12、帰結
海。青空。南の国。
いやあ、辺りが青いわ。夏って感じ。
北の国生まれのナスターシャは「すごいわねえ」と感心しきりだ。
「ナスターシャでも知らないことがあるのね」
「そりゃもちろん。こんなところまで来たこと無かったもの。海ってどんな感じなのかしら!」
風景も食事も目に鮮やかで、異国に来たという感覚は強く感じるのだけど、本当に全く「海で泳ぐ」というものは初めての体験だ。
海に近いホテルは抑えた。泳ぎに来たんだから、泳げる地域。シーズンオフではあるらしくって人は少ないけどいいの、もっと寒いところから来た私たちにはこれで十分に暖かい気温だ。
着いてしばらく、旅の疲れを癒すためにカウチでのんびりしていたら、いつのまにかナスターシャが消えていた。あら、どこ行ったのかしら。と思ったら夕方には帰ってきた。
「辺りを散策していたの。楽しかったわ」
「そうなの? どこに行ってきたの?」
うふふ、とイタズラっ子のような声でナスターシャは笑う。
「ちょっと、王宮にね。この国の。ほら私、幽霊だから。警備すりぬけられるのよねぇ」
それはお得ね。
夜にはワインを寄せ、二人で飲みかわす。大きなお花がついているグラスがいいわね。雰囲気あって。
「暑さ寒さはわからなくなったけれど、風は感じるの。ここは優しい風が吹くところね」
ナスターシャはどこかぼうっとしながら、ゆったりと喋る。
「過ごしやすくて、いい国だわ。良かった」
「……どうしたのナスターシャ。もう酔った?」
ううん、と首を振り、でもやっぱり酔った人みたいにうっとりと笑う。
「いろんなことを考えていたの。人生はままならないけど、それでも、なるようになったりするのよね。貴女は生きていて良かったわ」
「そうよ。命の恩人がいて、助けてくれたからね。そして一緒にこんなところまで来れるなんて、幸せ者だわ」
「ふふ。そう言えるくらいになれて良かったわ」
「どうよ見事な悪役令嬢っぷり。別れのシーンで大爆笑よ。なかなかないでしょそんなの、イカしてた。我ながらよくやったわ」
「そうね。死ぬくらいなら、悪役でいいものね」
ナスターシャは、後悔しているのかしら。
……と、ふと思った。そうなのかもしれない。自死を選んで天にも行けず、苦しみの中で今までいたことは、想像を絶する後悔の連続なのかも。
私にはわからないけれどね。だからうかつなことは言えないけれど。
私が言えるのはただ、同じ道を行かないようにと助けてくれた彼女に対する感謝の気持ちだけよ。
「ありがとうねナスターシャ」
笑った後の返事は、いつも同じ。
「どういたしまして」
麻のドレスにストローハット、パラソルを抱えて海に出る。
「わぁ……」
海。海だ。本物の海、入れるやつ。
寄せて返す波がザザァ、と音を立てる。流れてくる潮風。これが海の香り。
幸い今日は気温も上がって、海に入っても差し支えない程度にはなっているらしい。
「すごい。初体験だわ。ええと、これに捕まればいいのね」
皮の袋に空気を入れたリング状のもの。浮き輪だ。これに捕まってぷかぷか浮くのが楽しいらしい。
私はおっかなびっくり波に足をつけた。足の裏の砂が細かく動くのがくすぐったい。
「ええとね、このリングにお尻入れて、座るように浮かぶこともできるらしいわ。安楽椅子みたいに気持ちいいんだとか」
「うまくいくかしら……」
ナスターシャはねぇ、物理法則あるのかないのかわかんないから、いけるんじゃないのかしら。体重のある私はひっくり返らないようにしないとなんだけど。
私一人しかいないはずの海に、浮き輪を二つも抱えさせられた召使いたちが、ソワソワと目を見合わせている。
「……いいから浮かべなさい二つとも、早く」
そしてもう行っていいわ、と手を振ってみせた。ナスターシャと泳ぐんだから、私は。
「わ、わ……乗れたわ!」
ナスターシャが声を上げる。リングは一度だけゆらりとしたが、思った以上の安定感で浮いている。ようし、私も。
思い切って背中から乗ってみると、上手く嵌った。リングに引っかけた手足を外に出すとバランスがとれる。
「ひゃあ……出来た? あ、乗れてる? やったぁ」
服を着たまま水に浸かるのは不思議な気分だわ。思わず笑いがでてくる。水はちょっと冷たかったが、すぐに慣れて心地よいくらいになった。
