8、悲劇
残酷なシーンと表現があります。ご留意ください。
「貴女って、どんな人だったの、ナスターシャ?」
とある日の話題にして、ふと聞いてみた。これは聞きたいでしょうよ。
「どんなって、見ての通りよ」
「見た目じゃないわよ、何をした人だったのってことよ。王妃だったんでしょう? 二代前って言ってたわよね?」
「そうね、私の夫の子が今の王よ。貴女の言うアンドリュー様は、孫になるわね」
夫の子、なのでナスターシャの子ではない。そこまでは聞いてた。それが、その……
「なんていうか、その。どうして……」
幽霊になって放っておかれているのかって話よ。ないことにされているし、事件の香りがするじゃない。
「面白い話じゃないわよ」
「でも聞きたいわ。差し支えなければ、だけど」
そうねえ、と言ってナスターシャは遠くを見る。記憶を探る邪魔にならないよう、私はそっとグラスにワインを足した。
「私は北の国で生まれたわ。第三王女として。
年頃を迎えて、友好のためにこの国に嫁がされたの。この国の王は暴君で、周りからは恐れられていたのよ。
国のためにと両親は涙ながらに見送っていたけれど、実は初めのうちは、別段困ったことはなかった。
自分の国より気候は穏やかだし、周りの人も親切だったわ。ただ、夫になった人は確かに気性が荒かったわね。突然爆発して怒りを巻き散らし、周りの人をビクつかせるのよ。でも、毎日というわけでもなかったから、我慢はできた。
できるだけ宥めて話を聞いてあげていたの。そうすると落ち着いていって、普段のあの人に戻るのよ。
私はそのうち懐妊した。
国はお祝いムードでとても祝福されて、私は嬉しかった。夫も喜んでくれたわ。とても。
でも、生まれてきたのは女の子だった。
出産は大変だったけど、初めての子を胸に抱いた感動はもう……素晴らしいものだったわ。夫も生まれたての娘を大喜びで抱っこしにきたの。なんて幸せなんだろうと思ったわ。
その次の日に怒鳴りこんできたけどね。「女を産むとは何事だ!」って。
そう、夫がよ。そんなもんだったの。その時によって言っていることが違う、そんな人だった。気分の問題なのよ。困ったものね。
跡取りを期待されながら、私は子育てに励んだ。機嫌よく遊んでくれる時の夫にだけ娘を会わせたりと、気を遣ってね。
そして二人目を妊娠した。その辺りから、夫の周りに別の女が侍るようになっていたの。
寵姫ね。私が妊娠中は夫の相手はできないものだから。
それに、その時は難産で。医者からは安静を勧められていたし、言われなくても全く動けない状態だったわ。死にそうだったの。
夫はたまにやってきて「次は世継ぎを産めよ」と言って去るだけになっていたのが、むしろ助かったわね。
命がけの大仕事に何とか挑み……母子共に命があった状態で、私は二回目の出産を終えたの。
そりゃあ大変なはずね。生まれたのは男の子だった。待望の世継ぎってやつよ。相当に体力をもっていかれたわ。
だから、回復にとても時間がかかった。産後の肥立ちが悪くて長い事寝込んでね。子供にお乳もあげられなかった。
やっとのことで起き上がれた頃にはね、愛人の女がまるで本物の母親ですといわんばかりに、私の子供を抱いていたのよ。
私は泣いて抗議したけど、体力も落ちて、体調不良も続く状態では相手にされなかった。お前じゃ強い男に育てられない、この子は私が直々に教育する、と、夫は息子を取り上げたまま返してくれなかった。
別にいいのよそれは。そこには反対していない。でも何故そのパートナーが私ではないの?
