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4、カタリナ・フーリー

 後日、教えられた女の名前はカタリナ・フーリーといった。ソファで寝込んでた彼女だ。

「彼女は天使が見えるんだ」

 アンドリュー様から真面目くさってそう言われた時は、思わず脳内に宇宙が飛んだ。

「もう死んでらっしゃいますの?」

 ものっすごく正直な感想をノーシンクで言ってしまったら、アンドリュー様にまじまじと見つめられてしまった。

「あっいや失礼。それで?」

 つい取り繕ってしまったけれど、いや、なんでそっちも宇宙顔したの、今。

「……彼女は小さいうちに親を亡くし、親戚の家に引き取られたらしい。今はフーリー伯爵の元に身を寄せているが、血のつながった令嬢ではなく養子なのだそうだ。そのため、伯爵からはどこに出しても恥ずかしくないようにと清く正しく育てられ、まさに精純なる心を身に着けた結果、天使と対話ができるまでになったそうだ。私のことも、見間違えたのではなく、また天使が現れたのだと思い……」

 クドクドと話が続く。

 要約すれば、彼女は可哀想な星の元に生まれたが、健気に生きている、というそんな話だ。

 人が優しくなるにはどうしたらいいか。どうやったら皆が他人を思いやって生きていけるか。

 荒んだ世間を儚み、自分の不幸も相まって、自傷行為をするほどまでに思いつめたこともあるとか。そこまで行って天使と話せるようになったんだとか。

 ともかく彼女はピュアである、ということを言葉を尽くして誉めそやしていた。フーン。

 一晩で随分と詳しくなったじゃない。昨夜、どれだけおしゃべりに付き合ったの。

「人に酔ったせいで倒れたからな。静かなところで落ち着いたら、安心したか、辛い辛い身の上を涙交じりに語ってくれたんだ」

 陶酔感すら醸し出しながら、彼は喋り続ける。それを見ればわかるわ、さぞやいたいけにお思いなのでしょうね。

 細身の女性の、どこか顰めた眉。陶器の肌。ブリュネット。いかにもなよなよしていて、お好みそうな女性ですから。

 聞いてるフリしてこのウットリしている顔をじーっと見つめてみた。目を見て、真っ直ぐ。いつ気づいてもいいように。

 待つこと十五分、ひとしきり語ったところでやっとこちらに目線をくれた。息継ぎがてら。

 もの言いたげな私に気づいたアンドリュー様は、やっと言葉を切って頭を掻いた。

「ああ……ええと。……君は、どうたった? 昨夜」

 はい。アンドリュー様が静かになるまで十五分かかりましたー。

 とか言いたいわよね。グッと堪えたけど。喉まで出かかったわ。昨日? 最悪でしたけど??

「どうと聞かれたら、まず言いたいのは私を一人放ったらかしにしていただいたことに対する苦言なのですが。寂しかったんですよ?」

「それは……申し訳ない。次はちゃんとダンスもしてあげるから」

 それで埋め合わせになるとでも?

 まだ頬を膨らませている私に、アンドリュー様はスルリと寄ってきた。

「寂しがらせて、ごめん」

 ここで、気持ちをこめたハグ。ああ。そんなことされたら、つい許してしまう。

 その空気が伝わったのだろう、巧みな男はダメ押しの約束まで取り付けてきた。

「最初から、最後までだ。君とだけ踊ってあげる」

「……約束よ?」

「ああ、もちろん」

「今日も一緒にいてくださいね」

「いいよ」

 すっかり甘えた私は同じおねだりの延長上、当然と思われるお願いを続ける。

「一人でいたらやっぱり心無い言葉も言われるし……酷いんですのよ。ねぇ、ガツンと言ってやってくださいよそういうの、私たちの仲を嗤ってきたのよ? 私たちの仲を歓迎していない人がいるの」

 アンドリュー様はやさしく、やさしく私を撫でながら、でもそこには、うん……と曖昧な返事をした。

「……まあ、そのへんはそのうち皆もわかってくれるよ」

 そうかしら。

 この時ツッコまずに流してしまったことを、後々後悔することになる。嫌な予感はしないでもなかったけれど。


 アンドリュー様は約束を守ってくれて、次のパーティではずっと私の傍にいてくれた。

 そして、その間ずっと、そこにいない女を話題にしていた。

「やっぱり来てないのかな……彼女は」

 カタリナ嬢のことですかしら。ほんの二、三日前ですからね、そりゃ来てないんじゃないです?

「心配だな……彼女は体が弱いから」

 あはは、と相槌代わりに声に出して笑って(いるようにみせかけて)、ただ無感動に辺りを眺める。

 愛想笑い、乾いてきてるわね。カッピカピで、そろそろひび割れる頃。ヤバい。だって二人でいても話題がこれだとだいぶ苦役じゃない?

