼が今の立場になる前からずっとだ。

 手待ち無沙汰に手をプラつかせて何とも言えない顔をする彼に、見かねた僕はこんなことを言ってみた。


「何かあれば良いの?

 じゃあ、こんなのはどう?」


 パチンッ

 そして僕は軽やかに指を鳴らした。

 瞬間、彼の手に重みのあるものが出現する。


「うおっ!? 何っ……剣?」


 そう。それは何の変哲もない鋼の剣だ。

 怪訝な顔で剣を見詰める彼は言った。


「何で剣?」

「その内わかるよ。」


 僕は唇に人差し指を当てながら小さく笑みを浮かべるのだった。




「さて、僕の質問の答えは出たかな?」


 組んでいた足の上下を入れ換えつつ、僕は改めて問い返す。

 顎を撫でていた彼はまだ暫し思考に耽っていたが、そう待つことなくその顔がこちらを向いた。


「この部屋は俺の所有する場所ではない。あっているか?」

「うーん……まあ、そうなのかな。」

「一時的にではあるが、俺の所有となっている?」

「ん、そんな感じ。」

「俺だけではなく、不特定多数の者が使用する場?」

「そうだね。」

「ならここは“公共の施設”か?」

「そうかな。」

「無償のものではなく、商売目的で貸し出されている?」

「あっているよ。」

「その期間は短期的なもの?」

「うん。」


 パチン。

 指を鳴らしてビシリと立つ人差し指。自信満々なニヒルな笑みが浮かぶ。

 僕と違ってただの格好付けでしかないそれだが、それが見た目の年齢と噛み合っていて実に何とも微笑ましい。

 ここは下手に突っ込まずにいることにしよう。

 彼の中ニ心は今も尚健在だ。


「わかった。ここは“宿”だな?」

「正解。」


 その回答を聞き僕が頷いたことで、今まで閉まっていた扉がガチャリと開く。

 彼は振り返って扉の方をを見た。

 すると、そこに誰かが立っているではないか。

 ポカンとした表情で固まる彼の目の前で、ややふくよかな体格をした如何にも人の良さそうな女性がこちらを見るなりこう言った。


「お客さん、やぁっと起きたのかい?

 朝ごはんの準備はもう出来ているよ。冷めちゃう前に早く降りといで!」


 食堂で待ってるからね!

 突然現れた女性はそれだけ言うと、こちらが返事をするのも待たずに扉を閉めて去っていった。

 扉の向こうで階段を降りていっているらしい足音が聞こえてくる。

 よくよく耳を澄ましてみれば、微かに人々が賑わう声も。


「なっ……えっ……ええっ?」


 平然とする僕の隣で、彼が困惑した様子で言葉にならない声を漏らす。

 扉と僕とを何度も見比べ、何やら混乱しているみたいだ。


「な、なァアーサー? さっきの人、今、今さ、お前に……? 言った、んだよ、な?」

「……そう見えた?」


 混乱する彼に、僕は敢えてそう訊ねてみる。

 答えはわかりきっているのにね。我ながら意地の悪い質問だ。

 彼は暫し黙り込んでいたが、やがて首を横に振る。


「あの人、俺のこと見てた。俺に言っていたんだ。

 ……俺、あの人のこと知らないのに。」


 どう見たって、ありゃあただのモブ(NPC )じゃんか。

 今まで限られた者としか交流が出来なかった彼は言う。


 そうだね。貴方はいつも、誰の目にも留まらなかった。

 透明人間のようなものだ。

 人々の営みから離れ、誰にも知覚されない外側から眺めていることしか出来なかった。


「俺、もしかして他の奴らに見えるようになってる?」


 そう言う彼の表情は、困惑と共に緊張が滲み始めていた。

 彼の手がシャツの胸元を握り締める。


「じゃあ、試してみようか。」


 僕はそんな彼の為に、持ち上げた腕を扉へと向けた。

 鍵の掛かっていない扉は、出ようと思えばいつだって飛び出せる。

 あとは彼がどうしたいのか、自分の意思で決めるだけ。




 ──さあ、貴方はどうする?




「……ッし!」


 緊張の面持ちにパチンッと一発、両頬を叩いて気持ちを入れ替える。

 そして踏み出すは、あの扉の方。

 思い切ってドアノブを握り、勢い殺さぬままに退室。

 その先で彼を待ち受けていたのは──




「おっ! 来たぞ来たぞ。期待の新人が!」

女将(ママ)ぁー! 坊主が降りてきたぞーっ!」

「なんだ、ただのガキじゃねぇか。」

「やぁだぁ、ウチの弟と同じくらい? かーわいーい!」

「おーぅい、酒はまだかー!?」

「朝っぱらから酒かっ食らってんじゃないよ! 酒が欲しけりゃ一仕事でも終わらせてきな!」

「んがーっ……ぷひゅーるるる……」

「おいジジィ! 食堂で寝こけてんじゃねぇ!! 邪魔だ!!」


 人が賑わい大渋滞の大衆食堂……そんな景色が彼の目の前に広がっていた。

 ポカンと呆けて立ち尽くす彼。

 そこへ今から食堂を出ようとする者が近付いてくる。


「女将さーん、あたし達もう仕事行くから! あとよろしくねーっ!

