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メビウスの輪ー走り続ける者達ーFORMULA1ー

 この道は何時か来た道、鈴鹿サーキット。セナもアレジもシューマッハもこの道を走っているのだ。フォーミュラジャパンのチャンピオンは俺。昨日、ついに決めた。F1からの誘いも来ている。この先、どうなる、俺。そんな事を考えつつ、ピットにクルマを戻した。我等が愛するジュゼッペレーシング。監督が言う。

「おい、哲夫、電話だぞ」

「誰から」

「お前の妹」

げっ。真佐子かよ。あいつとは犬猿の仲。俺は餓鬼の頃からレースばかり。俺は酒屋の息子。それも長男の長男。なのに、店は親父、お袋、妹がやっていた。酒屋が倒産し、店はコンビニになった。親父は一昨年、過労で死んだ。そして,お袋が店長になり、妹が副店長になってしまった。

「今、どこ」

「サーキット」

「だから、どこのよ」

「鈴鹿だよ」

「あんたって人は、わからない人だな」

「で、何の用だよ」

「お母さんがぼけたの」

「俺には関係ないだろう」


 関係ないと言いつつ、やはり、お袋。俺を産んでくれた人。やはり、チームメイトの藤本と実家のある千葉へと向かった。

「てっちゃんよ、F1、行くのか」

「まだ、わかんねぇなぁ」

「俺より、速いんだから、行けよ。せっかく、タイトル、獲ったんだからさぁ。俺なら迷わず行くよ」

藤本は、十七の時、両親を亡くしている。俺の両親は彼を家族の様に思っていて、俺達がレースで金に困った時には金も出してくれた。


あっという間に千葉に到着。家に帰ると、お袋が、よだれをたらし、テレビを観ながら独り言。


「人なんて勝手なもんなんだよ。この二人はレースの事しか考えてないのよ。私の事なんて何も想ってくれない」

お袋が泣き出した。複雑であった。何度、事故を起こしてお袋に心配をかけただろうか。後悔、するならもう、遅い。

「てっちゃん、ちょっと、監督から電話だわ」

「もしもし、哲夫か。FIAが藤本にもスーパーA級ライセンス、出したわ。哲夫、約束するからよ、お前等、二人、来年だけは残ってくれないか。頼むよ。F1へ行きたい気持ちはわかる。そこのところ、本当に頼む。来年だけでいいからよ」

「今、それどころじゃないんだよ。俺等、他にやる事があるから、レースは二の次」

「そこのところを…」

F1か。あの日、テレビで日本GPを観てなかったら今の俺はいないんだもんな。セナに憧れた、あの日。夢見た俺は、地元でレーシングカートを始めた。藤本さんとはそこからの友達。俺は速く走れなかった。対照的に藤本さんは二年目で東日本カートチャンピオン。三年目で全日本チャンプになった。俺は彼から学んだ。藤本さんの後ろを走り、高校も同じ学校を選んだ。俺にチャンスが来たのは、十八の夏である。ジュゼッペレーシングからテストドライバーの声が掛った。監督は俺にフォーミュラカーをプレゼントしてくれた。走るに走った。そのうち、クルマをセットアップするようになり、藤本さんに提供する日が続いた。高校の卒業と同時に俺達は鈴鹿に住む事となった。そして、フォーミュラのレースになると、俺はスムーズに走れ、二十歳でフォーミュラジュニアのチャンピオンとなった。対照的に藤本さんは、カート以上に苦戦していた。

キッチンにカレーが置いてある。美味そうだ。お袋が作ったのかな。せっかくだから、いただくとしよう。



 部屋。セナ、アレジ、プロスト、亜久里さん、シューマッハのポスターが並んでいる。カレーを食べる、男二人はF1も遠くない。しかし、今はそれどころじゃない。

「これから、どうするよ」

「おばちゃん、大丈夫かな、一回、病院へ連れていったほうがいいよ。絶対、その方がいいって」

「そうだな。わかった。明日、石川先生とこで診てもらうか」

「そうだよ」

「ちょっと、俺、お袋、見てくるわ」


階段を降りる。意味も無く、冷蔵庫を開ける。どうしよう。思いばかりが先走る。

「お袋、明日、石川先生のとこ、行こうか」

「行かない」

「お袋、まあ、そう言うなよ。友達、出来るかもしれないぞ」

「じゃ、行く」

 お袋は、そう言い残し、そのまま、寝てしまった。



「疲れからきてるね。紹介状書いとくから、精神科、行ってみてくれるかな。森下さん」

「精神科ですか」

 お袋は、ぶつぶつと言いだした。

「石川先生のところでは、どうにか、ならないんですか」

「薬も無いしね。おばちゃん、一度、ゆっくりしたほうがいいよ」

 参った。でも、仕方がない。後部座席で暴れだすお袋。

藤本さんとお袋を乗せて、森下病院へと向かった。複雑の中の複雑。お袋が喚き散らし、俺はブレーキを踏んだ。一旦、家に帰るか。複雑な想いが、どうしても。


 


「てっちゃん、F1やってるよ。ベルギー」

「あ、見逃すとこだった」

「それにしても、琢磨って速いよな。また、ファーステストラップだよ。亜久里さんもいいクルマ、作ったよな」

「今、六位か。俺達も、本当、走っていいのかなぁ」

「そこが、てっちゃんの悪い癖だよ。遠慮がちでこの世界、渡れるかよ」

「そうだな」

「俺もオールージュ、F1で走りたいよ」

「登って、下ってか。何か、人生ってそんなもんなんだろうな」

「いきなり、詩人になるんじゃないよ」

「そりゃ、そうだ」

『トップ、キミライコネン。二位にルノー、フェルナンドアロンソ。三番手に、ルイスハミルトン。そして、我等が日本。佐藤琢磨は今、五番手に上がりました。トヨタの二台はトゥルーリ、七位、グロッグが九位と健闘しております』

 男二人はテレビを観ながら、カレーを食らう。はあ、溜め息、二つ、三つ。これから、我が家は、いったい、どうなる。


自称千葉のアイルトンセナと自称千葉のアランプロストは牛乳を一気に飲み干した。部屋にはトロフィーやメダルがずらっと並んでいる。今日も一つ増えた。赤い俺のヘルメットとレーシングスーツ。ここまで来たなら、やるだけやっちまうか。

「残り五周か」

「ライコネンにしてもアロンソにしてもワールドチャンピオンだもんな。上手くまとめるよな」

「そうだな。フェラーリ、やっぱりきれいだよな」

「真紅の羽馬か。きれいだな」

「お、すげー、琢磨、バリチェロのスリップに付いたよ」

「いけ。いけ」

「バリチェロもさすがにしぶといな」

小学生の頃に描いたアイルトンセナの絵に目をやる。夢か。追い続けてきて良かった。拝啓アイルトンセナ様、俺達に力、貸してください。お願いします。

『さあ、ファイナルラップ。ライコネンが意地のファーステストラップ。さあ、佐藤琢磨がやって参りました。バリチェロに肉迫。その差は、0、637。右京さん。これは面白くなってきましたね』

『そうですね。さあ、射程距離だ』

「これ、焦んないほうがいいよな」

「もう、いくしかないだろう」

『さあ、今年のベルギーグランプリ。ライコネンに今、チェッカーフラッグ。二位にアロンソが入りました。さて、画面が切り替わりました。バリチェロ対佐藤琢磨。最後のバスストップシケイン。バリチェロ、押さえました。それでも、良く頑張ってくれました。佐藤琢磨、四位。四位でチェッカーを受けました。トヨタの二台も来ました。ダブル入賞です。トゥルーリが六位、グロッグが意地の1ポイント、八位です。右京さん、良いレースでしたね』

『本当、琢磨選手、惜しかったですけど、魅せてくれましたね。鈴鹿が本当に楽しみになってきましたね』

『そうなんです。週末、鈴鹿から嬉しいニュースがありました。フォーミュラジャパン最終戦で日本人ドライバー、ジュゼッペレーシング、坂口哲夫選手がチャンピオンを決めてくれました』

「え、俺の話題」

「そう、てっちゃんの話題」

『その坂口選手のインタビューをご覧ください』

「え、俺、インタビューなんかしてたっけ」

「うん。凄く、嬉しそうにやってた。観ようぜ」

『まずはおめでとうございます』

『ありがとうございます』

「恥ずかしいよ。チャンネル、替えようよ」

「いいの。いいの」

『そうですね。まあ、最終戦までもつれたんですけど、何とか、クルマの調子も良かったですし、トラブルもなかったんで、いい形で決められたんで良かったです』

「俺、こんなこと、言ったっけか」

「うん、すっげえ、かっこつけて、言ってた」

『F1に参戦という噂が出ているのですが』

『そうですね。具体的には言えませんが、オファーを受けているのは確かです』

「すっげー、かっこつけてやんの」

「俺、めちゃめちゃかっこ悪いよ」

「てっちゃん、赤面し過ぎだよ」

「かたじけない」

『右京さん、また、楽しみが一つ、増えましたね』

『確かにこれからが楽しみなドライバーの一人ですよね。僕も昔、ジュゼッペレーシングでお世話になりましたから、坂口君には頑張ってほしいです。クレバーなドライバーですし話題性も実力もありますからね。当時の僕と同じカーナンバー3なんで、愛着もあるんですよ』

「よっ、男前」

「もう、やめてくれよ。立派な笑い者だよ。俺」

 ああ、恥ずかしかった。ニュータイプ的なレーサーとよく言われるようになった。意味が分からないが、ニュータイプである俺は、テレビを消して、階段を降りて、お袋の疲れきった寝顔を見て、欠伸を一つ、残した。

 

 チャイムが鳴って、起きる俺。藤本さんはぐーすかと寝ている。玄関へ行くと、サイコロマートの制服を着た美人が立っていた。

「はじめまして。私、サイコロマート坂口店の池内といいます。息子さんのレーサーさんですよね」

「はい、レーサーですけど名前は哲夫です」

「あの、真佐子さん、いらっしゃいますか」

「え、真佐子、店にいるんじゃないの」

「いないんです。携帯も繋がらないし」

キッチンからトントンと朝の音がする。

「ちょっと。待ってね」

池内さんにぽつりと言って、キッチンへ行くとお袋が包丁を持って、ネギをみじん切りしている。え、もう、大丈夫なの。

「お袋、おはよう」

「哲夫、レースでしょ。早く準備して。監督に迷惑かけないようにね」

「レースはもう、終わったよ」

「レースでしょ」

 やっぱり、そうか。まだ、これには時間がかかりそうだ。危ない。包丁は本当に危ない。

「池内さん、上がってください」

「はい、お邪魔します」

「真佐子からお袋のこと、聞いてるだろ。ちょっと、頼むわ。包丁、持ってるし、俺じゃ無理だわ」

「分かりました。何とかしてみます。店長、おはようございます。池内です」

 お袋は彼女と時折、笑顔を浮かべながら話している。

「店長、包丁を私に貸してください。私も料理、覚えたくて」


 饅頭に食らいつく。さて、走るか。カッパを着こんで、さあ、行くか。走っていると全て、忘れられる。クルマでもこうして足で走っても。子供の頃に書いた作文。レーサーになりたい。その夢は果たした。この次はF1をやる。メラメラと俺の心の中に燃えるものが出てきた。しかし、今は今だ。全力疾走で家へと帰る。その途中にどこで聞いた女の声がした。

「てっちゃん。覚えてる。理香だよ。新聞、見たよ。タルキーニフォードだっけ。F1デビューか。夢、叶えたね。やったじゃん」

「理香ちゃん、変わらないな。中学の時と全然、変わってないよ。で、理香ちゃんはバスガイドになれたの」

「うん。やってるよ。よく、二人で車の話したよね。懐かしいなぁ」

 理香ちゃんは俺の初恋の人。あの頃の彼女と変わらない笑顔で名刺を手渡してくれた。

「お互い、頑張ろうね。応援してるよ」

「ありがとな」

 彼女は、一度、俺に手を振り、カブに乗って、走って行った。俺は、公園でミネラルウオーターを飲んで一息。ブランコに座り、饅頭を手にする。饅頭が美味い。口の中でワルツを踊っているかのようだ。この公園で餓鬼の頃、ソフットボールをよくしたものだ。想いは募る。