 忍耐力テストを受けるような長い時間、むしろ私の仮面のような笑顔を察した周りが気を使って、あまり話しかけてはこなかった。さすがね、アンドリュー様より空気読んで来るわ。

 ただ疲れただけのパーティを終えて部屋に戻り、ぐったりと椅子に凭れていると、思い返すだに段々イライラしてきた。

 体が弱いくらいで、何よ。そんなに気にかけてもらえるものなの?

(ていうかそういえば、アンドリュー様がうちに来たのも、私が風邪をひいた時だったわね……)

 馴れ初めを思い出した私は閃いた。「よし、風邪をひこう」、と。

 いやあ……環境も変わったばかりでだいぶ気を張りつめすぎ、このころの私はストレスが溜まっていたのだ。うん。ヘンなこと思いつくくらいには正気ではなかった。

「メアリーアン様、どちらへ」

 ボーッとしてたかと思ったら急に立ち上がって部屋を出ようとした私に、ギョッとしたらしいメイドが急いで声をかける。

「風邪をひきに行ってくるわ」

「えっ?」

「ああえっと、ちょっと外……庭へ」

「コートをお持ちします」

「結構よ」

「ええっ!?」

 まだ寒いものね、驚くのもわかるわ。明日も寒波が来るっていうし。しかし、望むところだ!

 捕まる前にサッサと逃げ出し、夜の散歩を存分に楽しむ。

 寒っっっむ!

 これは冷える。半時間ほど歩いてさすがに震えが来たので、ワクワクしながら部屋に帰って眠りについた。

 そして翌朝、心地よく目が覚めた。

 なんですって。なんて頑丈な体なのかしら。腹立たしい。

 スッキリ起き出しそうなところで、風邪をひく計画だったことを思い出し、もう一度布団にもぐりこんで弱々しくメイドに申し付けた。

「私、風邪をひいたみたいなの。悪いけどアンドリュー様にそう伝えてきて」

 これでまた優しくしてくれるはず。ひょっとして看病までしてくれるかも。

 そんな甘い時間を待ちわびて布団の中でゴロゴロしていたが、待てど暮らせどアンドリュー様がお見えにならない。メイドをせっついたら、二時間前には伝えたという。ええー。遅いんですけど。お腹減ったな。

 それでもまだ大人しくしていると、空腹が耐えがたくなってきた。ちょっと、本当に具合が悪くなってきたわ。

「……ねえ、朝食を持ってきてちょうだい」

「はい。粥にでもしますか?」

 いやだ、お腹減った。がっつりいきたい。パン一切れとお茶だけじゃ足りない気がする、カロリー欲しい。

「クロックムッシュ食べたい」

「……はい」

 メイドの返事が遅れたが気にしない。ベッドに身を起こして準備万端待っていると、ほどなくしてドアが開いた。

「来た!」

「ああ、来たよ。お待たせしたみたいだね?」

 アンドリュー様だった。

 口を開けて固まった私を見て、アンドリュー様は首を傾げる。

「元気そうだねメアリーアン?」

「あっ……いえあの……そりゃもうお熱が、その、ええ」

 来てくれた、が、遅いわー。忘れてたじゃない私が風邪をひいてたこと。大袈裟にゴホゴホしてみせて、そっと布団を被った。ああー、前もあったわこんなこと。

「もう、頭も、痛くて痛くて……大変なの」

「そう?」

 アンドリュー様は私の額に手を置いた。

「うん、そこまではひどくないみたいだ。良かった」

 そこに、ワゴンを押したメイドが入ってくる。皿に乗ったクロックムッシュを見て、アンドリュー様は眉を寄せた。

「何だ、それは。病人に重たいものなんかやめなさい。下げて。栄養を取るならスープにするんだ」

 食欲をそそる香りだけを残して、クロックムッシュは視界から消えた。ぐう、と鳴る腹の虫を布団で押さえつけ、私は悔しさに呻く。

「苦しいかい? かわいそうに。大人しく寝ていれば治るからね」

 言いながら部屋を出ていきそうになったので、私は慌てて聞いてみた。

「どちらへ行かれますの、アンドリュー様」

「ああ、カタリナ嬢も風邪をひいたというんだ。ちょっと見舞いに行ってくるよ。いいねメアリーアン、養生するんだよ」

 止める間もなくいなくなったアンドリュー様を見送り、私は呆然と閉まった扉を眺めるしかなかった。

 呆然としたまま私は言った。

「……朝食を」

「あ、はい……スープにしますか?」

「お黙り。フルプレートで」

「フルで……」

 メイドの声は引いていた。何よ。




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