 ……あら可愛らしい坊や。ちょっとそこ、通らせて貰ってもいいかしら?」

「……えっ? あ、ああ。」


 集団の先頭に立っていた頭上に獣の耳を生やした女に声をかけられ、咄嗟に反応しきれなかった彼はやや遅れて返事をした。

 そして慌てて移動し、道を譲る。


「ありがと。」


 そんなぎこちない様子の彼を見てなんと思ったのか、獣耳の女は微笑ましげにクスリと笑った。

 感謝の言葉を伝えるやひらりと手を翻し、それから何事もなく去っていく。

 その背後には、腰から長く細い尾が垂れ下がっており、時折ゆらりと揺れているのが見えた。


「猫の獣人だ……」

「獣人族は見るの初めてかい?」


 ポツリと溢した一人言に、不意に声をかけられ彼の肩が揺れる。

 振り返ればそこにいるのは、先程部屋にまで来ていた女だ。

 他の者から女将と呼ばれているのを先程見かけたような気もする。


「いえ、そう言う訳では。」

「そうかい。ま、獣人なんざ今時何処にでもいるからね。

 アタシら人間と違って多産ってこともあるし、人間の方が少なく感じるくらいだ。珍しくもなんともないわねぇ。

 ……あ、これあんた達の朝ごはんよ。早く食べちゃいなさいな。」


 女将はそう言うと両手に抱えていた料理を近場の机にどかりと置いた。

 その席にはまだ座っている者がいるようだけど……


「ホラ! 食い終わったんならさっさと退きな!」

「女将さん! そんなこと言わんといてくれよ!」

「俺達は今日は休みなんだ! たまの休みくらいゆっくりさせてくれよ!」


 やはりと言うべきか、既に席を使っていた男達がグラスを抱えて文句を垂れた。

 彼らの前にはダラダラと食べていたらしい料理が本のわずかずつに残っていて、グラスの中身も微妙に残っている。まだまだ食事中だと言いたいのだろう。

 しかし、それでも女将に容赦の二文字はない。


「そんなことを言って! いつまで場所を占領しているんだい!!

 いい加減、早く食べきらないとここにある皿全部没収するよ!」


 そう言って女将が睨みをきかせば、彼女よりも図体のでかい男共は肩を竦めていそいそと残りを口にかっ込んでいく。

 そして完食すると、ドタバタと忙しなく食堂を後にするのだった。

 女将はじとりとした目で彼らを見送ると、手早く食卓を片付けて僕達にその場を譲った。


「はい、お待ちどうさん。

 しっかり食べて、沢山稼ぐんだよ!」

「は、はい…………えっ稼ぐ?」


 女将の話に目をぱちくり。

 彼の頭に?が浮かぶ。


「そりゃそうさ! だってアンタ、今日から冒険者になるんだろう?」

「──!?」


 おおらかに笑いながら言った女将の言葉を聞き、彼に動揺が走る。

 何だそれ、聞いてないぞ!?

 僕の方へと向く彼の目は、そんなことを言っているかのようだった。


「アッハハハ! 若いってのはいいわねぇ! 血気盛んで、無鉄砲で!

 アンタくらいの年齢(トシ)なら、少しくらいやんちゃなのが一番良いってもんさ! アタシも応援してあげるから、存分に無茶しなさいな!

 ……あ、でも頼むから死ぬような目にだけは遇わないどくれよ。ウチの宿から出た客がポックリ逝っちまっただなんて、そんな話、アタシゃ聞きたかないからねぇ。」


 それじゃ、ごゆっくり!