「何とか包丁は隠しときました。哲夫さん、サインしてもらいますか」

「いいですよ」

 坂口哲夫っと。俺のサインは漢字だ。分かりやすいのである。池内さんは笑ってこう言った。

「今日から、哲夫さんがサイコロマート坂口店の店長です。よろしくお願いします」

「えっ、俺が店長」

「そうです。店長です。改めて、店のためによろしくお願いします。店長」

 ちょっと、待て。俺はF1レーサーだ。ちょっと待て。

「俺、レーサーなんだけど」

「いえ、本日只今より、F1レーサー兼店長です。よろしくお願いします。店長」

「いや、だからさ」

「頑張りましょうね」

 池内さんは笑顔であった。池内さん、きれいな人だ。美人には弱い。よし、親孝行だ。素直に心中を話した。

「わかった。条件を飲むよ」


店へ行く。スポーツ新聞に、俺の記事と俺の顔写真。

『日本人レーサー坂口哲夫F1参戦決定』

とでかでかと。池内さんが気になる。ロングヘヤーの池内さんに果たして彼氏はいるのだろうか。

「池内さん。F1とかは観るの」

「観ないです。でも、みんなから哲夫さんのことは聞いています。それに私を口説こうとしたでしょ。今」

「あ。まあ。はい」

「店長、私は結婚していて、子供も五人、います。店長、お仕事を頑張りましょう。うちの旦那はすっごくF1おたくですよ。夜中になると、セナのDVDを観て、走りを研究しているトラック野郎です。あの」

「はい」

「弘人君へとサインしてくれませんか。うちの旦那の名前です」

「ああ、いいよ」

「店長、ありがとうございます。今度、店長とうちの旦那と私と三人で飲みに行きませんか」

「ああ、全然いいよ。シャンパン、おごれよな」

「シャンパンは高いのでビールでお願いします」

「嘘、嘘。ちょっと、俺、金が入ったから、全部、御馳走します。俺の相棒、藤本さんっていうイケメンレーサーもお誘いするからね。口説いちゃダメだよ」

「はい。私は旦那と子供を愛していますから。でも、イケメンを眺めるのが趣味ですよ。藤本さんによろしくお伝えください」

「うん。言っとく、言っとく」


 池内さんからレジ打ちの指導を受ける。果たして、こんな俺に店長が務まるのであろうか。ピーコンに相談してみるか。と思った瞬間、大きなエンジン音がした。エンジン音が消えて、髭面でサングラスをかけた、ヤクザ映画に影響を受けていそうな、おっちゃんが店に入って来た。

「も、もしかして、坂口哲夫さんですよね。れ、レーサーの。え、F1レーサーの」

「あ、まあ。はい」

おっちゃんはこうデカい声で叫ぶように言うのだ。どうしたことか。

「みんな、おいで。F1レーサーが握手してくれるんだよ」

「はーい」

菊本幼稚園と印字されているバスには、大勢の子供達。子供、子供。子供。の声が連呼した。

「おっさんがF1レーサーなのですか」

 赤い服をみだらに着こなす、男の子に言われてしまった。おっさん。俺の心中をひもといてみた。意味はあまりなさそうだなのだが。

「こんにちは。アイルトンセナさんを知っていますか」

 今度は、頭が良さそうな、きちんとバッジをしている、『ぐしけんかな』ちゃんに言われた。

「勿論、俺にとってセナは特別な存在だよ」

と、俺がさりげなく、答えたそばから、「おっさんレーサーおっさんレーサー」と子供たちは連呼し、そのうち、「おっさんおっさんおっさんおっさん」と、子供たちのコールが始まった。俺は店長だ。

「君たち、あれだね。大きくなったらモナコで会おう」

とお寒いことを言ってしまったら、子供たちは一斉に言い出した。

「モナコモナコモナコモナコモナコモナコ」

そして、そのうち髭面のおっちゃんが語り出した。

「モナコか。セナを思い出すよ。真剣な話だ。君たちも夢を持つんだ。さあ、握手をするんだ。本物のF1レーサーとね」


 ああ握手会、大変だった。池内さんの体からは石鹸の良い香りがする。俺はレースを始めた頃から、バスタブにステアリングを持ち込み、レーシングスーツを着込み、ヘルメットを被り、熱湯の中、アクセル、ブレーキ、クラッチを頭の中で想像し、俺はレースのシミュレーションをやる。今でも、俺の夢の中には、アイルトンセナが生きている。サンマリノ。イモラ。1994年5月1日。セナの体は逝った。しかし、精神は生きている。そんな気がしてたまらないんだ。


「23番」

「はい。なんのことでしょうか」

「てめぇ、新入りか」

「本日より店長をしております」

「煙草だよ。煙草。責任者はお前か」

「はい」

「あ、もういい。マルボロ」

「かしこまりました」

「店長の真佐子ちゃんは」

「真佐子は、いません。僕が店長です」

「お前、あれか、もしかして、坂口哲夫か」

「はい」

「この不良息子が。俺のこと、誰だかわからないのかよ」

「いえ、初対面だと思うのですが」

「違う。菊本小学校の元教師。平野だ。思い出したか。このクソガキ」

「平野。てめえ、俺を散々こけにした、スパルタの平野か。てめえ、坂口店に喧嘩売ってんのか、このスパルタクソ野郎が」

「スパルタ。何を言ってる。俺は正しい教師だった」

「何が2キロメートル、全員遠泳だ。泳げなくても生きていけるだろうが」

「お前、いまだに泳げないのか」

「F1レーサーだ。俺は海には用がない」

「答えになってない。まあ、せいぜい、カッコつけて走るんだな。F1レーサーなんかになりやがって。泳げないレーサーか。笑えるぞ。情けねえ野郎だな。二度とこの店には来ないからな。お前のリタイアを望んでるわ」

「俺はあんたの不幸を望む。平野よ。わかったか。こら」

「はいはい。わかった。わかった。チャンピオンになって、先生孝行しろよ」

「てめえに孝行はしない。帰れ、平野。F1、なめてんのか、こら」

 俺はレジを蹴り壊した。こちらは速い。池内さんが事務所から一瞬にして俺達、まぬけな暴威、二人組の元へと走って来た。

「申し訳ございません。新店長は、新入りなものですから、ご勘弁、頂きませんでしょうか。本当に申し訳ございません」

 店の電話が鳴り響き、池内さんが、受話器に向かう。「申し訳ございません」を繰り返す池内さんが汗だくだ。


 あああ。とんでもない初日。家に帰ると、タルキーニF1チームから、メールがあった。

『シート合わせをしてほしい。来週火曜日にイモラに来てくれ。フェラーリもホンダもトヨタもルノーも走る。それから、正式な記者会見をしてくれ。その後、テスト走行だ。待っている。フォルザ哲夫』

この俺が、正式にF1に乗る。あの日、見た、夢。こみあげるものが俺にはあった。ここから俺の全てが始まる。アクセルを初めて踏んだあの日を想う。


キッチンへ行くと、何故だか、池内さんがそこにいた。

「何してるの。池内さん。もう、夜の九時だよ」

「店長、お魚は、大丈夫ですか。私、お寿司を握りました。F1デビュー、おめでとうございます」

 お寿司は大好き。凄く好き。池内さんは続ける。

「店長、残念ですが、サイコロマートの本部から電話がありまして、今日のレジの一件で、店長は解雇ということに。私が、必ず、責任を持って、お母さんがいらっしゃらない間、店をやりくりしますので、お店は私に任せてください。店長、よろしいでしょうか」

「すまん。池内さん。お袋がいない間、店を頼む。昼間の一件は本当にごめんな。悪かった」

「まさに一日店長ですね。店長にとってはいいことじゃないですか。これでF1に専念できますね。頑張ってください。応援してますよ。さてと、ニュースを見ましょうか」

テレビの中を覗く。皆との絆に本当に本当に、感謝する。これぞ、フォーミュラ1。

『はい、続いては、今日のF1速報の時間です。フェラーリが新車を発表しました。その模様をご覧ください』


 真紅の羽馬。キミライコネン。その横には、フェリッペマッサ。鋭く、テレビの中のフェラーリを自己分析。やはり、フェラーリ。乗りやすそうなマシン。ダウンフォース重視のデザイン。かなり、策を巡らせてきた。そうしていると、藤本さんが帰って来た。

「てっちゃん、お疲れ様。俺さ、暇つぶしに、バッティングセンターに行って来たんだ。てっちゃん、F1参戦、おめでとう。俺から」

「えっ、いいの」

 藤本さんの手の中には、えっ、ヘルメット。

「てっちゃん。今日からこれを使ってよ。ささやかだけど、ガンバレ、F1」

ヘルメットには、青地に赤い十字架。TETSUOのイニシャル。「T」を文字っている。そして、日の丸のステッカーがバイザーの上に掲げられている。

「俺、フェラーリを必ず、ぶち抜いてやる。俺がいない間、みんな、お袋のことを頼むぞ」

「てっちゃん、何も心配するなよ。おばちゃんのことは俺達に任せて、走ってくれ」

「ありがとう。藤本さん。いつも、ごめんな」

「今日は祝杯だ。飲もうぜ。てっちゃん」

藤本さんと、二人酒。泣いて。笑って、ふざけて、はしゃいで、朝まで飲んだ。こここまで一緒にやってきた。藤本さんと、また、泣き崩れた。


俺が起き上がったのは、午後3時14分。水を一口飲み、仏間に向かった。親父。ばあちゃん。じいちゃん。俺はここまでこぎ着けたぞ。俺がF1ドライバー。夢を必ず叶えて、レースしてやる。俺という人間に光を与えてくれて、ありがとう。輝かしい日々を俺達はこれからも歩むんだ。見守っていてくれ。人はいずれ、星になるのだから。星になる前に、俺は走る。


さて、行きますか。羽田空港に到着。十字架を切った。売店でコーヒーを買うと小さな女の子が俺に握手を求める。

「F1、頑張ってね。おじちゃん。家族旅行で日の丸、持って、モナコ、観に行くからね」

「ありがとう。おじちゃん、頑張るね」

 女の子はお父さんと手を繋いで、「グッドラックだよ。バイバイ」と愛嬌たっぷりの笑顔で言ってくれた。

俺は道なき道を行く男。モナコか。よっしゃ。走ってやるぞ。待ってろよ、モンテカルロ。俺にとっては、走ることが親孝行だ。お袋、見守っていてくれ。必ず、結果を出してやる。


飛行機の中。漫画を読む。「レース屋」というタイトルのF1ものの漫画。サンマリノか。セナが散った場所だ。コーヒーを一口、飲む。身震いがする。計算高い走りなどできない。コースにへばりつき、速くマシンを前にやる。俺の仕事だ。もう、何度もレースで死にかけた。哀しい風景の中をひた走る。レーサー。ひと眠りするか。



「オオ、テツオ。キテクレタネ。ワタシ、通訳のジョバンニ。ヨロシクネ。レーシングスーツ、ココアルヨ。ヘルメット、モッテキタアルカ。テツオ」

「よろしく。ジョバンニ。ヘルメットならここだ。今すぐ、走れるのか」

「オオ、チョットマッテ。レーサーセッカチ、オオイネ。オーナーのタルキーニにアイサツヲヨロシク」


 ジョバンニか。きれいなおばちゃんだ。モーターホームへと歩く。その前にやることがあるんだ。タンブレロ。アイルトンセナの最期の地へと、独り、歩いた。多くの花束と「SENNA」の文字。線香を手向けた。ここまで来た。コースを見渡すとフェラーリが一台、走っていた。確か、あのヘルメットのカラーリングは、フェリペマッサだ。緊張感が一気に増した。さて、仕事。モーターホーム帰ると、背の高い髭面の親父が俺に握手を求めた。リカルドタルキーニ。今日から、俺のボスになる男。リカルドと握手を交わす。そして、リカルドは、イタリア語で、一言。そして、ジョバンニに言葉を託す。俺の目を鋭く見て。

「テツオ、勝てる、クルマを用意した。F1で成功した日本人はいない。テツオに賭けてみる。仲良くやろう。タルキーニのレーシングスーツ、ココアルヨ。スグニキガエテ。シート合わせ。よろしく」

「了解。ジョバンニ。リカルド」

 ニコニコと笑う、ジョバンニとリカルド。シート合わせを済まし、チームスタッフの全員と握手を交わす。何とかやっていけそうだ。黒を基調にしたレーシングスーツに袖を通す。ヘルメットを被る。これまた、黒を基調にしたマシンのコックピットに座り、右手を挙げる。エンジンがかかる。これがF1。夢にまで見た、ホンモノ。アクセルを踏み、バイザーを下げる。無線にはジョバンニ。

「カルクナガセ。10シュウシテ、カエッテキテ」

「了解。ジョバンニ」

 コースへ出た。ギアを変える。すぐさま、タンブレロを通過。Gが重く、首にのしかかる。タコメーターは快調。セミオートマも順調。エンジンも順調。スピードメーターは321キロを表示。右を見ると、ホンダが一台、駆け抜けて行った。バリチェロか。あっという間にホームストレートに到達。無線。