私があげるわけではないお乳を搾っている間、ずっと泣いていた。
息子が愛人の方を母と呼んだ、と聞いた時は気も狂いそうだった。
この辺りから、私はどうしようもなく心の均衡を崩してしまった。
毎日を絶望して暮らしていたのよ。
今では考えられないでしょ? でしょう? フフ。
息子を取り上げられたまま、合わせてくれない日々が続いた。
まあ、女の陰謀でしょうね。
愛人じゃなく、王妃の座が欲しかったのね、きっと。夫はどうでもいいって感じだった。息子を育ててくれる女は、妻であってもなくても、どっちでも。大切なのは息子だけなので。
抵抗なんて出来るものではないわ。相手は暴君よ。私の仕事は国を回すことで壊すことではないし。立派に育ってくれればそれでと毎日お祈りする他ないのよ。
でもね、公務に出席した時……息子が三歳になったからと同じ所に出席して久しぶりに会えたのだけれど……
あの子はね……夫そっくりに育っていたの。
三歳で癇癪持ち、手が付けられないほど暴れてね、それが私が母親だからって相手をしろと渡したっきりで。といったって、息子だって馴染みのない私に懐くはずもないし大人しくならなくて。その時ね、もう愛人はほとんどこの子を見ていないと知ったの。召使が全部傅き、そして怒りを被っていたのね。
たった一日のことだけど、私はへとへとになったし、悲しみも深まったわ。
手本が悪いし、放っておかれているのもわかる。今ならまだ間にあうかもと思ったけれど、私の元には戻してくれなかった。
悲しみ押し隠して、私はずっと娘を教育したわ。……ええ、娘は私の元にずっといたもの。彼女を立派なレディにすることを、心の拠り所にしていたの。娘は何も言わず、立派に大きくなっていってくれた。とってもいい子よ。息子の代わりだとは思って欲しくなかったけれど、感じるものはあったかしら。どうか幸せでいて欲しいわ……
えっ、娘?
早いうちに他所の国に嫁に出したのよ。十三の時にね。夫はもう娘に興味を失くしていたから……
その前にええと、あれは娘が十一の時、下の子は七つだった。
私の妊娠が発覚したの。三人目の子よ。
そしてね。愛人の妊娠も発覚した。
あの頃……下の子がよく私の所へ遊びに来てたわ。愛人が大変になったから、放出されたんでしょうね。癇癪癖はあったけど、私によく甘えても来ていた。
………………。
簡潔に言うわ。ダメだったの。赤ちゃん。事故でね。
階段から……突き飛ばされて……私は下まで転げ落ちたの。その時にお空に帰っちゃった。
………………。
いや、いいのよ。犯人はどうでも。後ろからだし、私は見てないわ。
ただ、愛人が産んだ子はね、男の子だった。
夫は早速赤ん坊を抱き上げて、お前が継ぎの王だ、と言ったらしいわ。
その頃、私は布団の中で動けなかったけれど。心身ともにもう……限界でね。
子供も産めない女は妃失格だと場所を追いやられて。
まるで呼ばれるようにここに来て、自分の至らなさを懺悔して、主よどうぞ私を御許にお寄せくださいと祈って、飛び降りたの。
上の子、娘は手筈を半ば整えていたからそのまま国外にやって……本当は息子も一緒にいかせたかったんだけど……やっぱり難しかったみたい。夫の手元に置いておかれてたけど、九つの時に亡くなったの。熱病を患ってね。
そして愛人は後妻となり、この国は愛人の子が継いだ。
そんな話」
言い終えたナスターシャは私を見て笑い声をあげた。
「何でそっちが泣いてるのよ!」
だって、と言ったつもりだったけど鼻水ずびずびで言葉にならない。
「いや、泣くわよおコレぇ~!」
当然のような事を言いつつ、本人を差し置いてオイオイと泣いてしまった。申し訳ない。気丈なナスターシャが身投げするほど追い込まれたんだ。どんなに苦しかったことか。
「そうなんだけれど、実際は天には昇れていないしね。散々ね。やっぱり修業が足りないということかしら。御許で修業をつけてくださいって言いそびれたのが原因かしら。かなりマヌケな話だから、むしろ笑ってくれていいのよ? しかもそのあと60年は生きたら、まあ、落ち着き取り戻してしまってね」
幽霊の状態を「生きたら」なんて言えるくらいには図太くなれるのね、なんてまた笑ってみせる彼女が、もういじらしくて。でもやっぱり、いつもの頼もしい彼女で。