 女将は最後にそう言うと慣れた様子で人混みの中へと向かい、食堂の奥へと消えていった。

 それを茫然と見ていた彼。

 突然グリンッとこちらを向くなり声を大にしてこう言った。


「──アーサー!! これどう言うことだ!?」

「どうも何も、そのままの意味だけど。」


 僕は肩を竦めて何でもないようにそう返すが、彼の発した言葉の一部に胸の奥にもやっとしたものを覚えつつ、ついつい眉間に皺を寄せてしまう。

 とは言え、そんな小さな不満は口にするだけ無駄だ。

 僕はやいのやいのと無駄なことを問い詰めてくる彼を放って女将が用意してくれた席に座ると、隣席を叩いて彼にも座るよう促した。


「ほら、貴方も座って。折角のご飯が冷めちゃうよ。」

「そんなことよりもッ……!」

「暫く何も食べていないんだ。貴方、お腹が空いてるでしょう?」


 そんな筈はないだろう! ……彼はきっと、こう言いたかった筈。

 今まで食事すら必要なかったものね。

 けれどその主張を口にするよりも先に、彼のお腹からは大きな音が。


 ぐ~っ


 途端、彼の怒涛の問い詰めは止まり、きゅっと結ばれる口。

 たちまちかあっと顔に朱が帯びていき、彼の腕が腹を抱え込んでいく。


「ほらね?」


 僕はそう言って、もう一度彼に着席を促した。

 久しく感じる生身の人間の感覚に戸惑う彼も、他人(ひと)に腹の虫を聞かれて恥じらう彼も、僕からすれば微笑ましくて仕方がない。

 そう思ってついついこぼしてしまった笑みも、彼からすればしてやられたとでも思っているのだろう。

 ちょっぴり唇を尖らせてぶつぶつ文句をぼやく彼。

 それでも用意された料理を口へと運んでいくと、


「……んっ、美味っ!」


 顔を綻ばせ、手にした匙はまた次の一口へ。

 もっくもっくと頬を満たし、不満顔もあっという間に上機嫌に。

 そんな彼を隣で頬杖を付きながら眺めていると、


「アーサー、アーサー! これ、これ美味いから! お前も食べてみろって!」


 と言って、一口大分を掬い取った匙を僕の前へと彼は差し出してきた。

 ……僕の前にも同じものがあるんだけどな。

 だけども思ったことを口にすることなく、差し出されたそれに僕は素直に口を開く。


 ぱくり。


「……うん、美味しい。」

「だろ!」


 僕が言った一言に、彼は嬉しそうににかりと笑うのだった。


「(うーん……そう言うところなんだよなぁ)」


 咀嚼している口元を爪先で隠しながら、ニッコニッコとご機嫌な彼の笑顔が眩しくって僕は瞼を伏せた。


 そんなこんなで女将に用意して貰ったややボリューミーな朝食でお腹を満たした僕らは、いつの間にか持っていた金銭で支払いを済ますと、世話になっていたらしい宿を出ることにした。




「やっぱここはお前が作った世界だったのか。」


 見慣れぬ町を散策しながら、僕らは早速答え合わせに興じる。

 辺りは様々な人種が行き交っており、とても賑わっているようだった。

 大通りとも言えそうなこの道も、両脇にある軒先に出店が幾つも並んでおり、宿で見た冒険者らしい風体の者やこの町の住人らしき人々が思い思いに集っており、この町が小さいながらもそれなりに栄えているらしいことが見てわかる。


「うん。……とは言え、即席のものだけどね。」

「即席で世界を作れるもんなのか?」


 平然と答える僕に彼は苦笑いを浮かべてそう返す。


「それは僕の能力故かな。元より、普通の神とは異なる成り立ちをしているんだ。他の神とはやり方が違いすぎる。

 世界を創造するにしたって構成からして根本から違うんだ。とても参考には出来ないよ。」

「例えば?」

「例えば? うーん、そうだな……」


 彼からの問い掛けに、んー……と考えながら小さく唸って悩む僕。

 直に俯いていた顔を上げると僕はこう答えたのだった。


「“世界五分前仮説”──って言ったら、わかるかな?」

「……ほう?」


 すると、彼の知識にもそれはあったのだろう。興味深げに彼の瞳がキラリと輝くのを見た。


「文面そのままの意味だな。全て五分前に創られたとして考える、思考実験のやつだ。過去も歴史も五分前に創られたもの。だから、それらの真偽の証明が難しいって話だったな。

 ……ふむ。」


 それから黙り込んでしまう彼。

 顎を撫でつつ考え込む。


「そうだな……俺は昨日、この宿を取った。

 けれど実際は……」

「世界はついさっき生まれたばかり。

 貴方が考えた通り、この世界にはまだ“昨日”という時間はないよ。」


 彼は納得出来たらしく、ははぁ、と感嘆の息を溢した。


「僕達は外側からの視点を持っていたから、世界はついさっき生まれたばかりと言う事実を知っている。

 けれどこの世界で産まれた者達からすれば、昨日があって、過去がある。歴史があるからこそ、今がある……そう言うものだと思っている──思い込んでいるんだ。

 世界はまだ創られたばかりだと言う事実を知らないからね。」

「なるほどなぁ……」


 良く出来ているな、と彼は感心して言う。

 だけど僕は肩を竦めてこうも言った。


「それもこれも、僕が神として未熟故の措置なんだけどね。

 力が足りなさすぎて、維持費と構成にコストが割けないんだ。お陰でそのまま持ち越すことすら難しい。」

「そうなのか? とてもそうには見えんが。」

「うん。凄く低コストで創ってる。維持が出来ないから、同じものが出せないんだよ。

 だからね、さっきの扉も出たら最後だったんだ。あの宿にはもう戻れない。君がついさっき出逢った人もまた、もう二度と会うことは出来ないだろう。

 常に新規の情報がアップデートされていって、古い情報は淘汰されていくんだ。」


 ここはそんな世界なんだよ。

 そう言うと、彼はまた黙り込んだ。

 顎を撫でつつ思考を巡らし、それからこんなことを言った。


「全てが一期一会の世界ってことか。

 ……なるほどな。それなら、名前(個体名)も余分な付加情報ってもんか。」


 言いながら彼は道端の露店の一つに目を向けた。

 彼の目に留まったのは、アクセサリーのようなものがずらりと並べられた出店だ。

 見たことのない記号で綴られた旗を見れば、不思議なことにそれが文字だと気付いた頃にはそれが“魔具売り”と書かれているのだと理解してしまう。

 それは彼も同様なのだろう。

 