「テツオ、グッド。ホンキ、ダシテ、ハシレ」

「オーケー」

 さて、行きますか。1234567。ギアを変え、アクセルをべた踏み。ピットに目をやると。いた。いた。この男。ミハエルシューマッハ。真紅のフェラーリのコーチか。俺を観察するように深々と見ていた。ドリンクのボタンを押し、水分補給。ピーコンの喜ぶ顔が見たい。よっしゃ、侍魂、見せてやろうか。トヨタを抜く。ホンダを抜く。この、クルマ。乗りやすいクルマだ。思った以上に速い。ギアもスムーズに替わる。俺の前にはフェラーリがスロー走行。アウトから抜いた。シフトダウン。ジョバンニから、ピットインの指示。ゆるゆるとピットへ戻る。ああ、面白かった。F1よ。新しい、仲間たち。タルキーニのメカニックにシートベルトを外してもらい、クルマから降りる。メカニック、ひとりひとりと握手。上手くやっていけそうだ。ヘルメットを脱ぐと、喉がカラカラ。ああ、水分、水分。俺の愛用ドリンクである炭酸抜きのコーラを飲み干す。ジョバンニが俺にほほ笑み、言う。

「グッド。グッド。テツオ。サンキュー。アリガトウ」

「こちらこそ。ジョバンニ。タイムはどうだった」

「バリチェロの、0、876遅れ。総合、7位。イイポジションだよ。テツオ」

「サンキュー。イチバン時計は誰なの」

「キミ、あるよ。二番、フェリッペ。フェラーリは、イイクルマある。気にするな」

「了解。ジョバンニ。グッドジョブ。次は、イチバン、取れるように、テストに集中するよ」

「サンキューテツオ。コーヒーでも飲んで、リラックス、リラックス。記者会見、頑張ろう」

 モーターホームへと帰る。レーシングスーツを脱ぐ。暑い。7番手か。自己評価。80点とするか。よく考えると、俺は遂にミハエルシューマッハを見たんだ。F1レーサーとして。


涙が止まらなかった。夢だった、F1を俺は手に入れたのだから。お袋に親孝行しないと。親父。俺はここまで走って来た。生命ある限り、俺は走るよ。藤本さんに、みんなに感謝だ。わがままばかり、言ってきた。俺は、レース屋、F1レーサー坂口哲夫。


「ええ、次戦、イタリアGPから、タルキーニF1レーシングチームのステアリングを握ります、坂口哲夫です。よろしくお願いします。F1は、私にとって子供の頃から夢そのものでして、チームに貢献できるように頑張ります」

 記者会見。カメラに囲まれ、写真を撮られ、質問攻め。俺、英語が出来ない。辺りを見渡すと、背の高い、日本人っぽい、記者がいる。やっぱり、聞かれた。

「坂口さん、僕は、日本の雑誌『F1ゲーム』の記者をやっています、布袋創路といいます。お手柔らかにお願いします。英語、出来なくても、いいですよ。坂口さん」

 会場から大きな笑い声。赤面する俺。布袋さんは続ける。

「僕が通訳になりましょうか。仲良くやっていきましょうね」

 また、笑い声。俺は、またもや、赤面。そうだな、布袋さんに、通訳を頼もうか。

ジョバンニと布袋さんとでタッグを組むとしよう。

「布袋さん、僕、頭、悪いんで、通訳をお願いします。こちらこそ、お手柔らかにお願いします。ヒーイズ、ジャパニーズ、グッドジョブ。マイフレンド。ワード、ジョブ、トゥギャザー。サンキュー」

 会場は大きな笑い声と、拍手。テツオコールまでもが始まった。また、赤面。よっしゃ。絶対に勝ってやるぞ。フェラーリをぶち抜いてやる。

「アイラブフォーミュラ1。サンキュー。ありがとうございます」


 

ああ喉が渇く。デビュー戦、イタリアGPまで、後4日。モンツアのホテル。時計は朝の4時半。ここは、イタリアだ。エレベーターに乗り込んで、1階の売店を目指す。目当ては、「マルボロ」。喫煙所にて、セナが乗っていた頃のマクラーレンホンダを思い出す。少し、寝酒を飲むか。ビールを購入。三十歳のF1デビューか。俺は遅く咲いた。携帯電話が鳴る。ジョバンニからだ。

『もしもし、哲夫。今、ドコあるか』

『モンツアのホテルだよ。少し、呑んでる』

『哲夫。二階のレストラン、来れるあるか。お友達の紹介あるよ』

『わかった。今すぐ、行く』

 お友達。ああ、ビールが美味い。マルボロも美味い。さてと、行きますか。再び、エレベーターに乗る。

「ジョバンニ。お疲れ様。友達って誰だ」

「おお哲夫。おはよう。世界一の男ね。後、2,3分でやって来るあるよ」

 も、もしかして。最後の皇帝か。

「おお、ジョバンニ、そのお友達って、赤が似合う人か」

「カンあるね」

 そうこうしているうちにやって来た、ミハエルシューマッハ。本物。

「オオ哲夫さん。僕、ミハエル。日本語、少し勉強したあるよ。日本の友達に教えてもらったからある程度は大丈夫。初めまして。ミハエルシューマッハです。よろしく、哲夫さん」

 ガチガチになった。憧れた男の一人だから。

「サ、サイン、もらってもいいですか」

「勿論よ。哲夫さん、フェラーリファン、噂で聞いたよ。応援、ありがと」

 ミハエルは、タルキーニのチームシャツにサインをほどこしてくれた。最良の日。俺にアドバイスとはどういうことだ。ジョバンニは笑っている。

「いいか。哲夫さん。あなた、速い。だけど、何か足りない。その理由、わかるあるかい」

「何か足りない。どういうことですか」

「あなた、哲夫さんは独身でしょ。好きな女性もいないだろう」

「ううむ。そうですね。それが、レースと何か、関係あるの。ミハエル」

「アイルトン、フェルナンド、キミ、セバスチャン、琢磨が速いのは愛する人が存在するからだ。愛の力、セックスだけじゃない。愛のある関係。ドライバーには、大事な人、愛する人、必ず必要ね。タイムも弾むよ。哲夫さん、恋、ラブをしなさい。すると、速くなれるあるよ。あなた、哲夫さん、愛する人を見つけなさい。今日は、一緒にお酒、呑むあるか。わかりやすく、シャンパン、おごるよ。モンツア、お互い、フェラーリもタルキーニも頑張ろう」

 好きな女性か。この何年かは、レースに夢中で、彼女を作ることも全くなかった。愛のある関係。ミハエルとジョバンニはくつろぐ。俺は考え込む。咄嗟に思った。F1を正々堂々とやりたい。ジョバンニに言う。

「ジョバンニ、今から、リカルドに電話してくれるか。フィオラノにマシンとメカニックを運んでくれと。それから、布袋さんにも連絡を取ってくれ」

「哲夫、相変わらず、セッカチね。今日はのんびりあるよ」

「イヤ、ダメだ。モンツアでポイントを稼ぎたい。そのためなら、なんだってするんだ。今から走る」

 ジョバンニは煙たい顔を一瞬、見せたが、リカルドと布袋さんに電話をかけてくれた。

「哲夫さん、禁煙ね。体力、体力。F1レーサー。フィオラノ。テスト、頑張って」

ミハエルシューマッハは俺に笑顔で握手をしてくれた。そうだ。一度、ミハエルに聞いてみたいことがあった。

「ミハエル。ストラテジーでの勝ちには何が必要なの」

「ジャパニーズ、愛。ラブ、あるよ。哲夫さん。焦らずに」

「ありがとう。ミハエル。心から感謝します」

「おお、マイフレンド。哲夫さん。フォルザ」


 フィオラノに揃ったタルキーニの人々。ジョバンニはコーヒーを飲む。そして、俺に言う。

「哲夫。パニスの事故死のこと、知ってるあるよな」

「勿論。俺の相方になる予定だった男だろう」

「そう。哲夫と契約したその日に死んだあるよ。人間、ひとつウシナウとひとつ大事なものを得る。そうだよ。哲夫、事故らずにクルマを仕上げてくれあるよ。その前にメカニック達にアイサツするあるよ」

「サンキュージョバンニ。あっ、布袋さん」

「哲夫君。俺、本当に君と組んでいいか」

「どういう意味だよ」

「俺、F1ゲームを辞めたんだ。人間、食わなきゃ、生きていけないしさ。哲夫君のマネージャーとして、タルキーニで雇ってくれないか」

「俺は助かるけど、リカルドに尋ねてくれよ」

「もう、済ましたよ。俺、哲夫君と同じ、セッカチなんだ。さて、チーフメカのご紹介から始めるか」

「布袋さん、よろしくな。俺も嬉しいよ」

「哲夫。布袋さん。ワタシ。上手く出来る。きっと、勝てる」

 チーフメカのガブリエルが俺達、三人を快く迎えてくれた。23人のメカニック全員に堂々と挨拶出来た。これで、足りないものはない。ただ、ミハエルが言っていた言葉、「愛」が気になる。布袋さんが言う。

「哲夫君。一旦、飯食おうよ。焦らずにな」

俺は笑うことを選んだ。パニスの想いを受け継ぎたいな。モンツアでポイントを獲る。その意気込みを布袋さんと語る。

「どう、フォードエンジンは上手く回ってるの」

「ああ、思ったよりスムーズだよ。ステアリングも思ったより軽いしさ、タルキーニのクルマは乗りやすいよ。ギアもスムーズに変わってくれるよ」

「リカルドとは上手くやれそうか」

「そうくると思ったよ。いい親父だ。フランキーとは全く違う。中身も速さもあるチーム」

「そうか。哲夫君。死ぬなよ」

「わかってるよ。そろそろ、着替えるわ」

「グッドラック」

「こちらこそ、グッドラック」

マシンに座る。右手を上げる。エンジン音が俺を前にやる。アクセル。チームラジオのボタンを押す。

『こちら、哲夫。ジョバンニ。聴こえるか。布袋さん。聴こえるか』

『はい。こちら、ジョバンニ。聴こえるあるよ。カーナンバー3号車。フォルザ』

『哲夫君、こちら、布袋。リカルドから伝言だ。ソフトタイヤで20周、本気、出して走れ。以上』

『了解。以上。それじゃあ、走ります』

 ピットアウト。さて、本気出しますか。ホームストレートにペットボトルが落ちてやがる。ゴミはゴミ箱へ。日本人もイタリア人もモラルを守りましょう。行くぜ。1234567。ギアがスムーズに変わる。一周、二周。げっ。ついてない、いきなりの雨かよ。チームラジオ、布袋さんの声。

『哲夫君。レインタイヤに交換せよ』

『OK。ピット入るわ』

 ゆるゆるとピットイン。マシンを降りる。リカルドが、ほくそ笑む。ジョバンニが屈託もない笑顔で俺に言う。

「哲夫。ワタシ、驚いた。雨のフィオラノ。あなたがイチバン時計。今から、大急ぎでレインセッティング行うあるよ。はい。プレゼント。あなたの好きなマルボロ。イップクして頂戴」

「サンキュージョバンニ」

 俺がフィオラノのイチバン時計か。しかし、安心など出来ない。俺より速い奴はこの世界、ごまんといる。マルボロに火を点けて。炭酸抜きコーラを飲み干す。電話だよ。藤本さんからだった。

『もしもし。てっちゃん。今、どこなの』

『おお、藤本さん。フィオラノで雨の中、走ってるよ』

『凄いね。おばちゃんも元気だからね。安心して走ってよ』

『サンキュー。頑張るわ』



 雨は激しくなる一方。フィオラノの最終コーナーを幾度も潜る。焦ることは何もない。右足、左足。藤本さんからの電話でホッとしたのだろうか。俺は走り続ける。無線。布袋さんからだ。

『哲夫君。こちらのデータではサスペンションのセッティングにミスがある。ゆっくり流してくれ』

『了解』

『コース上で0,8秒、稼いでくれ。仮想のモンツアだ』

『わかってるよ。笑わせるなよ』

 よし。ペースアップ。きっちり、0,8秒、稼ぐぞ。タイヤは上手く、機能している。エンジン、シャシー、に問題なし。深くアクセルを踏んだ。そうだな。仮想のモンツア。ルーティーンを試してみるか。ジョバンニに伝えた。『OK。哲夫。BOX。BOX』と応えてくれるジョバンニ。よし。仮想のルーティーンだ。ピットレーン手前でブレーキを踏み、エンジンブレーキを試す。給油。タイヤ交換。勿論、レインタイヤを選択。捨てバイザーを外し、ピットアウト。

