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5、廃塔の幽霊

 決定的な事件はほどなくやってきた。

 その日はみぞれ交じりの雪が降る空模様でとても寒い時の夜会となったの。しばらく見なかったカタリナ・フーリーがお目見えしてた。

 お体はいいのかしら、レディ・カタリナ? 久しぶりのパーティ、楽しい?

 あなたが一か月ほど引き籠っていたその間、せっせとそちらに通っておいでのアンドリュー様からあなたのお話は彼からたっぷり伺ったわ。

 私と違って、蜂蜜入りの紅茶くらいしか口にできないほどだったとかね。どうも殿方はそういうエピソードに惹かれるみたいで、よくないわね。

 もう彼女の話は聞きたくなかったからいっそ目の前に現れてくれたらと思っていたけれど、実際に現れてみれば憎らしいだけだった。そんな自分の心の狭さに腹が立つ。

 彼女の顔を眺めていれば、言いたい文句が口の中に押しとどめられ、自分の頭の中に溜まっていく。内圧で頬すら膨らみそうだわ。

 カタリナ嬢がこちらを向く。

 チラリと流し見た目線は一瞬だけ交錯し、そのままフイと逸らされる。

 んまあ見事なスルー。でも、私も上手く睨めたからおあいこですわね。

 楽しそうに話すカタリナ嬢はとても元気そう。親切にもアンドリュー様が手を引いておいでですものね。そりゃ元気にもなるでしょう。

「あれって放置しておいていいんですの?」

 密やかに聞いてくる人も出てくる。そうね、周りの目もあるし、そろそろ引きはがさないとね。ほらちょうど音楽も鳴り始めた。

「アンドリュー様、そろそろダンスが始まりましてよ」

 手をさしのべ、そう得意げに誘いかける。何しろ、ダンスは私の領分だ。

「あ、ああ……」

 アンドリュー様は私の手を取った。そうでしょう? ここで断るわけにはいかないわよね。私が婚約者なのだから。

 カタリナ嬢は悔しそうに引き下がる。あら、いいわねその顔。あなた、運動は苦手でらっしゃるものね。いい気味。

 水を得た魚のように、私はアンドリュー様を引っ張ってフロアの真ん中に飛び込んだ。

 ちょっとアンドリュー様、もう少し身を入れて動いてくださいませ。足踏んじゃうでしょー、全く。

「あの方、私に挨拶もなしですのね」

「……レディ・カタリナのこと?」

 躊躇うように確認してくる。そこはわかるのね、結構。

「城にきて親し気にアンドリュー様のお傍に侍るのも問題ですけれど、私に義理を通さないのもどうかと思いますわ。婚約者ですのよ、私」

「緊張してるんだよ、慣れてなくて。そう言わないで、メアリーアン」

 相変わらずお優しいこと!

 気もそぞろなアンドリュー様をこれでもかと振り回し、さらに散々目立てて満足した私は、一曲終わったところで手を離してやった。

 いい、私じゃないところを見ているから足も踏まれるんですのよ。覚えておいてね。

 ダンスの喝采を頂きながら取り巻きの女の子たちに礼を返し、ようやく息を整えたところで、目を離していたアンドリュー様を探してみる。ああ、いたわ。あちらの壁際で、壁の花をしてらしたカタリナ嬢とお話してらっしゃる。カタリナ嬢は首を横に振り、ご機嫌がよろしくない様子。

 やがてアンドリュー様が彼女から離れていったので、気になった私は逆に近づいてみた。

 今、カタリナ嬢はホールに背を向けてじっと動かずにいる。

「どうしましたの、レディ・カタリナ。また具合でもお悪い?」

 彼女はチラリとだけこちらを見て、あとはまた俯き気味にむこうを向いた。

「ええ。悪いけれど帰らせていただきます」

「そう」

 いい心がけね、と扇の内側でほくそ笑む。

「体が弱いと大変ねぇ、帰ってゆっくり休んでらして」

 消えるとなると急に鷹揚な気分になって、私はニコニコと頷いてみせた。しかし、彼女は予想の斜め上の秘密を吐露し始めた。

「私、人の邪心には敏感なんです」

「え?」

「だから、こんなパーティみたいな人が多い時は、雑多な人の欲望に当てられて酔ってしまうんです」

「……」

「今日も感じるんです。剥き出しの悪意が。誰かを疎む気持ち。排他的な心。見栄や欲望のオーラ。それらが私を刺すんです」

「……」

「私は敏感だから……」

 言いながら腕を摩る、レディ・カタリナをただ、ぽかんとした顔で眺めるしかできなかった。

 なんです? これ、私への当てこすりかしら??