 ただ、彼の目は自棄に輝いていることから、きっと頭の中ではこう思っているに違いない。

 ──“魔具があるってことは、この世界には魔法もあるのでは?”と。

 そう言うところには目敏いところが、ファンタジー好きな彼らしい。


 しかし、言わずとも察してしまったとは言え、僕も直接聞かれた訳ではない。

 何れそれはわかることだろうと、そのことは一旦頭の片隅にでも置いておくことにした。


 僕は露店の主に金銭を渡し、並んだ魔具の中からこれはと思ったもの一つを詰まみ上げると、それを彼の掌に置いてこう言葉を紡いでいった。


「そ。だからこの世界で、固有名詞を持つ者はそうそういないと思う。

 つまり、貴方が気にしなくてはならないものは僕の世界に存在しないんだ。」


 だからね、と言葉を続けながら、こちらを向いた彼に僕は笑みを浮かべて言った。


「ここにいる間は、貴方の思うがままに羽を伸ばすと良い。

 この世界、僕の世界は、全てが貴方の為だけに創られたもの。貴方にほんの少しの“自由(休息)”と、心揺さぶるような“不自由(制約)”を与える為の場所なんだ。」


 そこで僕の足がたんっと軽やかに地面を蹴った。

 ふわりと浮かんだ身体が宙を揺蕩いながら彼の前にて滞空する。


「常に変わり行くこの世界は、貴方を否応なしに冒険へと駆り出すだろう。

 その先で貴方が一体どんな道を選ぶのか。僕は貴方の隣に立ち、時に選択肢を与え、時に手を貸すことにしよう。

 つまりこの世界、この物語では貴方自身が主体(主人公)となる。


 ……普段、貴方が僕に課していた役目だ。

 立場が逆転した気分はどう?」


 そう言って見下ろした先では、驚きに満ちた顔でこちらを見詰めている彼の姿。

 そんな様子ですら酷く愛おしく思えて、ここにいる間だけでもこの人を自分一柱だけのもの(一人占め)が出来ることが嬉しくて、僕の口元には更に笑みが深まっていく。


「さて。ここから先、ほんの一時の間だが貴方は僕の世界で新しい人生を歩むこととなる。


 折角の機会だ。

 新たな自分となる為にも、僕ら(・・)には新しい名が必要だと思わないかい?」


 そうして僕は手を差し出した。

 ついさっき生まれたばかり世界では、当然僕らにだって歴史(過去)なんてない。

 互いに真っ更になった今だからこそ、これはチャンスだと僕は思う。

 ずっとは引き留めていられないことがわかっているのだから、せめて二人だけで共有出来るものが欲しいと思う──そんな密かな我が儘を込めて。


 彼は黙って僕のことを見詰めていた。

 それからゆっくりと目を伏せていった。

 組んだ腕の上では指が一定のリズムで弾んでいる。

 暫しの熟考を経て、彼の口から出たのはこんな言葉。




「──“アスタロト”。」




 それは、元の僕(・・・)から付随してきたものだった。

 とても馴染みのある名称には違いなかった。


 ……やはり彼にはこの僕と、元の僕と切り離して考えることは出来ないらしい。

 何処と無く残念だと感じてやまない気持ちから「やっぱりか」と思うと同時に「そう来たか」とも思ってしまう。


 そんなことを肩を落として考えていると、彼が悩むように視線を揺れ動かした。

 かと思えばこんなことを言ってきた。


「……って言うのも芸がねェし、ここは略して“アスト”ってのはどうだ?」


 今度は僕が目を丸くする番。

 思いもよらない提案に思わず口を噤んでしまう。

 けれど、じわりじわりを沸き起こってくる胸の高鳴り、それから熱に、もにょりと口の端を歪めていってしまう。

 そうして僕は爬虫類のような色彩と縦長の瞳孔を持つ目を細めて言った。


「ああ……良いね。凄く良い。」


 恍惚とした表情を浮かべる僕の背後では、すらりとした長い尾が機嫌良く(くう)を叩いていた。


 周囲には今も多くの人が行き交っている。

 けれど、その誰もが僕らを気にすることはなく、ただただ素通っていくばかり。

 それは僕自身が邪魔をされたり、冷やかされることをとても嫌うからだ。

 彼との時間は決して妨害されることがないように、二人で話したい時にはこの世界の住人の意識から逸れるよう、世界を構築する際に既に設定しておいたのだ。

 お陰で誰の目も気にする必要がない。気も楽である。


「その名前、気に入った。じゃあ僕は今後その名で、“アスト”と名乗ることにしよう。

 それで、貴方はどうする?」

「俺? 俺は……うーん。」


 すると今度は頭を下げてまで、深く考え込んでしまう彼。

 その様子は如何にも難航していそうだった。

 暫くしてようやく顔を上げた彼だったが、その表情は明るくない。

 しかめっ面のような、苦いような、眉を寄せては何とも微妙な表情をしたままこう答えた。


「……ダメだ。何も思い付かん。」

「何でも良いのに。」


 僕はこてんと頭を傾けて呟いた。

 何を難しく考える必要があるのだろう?


「だって、俺は俺だろう? 今さら何を変えたら良いのやら。」


 そんなことを言う彼に、僕は「ふぅん」と吐息混じりに小さく唸る。


「だからさ、俺の名前はお前が、アストが決めてくれよ。」

「え、僕が?」

「おう。折角なんだしな。」


 突然の提案に驚く僕。

 彼はそう言うなりニッと僕に笑って見せるのだった。


 思いもよらず、彼の名を決めることになってしまった。

 微塵も考えていなかったものだから、僕は暫し考えを巡らせることに。

 くるくるくるくると思考を回し、考えては見るものの……


「(不味い、全然良いのが思い浮かばない……)」


 選考は難航。中々これだと思うものが考え付かない。


「……僕、ネーミングセンスないって良く言われてるんじゃなかったっけ?」

「そうだな。」

「それでも僕が考えた方が良い?」

「おう。俺もアストって名前を考えたからな、俺もお前に決めて欲しい。」

「……弱ったな。」


 彼にどうしてもと言われてしまったら断れないに決まっている。

 とは言え、良い案もこれと言って思い付かないし。

 はてさて、どうしたものか……


「(……と言うか、今更だけど)」


 考えている内に、何となくだけれど自分が決めあぐねている理由が見えてくる。


「(変わってほしく、ないんだよね)」


 そう思いながら、ちろりと視線が彼の方へと向く。


 自分で言い出したことではあるものの、彼は彼のままであって欲しい。そう思ってしまうのだ。


 僕は変わった。何より神になった。

 そのせいで手放したものは少なからずある。

 だけど「これだけは」と手放せなかったものもある。

 それが正しい選択だったのかと聞かれたら何も言い返せないのだけれども、それでも構わないと思ったからこそ、今の僕がここに在る。


 だけど、それが彼だったとしたら?