『どうだ。ジョバンニ。0,8秒、稼げたか』

『哲夫。あなた、カンペキ。きっちり、0,8秒稼げているあるよ。アンダーカット成功ある。後、一周したら帰ってあるよ』

『了解』

 俺は走る。雨だろうが、雪だろうが。アツくなりすぎたな。よっこらせ。ピットイン。心地の良い、疲れが残った。『愛』。ミハエルが言ったキーワード。これが頭を過ぎって仕方ない。おらへんかな。ええ女。リカルドと言葉を交わす。

「グッドジョブ」

「サンキュー」

 俺はフィオラノからモンツアへとのんびり、布袋さんが運転するクルマで帰る。車中。思ったことは言おう。同じ日本人として。

「布袋さんよ。ミハエルに好きな女性を探せ。と言われたんだ。俺、彼女もいないしよ、それが俺に足りないものだとよ。愛を知れば、俺は、もっと速く、走れるんだとよ」

「それか。確かに言えるかもな。ナンパでもするか」

「馬鹿野郎」

「それもそうだな」

「哲夫君はアツくなりすぎるんだよ。一つのものしか見ていない。そうだろ」

「自己分析ではその通り。俺、運転、替わるわ」

「言うと思ったよ」


 モンツアのホテルでテレビを眺める。「FerrariTV」と題して、特番が始まった。ライコネンとマッサが笑顔で、モンツア、イタリアグランプリについて、語っているようだ。俺はテレビを消して、明日のモンツアの予選に想いを馳せる。バスタブにステアリングを持っていく。そして、昔からのレースの前の俺なりの儀式。レーシングスーツを着て、シュミレーションを行う。ギアを変える。ブレーキを踏む。アクセルを踏む。緊張が増してきた。天気予報。明日、明後日のモンツアは晴れ。挑む。F1。今日は寝るか。ワインを寝酒に。


 パドックパス。モンツア。様々なヒーロー達がいる。客はティフォシで溢れてる。布袋さんと、朝の挨拶を交わす。ジョバンニが大急ぎでやって来た。トラブルなんてイヤだよ。どうしたというのだ。

「哲夫」

 ジョバンニは言う。脂汗をかく俺。でも、問題、トラブルではなかった。ジョバンニは続ける。

「哲夫。フォードエンジン、ベンチテストで良く回るエンジン、供給されたあるよ。今、ガブリエル達、メカニックがエンジン交換。更に速い」

「ジョバンニ。そう興奮しなくてもいいよ。今日の目標はまず、シングルグリット獲得。そういうことだよ」

「スマン。ゴメン。そうあるね。哲夫。彼女、デキタアルカ」

「出来ないよ」

「スマン、ゴメン。予選で笑おう。ジャパニーズサムライドライバー」

「ジョバンニ。笑えないよ。それ」

 布袋さんと大笑い。リラックスリラックス。ピットへと三人で歩く。リカルドも笑顔。スタンドに日の丸。挨拶をしてくれた、同志がいた。鈴木亜久里さんだ。

「哲夫君、頑張ってね。F1は生き残ってなんぼだからね。コンペティション、お互い頑張ろうね。スーパーアグリの前には出るなよ」

「あ、はい」

「冗談だよ。俺も哲夫君のこと、応援するよ」

「はい。ありがとうございます。頑張ります」

 1990年の日本グランプリの亜久里さんに魅せられて俺はここにいる。時は何やら。俺は、黒いレーシングスーツに袖を通す。おもわず十字架を切る。俺は走る。俺はこのためだけに走ってきた。レーシングシューズを履き、ゆっくりとマシンに乗り込む。エンジン音がこだまする。ピットレーンのシグナルが今、青に変わった。チームラジオ。

『こちら、布袋。哲夫君、Q1はタイヤを大事に使って。Q2。Q3。のことも視野に入れるんだよ』

『あいよ。行きます』

フェラーリ、マクラーレン。ルノー。HONDA。ウイリアムズ。レッドブル。トロロッソ。よく見える。これも勉強か。さて、アタックしますか。用意ドン。色んな意味でアツい。ライン取りか。アウトインアウト。俺は行く。ザウバーがコースアウト。おっと危ない。速い。高速モンツアでこのタルキーニは速い。無線が言う。ジョバンニからだ。

『哲夫。グッド。8番タイム確定ね。戻って、ピットへ』

8番時計か。まあ、そこそこだな。Q2進出が確定。トップは、ベッテルか。2番手、3番手にやっぱり、フェラーリ。マッサ。ライコネンと続く。夢のような瞬間だ。よっしゃ。少し、休もうっと。


 Q2。コースイン。スタンドには、カバリーノランバンテ。真紅の羽馬、応援団。ピーコンは元気かな。ふと、お袋のことが頭を過ぎる。よいしょ。走ろうか。用意ドン。ホームストレートを俺は行く。1コーナー。いきなり、マシンがおかしい。ギアが入らない。フォースインディアに後ろから追突された。フィジケラだ。フィジケラは、マシンは降りては、俺のところにやって来る。彼は、俺の頭を殴り、帰って行った。俺もピットへととぼとぼと歩く。ああ、悪夢を見ているかのようだ。何か嫌な予感。ピットに帰る。

「ジョバンニ、布袋さん、すまん」

「おー哲夫、よくあることよ。レースあるから」

ジョバンニはコーヒを入れてくれた。Q2、敗退。布袋さんとクルマのバランス具合を語る。すると、リカルドがほくそ笑む。

「ディスイズレース。哲夫」

「サンキュー」

「哲夫君、コントロールタワーからお呼びだよ」

「げっマジで」

「そう。マジで」

 レーシングスーツを脱ぐ。タルキーニのシャツに着替える。俺、布袋さん、ジョバンニはコントロールタワーへと。叱られること、間違えなし。


スーツ姿の髭の男が俺に言う。

「ペナルティ」

 やっぱりな。これもレースか。抗議する、ジョバンニと布袋さん。無駄だよ。悪いのは俺なんだから。俺は目をこすり、水を飲む。布袋さんは言う。

「はい。タイム取り消し。明日は最後尾スタートだよ。哲夫君」

「はいはい。俺、ホテルへ帰るわ」

「そんな、焦らずにさ、モンツアを楽しめばいいじゃん」

「もう、結果が出たんだから、楽しめないよ。ぐっすり寝たい」

「はい。了解。哲夫君、フェラーリ、予選、Q3で、1,2だよ。ライコネンがトップでマッサが二位」

「あ、そう。気合い入れなおすわ」

「明日こそね」

「うん。明日こそ」


 ホテルの部屋。独りきり、ビールを飲み、マルボロに手をやる。解せない想いの中で、シャワーを浴びる。最後尾かよ。俺は、せっかち。誰かを愛せ。か。ベッドに潜る。その時だった。部屋のインターフォンが鳴る。ドアを開ける。この男は、佐藤琢磨。

「ちょっと、坂口君へ挨拶に。夜、遅く、ごめんね」

と琢磨さんは笑顔を絶やさない。俺は俺で、少し、緊張して、答える。

「ありがとうございます。俺も誰かと話したかったんで」

 語るのは、スーパーアグリとタルキーニのポテンシャル。HONDAエンジンはやはり、速く回るとのこと。シャシーもバランスが良いと。それから、話は、ドライバーの領域について。琢磨さんは言う。

「100パーセントで走っちゃいけないような気がするんだ。最近、僕はこう思ってきたよ。デビューした頃は、100パーセントで走るのが正しいと思ってた。そうこうするうちにアツくなって、エンジンを壊しちゃったり、クラッシュしたり。今は、7割の力でいいと思うんだ。レースは皆でやるものだし。メカニックもエンジニアも」

「なんか、それ、わかる気がします。100パーセントでやると暑苦しくなるような気がして」

「とりあえず、明日、お互い、頑張ろう。モンツアが終わったら、鈴鹿。堂々とF1ドライバーとして、帰れるね」

「そうですね。わざわざ、ありがとうございました」


 煙草に火を点ける。明日がデビュー戦か。子供の頃からの夢。鈴鹿に堂々と凱旋できる。着信あり。布袋さん。

『哲夫君。今、部屋か』

『そうだよ。布袋さん』

『まずいことになった。ジョバンニが交通事故に遭って、病院に運ばれた。哲夫君。今から、出れるか』

『わかった。今すぐ迎えに来てくれ』

『了解』

 ジョバンニ。何故だ。何故。こうなる。悲劇。エレベーターに乗る。フロントに布袋さんが曇った顔を見せ、俺に言う。

「信号無視のクルマにはねられたみたいだ。足をやられたらしい。畜生が。こんな時にかぎって」

「とりあえず、病院へ急ごう」

 闇夜を布袋さんと行く。ジョバンニ。無事でいてくれ。何故、こうなるんだ。

「リカルドやガブリエルは知ってるのか」

「いや、連絡は入れていない。リカルドやガブリエルは今、モンツアで明日用のクルマのセッティングとストラテジーのミーティングだ。明日、精神的に走れるか」

「俺は走れる。それは大丈夫だ」


 病院に到着。布袋さんの通訳の元、医師から説明を受ける。ジョバンニは、今、手術中。頭も打ったとのこと。喉が渇く。病院の待合室。俺達の表情は曇り、俺はレースとは何かと頭の中に疑問符を置いてみる。布袋さんは溜め息。

「哲夫君、少し、明日のために眠ったほうがいいよ」

「こんな時に眠れるかよ」


 時計の針は午前5時。手術は終わった。ジョバンニは両足切断。意識もない。なんてことだ。俺は白い壁を殴る。しかし、仕事。レースが待っている。布袋さんの肩を叩き、

「行こう。レースだ」

と、この重い現実を受け入れ、モンツアに向かった。走るとは、どういうことなのであろうか。クルマを仕事にしている俺達。ドリンクホルダーのスポーツドリンクに目をやるが、飲めない。タルキーニのピットにて、俺は、レース用のクルマを見る。スタンドに、多くの人々。布袋さんはリカルドに、ジョバンニの事故を伝える。頷くリカルド。

「哲夫君。フリー走行で、今のセッティング、試してみて。本当に大丈夫か」

「うるさいよ。布袋さん。俺はプロだ。大丈夫だよ」

「すまん」

「いいって。エンジンをかけてくれ」


 ヘルメットを身に着ける。エンジンがかかった。俺は行く。

モンツァ。モンツァ。ピットアウト。哀しいとは、いったい、何。ジョバンニ。布袋さんから聞いた、ジョバンニの辛い過去。12歳の息子に先立たれ、旦那はそれをショックに自殺した。ジョバンニ。哀しみの果て。自分自身に言い聞かす。『俺は、F1レーサー、坂口哲夫だ。堂々と行け』。あっという間に最終コーナー。ステアリングのストップウォッチ。悪くないタイムだ。よいしょ。ピットに帰りますか。


「哲夫君。かなり、良いタイムだ。七番時計。悪くない」

「乗りやすいよ。ただ、アンダーとオーバーが少しある」

「了解。決勝までに、改善する」

コースを観る。ひたすら、走る、クルマ達。客席は赤。ライコネンが行く。マッサが行く。アロンソのマクラーレンが行く。コーラを一口。一度、決めた、船には乗らなくては。

ジョバンニの元へ。車を飛ばす。うるさい。布袋さんから、また、電話だ。

『もしもし。何だよ。布袋さんよ』

『哲夫君、今、どこだ』

『どこだっていいだろうが。しつこい奴だな』

『ジョバンニが、亡くなった。Tシャツを首に巻いた、最期だったらしい』

『そうか。すぐ、サーキットへ戻る』

『気を付けてな』

自殺。モンツァのピットにジョバンニは、もう、いない。俺は走る。モンツァへ。




「布袋さん、さっきは悪かった」

「いいよ、哲夫君。ジョバンニの葬儀なんだが、せっかちな、ジョバンニのいとこにあたる男が、明日、家族葬で済ますということだ。走れるか」

「勿論な。俺、煙草、吸ってくるわ。モーターホームは空いてるだろ」

「ああ。誰もいない」

マルボロに火を点ける。56歳でのジョバンニの最期。俺だって、タイムが上がらない時は、わざとタイヤバリアに突っこんだ。暴走族じゃあるまいし。タルキーニのレーシングスーツに再び、袖を通す。泣く暇なんてないよ。ジョバンニ。またな。



ヘルメットを被る。エンジンの音が、けたたましく、生命を与えるように響く。最後尾にマシンを運ぶ。

『哲夫君、天気予報だ。レース開始から30分後に雨の予報。ストラテジーとしては、ソフトタイヤで引っ張って、レインタイヤに交換だ。これでいいか』

『了解。俺ってF1レーサーなんだろう』

『何を言う』

『ただ、確認がしたかっただけだよ』

『確認ね。哲夫君、お隣のグリッドに琢磨君だが、事故だけは避けろよ』

『かしこまりました。後、5分でレース開始だ』

『大事に行けよ』


54321。オールクリア。スタート。アクセルが俺を前にやる。琢磨。確かに上手い。クリアなブロックで俺の前をふさぐ。焦るな。夢のF1デビュー戦。と思っていたら。なんてこった。マシンから炎。リタイヤか。