「ナスターシャぁー! もうこの子はー! ハグさせてー!」
抱きしめたくなった。力強く。
でもね、ナスターシャは幽霊だから。ハグは出来ない。涙でべんべろな私に抱き着かれても困るだけだろうけどね。
肩と思しき辺りに手を置いてエアで優しく叩く。
「私はね、私はもうずっとナスターシャの味方だからね!」
「ふふ、ありがとう。大丈夫よ、今は政権争いなんかしてないわ。むしろ貴女が頑張らなきゃね」
私も貴女の味方よ、メアリーアン。
そう言われて、有難さにまた泣いた。私の味方は貴重だし、ナスターシャが居れば百人力だしね。
「応援はするけど、メアリーアン。貴女ちょっとここに来すぎじゃないの? いつもパーティ放り出して、大丈夫なの?」
「ああ……」
そうねぇ。きっとカタリナ嬢が我が物顔でのさばってるんでしょうね。
私が塔に入りびたり、ナスターシャとお喋りにいそしんでいる間、社交界は目に見えてゴタゴタしていった、と小耳には挟んでいた。
原因はもちろん、カタリナ・フーリー。彼女がじんわりと社交界に溶け込んでいくと共に、小競り合いが起こるようになったらしい。
いつもアンドリュー様のお傍に侍って……あっいや逆か……アンドリュー様がカタリナ嬢に侍っているのだから、顔馴染みにはなってくる。
周りはそこそこ距離を置いていたけれど、やっぱり損得勘定が絡むと行動する者は出てくるのよ。何しろ、アンドリュー様のお気に入りであるなら売り込みに行くのも悪くはない。欲ある貴族は次々にカタリナ嬢にご挨拶に出向いていった。
けど……彼女は誰に対しても、アンドリュー様でもその他の人でも分け隔てなく自分のキャラを貫いていたので、全員から歓迎されていたとは言えない状態だった。
つまり、不思議ちゃんだったのだ。本当に強いわね。
「アンドリュー様の守護天使様は私の天使様と仲がいいの、とても引き合う気持ちを感じるわ」
なども宣っていたなんて聞いていたので、まあ媚びたお芝居が上手いのねと始めは思っていたけれど、違うわね。ド天然ね。彼女は自分の不思議な力を、心から信じているんだわ。
そんなこんなで連日の夜会はどうも、微妙な緊張感に包まれている……らしい。このコアなノリに、ついていけるかどうかで。
「私もそのアンドリュー皇太子殿下のご尊顔、見に行こうかしら。稀代のお人好しとやらのね」
「あら、いいじゃない。行きましょうよ。言いにくいことだったけれど、私にはここは寒すぎるのよ、ちょっと」
ワインが無くなったのも言い訳にして、私たちは立ち上がった。酔いは回っていないけれど、足元には気をつけないと。
塔を出る前、背後を付いてきているナスターシャが何か呟いた気がした。
「え、なぁに?」
横を向いていた彼女はまた何か付け加えた。
「寂しかったに違いないのよ」
痛みを堪えるような横顔をじっと眺めていると、ナスターシャはやっとこちらを見て、明るく笑った。
「バカねぇ。そうはならなかったのにね」
それでもう、話は終わり。「さ、行きましょ」と私を追い抜いてさっさと塔を出て行った。
ナスターシャはもう視界から消えていったというのに、私は探るような目つきをやめることはできなかった。聞きとれた言葉は、こうだった気がする。
『これでまた遊んでくれる、って、聞いたの、あの子。……私が子供を流した時に』
どういう意味なのか、誰がどう言ったのか、なんとなく気にはなったがあの様子じゃナスターシャは答えてくれそうになかったし……何より、理解できたらとんでもなく恐ろしいことになりそうな……パンドラの箱を開けるような……そんな嫌な予感がしたので、聞かなかった事にした。
私は急いでナスターシャの後を追う。
そっと滑り込んだ宮廷は、まだ大勢の人で賑わっていた。みんながホールの中心に注目している。私が出たのも戻ったのも、まるで頓着ないようだ。
なんだかいつもの夜会と様子が違う。何だろう。
妙な空気をナスターシャも察知したのか、私を振り返り、目線で疑問を投げかけてきた。そういえば、音楽も止まっているわ。私たちはホールの入り口から、そっと中を覗き込んだ。
……いやあ。今思っても、あれはないわ。あんまりだった。
その時、国を揺るがすほどのとんでもない事件が起こっていたところだったのよ。我が国が誇るドラ息子様から、ね。