「(……嫌だなぁ)」


 考えたくない。想像するのも嫌。

 弱い癖に偉そうで、大人ぶってるけど子供っぽいところもあって、何がなんでも我を通す癖に、重要なところではちゃんとこちらに委ねてくれるし、立ち止まりそうになった時には手を差しのべてくれる。

 何よりも彼は、前でも後ろでもなく、僕の隣にいてくれる人だった。

 不器用なりに寄り添おうとしてくれるところが、僕は心底気に入っていた。


「……我が儘、言っても良い?」


 行く宛のない手が腕を擦りながら、僕は彼にそう言った。


「内容に寄るな。」


 優しいばかりでない彼はそう言う。

 そんなところも僕は嫌いじゃない。


「良いのが思い付かないんだ。だから、そのままってのは……どう?」


 僕はほんの少し嘘を混ぜて、そう言った。

 変えたくない。変わってほしくない。

 この世界では名前に縛られることはないとは言え、僕はどうにも抵抗が拭えない。

 だからそう言うことにしたのだけれど、彼はどう思うのだろうか。

 暫しの間流れる沈黙。

 僕の心臓がどくどくと早足で脈打ち出す。


「そりゃあまた、捻りのない案だな。」


 彼は言った。

 ああ……やっぱり、ダメだったかな。

 俯く僕に彼は続けてこうも言った。


「半分反対、半分賛成だな。

 だからここは、間を取るってのはどうだろうか?」


 それを聞き僕はぱっと顔を上げる。

 悩ましげに顎を撫でていた彼は明後日の方に目を向けながら、僕にこう提案したのだ。


「“イオ”。

 “神村一織(かむらいお)”じゃあなくて、ただの“イオ”。

 ……とか、どうかと思うんだが。」


 どうだろうか?