『大丈夫か』

布袋さんからの無線に、『俺はな』と答え、マシンを降りる。

「哲夫君。お疲れ。電気系でエンジンがイカレちゃったとの報告」

「そうか。俺、帰るわ」

「そう言わずに、ライコネンやアロンソから学ぶことはあるだろう。レース、観ておけよ」

「関係ない」

「言うと思ったよ。とりあえず、次は鈴鹿。ホテルでゆっくり休んでな」

「あいよ。全て、忘れるわ。ジョバンニのこと、今日の結果」



俺は、エンジン音から離れ、ホテルへ帰った。お袋。親孝行、出来なくて、本当にごめんな。あ、マクドナルド。ハンバーガーでも食うか。アップルパイと。よく、考えてみた。俺は、F1で飯を食ってる。1991年の開幕戦から、全レース、欠かさず、ビデオに撮っていた。シェイクとアップルパイが美味い。万国共通な味。スマホをいじっていると、レース結果。「アロンソ、敵地で圧勝」とある。ふうん。ライコネンが二位、マッサが三位。ドライバーズポイントでは、トップがライコネンか。電話が鳴った。ミ、ミハエルシューマッハからだ。

「哲夫君、モンツア、残念賞。彼女は出来たの」

「いないよ。ミハエル。ここ何年、セックスはご無沙汰だよ」


「聞いたあるよ。今日、僕と遊ぶあるか。ピーコンからも電話があって」

「ミハエル、遊ぶって何をして遊ぶの」

「年下の女の子あるよ。哲夫君、サムライあるから、イタリア人、わんさかにモテるあると思うよ」

「考えとくよ。ちょっと眠いんだ」


ホテルの部屋に着き、マルボロを吸う。次は鈴鹿か。今度こそ、上手くイケ。タルキーニよ。眠ろう。そして、シャンペンでも飲むとするか。ミハエルシューマッハはいい人だ。憧れだ。ジョバンニ。あの世で会おうや。眠っちまえ。全てのものよ。



 さてと、今日はよく眠れた。チェックアウト。フロントでキーを返すと、まただ。布袋さんから着信アリ。


「どうした。布袋さん」

「いや、俺の携帯に日本からメールが来てな。藤本さんの鈴鹿でのスポット参戦が決まったよ。それもうちのチームからだ」

「ほんとに」

「うん。そうだよ」

俺は嬉しかった。本当に嬉しかった。藤本さんとF1をやれるなんて。俺の一番、大事な親友、藤本さん。いいレースにしよう。そうだ、藤本さんに電話をしよう。

『もしもし。藤本さん。参戦のニュースを聞いたよ。俺、めちゃ、感動してる』

『てっちゃん、ありがとうな。本気で走ろうぜ』

『うん』




飛行機から空が見える。この惑星に夢を持って生きてきて、俺達はそれを叶えた。俺達の特別な場所、鈴鹿で。機内でコーヒーを飲む。なんだか、ぞくぞくする。恐怖にも似たモチベーション。髪でも切ろうかな。それから、カラオケ、皆で行こうっと。


親父に線香を手向けるとしよう。永遠なんてきっとないから。俺達は走るんだ。人間、楽しまなくちゃな。それと、BOOWYのドリーミンを歌おう。何か、笑える。人って、何故、走るんだろう。大金つぎ込んで、何故、クルマを走らせるのだろうか。その答えは一つではないよな。ああ、ラーメン食べたい。無性にラーメンを食べたい時があるだろう。俺が走るのは、それに似てる。無性に走りたくなるんだ。それがドライバーって生き物か。ふと、ジョバンニの笑顔が浮かんだ。俺達は、走るよ。例え、この世が終わってしまっても。約束する。



成田空港に到着。日本。美しき国。空港に飾ってあった、日の丸を観た。いつかは勝って、表彰台の真ん中に俺も日の丸を立ててやる。家に帰ろうか。お袋に誓いたいんだ。俺は走るって。千葉行きの高速バスに乗った。お家へ帰ろう。堂々と。


誰もいない家。お、お袋は、どうした。池内さんから電話があった。お袋が精神科、仁大会病院に入院したと。精神科か。心境は複雑。俺は、車に乗り、仁大会病院に向う。仁大会は、虐待、暴行事件を何度か起こしている。お袋、元気でいてくれ。必ず親孝行するからな。国道を行く。溜め息ばかり。想いばかりが先走る。俺は、今まで、何をやってきた。レースばかり。レースのことしか考えていない。今も変わらぬこの想い。アクセルを深く踏んだ。標識には『八千代』の表示。複雑といえば複雑だ。誰かおふくろに手をあげてみろ。ぶっ殺すからな。仁大会病院に到着。駐車場に車を停める。


「すみません。坂口敬子の息子の坂口哲夫といいます。お袋の様子を見に来たんですが」

青い事務服の受付嬢に聞いてみた。ところが無視された。この受付の女。目が笑ってやがる。そして、電話を手にした。

「坂口敬子さん、面会です。はい、はい。息子さんだそうです。はい。はい。わかりました」

何なんだ、この狂った空気。重い場所に来てしまったな。おふくろ。。。


「息子さん。面会室へどうぞ。もうすぐ、お母さんが来られます」

「お前、受付嬢だろうが。何故、俺を無視した。それに、お前、目が笑ってるって俺になんかようか。どうなんだよ」

「息子さん。面会室へどうぞ」

「人の話を聞け。この野郎」

「警察に脅迫罪で通報しますよ。それでも、構いませんか」

「もう、いいよ」

俺は面会室の扉を開けて、そこの椅子に座った。不思議な空間だ。精神っていったい、何。面会室の自販機で、メロンソーダを買って、一気に飲み干した。そして。。


白衣の男に。担がれ、廃人と化したおふくろを知る。おふくろは、お経をブツブツぶつぶつ、口にする。

「お袋、俺だよ、哲夫だよ。俺、F1日本グランプリで走るんだ。藤本さんもだよ」

お袋は下を向き、また、ぶつぶつを繰り返す。そして、こう言った。

「哲夫。F1、頑張れ」

「今度こそ、フェラーリをぶち抜いてやるからな」

「頑張れ。哲夫」


白衣のデカい男が、俺とおふくろを睨み、大声で言った。

「面会中止です。息子さん、帰ってください」

「なんで、面会が中止になるんだよ」

「お母様は、とても、疲れていらっしゃるんで、病棟に戻させてもらいます」


俺は、駐車場へと歩く。煙草に手をやるが吸えない。お袋、待ってろよ。鈴鹿で、絶対、良い結果出してやるからな。


家に着くと、藤本さんが、コーラを飲んでいた。藤本さんと食卓を囲む。お袋のことが頭に過ぎってしまう。ジョバンニもお袋も。悲劇の主人公を気取るわけではないが、煙草の本数が増える。

「てっちゃん。大丈夫だよ。おばちゃんなら。元気になって、必ず、戻ってきてくれるよ。必ず」

「そうだな。必ず」

電話が鳴る。布袋さんからだ。

「哲夫君、明日、鈴鹿へ来てほしい。イベントに参加してくれないか。勿論、藤本君も」

「それ、パスできないのか」

「スポンサーの手前、難しい。何かあったのか」

「別に何もないよ」

「じゃあ、来てくれよ」

俺は、缶チューハイを一口飲んで、一瞬、ためらった。F1に恩返しを、しなくちゃ。決まり。

「それじゃあ行くわ」

「待ってるよ。藤本君にもくれぐれもよろしくな」

「ああ」


部屋と帰る。子供の頃に書いた作文。

『僕はF1レーサーになって、ワールドチャンピオンになりたいです』


セナのポスターに目をやる。哀しい瞳を持つ男だ。もう、これ以上に速い男は出てこないだろう。伝説か。セナが走った鈴鹿。アイルトン、俺達に力を貸してくれ。

「てっちゃん、コーヒー、飲もうよ。俺も、F1まで来れたよ。お互い、やることがわんさかあるな」

「ありがとな。お互い、頑張ろうぜ」

「接触だけはやめてくれよ」


俺は笑うことを選択した。それも苦く。笑えた。

「勿論。俺、クルマの運転、上手いから」

「そうだな。俺もそれだけが取り柄だよ。俺達、F1レーサー坂口哲夫。F1レーサー藤本弘人。まあコーヒーでも飲もうや」

藤本さんとコーヒーを飲みながら、話すは、タルキー二が思ったより速いこと。フォードエンジンがよく回るということ。

「なかなか、乗りやすそうだね。トラクションコントロールは、どうなの」

「いい。凄くいい。それこそ、乗りやすいよ」


俺は、寝酒に赤ワインは飲んで、布団にもぐった。ミハエルの言葉。誰かを愛せ。そうしたら、もっと速くなる。

今はそれどころじゃないよ。ミハエル。俺だって誰かを抱きたい。まあ。いいか。寝ようっと。



夢を見た。俺が侍の格好をして、切腹して、歯が溶けて、僧侶に殴られる夢。目が覚めた。時計は5時12分。藤本さんは熟睡中。いびきをかいて寝てる。きっと、疲れてたんだろうな。でも、二人そろって、F1に乗れる。俺はマルボロに手をやって、火を点けた。ちょい、走ろうか。なんだったんだろう、あの夢。俺はジャージに着替え、玄関を開けて、走った。走るのはクルマでも、こうして、足で走っても、俺にとっては快楽で、嬉しいことだ。ふと、ジョバンニの笑顔が、恋しくなった。俺たちは走り続ける。それが仕事であり、最も得意とすることだ。コンビニでパンとパスタを買う。喫煙所で一服。さて、行くか。待ってろ。鈴鹿。


朝、十時の名古屋駅。売店で、カロリーメイトを買う。藤本さんは、興奮気味。コーヒーを一口、飲み干す。さあ、鈴鹿だ。携帯がまた、鳴る。やっぱ、布袋さん。


「おはよう。哲夫君。俺、今、鈴鹿。今から、バイク、二台で、哲夫君と藤本君を迎えに行くからね。南口で待ってて。藤本君とお茶でもしておいて」

「了解。それにしても、あんた、マメだな」

「仕事だからさ。俺も人に思いを伝えるのは、ほんと、苦手なんだ」

「リカルドやメカさんたちは」

「クルマを仕上げてるよ。リカルドは、哲夫君と藤本君に、入賞を期待するってさ」

「笑わせるなよ。鈴鹿だ。俺が一番走りやすい場所だ。必ず、入賞してやるからな」


俺は、自販機でスポーツドリンクを飲む。スポーツか。F1は、れっきしとしたスポーツだ。夢の塊だ。藤本さんと喫茶店に入る。客はまばら。お冷を持ってきた、太ったおばちゃんに、こう、言われた。

「もしかして、お二人は、F1の坂口哲夫さんと藤本弘人さんですよね」

「はい」

「今日、サービスにトースト、三枚、焼くんで、サインしてもらっていいですか」

「いいよ、おばちゃん。なっ、藤本さん」

おばちゃんは、続ける。面白い。

「私が若い娘じゃなくて、ごめんね。やっぱり、おばちゃんより若い娘のほうがええんか」

「いや、いや、おばちゃん、充分にかわいいよ。愛くるしいというか」

藤本さんが笑顔でおばちゃんをからかった。そして、俺達はおばちゃんのエプロンにサインした。おばちゃんは続ける。


「この店にな、一回、セナが亡くなる一年前に来たことが、あるんや。あそこに飾ってある、セナのサイン。凄く、哀しい瞳が印象的やったわ」

「セナか。確かに、笑ってる時も目が哀しい男だったね。俺達の永遠の憧れだよ」

トーストをかじる。藤本さんの表情がなんだか、硬い。藤本さんは変わった。レースをどう理解し、長いスパンで考えられるようになった。尚更、フォーミュラ1。

「てっちゃん、イベントってサイン会だけだよな」

「うん。布袋さんからはそう聞いてるよ」

「楽に出来そうだね」

「そうだな。作り笑いはしなきゃいけないけどな」

「そ、そうだな。てっちゃん、俺、笑っちゃたよ。は、は、は、作り笑いね。はい、はい。4号車、了解しました」

「3号車も了解しました。俺、布袋さんにこの店に来てくれとメールしておくわ」

「なぁ、てっちゃん。布袋さんって、どんな人」

溜め息、一つが俺の口に現れる。俺は、マルボロに火を点けて。

「とにかく、仕事に対して、暑苦しい男。電話ばかりかけてくるよ。無線でも、うるさいしな」

「へえ。まっ、レースにかける男には暑苦しいのが多いからな」

「その通り」

藤本さんとチャンピオンシップに関して話す。オタクの中のオタクレーサー。

「アロンソ、有利だよな。かなり」

「でも、わからん。ライコネンがクルと、俺は思う。マッサが上手くサポートすると思うし。フェラーリは速くなってきたよ」

「まあ、俺達は、チャンピオンシップに関係ないから、前を走る奴をとことん、ぬいてやろうぜ」

「うん」

お袋。見ててくれ。必ず、お袋を元気にしてあげるよ。

店の前にエンジン音。布袋さんと鈴鹿。俺たちの原点。ここにF1で帰ってこれた。布袋さんと藤本さんが雑談。真剣にフォードエンジンとタイヤについて、話を詰めている。ぴかぴかに光る、タルキーニの黒いF1マシンが二台。俺もリカルドと笑顔で接する。


