7、今はこうして会ってしまったから
「カタリナ・フーリーを城に迎え入れようと思う」
「アホですか??」
私はアンドリュー様の婚約者だ。未発表、されど公認。
きっぱりと妻にすると宣言したわけでもなく、かといって別れて城下がりを命じるでもない、宙ぶらりんの状態ではあるけど。私がいるだけで今すぐカタリナ嬢が妃と任命されるわけではないのだ。今のところは。
アンドリュー様の優柔不断がなぜる技だけど、それが逆にストッパーとなっている。
はずだったが。
「カタリナ・フーリーを城に迎え入れようと思う」
アンドリュー様はそう言った。そろそろこの曖昧な状況の均衡が崩れる頃らしい。
「アホですか??」
思わず素直すぎる感想が口からまろびでてきた。そしてやってくる無言の時間。
「あー……アっほーら、デスクにあったんじゃないですか? えっ何ってお手紙よお手紙、あら手紙の話はしてないんですの? そりゃ失礼」
誤魔化しきれていない言葉を力ずくで押し込む。
アンドリュー様はしばしクエスチョンマークを飛ばしていたが、聞き返すのも面倒だと思ったのか本題をぶり返してきた。
「うん、まあそんなわけだから、仲良くしてやってくれ」
はっはー、アッチにその気があったらねえ!
というセリフを飲み込み、好戦的な笑いだけは外に出してやった。殴るのは浮気した方、という認識を刷り込まれてからこっち、アンドリュー様に対しての感想に容赦がなくなってきている。自覚はある。
用事は済んだとばかりに部屋を出るアンドリュー様を追いかけ、私は声をかけた。
「お伺いいたしますけど、どんな理屈をつけまして?」
アンドリュー様は振り返り、驚いた顔を見せた。えっもしかして、私が反論するとは思わなかったのかしら。喜んでウンと言うはずだと思った?
それなら随分と舐められたものだと思うけれど、いやこれ、多分何も考えてないわね。それなら教えてやらずばならないわ。
「アンドリュー様には婚約者たる私がいますのよ。ついこの間ここに連れてこられた、うら若い、罪もない、何の力もないレディですの。アンドリュー様が居なければまさにそう、私はただの路傍の石も同然ですわ。その私を置いて、またすぐ『ただ気に入った女人がいたので侍らせました』では周囲に示しがつきませんし、私の存在意義も問われます」
苦いお薬を飲んだような顔をして、アンドリュー様は私の言葉を聞く。一応のこと、悪いとは思ってるのかしら。
「それなのに、あえて入れるとすればどうなさるおつもりです? やり方が悪ければ、私などもうアンドリュー様に見向きもされていない捨てられ女の出し殻だと思われてしまいますが、それでも良いと仰いますの?」
「そんなことないよ……」
「そんなことないっていうのはですね、私をきっかり結婚相手であると宣言した後に出来る芸当なんですのよ? まあ嬉しい、そのおつもりなんですのね?」
「メアリーアン……」
「デレシア様もお喜びでしょうね」
薬を通り越して苦虫を噛み潰した顔になる。アンドリュー様的には、親を出されると辛かろう。ママンに逆らってエルシー嬢を追い出し、自分で宣言して連れてきちゃった女ですものね。皇后陛下がこんなところで後ろ盾になってくれるなんて、私もびっくりだわ。
「私たちの仲いい友達なので呼び寄せた、そんな純粋な気持ちだ。悪くはないはずだ。だからメアリーアン、君のおつきの侍女として彼女を……」
「冗談でしょう??」
誰が信じるというのそんな戯言。聞いた者の三割は噴き出すわ、絶対よ。
「私たちと言いまして? 私と彼女が仲良かったことなどありました? だいたい……そう、あっちが私を嫌っているのよ、どちらかっていうとね!」
「あまり顔は合わさなくていいからさメアリーアン」
執り成してはくるが、声はごにょごにょと力ない。
そこに呼びかける声が割り込んできた。
「アンドリュー様」
とたんにアンドリュー様は元気に顔を上げる。声の主を見分けて、嬉しそうに。