 そう言う彼は何だか自信がなさそうだった。


 元々人にはお節介な癖して自分にはとんと無頓着な人だ。

 普段なら考えることもないような、慣れないことをしていることで、若干恥じらっているところもあるみたいだった。

 居心地悪そうに頬を掻く仕草も見られた。


「……良い。」


 それを聞いて僕は絞り出すような声で言う。


「それが良い。そうしようよ。」


 差程普段と変わらぬ名前だ。

 でもそれは、この世界でだけの彼の名前でもあった。

 それは考えるだけでも嬉しいこと。

 彼に僕が、そして僕が創ったこの世界が認められたって感じがして、止めどない幸福感が胸に染み渡っていくかのような、そんな気持ちに満たされていく。


「うし! んじゃ、それで決まりだな。」

「うん。」


 彼の言葉に僕はこくりと頷いた。

 いつの間にかポーカーフェイスを、自分を取り繕うことを忘れてしまっていたが、今は幸せで仕方がないのだ。体裁なんぞ、どうだって良い。


「これからよろしくな。アスト。」


 新しく与えられた名が彼の口から紡がれる度に、どうしようもなく喜びを覚えてしまう僕は、きっともう、自分を抑えていられない。


「うん、こちらこそ。

 ゆっくり、楽しんでいってね。イオ。」


 だから僕は、決めた。

 彼がここにいる間は、存分にその特権を堪能しようって。




 ここは誰の手も届かない場所、宇宙ですら遠い場所。

 ここにいるのは僕ら二人、イオと僕の二人ぼっちの世界。

 貴方がここにいたその軌跡は、全宇宙の何処を探してもきっと何処にもないだろう。

 そしてそれは、貴方の記憶にすら残らない。けれど、僕さえそれを覚えていられるのなら、それもそれで構わない。


 だって、ここは貴方の夢の中。

 僕の世界は貴方の中にしか存在しない。


 目を覚ましたらきっと貴方は忘れてしまうだろう。

 それはここが泡沫の夢なのだから、仕方のないこと。

 けれど貴方が次に目を閉じた時、僕はまた貴方と出逢える。

 そして一夜の夢の中でだけ、貴方の時間は僕だけのものとなる。

 誰の邪魔すら許さない、脆くて、儚くて、愛おしい夢の中で。

 一睡の会瀬が僕の唯一の存在価値。

 それでも良いと思ったからこそ、僕は今、貴方と出逢えたんだ。




「さあ、イオ。

 ここから先は貴方が決める物語だ。

 貴方はこれからこの世界で、どうしたい?」






 ▲▲▲






 静かな部屋に筆が走る音が響く。

 時折パキャリと軽やかな音が鳴って筆の音がピタリと止まるも、直にまた筆の音が鳴り出して、変わらぬ時間が進んでいく。


「本当、嫌になる……もう少し頑丈に出来ないのかな? これ。

 直ぐ壊れるんだけど……」


 ぶつぶつと呟かれるのは、先程から破壊を繰り返す筆のこと。

 少し力をこめただけで簡単に砕けてしまうのだ。

 直ぐに直せるとはいえ、一々作業の手が止められるのが煩わしい。


「それにしても……ちょっと好き勝手し過ぎじゃないだろうか、この“僕”。」


 脆い筆のことはさて置いておくことにして、次に意識を向けるのは僕の前にある文面の方。

 書き始めてからまだ間もないそれには、新たに生まれたばかりの世界で未熟な神と一人の少年が正に今から冒険を始めようとする、そんな物語が画かれていた。


「何だかなぁ……何だろう? この感じ。見ててむず痒くなってくる。」


 筆を持っていた頃から感じていたことに、僕は顔をしかめて呟いた。

 どうも何だかこの文面は、少々、いや結構人に見せられないものとなっている。

 何せ、文章の一つ一つに何ともこっ恥ずかしいフレーズが多いのだ。

 あちらの人物が何を考えているのか、まだ書いた分でしかわからないのだが……何だか嫌な予感がする。とは言えもう書き出してしまったのだから、こちらからでは止められる訳でもなく。