「哲夫君。イベントの準備、そろそろしておいてね。スポンサーの手前もあるし、チームウェアに着替えておいて」

「はーい。布袋さん」

「おっ今日は機嫌がいいね、哲夫君。藤本さんもモーターホームで着替えちゃって」

「3号車、了解しました」と俺が爆笑し、「4号車、了解しました」と藤本さんが爆笑する。布袋さんも笑った。



「それでは、タルキーニF1チームの、坂口哲夫選手と藤本弘人選手です」

スーツを着た、アナウンサーっぽいイベントの司会者が汗だくになって、こう言った。イベント会場にはテレビカメラ三台と、一眼レフを持ったカメラマン達が数人。日の丸を持った人。俺達を楽し気に見てくれる老若男女が100人ほど。嬉しくなってきた俺はまぬけにこう言った。

「どうも、日本一速い男、第二のアイルトンセナ、坂口哲夫です」

爆笑の渦。そして、藤本さんも続けるように笑いを獲った。

「どうも、俺も日本一速い男、第二のミハエルシューマッハ、藤本弘人です」

会場の一番前に座っていて、我らがタルキーニのチームウェアを着てくれて、なおかつ俺の名前と藤本さんの名前が刻まれている、日の丸を持った、優しそうな、おばあちゃんが、ニコニコと楽し気に微笑み返し。そのおばあちゃんに司会者がマイクを向けた。

「おばあちゃん。坂口選手と藤本選手に、質問、聞いてみたいことはありますか」

おばあちゃんの喜ぶ顔が癒しになった。

「お二人の子供の頃の夢はやっぱり、F1でしたか」

俺が話そうとする前に藤本さんがおばあちゃんやファンのみんなにこう言って、またまた、笑いを獲った。

「僕は画家になりたかったんですよ。でも、何故かしら、気づけばクルマに乗っていました。盗んだバイクで走っちゃ、捕まりますよ。でも、てっちゃんは、子供の頃から、F1、F1と暑苦しいぐらい叫んでいました。僕より、少し速いので、時々、やきもちを焼きます」

おばあちゃんは笑顔で言葉を続ける。ほんと、心から嬉しそうに。ニコニコと。そして、力強いメッセージをおばあちゃんからいただいた。

是非とも、フェラーリをやっつけてください」

俺と、藤本さんの声が重なった。二人同時にこう言ってしまった。

「はい。フェラーリをぶち抜きます」

会場からは大爆笑。俺達、ドリフターズ、大爆笑。インフォーミュラ1だ。




それから、サイン会が始まった。色んな人に励まされ、俺達は明日から鈴鹿でF1をやる。イベントは嫌だと俺は、言ったけど、真逆。たくさんの人たちから、応援メッセージをいただいたのは誇りに思う。


モーターホームに入ると、メカさんがマシンをいじる。藤本さんのシート合わせが始まる。俺達の目の色が厳しく変化していく。布袋さんが通訳してくれた。

「哲夫君。今時点で、多少のアンダーステアとオーバーステアが少しでるかもしれない。ということ。明日の予選までには改善すると、みんな言ってるよ」

「ありがとな」

「哲夫君。ちょっとイベントで疲れただろう。サーキットホテルで少し休みなよ」

「そうだな。布袋さんのように念には念をおして」

「こんな、マメな暑苦しい俺でごめんな。とにかく、良いマシンを用意するよ。タルキーニの親分も明日、ここに来るから、それまで、哲夫君、休んでおいて。俺は藤本君のシート合わせを手伝うよ」

「おおきに」

「おおきに」と布袋さんの笑顔。さてと、原付にまたがり、ホテルで一服しようか。F1。暑苦しいほどの男たちの情熱。明日の予選、いい位置につけるように頑張らなきゃ。俺も藤本さんも全力を尽くすよ。堂々と俺達は明日へ行こう。希望を持って。、チームのスタッフがご来店。さあ、走ろうか。

サーキットホテルでマルボロをくわえる。と同時に電話が鳴った。非通知だ。


「もしもし、坂口哲夫様の携帯電話でしょうか」

「はい、坂口は僕ですが」

「私、テレビフジのアナウンサー堂本と申します」

「はあ。それで僕に何か用ですか」

「坂口様。お疲れのところを恐縮です。よろしければ、我々、テレビフジのインタビューに応えていただきませんでしょうか」

インタビュー。はああ。俺、F1レーサーだもんなぁ。まあ、いいや。受けることにした。




堂本さんとホテルのフロントで待ち合わせ。自販機で水を買う。アッ来た来た。

テレビで見たことのある。堂本さん。確か、セナが事故死した、サンマリノグランプリの実況をしてた人だ。


「坂口さん、ご協力、ありがとうございます。日本グランプリとありまして、『特集 世界と闘う若武者』と題しまして明日、放送いたしますので、よろしくお願い致します」

「えっまあ」

テレビカメラを担ぐ男が汗だく。色々と聞かれた。タルキーニチームのこと、フォードエンジン、タイヤ。ありがちな、「このF1への道。長かったですか。それとも、短かったですか」とも。俺は、「色々あったせいか、長かったです」。応えた。堂本さんが実況するとセナが勝つ。というジンクスが90年代に、よくあった。俺も勝ちたいよ。鈴鹿で。


インタビューを終えて、部屋に向かうエレベーターの中、また、電話。しつこい。布袋さんからだ。


「哲夫君。今、大丈夫かな」

「何だよ、疲れてるのに。用件は何」

「藤本君がフリー走行中にシケインで事故った。BOXの無線を入れたんだけど、シートごと壊れた」

「わかった。すぐ、行く」

なんていうことだ。俺はタクシーに乗り、布袋さんと連絡をしながら、藤本さんがいる病院へと向かった。




病院へ到着すると多くのテレビカメラとプレス達。俺が、藤本さんの病室に入る。横たわる藤本さん。布袋さんに聞かれる。

「明日、精神的に大丈夫か。走れるか」

「馬鹿野郎」

俺は布袋さんを殴った。この男。

「お前よ。俺は走るんだ。亡くした者達のことを考えろ。この電話男が。てめぇに俺達レーサーの何がわかる」


病室から藤本さんの声がした。俺は、布袋さんに唾をかけた。病室に入ると、藤本さんが元気な顔を見せてくれた。

「てっちゃん、ごめんな。一緒に走れなくなっちゃって」

「いいよ。それは。怪我、大丈夫か」

「両足、骨折で、全治一か月だとさっき、医者に言われたよ。明日、てっちゃん、俺の分まで」


涙がとめどなく流れた。二人で大泣きした。俺は誓う。明日から人生の全てを鈴鹿にかけようと。

病室を出た。布袋さんが俺に土下座する。

「そんなものはいらないよ。俺は、ホテルで休むわ」

「ごめん。哲夫君」

「いいって。明日、朝一からクルマを作ろう」

「うん。わかった。言いにくいんだけど、タルキーニの親父が鈴鹿に着いた。哲夫君に会いたいといっているんだけど」

「わかった。サーキットホテルの俺の部屋番号、教えといて。布袋さん、通訳を頼むよ」

「わかった」




サーキットホテルの部屋でテレビを消して、携帯も電源を切って。マルボロをまた、くわえるとノック。タルキーニの親父と布袋さんがいた。ドアを開ける。

意外に、タルキーニの親父は笑顔だった。

「テツオーアリガトウ」

とハグしてくれた。三人でテーブルを囲む。タルキーニの親父が俺の目を見て、イタリア語で複雑な表情をして語る。布袋さんがイタリア語を日本語に訳す。

「俺達はレース屋だ。今日の事故は仕方ない。完璧な道具などこの世に何一つとして存在しない。サーキット。ここは宇宙だ。その宇宙に堂々と挑めるドライバーは少ない。哲夫に初めて会ってから、俺は思った。ジョバンニの事も、今日の事も、レース、サーキットという宇宙の一部だ。哲夫。俺は君を挑めるドライバーだと信じている。良い走りを見せてくれ。期待している」

俺は、タルキーニの親父に言った。

「サンキュー」とただ一言。予選。堂々と挑むぞ。俺が挑めるドライバーか。走るぞ。ああ。夜なんて短いものだ。トイレで小便をすます。鈴鹿。サーキットか。よいしょ、布袋さんに電話。



『ああ、俺だ。今、起きた。バイクで迎え頼むわ』

『了解。哲夫君』




歯磨き。鏡の中の俺。疲れてるなぁ。俺がF1レーサーかよ。ここまで、来た。後は、前に走る奴等をぶち抜くのみ。容赦はしない。これが今の俺に出来ることだ。

布袋さんのバイクにまたがり、サーキットへ。パドックパスをゲートに通し、あっ、いきなり。アロンソ。

「テツオサン、ニホンジン。スズカ。ガンバッテェ」

「サイン、プリーズ。ありがとう。フェルナンド」

アロンソは気さくに、俺のチームウェアにサインしてくれた。マッキー、持ってて良かった。




タルキーニのピットへとぼとぼ、歩く。モーターホームで、レーシングスーツを身にまとう俺。ああ、煙草が吸いたくなった。喫煙所で布袋さんと語る。


「ストレートスピード、うちはどうなの。やっぱり、マクラーレンやフェラーリ単位では遅いのかなぁ」

「そうだな。正直に言うと、0,9ほどは遅いかも。でも、フォードエンジンは前回のモンツァよりよく回ってるみたいだ」

「そうか。布袋さん、今まで、色々ごめんな。何か、俺、空気が読めない男だから」

「いや、それは、こっちの台詞だよ」

男二人。喫煙所で、語るはアイルトンセナ。アランプロスト。ミハエルシューマッハ。時計は11時ジャスト。

「哲夫君、Q1、よろしく」

布袋さんは、笑顔。うなれよ、俺。コックピットに身を納め、出陣。クラッチ。軽いな。ヘルメットをかぶり、グローブを右手左手にはめる。右手を、上げる。エンジンがかかる。よし、鈴鹿に恩返しだ。

アクセルを踏み、ギアを1速に入れて、ピットを出る。無線。

『哲夫君、聴こえるか』

『ああ』

『タイヤ、エンジン、クルマに問題はないか』

『全くない。上手くまとめられそうだ』

『了解』

タイヤを温める。左右にマシンをふる。ステアリングのドリンクのボタンを押し、水分をとる。よし、シケイン。加速だ。アクセル、俺を前にやる。1234567。Q1如きで負けてたまるか。俺は俺に言い聞かせ、行く。


遅い車、前後左右なし。トップ10には、入りたい。ヘヤピン、上手く通過。このクルマ、速いな。無線。あっと言う間に、ホームストレート。

『哲夫君、負けてないぞ。8番手。BOXBOX』

『了解』

まあ、そこそこだな。挑めるドライバーって言われたんだから、やっつけ仕事はできない。スタンドに日の丸の旗。照れるよ。日の丸の真ん中に『テツオ』の文字。嬉しいけど、照れる。そうこうしていると、また、ヘヤピンに差し掛かる。横に赤い車。フェラーリ、ライコネンか。やはり、速い。置いてきぼりだ。上手いよな。さすがはチャンピオンシップを争えるドライバーだ。よいしょっと。ピットに帰る。体重計に乗り、布袋さんが走りを労ってくれた。ああ、お好み焼き食べたいなぁ。