「おまたせカタリナ」

 アンドリュー様が現れた。私の顔を見て一瞬だけ足を止めたが、改めて近寄り、手にしたコートを彼女の肩にかけた。

「さあ、行こう。私が送っていくよ」

「いや、ちょっと待って!」

 いや、ちょっと待って、送っていくって何よ。

 そっちもツッコミたかったが、それよりも先に声を掛けた最大の理由がある。

「それ私の外套なんですけど!」

 そう、アンドリュー様が持っていらしたのは私のケープコートだった。朱色のパッと映える、金のリボンがついたお気に入り。この間、買ったばっかりの!

 思わず裾を掴んで取り返そうとしたら、カタリナ嬢が強盗にでも襲われたかのような悲鳴を上げた。

「ああ……アンドリュー様……」

 声だけはか弱く押し出してみせた女にコロッと騙され、アンドリュー様はキッと私に向き直った。

「やめるんだ、メアリーアン。暴力は良くない!」

 怯えて見せる女を庇って、アンドリュー様がコートごと彼女を抱える。なにそれ。何で私が悪いみたいなの?

「だって、これは私のよ!? 私の外套なのに!?」

「今日はみぞれだったろう? 可哀想に、彼女は外套を濡らしてしまったんだ。そんなもの着たら、病み上がりの彼女がまた風邪をひいてしまう。いいじゃないかメアリーアン、後で私が新しい外套を買ってあげるから」

 そういう問題ではない。そうじゃない。これは私のもので、そしてお気に入りなんだ。どうして他の女にくれてやらなきゃならないんだ。そしてよりによってこの女なんだ。

 いやだ、絶対イヤ。新しいコート買ってやんなさいよ、その女に。

「嫌です。私のです」

 言いたいことの九割を飲み込んで簡潔に訴えた。でないと大爆発してしまいそうだ。ぐいぐいと引っ張ってみるが、縮こまっているフリして女もなかなかガッツリ握って離しゃしない。図々しい。

「やめなさいメアリーアン、彼女が苦しんでいる。言っただろう、彼女は天使が見えるほどに無垢なんだ。常人よりはるかに悪しき力に弱い。天使の心を傷つけるな」

「本気?」

 今までも話半分に聞いていたけれど、ここで大真面目に主張されると「本気?」としか言えない。悪しき力って何よ、こっちが悪いってこと? この出来事を、心が綺麗だから許せなんて言っちゃうの? そういう問題?

「そうよ、私は可哀想なのよ!」

「本気!?」

 堂々とした本人の主張にも目を剥いてしまった。可哀想だからで我儘を通そうとする、その根性に驚いた。

 アンドリュー様は驚かなかったのか、冷静に私を諭そうとしている。

「困った時はお互い様だろう。君だって靴を濡らしてエルシーに代りの物を貰ったはずだ。そうだろう?」

「なんですって」

 思いがけない名前を出され、狼狽えた私は手を離してしまった。この隙逃さず、カタリナ嬢がコートもろとも外へ駆け出す。

「まさか……あの時の靴は」

「ちょうど彼女が買ったばかりの靴を馬車に積んでいて助かけてもらったじゃないか」

「そんな……そんなの私、聞いていなかった」

「大丈夫、彼女にもちゃんと私が新しい靴を買ってあげたから」

 だから、とアンドリュー様は私の肩に手を置いた。

「感謝の気持ちを忘れてはいけないよ。カタリナのように美しい心をお持ち」

 言うと、急いでカタリナ嬢の後を追いかけていった。アンドリュー様。ああ。アンドリュー様。

 なんて人なの、あなた。あの時。エルシー嬢が怒っていたのは、じゃあ。

 そういうことだったの? 気が付かなかった私も呑気すぎたけど。

 しかし……と、私は顔を上げる。ショックはまだ引きずっているけれど、とりあえずはコートを追って私もホールを駆け抜けた。あの人に持っていかれるくらいならズタズタに引き裂いて、破棄した方がマシだわ!