「うーん……気のせいだと良いんだけど。」


 僕こと“アーサー”はそう呟くと、一先ず本を閉じることにした。

 それから長く細い息を吐き、スプリングの効いた椅子の背凭れに身を委ねていく。

 キィキィと甲高い音を響かせながら僕の体重を支える椅子は、僕が生まれ育った世界のものと比べると、とても座り心地が良い。

 本来の所有者からすれば安物だと言う話だが、技術がろくに進んでいない世界の者からすれば全然格別。凄く良い。

 何よりも良いのが、あのベッドの寝心地だが。


 僕はキーッと小煩い音を鳴らしながらくるりと椅子を回転させた。

 そこで僕の目に映るのは、物に溢れてやや狭い一室だ。


 四方で壁となっている本棚の列。

 壁の中、直接備え付けられたクローゼット。

 柔らかな日差しが差し込む窓に、部屋の中心にて鎮座する一人用のベッド。


 質素に感じさせながらも、所々で技術の格差を感じさせてくるその空間。

 今は静寂がこの場を支配しているが、耳を澄ませば聞こえてくる、小さな小さな呼吸音。

 部屋の中央にあるベッドにて、よぅく見知った顔が微かな寝息を立てて安らかに熟睡中だった。


 僕が立ち上がると体重を支えていたスプリングが鳴り、ほんの少し沈んでいたそれが元の高さへと自然と戻る。

 そこを離れてベッドまで足を進めていくと、僕は上からその寝顔を見下ろした。

 この様子ではまだまだ起きそうにない。

 頬をつついても、口がもごつくだけで目を覚ます気配はなかった。


「……ふふ。」


 つんつん、むにむに。

 起きないからと容赦なくちょっかいを出してみる。

 すると眉間に皺が寄って小さな呻き声が零れた。

 そのしかめっ面は何だか寝づらそうなもので、それでも起きないのだから可笑しくなってつい破顔した。


「ああ、面白い。」


 クスクスと笑いを溢す僕。

 腰を据えようとベッドの脇にに頬杖をつくと、横からその寝顔を眺めることにした。


 静かな部屋にて、静かに寝息に耳を澄ます。

 ぼんやり眺めている内に、彼の体格の良い身がごろんと寝返りを打った。

 思いもよらず近くなる顔。

 面食らってつい瞬きの数も増える。

 僅かに動揺が走ってしまうも、その寝顔を見て即座に平静を取り戻し、上げかけていた顎をまた掌の上に乗せていった。


 寝顔を見詰めている内に、彼の前髪がぱさりと落ちた。

 目元を隠してしまったそれが邪魔に思えて、僕は手を伸ばした先で目にかかっていた前髪を撫でるように耳にかけていく。

 その時爪先が少し触れてしまったのが擽ったかったのだろう。

 彼の顔がしかめられ、唇がきゅっと結ばれた。

 小さく言葉にならない寝言まで聞こえてくる。

 なのにやっぱりまだ起きる気配がないので、思わずクスクス笑ってしまう。


 口許を手の甲で押さえながら声を抑えて笑っている内に、僕はいよいよ遠慮をなくして茶髪をさらりと撫でていった。

 ややパサついたそれは毛先少し跳ねているところもある。

 こう言うのを猫っ毛があるって言うんだっけ? ……なんて、意味もないことを考えていること暫く。

 寝顔を眺めている内に、僕は徐に身体を傾けていった。


 直ぐ傍にある顔が、何だか届きそう──そう思ってしまったのだ。

 何が届きそうなのか、それは無意識に考えていたことで“何が”なのかまでは僕もよくわかっていなかった。


 そうしている内に、僕の目と鼻の先に寝顔があった。

 すると僕は自然と瞼を閉じ、ゆっくりと顔を近付けていく。

 唇に温かい吐息が当たった瞬間、僕の中で心臓が跳ねるのを感じた。

 何が何だかわからない。

 けれど、自分でそれを止めることが出来そうになくなりかけていた。


 あと少し。もう少し。

 本の僅かな隙間を残し、唇と唇が触れそうになる。

 ──そんな時だった。




「やっほーぅ! 先生(せんせ)ー、遊びに来たよー……って、ありゃま。」


 バターンッと大きな音を立ててこの部屋唯一の扉が開いた。

 思わずバッと勢い良く身を離した僕。

 そこでついつい、やらかしてしまう。


 グチャッ


「あっ」


 瞬間、部屋に広がる水滴。

 壁に打ち付けられた赤い色。

 そこには原型を失くす程に形を崩したものが、周囲に破片をちりばめて真っ赤な汁を滴らせていた。


「あ……あー……」

「あーあ……まーたやっちゃって……」


 先程までベッドで安眠していたものが、一瞬の内に肉片へと変貌。

 その光景に気まずげな顔を浮かべる僕と、呆れ顔の乱入者。

 そこへ、こんな声が聞こえてくる。


「……聞いてくれ。

 眠っていたら、いつの間にか死んでいた。

 何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった……」

「あ、肉塊の状態で喋らないでね? 普通に気色悪いから。こっちのSAN値が削られちゃうし。」

(ひっで)ェ言われようだな!? 俺は寧ろ被害者側なんだが!!」


 辛辣な物言いに肉塊がプルプル震えながらそう訴えてくる。

 その様は正しくグロテスクなのだが、それがじわじわと一ヶ所に集まっていく様も非常に目に毒な光景だ。

 精神的にもキてしまいそうで、悪いとは思っているものの僕はえづきそうになる口許を抑えた。

 すると横から先程の乱入者が──見慣れた美形面の子供が、着物の袖を組んで僕に近付いてきた。


「もー、あぁさぁ(・・・・)もダメじゃん、先生を殺しちゃー。

 ただでさえキミは精神的に弱いのに、力が強いんだから……先生(せんせー)のことは優しくしないとって、いつもいってるでしょーっ!」


 小さな体格の癖に上から目線で僕に説教するのは、僕らが“ニエ”と呼んでいる人物だ。


「……うっさいな。

 わざとじゃないんだ、仕方ないでしょ。」

「わざとじゃなくても先生を殺しちゃってるんだから、仕方ないで済ます訳にいかないでしょーが!

 んもう、まったく! キミはホントーに、素直じゃないんだから。」


 ぷんぷん! と間抜けな擬音でも聞こえてきそうな調子で僕を叱ってくるニエに、段々と苛立ちを覚えるようになっていく。

 一時的とは言え吐き気を忘れられたのは良かったのだが、ニエに対してむくむくと膨れ上がる反抗心を抑えきれなくなってきた僕は、そのまま思ったことを吐き出してしまうのだった。


「煩いって言ってるだろ、女面が。

 僕の親でもない癖に、偉そうに説教しないでくれる?」

「……あ゛?」


 すると今までの雰囲気から一変。

 ニエの口からは先程までのとは全く違うどすの効いた声が漏れ、即座に伸びてきた手が僕の胸ぐらへと掴み掛かってきたのである。

 ハッと我に返った頃には、目の前には鬼の形相が。

 まずい、やらかした。

 そう思った時には既に遅く、ニエの身体からはじわりじわりと黒い液体が滲み出し始めていた。


「テメェ……ヒトが優しくしてやってれば嘗めて腐りやがって、自分でやらかしといて偉そうな口聞いてんじゃねぇぞゴラァッッ!!!」


 怒鳴りつけてくるニエは、それはそれは恐ろしい姿だった。

 空色だった瞳が暗く黒く染まっていったかと思うと、その奥からはおどろおどろしい赤がギョロリと僕を睨み付けてくる。

 開けた口の中には闇の空洞がこちらを覗き込んでいた。

 身体から垂れ流されている黒く嫌な気配を纏うそれは、触れた瞬間毒でもあびたかのような息ぐるしさを僕に与えてきた。


 そう。ニエは普段、幼く綺麗な容姿をした人物だが、見ての通りただの人間などではない。

 その上善良と言えるものですらなく、所謂“邪神”と呼ばれる頗る危険な類いの神仏だ。


 世にも珍しく“祟り神”として自然発生したニエは“呪い”を使役する、自身が呪具そのものみたいな存在だ。

 その手で直接触れるだけ相手を呪ってしまう程、ニエの力はそれはそれは強力で、普段は身の内に隠して無害ぶっている。

 とは言え、これが本性だ。

 元々凄惨な人生に非業の最期を遂げたことで、悪霊化してしまったのが始まりだったらしい。

 その時はまだ邪神でなかったとは言え、それでもニエは強力な悪霊であることには違いなかったようで、それが神格を得たことで更に悪辣なものとなっていた。


 そんなニエだが、今や長年の付き合い故互いに良く知った仲。

 危険さはよくよく知っている訳だが、同時に話せばわかる類いのものだってことも知っている。

 しかし、僕とは折り合いが悪いこともあってこうして喧嘩をすることが度々あった。

 ニエは気性が荒いものの基本的には温厚な性質(たち)故、殆どが僕から吹っ掛けた喧嘩ばかりだが……

 因みに、元は霊体のニエには物理が効かない。

 なので物理攻撃に特化している僕の勝率は、依然として高くなることがない。


「うぇ……っ」


 ニエの黒い液体が身体に染み込む程に、悪酔いした時みたいな胃の中がぐるぐるとした感覚が僕を襲う。

 それは吐き気なんて生ぬるいものではなく、段々目の前がぐにゃりと歪み始める程。

 次第に気が遠くなってくる。

 もうダメだ……

 そう思った時、横からニエの腕を掴む大きな手が。


「止めろお前ら、俺の部屋で喧嘩すんな!」

「あっ先生!」


 僕らの喧嘩に仲裁に入ったのは、憐れな肉塊からようやく元の姿へと戻った彼──一織(いお)だった。


「ニエ、アーサーを叱るにしたってそりゃあやり過ぎだ。殺す気かよ!