「カタリナ!」
それから私を思い出し、コッソリと囁いてきた。
「な、よろしく頼むよメアリーアン」
これで話が通ったと思える能天気なアンドリュー様は、ホクホク顔でカタリナ嬢に寄り添いに行った。
「かねてより話をしていた件だが、カタリナ」
「はい。一緒に暮らせるというお話ですか?」
「そう、。早速城においで。メアリーアンおつきの侍女として迎え入れることにするから……」
カタリナ嬢の笑顔がスッと引いた。
「私を? その方の、侍女に?」
いいわね貴女は正直に表情出せて。怖いものナシだこと。
私は作った顔で、ハーイ、と手を振ってみせる。ニッコリとね。呑気なアンドリュー様はニコニコと続きを喋る。
「侍女といっても、特に何もすることはないよ、心配しなくていい」
「心配します。この方は私をよく思っていないもの。きっと無理な仕事をいいつけるにきまってるわ」
まー、そこまで性悪じゃなくてよ私。貴女の顔も見たくないもん。
「何もしないわよぉ、本当に」
と、私もアンドリュー様援護のため、正直な気持ちを言ってみる。我ながら出来た婚約者だこと。顔は悪い笑顔にしてやったけどね。当然、カタリナ嬢はウラがあると踏んだようだ。
「嫌ですわアンドリュー様、私、怖い。どんなことをされるか分からないわ」
「あらいやだ。私がどんなことをするとお思いなのかしらぁ? 大声で怒鳴る? 鞭で打つ? それとも毒でも盛る? 想像力豊かでらっしゃるのね。私がそんなことをすると、言いがかりをつけるおつもりなの?」
ゆったりと扇を振るい、私は朗らかに声をあげる。メアリーアン、と窘める声がアンドリュー様から上がったが、構うものですか。この女の難癖、見てもらおうじゃないの。
大広間は近い。今日も客入りは盛況。もう幾人かが私たちの会話に聞き耳を立てている。
が、ここでカタリナ嬢は臆するでもなく、真っ直ぐ私を見た。そして曇りなき眼でキッパリとこう言い切った。
「オーラを奪われるわ」
「………………はい?」
ちょっと想定外の語彙チョイスだった。反論以前に、私は意味が呑み込めていない。
「貴女のオーラは怖い。私を傷つけようとする悪意に満ちている。心が邪悪に染まる人は、正しい人の精気を吸い、毒を流してくるの」
「なんっだそれ」
思わず取り繕い忘れた言葉が低音で零れ落ちた。が、それ以外感想が出なかった。
分かったような、分からないような。思い切りケムに撒かれている……と、私は思うのだが。何故かアンドリュー様はうんうんと頷き、深刻な顔して腕を組んでいる。えっなにまさか、今の話理解できたの? 「お前のことが気に入らない」を天から目線で言い換えただけでしょう? さすがにディスられていることくらい私にも分かるけど。
これを二対一と取った彼女は、キッと顔を上げた。
「もっと正しい心を持ってもらわないと、貴女とは一緒にいられない。あなたの毒気に精気を奪われてしまうもの。貴方はエナジーバンパイアなのよ」
「はあぁぁぁ!?」
「いや待って待ってメアリーアン」
ヒートアップした私を止めにアンドリュー様が割って入る。拳握っちゃったものね。まあそりゃ止めるわ。それ以前にこの妄言を止めさせたらどう、とは思うけれど。
「わかったじゃあ母君の侍女ということで入ってもらうから」
結論としては変わらないのか、往生際が悪い。デレシア様の方が私の何倍も当たりがキツいと思うんだけど、それはいいのかしら。
呆れて物も言えなくなった私を落ち着いたものだと思ったのか、アンドリュー様は胸をなでおろし、優しい素振りをしてアフターケアまで提案しはじめた。
「アイリスの間が空いていたから、カタリナにはあそこに入ってもらおう、な。そこならほどよく遠いだろ? あまり合わずに済むし」
私は今度こそ驚いて、アンドリュー様の顔をまじまじと見てしまった。
「アイリスの間?」
あそこに新しい愛人を……カタリナ・フーリーを入れるですって? レディ・エルシーが使っていたあの部屋に?