「返して! 返しなさい!」

 馬車に乗り込むところだったカタリナ嬢の足元に駆け寄る。やっと掴んだ外套の裾を必死で引き寄せた。

「嫌だ、何……アンドリュー様!」

 助けを求められ、揉みあう私たちの間にアンドリュー様がツッ込んでくる。

「やめるんだメアリーアン!」

 三人で団子になってしばらく固まっていたが

「ぎゃっ!?」

 というヒロインらしからぬ悲鳴を上げて、私は後方に吹っ飛んだ。

 ぬかるみに手を付き、ハッと顔を上げる。馬車に座る女の靴が、サッとスカートの中に隠れていく瞬間を目撃できた。

 このアマ、蹴った!? 蹴り入れた??

 遅れてやってきた腹部の痛みに私は呻いて身を丸めた。

 一瞬、驚いたような顔をみせたアンドリュー様だったが、カタリナ嬢の「天罰よ」という声に納得したようだった。

「そうだぞ。自分さえいいという気持ちを持つからいけない。反省するんだよメアリーアン」

 足でも滑らして勝手に転んだと思ってる? 視界の下でこっそり繰り出された攻撃、見えてなかったのはわかるけど。

 あんまりな言葉を私に吐いて、お人好しなアンドリュー様は女と同じ馬車に乗り込んだ。車を出すよう告げる声がする。

「私、この色はあまり好みではないわ、アンドリュー様」

「ああ、好きな色を言うといいよ。今度カタリナにも買ってあげよう」

 カラカラと馬車は行き、私はその場に取り残された。

 冷たい地面からのろのろと腰を上げて振り向くと、入り口にはぎっしりと立ち見の男女。……当然なんだろうけれど、見られたと思ったら血の気が引いた。それから怒りがぶり返す。

 着飾った格好して覗きだなんていい趣味だわね!

 燃えよとばかりに睨み付けてやったら、みんなそそくさと逃げていった……私に、必死にゴマを擦っていた人もよ。そいつらが去り際に呟いた。呟きだけど、静かな空気にしっかりと聞こえてしまった。

「思ったより消えるの早そうね」

 聞こえてきたその言葉に、再び頭が冷えた。

 これぞ冷や水ぶっかけられた気持ちよ。血圧の乱高下に目の前の景色さえ不確かに思える。

 それは今見られていたシーンが、皆にどのように見えていたのか、あまりにも正直に教えてくれている言葉だった。

 アンドリュー様に引っ張って来られた私は、アンドリュー様の後ろ盾がなければ無価値な女なんだわ。皆にとっては、少なくとも。

 最後まで残ってゆったりと引き上げていったのは、ずっと私に嫌味を言っていたエルシー派の一人だ。むしろ、そっちの方が、不憫なものを見るような微苦笑を宿していた。

 誰もいなくなった夜闇の下に、私は立ち尽くした。

 ホールに戻る気は起らない。私を指さし笑うチャンスを、誰にも与えたくはない。

 建物の入口を逸れ、外周を走る。逃げるんじゃない、静かなところに行きたいんだ。明かりもなく、影濃い闇の中。昼なら庭園に続く道。

 私は泣いた。こんなところに誰もいないと知って、初めて泣いた。泣きながら走り、息が上がったのか嗚咽の呼吸からか分からないが、苦しくなって足を止めた。

 私の前に扉がある。古びた、黒ずんだ木製の扉だ。石壁に埋まってひっそりと隠れている。

 上を見上げると、それは塔のようだった。うら寂れた雰囲気は、現役で使用されているようには見えない。ところどころ石が欠け、枯れ蔦が絡まっている。自分の吐く白い呼気が霧のようにかかって、一層怪しさを演出する。

 でもいい。今は誰にも会いたくないんだ。こんなどうしようもない私には、打ち捨てられた塔がお似合いだ。

 私は扉に手をかけた。埃っぽい。鍵はかかっておらず、重い音をたてて開いた。

 耳が痛くなるような静寂に、思わず息さえ潜めて動きを止める。どうせ真っ暗で何も見えないのだ。じっと目が慣れるまで待っていると、上に続く階段が見えた。私はそれを登った。