「28秒967。良い走りだ。タルキーニの親父、笑ってたよ」

「そうか。Q2、まで、あと、何分あるの。腹が減った」

「約45分だな。何か食うか」

「お好み焼き。鈴鹿に美味い店があるんだよ。『スマイル』って店でさ。豚玉の出前、頼むわ」

「カツ丼じゃないんだね」

「笑わせるなよ。俺は卒業した。豚玉、本気で頼んで。店長さん、パドックパス、持ってるから、20分ぐらいで来てくれるよ」

「了解。哲夫君。スロースロー」



モーターホーム。ドアを開けるとミハエルシューマッハの笑顔がそこにはあった。


「おーテツオさん。今までで、イチバン、良い走り。グッドジョブ。彼女、出来たあるか」

「いないよ。ただ、走らなきゃいけないっていう義務感を感じたんだ」

「ほう」

お好み焼きを食らう俺。ミハエルは、俺に気を使い、ギャグをトバス。ミハエルシューマッハって面白い人なんだな。仕事が出来るドライバーの憧れの一人だ。フェラーリを復活させた。7度のワールドチャンプ。カッコいい。マイケルイズマイアイドル。

「テツオサン、タバコ、マルボロ。イイアルネ」

「サンキュー。レッドホワイト、めでたいめでたい」



よいしょ。Q2、行くか。モーターホームを出る。十字架を切る。走る意味っていったいなんだろう。コックピットに潜り込む。ステアリングをはめる。エンジンをかけ、ピットアウト。


『哲夫君。130Rで、0,8縮めて』

『了解』


布袋さんは、無線好きだな。集中力がこれで、増せばいいが。俺は今、Q3。シケイン。縁石に乗る。よし、上手くいった。


『ポジションは』

『P5』

『サンキュー。タルキーニの親父、笑ってたろ』

『もちろん』


アタックを終えて、ピットに車を納める。俺が鈴鹿で、予選5番手。それも、F1で。布袋さんは言う。

「哲夫君、挑めるレーサーだよ」

「ポールは」

「アロンソ。でも、1秒もこっちは負けてない」

「そうか。俺、寝たいから、取材やらなんやらすべて、キャンセルしてくれ」

「わかった。スタンドの日の丸を観たのか、哲夫君」

「ま、まあな」


そう、答えて、モーターホームにとぼとぼと歩く。こみあげるものがあった。俺に対する、日の丸。俺は勘違いではない、この日本国のF1レーサーだ。モーターホームの扉を開けると、ミハエルにハグされた。

「テツオ、やるねー。ここだけのお話」

「な、なんだい」

「フェラーリドライバー。僕の跡継ぎ、テツオね」

「嘘ってまるわかりだよ。ミハエル」

「ジョークジョーク。HONDAのエースがテツオの夢あるから」

「そ、そうだね」

藤本さんの分まで走ってやるからな。マルボロに火を点ける。それとロスマンズ。アイルトン。俺に力貸してください。おふくろ。必ず、勝ってやる。俺はF1レーサー、坂口哲夫。挑む。明日は明日。レースは壊れやすいもの。ガラス細工のように。少し、呑むか。シャンパンを縁起よく、一気に飲み干す。人生色々。俺は、眠りに就いた。


フォーミュラ1か。


朝。サイコロマートの池内さんが、レジにてロイヤルスマイルで背の高い、スキンヘッドの男へJPSを売っている、夢を見た。何故だろうか。俺は今日、ファイナル。決勝だ。それも鈴鹿。ドライバーズミーティングルームへと、とぼとぼ歩く。見てろよ、アイルトン。見てろよ、ミハエル。必ず、フェラーリを抜いてやる。


「哲夫君。おはよう。ミーティングルーム、僕も行くよ」

「ありがとな」

ミーティングが始まる。ぶつぶつと話し出した、スーツの男。聞き取れるのは、

「テツオサカグチペナルティ」

「なんで、俺がペナルティ、なんだよ。えっ。俺、何も悪いことなんてしていないよ。ふざけるな」


布袋さんが、スーツの男に俺の日本語を訳す。

「ユーペナルティ」

「だから、何が悪いんだよ」

笑い出す、アロンソやライコネン、F1ドライバー全員。布袋さんに訳してもらった。

『哲夫君が昨日の予選で追い越し禁止の白線を、またいだとのことで、予選タイム、全セクション取り消し。今日は悪いが最後尾スタートとする』

「俺が危険な行為をしたのか」

「哲夫君、こらえて。もう、決まったことなんだ」

「俺、ピットに帰るわ。おっさん。俺の決勝、きちんと見とけよ。老眼になるのはお前の勝手だ」

「テツオサカグチペナルティ」

とスーツのおっさんは笑う。クソ。また、最後尾かよ。昨日の予選、かなり、挑めたというのに。


ピットロードを歩き、イライラとする。サインを度々、頼まれるが、今の俺には出来ないこと。タルキーニの親父が、俺の肩を叩く。

「テツオ。オマエなら、決勝。」

「サンキュー」

とだけ言い残し、モーターホームに閉じこもった。コーラを飲む。そうこうしていると、モーターホームの扉をノックする、音。何だよ。慰めなんていらない。みんな、嘘八百、なれあい、うわべ、。どうせ、俺なんて。


「佐藤です。哲夫君。ちょっとだけいいかな」

冷静冷静。琢磨さんか。扉を開けた。琢磨さんは笑顔であった。苦笑いかな。

「哲夫君。今日はそろって、最後尾スタートだね。この世界、日本人には冷たいから。これ、差し入れ。疲れただろう。アンパンだよ。甘いもの、食べりゃ少しは落ち着くかな」

「あ、ありがとう。琢磨さん。確かにね。F1は政治と金だから。ありがとうございます。いただきます。亜久里さんにくれぐれもよろしく」

「うん。わかった。僕もセッティングがあるから、じゃ、行くね」

「はい。本当にありがとう。琢磨さん」




俺にもセッティングが待っている。アンパン、食うか。そうすると、藤本さんが来てくれた。


「藤本さん、俺、こんな時に」

「てっちゃん。いいんだよ。てっちゃんなら、ごぼう抜き、とことん出来るよ。俺たちとことん、走ってるんだから。それに、てっちゃん、俺より速いし大丈夫。セッティング、手伝おうか」

「ありがとう。でも、いいよ。俺のクルマだから」

「そう言うと思ったよ」


藤本さん、俺。同志だ。F1に恋した同志。もうすぐ、行かなければ。

「ちょっと、ウィングを寝かせてくれ。フロント、リア、両方。タイヤは、ハード。カーズの最高速、布袋さん、マクラーレン、フェラーリと変わらないのか」

「そうだな。回転数、最速にセッティングするよ。哲夫君、乗ってみて」

「了解」

「イケそうか」

「俺はプロだ。何度も言わせるな。クラッチ、軽すぎるよ。ブレーキも軽い。昨日より乗りやすいね」

「じゃあ、グリッドへ行こうか」

「はいよ」




さて、最後尾。琢磨さんが勢いよく、隣の俺の20番グリッドへ来てくれた。

「哲夫君。お互い頑張ろう。力みすぎだよ。アンパン、美味しかったかな」

「はい。俺、甘党なんです。良いレースにしましょうね」

「哲夫君のクルマ、いいなぁ。昔さ、レッドブルのデザイン室を覗いたことがあるんだ。ニューウェイさん、考え方が凄すぎて。ずーっと、ミリ単位でクルマ、作ってたよ。しゃがんだり、立ったり、メジャー使って、、、もう凄すぎてさ」

「琢磨さん。興奮気味ですね」

「あ、ばれたか。そう。ここは特にね。鈴鹿。僕等にとってホームだね」

「はい。頑張りましょう。琢磨さん、握手してください」

「あ、うん。ありがとうね。哲夫君」


よっしゃ。行くか。グリッドは右列。布袋さんを通して、メカニックと話す。タイヤエンジニアリングとも使い方について、しつこく聞く。あっ。藤本さんがモーターホームで俺に手を振ってくれた。恥ずかしいけど、手を振る。二人とも笑顔で応えてくれた。

『テツオテツオテツオ』

今度はスタンドだ。俺の名前が刻まれた、日の丸応援団に手を振る。ちょっと照れるな。黒くカラーリングされた、タルキーニのF1マシン。夢だった。夢がいっつも、手招きしてた。F1という最大の夢。ジーンとクルものがある。レースだ。タイヤサイドでは、決勝51周の約半分25周で、BOX。ソフトに履き替えろ。だが、俺自身のオプションでスーパーソフトで行けるのならそれでいい。レース距離を考えて走れ。ということだ。カーズは、ホームストレート以外での使用はやめておけ、マシンが悲鳴をあげる。一コーナー、ヘアピン、130Rがオーバーテークポイントであるから、ある程度の距離をエンジンを壊さずに走れ。

それにしても、それもこれも布袋さんがメカさんやタイヤサイドのエンジニアの英語を全部、日本語に訳してくれた。



『皆さん、ご起立ください。ただいまより国家君が代の吹奏です』


ギターサウンドの君が代が、グリッドに流れる。日本国。美しく高鳴る国歌。今日は少し、難しいけど、勝ちに行く。ここまで来たんだ。


F1は焦るスポーツじゃない。ジョバンニ。どこかで見てるか。おふくろ。親父、真佐子。夢に出てきたサイコロマートの皆。俺はコックピットに潜り込む。ステアリングを装着し、マスクを装着し、藤本さんにプレゼントしてもらったヘルメットをかぶる。そして、黒いグローブ。俺は俺の船に乗る。そして、行く。右手を上げエンジンがかかる。さて、フォーメーションラップだ。

『どうだ、哲夫君。マシンの状態は』

『最後尾ってこと以外すべて、揃ってるよ。あんた、無線ばっかりだね』

『そう言うと思ったよ。カーナンバー3。魅せてくれよ』

『あいよ』

前を走る琢磨さんがタイヤを温める。俺もマシンを左右に振り、タイヤに熱を入れる。よっしゃ、かかってこい。F1ドライバー全員に告ぐ。打てるもんなら堂々と俺を打ってみろ。さて、51周。頑張るか。


さて、やってまいりました。F1日本グランプリ。行くぞ。12345。GO。1コーナー。冷静に。琢磨さんを抜く。苦笑いの日本人。


『前、フォースインディア。後ろ、琢磨、亜久里』

『了解』

『オープニングラップで、9秒稼げ』

『了解』

『エンジン順調』

『了解』

気長に抜きますか。ヘアピン。HONDAのバトンに笑われた。俺は、インを刺す。130R。


『ポジション。10位』

シケイン。F1レーサー。俺、坂口哲夫。321。1234565。あっという間に1ラップ。

『9は稼げただろう』

『哲夫君。惜しい。8,74』

『はいはい』


お次は、レッドブルか。セバスチャン。すげー。ブロックが旨い。この人、フェラーリに行くのかな。六甲おろしを口ずさんでしまった。まあ、いいや。ここ、鈴鹿。本当に難しいサーキットだ。また、ヘアピン抜きかよ。ポジション、9。そっかー。面白いことをやろうか。無線無線。

『布袋さん。タルキーニの親父に、次、BOX、していいか、聞いてくれ』

『え、どういうこと』

『タイヤ交換。交換したら、インターミディエートに賭ける。雨がくるぞ。俺の言うとおりにしろ』

『了解。哲夫君』


俺が走るわけ。勝ちたいから。俺がF1を選んだ理由。勝ちたいから。日本国。鈴鹿。夢の奴隷がピットレーンを走る。やっぱり、降って来た。雨。再給油。タイヤ交換。順位。12位にて、ピットアウト。コースアウトはバリチェロか。一瞬、焦る。しかし、俺は挑める奴なんだろう。げっ。真佐子かよ。1コーナーのスタンドで俺を笑ってた。お袋。負け犬の俺はもう、消えた。130R。6速ギアで、踏んでいく。べた踏み。


シケイン。1コーナー。あっという間だ。ああ、煙草、吸いたい。笑って、踏んでいくとするか。

日の丸。TOYOTAか。雨が俺を呼ぶ。何カッコつけてんだよ。俺って。

俺が生きる理由。F1。遂にフェラーリ。ライコネンの後ろに付けた。でも、タイトル争いだろう。でもでも。抜いてやる。1コーナー、アウトから、遂にフェラーリを抜いたぞ。


『サンキュー。布袋さん。このクルマ、勝てるわ』

『焦らないでイッテくれ』

1コーナーを見ると、真佐子の横に、お袋がいた。えっ。どういうこと。無線。

『布袋さんよ、な、なんでお袋がここにいるの』

『今朝、退院されたそうだ。藤本さんから、聞いてないのか』

親孝行。したいときにはF1レース。雨が酷い。無線。

『レインに思い切って変えるぞ。哲夫君。次、BOX』

『了解』

レイン。シケイン、スピンはフィジケラか。レースってなんじゃ。やかましわ。


ピットイン。歩くように、ゆるゆるとピットレーンを行く。スピード違反なんかで失格なんて嫌だ。俺、日本人。ジャッキが上がる。ヘルメットをメカさんに拭いてもらう。プラットホームには布袋さん。黒い、タルキーニのシャツを着る、同志たち。俺達を彩るすべて。フォーミュラ1。しまった。一速ギアが一瞬、入らなかった。無駄なことをした。よいしょ。バイザーを捨てる。天空からは雨雨雨。このタイヤ、凄くいい。魔法の日本製のタイヤ。よいしょ。ピットアウト。


