3、宮廷舞台
王宮の舞踏会はそれはそれは華やかで、私の気持ちを引き立ててくれる。
やっぱり、お集りの皆様が多い。規模が違う。
「皆、あなたに会いに来ているのですよ、レディ」
言いながら、ゲストの一人が私の手に恭しくキスをしている。
要するに、今日は私のお披露目というわけだ。城を去ったエルシー・マディアーナ嬢に代わり、新しく立った妃候補に挨拶をしにきたってわけ。「以後、よしなに」
いやあ、ごめんねゲストの彼。さすがに今日いっぺんには名前を覚えきれないわ。
私の前には長蛇の列。押すな押すなの大騒ぎ。いや、本当、そう表現したくもなる忙しさだったの。みんな次々に挨拶してくる。
「まあ、お初にお目にかかりますわレディ・メアリーアン。以後、お見知りおきくださいね?」
露骨に媚びてくる者ばかり。小娘の私にもわかるほど。逆に、慇懃に礼をしてはそそくさと去り、少し離れたところでヒソヒソしてるのも少なくない。
値踏み、されてるのよね。それもわかる。必要以上にしゃちこばって、やけに肩が凝ってしまう。
「知らなかったわ。皇太子さまって案外、子供みたいなのが趣味なのね」
クスクス笑いながらそう言ってくるのもいる。いや、仲間とお喋りしているテイだけど、顔はしっかりこっちを向いて、聞こえるように言ってくるのだ。これはケンカを売られている。
「あら、いやだ。聞こえてしまったかしら。お若くて素敵ねって言ったのよ、誤解しないでね」
思わず睨んでしまったら、そう言われた。高らかに笑い声をあげて、彼女らは去っていく。最初に寄ってきた女性が、急いで駆け寄ってきた。
「気にしないで、レディ・メアリーアン。あの人たち、エルシー嬢のお友達だったのよ。それで意地悪を言うんだわ」
……ああ、そうか。なるほど。そういうことね。
納得し、女たちの背中を見送っていたら、横にいた女性が親し気に私の腕を取ってきた。
「大丈夫よ、私がいるわ。私は味方よ。他にも、あなたの仲間はいっぱいよ、レディ・メアリーアン」
そこまで言われて悪い気もしない。初対面で、名前もロクに覚えていない彼女がそんなこと言って、安心させるように笑いかけてくるのは、なんだか不思議な気がするけれど。
というか、それよりも。
私が見世物にされているこんな時に、むしろアンドリュー様がどこまでも黙っている。
ニコニコして大勢に揉まれる私を眺めているだけだ。あ、あの……何か仰られてもいいんですよ? 少しは庇ってくれたりとか。
パーティが終わればやっぱりニコニコして、「楽しんでくれたようで何よりだよ」などと仰せになる。ちょっとあっけにとられて、つかえながらも物申してしまった。
「あの……私は緊張しっぱなしでしたわ……そりゃ初めてではなかったですけど……あんなに注目を浴びて……好き勝手言われて……まるで見世物でしたわ」
「はは、そのうちに慣れるよメアリーアン」
そうではなく……
うっすらと頭痛を感じてしまう。どう言えば伝わるんだろう。
「悪意をもって当たってくる人もいるんです」
「そんな。みんないい人たちだよ。私の周りにはそんな人はいないし」
「アンドリュー様に言うわけないじゃないですか」
さすがにちょっと声が尖った。
「いや、そんな怖い顔しないでメアリーアン。せっかくの美貌が台無しだよ?」
「……」
溜息をついてしまった私の頬をつつき、アンドリュー様は微笑んだ。
「きっと疲れが出たんだよ。早く休むといい、また明日もあるのだからね」
反論の余地がないほど、その態度は、あくまで優しい。
しかし、不慣れというのはそれはそれで正解ではあった。
毎日のように忙しいほどの夜会も、確かに慣れてくれば肩の力が抜けてくる。
私は出来る限り、アンドリュー様の傍にいることにした。何しろ、「アンドリュー様の周りにはそんな人はいない」からね。彼の隣でニコニコと笑っていれば、万事うまくいく。私に傅く人も増えていった。
場外では相変わらず、チクチクとした罵り合いが起こっている。旧エルシー派と、私の取り巻きが起こす小競り合いだ。その小競り合いは、いつのまに私も巻き込まれているらしい。というより、私が試合のボールになっている気分だ。
別段、暴力沙汰はないもので、聞き流してさえいればなんだか他人事のような、不思議な気分になれる。ははぁ、これが慣れというものかと、私は香水にむせ返る夜会の空気を吸っていた。
何しろ私がアンドリュー様の恋人というところは揺るぎない。大丈夫、大丈夫。
そんなこんなで、しばらくは平和だった。しばらくは。ああ。本当、短い平和だった。
ある夜、舞踏会で楽しくダンスに興じている時……ああ、ええとね、ちょっと自慢していいかしら。ダンスは上手いのよ、私。
私を悪く言う者だって、ダンスがヘタとは言ってこないのよね。気取ってらっしゃるわ、ぐらいでせいぜいよ。フフン。ドヤ顔しちゃう。代わりといっちゃなんだけど、座学にはちょっと弱いのよねー。地理とか。
閑話休題。ダンスに興じている時。
「あっ」
小さく声を出したかと思ったら、アンドリュー様は私を突き飛ばしてどこかへ走り去った。
そうよ、突き飛ばしたのよ。あれは突き飛ばしてくれたと私は主張するわ! それまで向かい合って腕を組んでいたのに、強めに解いてパッと消えたのだもの。あんまりすぎない?