 せめてもう少しくらい、手加減をしてやってくれ。」

「えー? もう、しょうがないなー。」

「アーサー、お前もお前だ。

 怒られるのがわかっている癖に、無謀なことをすンじゃあねェ。酷い目に遇うってことくらい、お前だってわかっているだろ……って、大丈夫か?」


 大丈夫な訳ないでしょ……!

 一織からそう声をかけられるも、僕はそう言おうとして言えなかった。

 何せまだニエの呪いが身体に残っていて、気分が悪くて仕方がない。

 その場にへたり込んだまま立ち上がれずにいると、横からニエの拳が飛んできた。

 コツンと一発、頭に打撃。

 威力のないそれは微塵も痛くないのに、ついつい口からは「痛っ」なんて声が出てしまう。

 そして、次の瞬間には身体が楽になっていた。


「これに懲りたらもう少し身の振り方に気を付けることだね。おれにだって我慢出来ることと、我慢ならないことくらいあるんだから。」


 隣に立つニエからそんなことを言われてしまう。

 これだから老人は一々小言が喧しい、だなんて反抗的なことを考えていると頭上からギロリと睨まれたような気がした。


「あ、そうだ。」


 そこで、ふと思い出したかのようにニエが僕に声をかけてきた。


「向こうで“彼女”がキミを呼んでいたよ。」

「……フィフィが?」

「うん。そろそろ戻ってあげたら?」


 ニエの話に僕はパッと顔を上げる。

 話に出てきた“彼女”とは、僕の伴侶となったヒトのこと。

 つまるところ、お嫁さんだ。


「たまには家族全員で団欒がしたいんだってさ。」

「ああそう、別に良いけど……ってことはあの娘も来るのかな。」

「もしかして、娘ちゃんとはまだ親子喧嘩中?

 いい加減許してあげなよ~家出したことくらい。心配してたんだよって、キミが素直になればことは丸く収まるんじゃないの?」

「……やだ。向こうが悪いんだから。あの娘が謝らない限り、僕も許すつもりはない。」

「もお~強情なんだから!」

「……じゃあ、僕はもう、戻るから。」


 喧しいニエの説得は聞かなかったことにして、身体を起こした僕は足早に扉へと向かうことにする。

 この扉を越えれば、僕は元の世界に戻れる。

 そうすれば本来の世界にある僕が目を覚ます。

 そうしたらいつも通りの日常へと僕は戻るだろう。

 物語の一登場人物として、僕の暮らしが本の中で進むように。


「あっ、アーサー!」


 ドアノブに手を掛けた時、不意に背後から僕を呼ぶ声が。

 無論、呼んだのは一織だ。

 僕はちろりと彼を見て、こう言った。


「……何?」

「いやさ、お前、俺が寝てる間に来てたろ?

 俺になんか用があったんじゃあないかって、思って。」


 一織の言葉に僕は、少しの沈黙を挟み、素っ気なくこう返した。


「別に。何でもないよ。

 大したことじゃないから。」


 もう、用は済ませたしね。

 そんな言葉は胸の中にしまいながら、今度こそ僕は扉を開けた。

 扉の先にあったのは、目が眩みそうな一面真っ白な空間だ。


「じゃあね、一織。」


 白に向かって足を出し、彼らに背を向け僕は歩き出す。


「おう! またな、アーサー!」


 向こうを見ずともわかる。

 彼が僕に向かって手を振っていることを。


 そうして僕は白に包まれながら、ひたすら歩き続けていく。

 そうすれば、然るべき時に僕は目を覚ますことになる。


 不意に爪先が唇に触れた。

 無意識だったから、自分でも驚いてしまった。

 瞬間、顔に集まってくる熱。

 いつの間にか足は止まり、その場にしゃがみ込んでいってしまう。


「はぁ……何やってるんだろ、僕……」


 ここは誰も目もない場所だから、つい気が抜けてしまったのだろう。

 先程まで自分の行動を思い出し、戸惑いと羞恥に小さく呻き声をあげた。


「……それもこれも、“あっちの僕”のせいだ。

 僕の派生(・・)の癖に、妙なことしやがって。」


 言いながら思い浮かべるのは本の中での別の自分のこと。

 自棄に彼のことを執着している様子が文面にありありと出ていることが、端から見ていていたたまれなくなっていたのだ。

 自分のことではないとは言え、何とも微妙な気持ちになる。


 とは言え、あの物語のことやあの世界での二人のことは、僕以外に知られることはない。

 無論、数多の物語の世界を観測し続ける彼、一織にも預かり知らぬこと。

 僕が一切の管理をすることでそれはなりたっているのだ。

 それは今後ずっと変わることはない。


「……ダメだ。考えるのは止めよう。

 どうせあれは僕じゃないんだ。気にするだけ無駄なんだし、放っておこう。」


 そして僕はペシペシと頬を叩いて、余計な考えと共に熱を払う。

 そもそも僕にだってあの世界のことに手を出すことは出来ない。

 書いているのが僕だから、止めることは出来たとして、それ以上の干渉は出来ないのだ。


 だから僕はこのことを、一旦後回しにすることにした。

 多分、気のせいなんだ。僕が気にすることではない、と。

 その考えが今後、どんな出来事を引き起こすのかなんて、この時の僕には考え付かなかったのだ。




 四方や、あの世界の“神たる僕”が、昔忘れ去ることで手放した筈の“恋心”で、それが具現化したものだったなんて!




 この先、そんな“僕”からとんでもない苦難と羞恥に貶められることになろうとは、今の僕には知る由もなかったのである……。




 end

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