『布袋さん。ポジションは』

『今、7位。後ろ、フェラーリ、マッサ。前、マクラーレン、アロンソ』

『トップは誰』

『レッドブル、ベッテル。哲夫君。シケインにオイル。気を付けて』

『了解』

雨だ、オイルだ。馬鹿野郎。でも、楽しいサンデードライブ。お袋がさっき、スタンドで笑ってたな。真佐子も。動体視力は100%です。間違えなく。よし、アロンソ。追いかけっこしようか。デグナーのアウトから、仕掛ける。アロンソのタイヤ。よく、滑ってる。乗りにくそうなマクラーレン。ブロック。アロンソも上手いな。皆、F1ドライバーだ。上手いに決まってる。次はイン。よっこらせ。アクセルを深く踏み、オーバーテーク。シケイン。ほんとだ、俺は一回転。やれやれ。オイルに乗っちゃった。やっぱり。布袋さんだ。

『大丈夫』

『もち、クルマは大丈夫』

『もち』

『thank you』

スタンドを見る。池内さんだ。やっぱり、きれいな人だ。横に座ってるスーツを着込んでる人、旦那さんかな。イケメンじゃん。正直、羨ましい。

『ポジション6。哲夫君。カーズも順調。エンジンに少し、ミスファイヤ』

『了解』

けっ。こんなときにミスファイヤかよ。天空の雨。地に落ちた雨。ドリンクのボタンを押す。俺の体、びしょびしょだ。俺の名は、笑えないF1ドライバー坂口哲夫です。いや、今日は笑うと決めたんだ。ごくり。ドリンクは美味い。この商売はほんとに喉がカラカラになる。アツい連中のカタマリインフォーミュラ1。確かに、タコメーター、少しだけ、回りが落ちた。こうなったら、カーズを上手く使おうか。雨でラッキーといえばラッキーだ。エンジン、冷える。ミラーにフェラーリ、マッサ。俺のスリップに付いた。やっぱ、抜かれた。でも、1コーナー勝負。アウトとインが逆になり、マッサをとらえた。よっしゃ。初恋の千恵ちゃんのことを思い出した。何故だ。こんな時に。あだ名は、じゃりんこ、だった。さて、お次は、誰だ。

『哲夫君。トップ二台が、シケインでクラッシュ。ベッテルとウェバー。レッドブル同士がからんだ。セイフティカーは、出ない。冷静に行ってくれ』

『了解』

饅頭怖い。クラッシュ怖い。冷静にエンジョイしますか。タルキーニ。TETSUOSAKAGUCHI、Japan。ポジション4。鈴鹿にて。もうすぐ、レースの半分消化。クルマも軽くなった。よいしょ。F1グランプリインジャパン2007。SUZUKA。ほんとだ。レッドブルのマシンが二台、粉々だ。もめるだろうな。ベッテルとウェバー。天空から大雨をいだいた、男達の悲劇。さてさて。


ホームストレートを行く。大雨降って、傘ささず。無線。えっ。どういうこと。布袋さんと違う声。

『哲夫』

『お前、誰だ。布袋さんはどうした』

『お前をこの世界で一番に憎んでいる男だ』

『どういうことだ』

逆ハン当てる。ヘアピン、滑る滑る。こいつ、誰だ。

『お前は、何を求めて走ってきたんだ。女か。金か。名誉か。地位か。答えろ。坂口哲夫』

『ただ、レースを愛しているだけだ。勝ちたい。F1が、俺のたったひとつの、夢なんだ。それだけだ』


『哲夫。私はレースの神だ。お前の死を望む。消えろ、ナルシスト』

『レースの神よ。お前には関係ない。俺は走る。トップでチェッカーを受ける。お前こそ失せろ』

『哲夫君。哲夫君。僕だ、布袋だ。ラップタイムが2秒も落ちた。クルマに何かトラブルか』

『いや、俺の不注意だ。不注意。俺は今日、勝ちに行く』


踏めないところも踏むしかない。大雨を授かったもので。おまけに神の声か。笑っちまう。シケイン通過。ピットとスタンドを見る。なんじゃそれ。池内さんが二人いた。けっバカバカしい俺。幻覚幻聴かよ。俺は病んでなんかない。行くぞ。踏む。カーズ全開。1コーナー。ライコネンのインを上手くさせた。これでP3。あと2台。挑める男。タルキーニの親父の笑顔を見たい。ジョバンニのことが頭に過ぎった。これはフォーミュラ1.遊びじゃない。無線。


『トップ、フェルナンドアロンソ。2位、ハミルトン。無理するなよ。哲夫君』

『無理しないと勝てないんだよ。マクラーレンには』

『事故るなよ』

『もち』


走る俺達。マクラーレンを抜きに行く。待ってろ、最速マシン達。タルキーニと俺の腕。どこまでも、果てしなく、行く。俺、詩人じゃないよ。ドライバーだ。F1ドライバーなもんで、俺。レースの神。ただ、俺は速く走りたいだけなんだ。踏んでいく。大雨注意。

『ハミルトンから、3、15遅れ。エンジン、テレメータリー、OK。問題なし』

『あいよ。俺、行くわ』

3、15か。まあ、マクラーレンったら、速いんだから。また、ヘアピン。俺は滑らない。三振しない。ハミルトンさんよ。さて、鈴鹿の伝言。日本人よ、勝ちにいけ。日本人よ、踏んでいけ。12345678。ギア順調。あっ、琢磨さんだ。悪いけど、周回遅れにさせてもらいます。一瞬、雨中の中で目が合った。琢磨さんは笑顔で俺に道を譲ってくれた。130R。全開。シケイン。何で、池内さんが二人もいるの。サイコロマートの謎。おふくろが俺を見ていた。親孝行。ピーコン。俺はここまで来た。夢を追って悔いなし。残り、18周。P3。行くべか。世界一、速い男、アロンソを追い抜くぞ。今日は勝てるぞ。よっしゃ。ハミルトンの背中が見えた。マクラーレン1、2か。このクルマ、無理しないと勝てないもので。雨のヘアピン、よっしゃ、130Rだ。アウトから、よし、ハミルトンを抜いたぞ。頑張れ、俺。頑張れ、坂口哲夫。あと、一人抜けば、リーダーだ。P1だ。たどり着いたら、いつも、土砂降り。ホームストレート。無線。

『哲夫君。P2。アロンソ、2秒ジャスト遅れ。冷静に』

『笑わせるんじゃないよ。了解。大事に行くわ。ありがとう、布袋さん』

1コーナー。おっと、回りそう。だけど、大丈夫。スタンドの日の丸。雨の中、俺を応援してくれる人がいる。俺は幸福者だ。あと一歩で勝てる。


フェルナンドアロンソ。世界最速の男だ。こいつを俺が抜くと俺が世界最速の男か。勘違いはよせ。ただ、前を走る奴を抜くだけ。雨のホームストレート。残り8周。プラットホームを見る。亜久里さんが、無線で何やら、話してる。スーパーアグリ。

『布袋さん。スーパーアグリ、どうかしたの』

『琢磨君が、シケインで、クラッシュ。冷静に。哲夫君、事故るなよ』

『了解』

また、クラッシュか。琢磨さんが。130R。べた踏み。87654321。シケイン、アロンソの背中を遂に確実に見た。無理しないと勝てない。抜いてやる。1コーナー勝負だ。行け、レインマン、俺。スリップに遂に付いた。行け。ぬ、抜けた。俺がトップだ。ア、アロンソを遂に。俺がF1のラップリーダー。

『哲夫君、グッドジョブ。あと7週、天気はこのまま。BOXなし』

『了解』

一瞬、過ぎる恐怖。ミハエルの言う通りだ。俺は誰かを愛さなければ。そうだろ。サーキットの神様よ。俺、約束を守るよ。F1で勝ってやる。日本グランプリ。最後尾。雨。残り6周。ホームストレートに池内さんが二人。きれいな人が二人もいる。幻。俺、俺、俺。もう少しで勝てる。調子に乗るな。クルマに乗れ。藤本さん、おふくろ、親父。タルキーニのおやっさん。ジョバンニ。俺には、譲れない夢がある。


『哲夫君、興奮しないで。アロンソ。スローダウン。大事に、ファイナルラップ』

『りょ、了解』

ヘアピン。喉からから。燃料。タイヤ。エンジン。メカニック。クルマ。ドライバー。全てのもので、俺達は走れる。こみあげる想い達。

130R。こなして、シケイン。琢磨さんが、手を振ってくれた。大事に行こうぜ。俺に、俺達に、遂にチェッカーフラッグ。勝った。俺達の勝利だ。ガッツポーズなんて、出来ない。涙が、こぼれ始めた。子供の頃の夢。ウイニングラン。


『勝ったぞ。哲夫君』

『勝ったぞ。俺。イチバンだ。タルキーニ万歳』


やった。勝利。ゆっくりゆっくりしよう。日本人。パルクフェルメにクルマを停めた。信じられない。藤本さんが泣いていた。


ステアリングを外す。ヘルメットを外す。カメラマンがわんさか。俺、写真、嫌いなんだよ。

布袋さんとがっちりと握手。ミハエルが笑っていた。そして、俺の頭を触ってくれた。

「テツオサン、これが勝ちよ。みんなの勝ちよ。ジャパニーズ、勝ちよ。ウィナーあるよ」

「ありがとう、シュー様」

「てっちゃん、おめでとう。ほんとにすごいよ。めちゃめちゃ、すごいよ」

「次は一緒に走ろうぜ」

「勿論」

藤本さんとも握手。友情。親孝行が遂にできた。そして、池内さんが二人、いた。何故。

「池内さん、誰ですか。お隣のそっくりさんは」

「はとこの理香子です。そっくりでしょう。おめでとうございます。店長」

「は、はとこ。それに俺、もう、店長じゃないよ」

「初めまして。池内のはとこの理香子です。あの、初対面で言うのも、あれですが、御一人様同士ですね。確か、私達」

「は、俺、彼女、いないよ」

「結婚してください。初対面ですみません。哲夫さん」

「は、はい」

お袋。笑ってくれた。満面の笑みだ。何度、俺、死にかけた。自分自身に問う。

「ジャパニーズ、テツオサカグチ、ポディウム。オメデトウ」

レースディレクター、チャーリーホワイティングも満面の笑み。

「サンキュー」


君が代。日の丸。イタリア国歌。そして、スタンドには、たくさんの応援団。P1。正直、照れる。2位のハミルトンが俺を見て、笑った。3位に繰り上がった、マッサが、ハグしてくれた。もう、酔っ払え。シャンペン。そして、ポディウムインタビュー。インタビュアーは、嬉しい。笑う、ミハエルシューマッハ。恩人だ。大歓声の鈴鹿のスタンド。

「スズカの皆さん、私がミハエルシューマッハです。ホンモノです。日本の友人から日本語、少し、勉強、しました。フェリッペ、ルイス、そして、テツオサン、オメデトウ」

「あ、ありがとう」

俺も、人を笑わせたくなった。

「日本人は日本語でいいですよね。俺、馬鹿なんで」

雨の中、スタンドから大爆笑という名の声援。

「テツオサン、今日の勝因、教えてください。バカじゃないですよ。凄いことあるよ。F1ウィナー。次のターゲットはチャンピオンですか」

また、大爆笑。ミハエルシューマッハはとても、良い人だ。ちょっと、俺も調子に乗ろう。

「そうですね。雨が僕、得意なんで、上手くアンダーカット、出来たのと、ラッキーに戦略がズバズバ、今日は当たりました。それから、皆さんのおかげです。タルキーニ、全員に感謝です」

「カッコいいですね。カッコツケスギよ。笑えますよ。テツオ。今、何がしたいですか」

また、大爆笑のスタンド。

「と、とりあえず、休みたいです」

「そりゃ、そうだ。フェラーリに来てくれますか」

「か、考えときます」

晴れた。タルキーニのモーターホームに、みんながいた。みんなが。テツオコール。フェラーリには行かないよ。俺、このチームでチャンプになりたいんだ。理香子さんが意味ありげに、笑顔で、言った。

「哲夫さん、新婚旅行は、次のブラジルでいいですよ。私をもらってくれますか」

「はい。明日、式、挙げますか」




結婚式。俺が。理香子さんとキスをした。


俺は、坂口哲夫。職業、F1ドライバー。俺は、幸福者。















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