「それで……それでいいんですの? 何を言っているか、わかっておいでですの?」
何故私の方がショックを受けているんだろうか。血の気が引いて頬が冷たい。
どうして憤っているのか心底わからないという顔のアンドリュー様から、私は背を向けた。
アンドリュー様、愚かな私はまだ貴方が好きだけど、それにしても貴方って本当に節操ないのね。
最近、本当に自信がないのよ。これから先、貴方とやっていけるのかの。
「そりゃあそれだけデリカシーに欠けていれば、いつか自分も同じような目に会わされるでしょうからね。しかもやった方は無自覚で悪気はないわ。最悪じゃない」
ワインをお供えに人生相談。ショックが大きくてついまた塔に来てしまった。もやもやした気分を言語化してもらうというのは、考え事の整理になっていい。自分の気づかない事も教えてもらえるし。ズバッと斬られすぎてたまに痛いけどね。
ナスターシャの言葉に、私はどんよりとした顔を上げた。
「最悪かしら」
「だって、何がおかしいのかも分かっていないってことだからね。反省も望めないわ」
がっくし。また深く首が折れる。
「実際、あなたは靴を貰って、コートを奪われたんでしょう? 彼、だいぶ自他の区別がついてない、ヤバい奴よ」
「自分のバカさ加減は反省したけど、アンドリュー様までバカだったとはね……いや、ヤバいのは女の方よ、コートを堂々と持っていく際に自分のこと『可哀想だから優遇しろ』まで言い切った強者なんだから」
「そりゃあ強いわね!」
さすがのナスターシャも目を丸くした。あーあ。溜息出ちゃう。
「思えば、エルシー嬢にも悪い事をしたわ。あっちの言う事が正しかった。申し訳ない。今からでも謝るべきかしら」
「止めなさいよ。例えば貴女が城から追い出されたとして……ええと、カタリナ嬢が謝ってきたとしたら、貴女は喜ぶ?」
「……うーん……」
「でしょ。迷うくらいなら止めときなさい。あっちも同じ気持ちよ」
ナスターシャはやけにきっぱりと言い切る。
「そうかしら」
「そう。気にしてないと思うわよ、むしろ。皇后陛下のご推薦なんでしょう? なら、肝の据わったお嬢様に違いないわ。妃になることの何たるかをちゃんと理解して、引き際を見極めただけかもしれないわ。切られたのはどちらかしら。エルシー嬢かしら。王子かしら」
レディ・エルシー、確かにそうかもしれない。別れもすごくドライな感じの、しっかりしてそうな方だった。
控えて、私。
「私って……すごく平凡な女よね……」
皆、しっかりして、自分のやるべきことを分かっている感じがするわ。ナスターシャだってそう。私みたいに、誰かに翻弄されてフラフラとしてない気がする。溜息出ちゃう。
「ああ。調子に乗ってこんなところまで来なければよかったわ」
自分がイヤになってきて、思いっきりグラスを傾ける。私もそれなりに身分のある令嬢なのに、こんなところで手酌酒とは。
「だって、悪いけどねぇメアリーアン。あなた、恋愛をしてるんだもの」
「……えっ。何それどういう意味」
「そのまんまよ。よしんば王妃になれたとして、その後の仕事は国を回すことよ。決して仲睦まじく夫婦で暮らすことじゃないわ」
えぇ……
いや、わかるわ、わかるのよ私にも。それはそうだって。でも、夫婦仲良く暮らすのをどうでもいいって言われると、違うんじゃないかと思うんだけど……
「仲良くしとくのはね、仕事を円滑に進めるために推奨される状態なのよ。結婚もね。家庭を作って子供を産んで家計を整えてって、一大プロジェクトなわけ。そこで夫婦仲がよければうまく助け合いながらやってける、それだけの話よ。仲が悪ければ相手を労われない。そうすると疲弊が早くなるだけでね。特に王と王妃になるっていうなら、プロジェクトは大きくなるから責任は重大だし、失敗は出来ないわ。たとえ仲が悪くても上手く続けなければならないの。エルシー嬢にはきっとその意識があった。貴女は恋愛ありきでしょう?」
鋭すぎる指摘が胸に刺さる。ぐうの音も出ない。