 外と変わりないほど冷たい空気。夏にくればもっと、カビくささがあったろう。冬の気温に濡れたドレス。そろそろ歯の根が合わなくなってきた。

 凍えそうな体でよろめきながら天辺まで上がると、窓も格子もない、ただの窓枠が口を開けて、部屋の空気を冷やし続けている場所に出た。

 月明かりも流れ込んでいるので、階段よりは明るい。私は窓の外を見た。

 手入れをされていない林が黒く広がる。王宮の端なのだろう、人がいるような明かりはない。ために、ここがどのくらいの高さかは分からなかった。

 顧みて自分を見下ろすと、泥と雪の混じった汚泥がべったりへばりつき、ガビガビに波打ったドレスのみじめったらしい姿。お姫さまらしいところは見当たらない。地面に落ちたキャンディと一緒。いらないから捨てられた、ただのつまらない女。

 もう一度涙が溢れてきた。誰もいないのだから、どんなに不細工な顔して泣いても構わない。

 わんわん泣いて涙を拭うと、頬に砂利の擦りつけられていく様を感じられた。もう本当に泥だらけだわ、私。数時間前までは宮廷の真ん中にいたのに。

 下の見えない闇を覗き込む。

 ここから飛び降りたら大怪我しちゃうかしら?

 益体もない考えが浮かんできた。そうしたらアンドリュー様は、今度こそ少しは心配してくれるかしら。

 自傷なんかしてる女より可哀想になったら、やっと振り向いてくれるかしら。

 ぼたぼたと垂れる涙が下に落ちる。地面は黒一色で、全く見えない。眺めているとクラクラしてきた。泣いているせいで頭が痛い。どうせ私なんてという破れかぶれの思考も過る。

 飛んでしまおうか。そうしてもし生きていたら、私がどれだけ思いつめたか気が付いたアンドリュー様が戻る未来が見えてくるかもしれない。

 鼻水をすすり上げ、私は背筋を伸ばした。息を整え、目を閉じる。

 気を落ち着けて……三つ数えて……覚悟を決めて……一……二……

「やめなさーーーい!!」

 不意に沸いた怒鳴り声に私は悲鳴を上げた。同時に抱き着かれるような感触。女だ。女の声と、腕。

「ダメダメここは無理、助からないわ! 怪我じゃ済まないから! 本当やめなさい!」

 グイと腰を引かれる。私はよろめいて後方に尻もちをついた。同時に、私を引っ張ってくれたらしい女も、隣に転がる気配がした。

 しばらく二人でぜいぜいと息をつく。ふと顔を上げると、私よりは年上に見える綺麗な女性だった。初めて見る顔だ。

 彼女は私と目が合うと、怒るように言った。

「痛いわよ! もう、すっごく痛いんだから!」

「ご、ごめんなさい……ありがと……」

 あまりの剣幕につい謝る。それで相手も落ち着いたのか、ぽつりと呟くように言った。

「死んで花実は咲かないわよ」

 そうね。そう、だけど。

 もう飛ぶ気は起きなかった。でも、私にもそう考えちゃうだけの動機はあったんだ。

 その気持ちは一言伝えたくて、少しだけ唇を尖らせて命の恩人の方へ、改めて顔を向けた。

 と……

 そこには誰もいなかった。私一人。月明かりには私の影だけが伸びている。階段までは距離がある、一瞬にして下に降りたとは考えづらかった。

 そもそも、人がいるような場所ではないはずなのに、ここ。

 だよね? ……じゃあ誰?

 私の足元と違い、彼女がいた辺りの床埃が触れられた跡もなく綺麗に残っている事に気が付いた私は、そっと立ち上がった。お尻の埃を払い、足音を殺して階段へと向かう。後ろは見なかった。階段までいくと素早くスカートをたくし上げ、大急ぎで段を飛び降りる。

 違うの、違うの、あの、先に降りたかもしれない彼女を探して、ね? そうなのよ、決して逃げてるんじゃないの、だから無事に見逃して!?

 心の中で念じながら、私は塔を飛び出した。

 月を背にして自分の部屋へと逃げ帰る。恐怖って学びね。そこからもう本当にさっぱり、死のうなんて気持ちは毛の先ほども出てこなくなったのよ。




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