思わずキョロキョロと辺りを見回してみたら、周りでダンスを眺めているギャラリーの一角が人がたかってザワついていた。あそこね。
何なのかしら、と寄って見ると、しゃがみこむアンドリュー様の背中ごしに、若草色のドレスを着た女性がソファへと横たえられるのが見えた。
具合が悪くなって倒れちゃったのかしら。そういうことはままあるので、別段不思議ではないのだけれど。その傍らに膝をつき、かいがいしく顔に風をあててやっているのがアンドリュー様というところがちょっと。
「アンドリュー様」
「ああ、メアリーアン……この令嬢が急に倒れてしまって」
「それはわかりますが……召使にお任せになってもいいのでは?」
「そんな。僕の目の前で倒れたんだ、放ってはおけないよ」
……まあ、そうなんですけど。わかりますけど。
皇太子さまなのにフットワーク軽いわね。や、だから私も助けられたんだっけ。そっか。
仕方がないので私もヤジウマに混ざり、そこに突っ立ってしばらく様子を見てみることにした。と、間もなくアンドリュー様が小さく「レディ」と囁きかけた。目を覚ましたのだろうか。
彼女……まだ若い、私と同じくらいの年かと思われた娘……は、うっすらと目を開け、ぼんやりとアンドリュー様を見た。そして言った。
「……天使、さま?」
アンドリュー様も一瞬、答えに迷ったようだったけど、苦笑して首を振って見せた。
「私は天使じゃないよレディ、まだ天国ではない。私の王宮だ。さあ、具合はどうかな?」
「天使だとおもったわ……綺麗なお顔をなさっていたんですもの……ええ……もう大丈夫……」
起き上がろうとした彼女に、アンドリュー様は心底慌てたように「無理はしないで」と声をかけている。
何故だか腹が立ってきて、私はもう一度せっついてみた。
「アンドリュー様」
「ん、ああ」
ちょうど、曲が変わった。音楽が耳に届いたらしいアンドリュー様は、そのせいだと解釈したらしい。
「行きたかったら大丈夫、踊っておいでメアリーアン」
はぁ!?
「部屋に運ぼう。道をあけてくれ」
返す言葉に迷った一瞬の隙に、アンドリュー様お手ずから、虚弱体質な彼女を抱え上げてさっさと運び去っていった。アンドリュー様の背に回された腕は折れそうなほどに細い。
倒れた令嬢は、抱きかかえられるその瞬間、くっきりと目を開けて辺りを見ていた。だって、私と目が合ったもの。その時、彼女がどんな表情をしていたのか、私は知らない。片方の目以外は、アンドリュー様に隠されて見ることができなかったから。
でも、彼女の目は燃えていた。光に翳した宝石のようにキラキラと輝いていた。
例えば、恋に落ちたかのような生き生きとした光。
その場で固まっていた私は、好奇に溢れた衆目の前に置いて行かれた事に、遅まきながら気が付いた。確かにダンスよりも面白い見世物だろう。動けないまま、私は背中で様々な声を聞いていた。
「んまぁー。皇太子さまって、意外とヤルのね」
「若さねぇ。好青年ぶって気が多い」
「色を好むっていいますでしょ。英雄と、偉い人は」
「ふふ、メアリーアンも可哀想ね、あの顔。もしかして彼女って……本命じゃないのかしら」
やめて。やめて。その意見が出るのが怖い。そういえばまだ今夜も、私を正式に婚約者だと言ってくれていない。
口さがない噂を全て聞こえなかったフリをして、私はその場から立ち去った。
「仕方ないわね、踊る相手がいないんですし」
また聞えよがしな声が私を嘲笑う。……覚えておきなさいよ、もう。