「それならむしろ、ブレないカタリナ嬢の方が強いわよね。可哀想と自称するほど自身のプライドに頓着ないんでしょう? 無敵じゃない。目先の欲求を遂げようとする力では適わないんじゃないかしら……?」
そこまで言ったナスターシャは、すっかり大人しくなってしまった私に気を使って言葉を切った。執り成すように声を丸めて。
「人を愛そうと思ってそれが出来るのなら理想的よ。やってみせて頂戴、メアリーアン。私にはできなかったことだわ」
「そうなの?」
「頑張ったんだけどね、ダメだった。偉業よ、成し遂げてみせて。誰かを愛して幸せになって、そして私に世の中捨てたもんじゃないって思わせてよ」
アンドリュー様と、と言わないところがナスターシャらしい。つまり、難しいってことね。了解したわ。
私は涙をこらえながら、グラスの端をはしたなく齧っていた。
ナスターシャの前だと、こんな拗ねた子供みたいな行動しても怒られないから、いい。
じっくりと自分のつまらなさを噛みしめた後、挑む恋愛という壁を想って、私はぽつぽつと語り始めた。
「……私の母は、ね、とても愛らしい女性だったの。そう思うわ。男性から見ての愛らしさを身に着けた、愛されるタイプの令嬢だったの」
恋愛至上主義になった言い訳、ではないけれど……いや、言い訳ね。完全に言い訳だわ。ナスターシャに言い訳展開しても仕方ないけど、でも言いたくなったの。
「私の母は素直さが美点で、父や、兄や、ともかく目上の方、男性の方を立てて生きてきたわ。自分の意見など何もない。父や兄や、男の人の言う事を聞いていれば間違いないって、私にも何度も言い聞かせてきたの」
「ええ」
「母の姉は気が強くって、早くに家を飛び出していったらしいわ。自分の意見を言って、親と気が合わなくて。自由はあるだろうけど苦労したろうに、お姉さまは可哀想だった、と母は常々言っていた。私は親に従って生きてきたので、何一つ困らず生きてこれたのよ、と」
「それも処世術ね。間違ってないわ。出来る人にならね」
「わからないわ」
お母様には出来た。自分には出来るかどうかわからない。無心に付き従うには、ちょっと私も自我がありすぎるんじゃないかしら、と疑っているの。
「ただ、恋愛はするものだという夢は持ってしまった。家庭を割り切って運営するより、男の人に愛されて守られてという結婚に。出来るかしら。お母様はそれが女の幸せよって言うけれど、その気持ちは絶対的に善意で言っていると思うんだけど」
「才能があればね。まあ、それが出来ない人のことは理解できないわよね」
そうね、そうだと思う。昔、私がお父様に叱られた時に膨れていたら、お母様は何故そこで反抗するのかと心底不思議そうな顔をしていたわ。
反抗じゃないのよ、お母様。私はお父様に、私のことをわかって欲しかったの。それで意地を張ったのよ。
「アンドリュー様に愛されたと思った時、私は嬉しかったの。私もアンドリュー様を愛した、だから好き合った二人は完全無欠の愛情を手に入れたと思ったわ。もう壊れることなく、永遠なんだろうって。……まさか、アンドリュー様が誰彼構わずか弱い女性となれば庇いたくなるフェチの持ち主だったなんて、思わなかった」
ふふ、とナスターシャが笑う。私もつられてフフフと笑ってしまった。笑うしかないわねこんなの、もう。
「あなたの好みの人って、どんなタイプなのメアリーアン?」
そう問われて、じっくり考えてみる。無為についていくだけっていうのが難しいとしても、別に自分がイニシアティブを取りたいわけじゃないのよ。
二人で歩きたい。いっぱいお話をして、知り合って。
そこで、ふと気が付いてこう言った。正直に。
「貴女が男性だったら良かったわ、ナスターシャ。ええもう、間違いなく愛の告白をしていたわ」
今はこうして会ってしまったから、何よりも大事なお友達だけど。
「ああら。ありがとう」
コロコロとナスターシャが笑う。
「私にまた王妃のチャンスが来るかしら!?」
「いいえ。王様をやってよ、ナスターシャ。私より頼りがいがあるわ」
二人で声を上げて笑い、ワインを注ぎ直して、ナスターシャの新王国に乾杯をした。
しょっぱかったワインが、その一杯はとても美味しく感じられたのよ。