「眩しいわね」
しっかり握ってきたパラソルを開いて、一本ナスターシャに持たせる。もう一本は私が差して、やれやれ、これで完成かしら。
黙っていると浮き輪が波に合わせて上下する。揺り篭に揺られているようで、本当、これはなかなかリラックスできるわ。
「気持ちいいわね!」
「ええ。来た甲斐があったわ」
ナスターシャも頷いた。
「青い色は素敵だわ……海も空も、天国のよう」
しばらく二人で海の音を聞いていた。陽も高くなってくるといよいよ空気も温まり、心地よさが増してくる。
「南国の海はね。痛みや悩みを溶かして消してくれるの。言わなかったっけ」
「なんだっけ。心を洗濯するにはいいとか何とか言ってたような」
「そうそう」
ちゃぷん、と耳元で音がする。全身の力を抜いて漂っていけるのは確かに、その効能がありそうだわ。
眠ってしまいそうな声でナスターシャが言う。
「私の故郷では誰もがメランコリィに囚われていたわ。きっとお日様が少ないんだわ。皆、憂さ晴らしに南の国に来ればいいのにね。話には聞いていたけれど、本当だったわ。南の海に漂えば、悲しみなんてどうでもよくなるってこと……」
そうね、私もそう思うわ。
ちっとも傷ついてなどいない、と思っていた私の心も、癒されていく過程ではじめてその傷跡を主張していくようだった。塞がっていく穴を見て、過去ここには憂さが詰まっていたのだと自覚していく。
ああ癒される。そうよ。
「世の中全ての悲しみなんか、南の海に流してしまえ」
それでみんなハッピーよ、ね。
ね、とナスターシャの方を向いた私は、海に浮かぶ空の浮き輪と、手放されて開いたままのパラソルを見た。
あれ?
「……ナスターシャ?」
いない。私は身を起こした。不安定に浮き輪が鳴って水が立つ。
「ナスターシャ?」
返事はない。
「えっ、どこ! ナスターシャ……やだ、ちょっとナスターシャ!」
溺れたわけじゃないんでしょう? それとも、まさか。消えた? そんな幽霊みたいな……
と、今の会話が思い出されて、急速に血の気が引いていった。そんな、貴女、幽霊だから……メランコリィだから? 溶けてなくなったなんて言わないでしょうね!
「ナスターシャ! ナスターシャ!」
私はバタバタと暴れて浮き輪から降りた。浅かったから溺れはしないけれど、思いっきり頭まで潜ってしまった。冷たい海の水は、思い切ってしょっぱい。
唾と一緒に塩を吐き出し、私は急いで呼びかけた。
「ウソでしょうナスターシャ! 置いていかないでよ!」
「私は死んでるのよ、メアリーアン。もうこの世にはいないの……」
声が聞こえた。声だけ、微かに。
「さようなら。貴女は生きて……幸せになってね」
「嫌よ! ナスターシャ! ナスターシャ!」
陽は燦燦と降り注ぐ。それを最後に、もう声は聞こえない。何度呼んでも。必死に声を張り上げても。
明るい世界の平和な波間に、私は一人で立ち尽くした。
長らく待って、本当に自分一人だけだと理解した時、私は二人分の浮き輪を引いてのろのろと浜辺へ向かった。
砂浜に浮き輪を引き揚げ、自分もそこに膝をつく。
私は大声を上げて泣いた。涙はしょっぱかった。海水と区別がつかないほど。
波間には忘れたパラソルが一本、逆さまに浮かびながら沖へと流れていった。
気が抜けたようになった私は、誰が見ても立派な傷心旅行に出た娘だ。
失くした自分の半分を追い求めるようにフラフラと意味もなく彷徨う。
これぞ失恋の姿。アンドリュー様では間違ってもここまでしなかったはずだけれど。
周りが心配するくらい痩せたし、召使いもホテルの従業員もヤケに優しくなった。
「観光してきてはどうです、レディ。寺院や、花園や……見どころは色々ありますよ」
そう言われてぼんやりしながら市街地を回る。確かに景色はいいわ。ナスターシャに、あれも見せたかった、これも見せたかったと思いながら歩けば、結構散歩も捗る。
ある時通りがかった大きな建物に、なんの施設かも知らずにぼんやりと入り込んだ。花のアーチや噴水が綺麗だったの。門も開いていて、まるで客を待っているようだった。
中に入って分かった。ここは教会だわ。礼拝堂になっている。
気軽に美術品だけでも見物するつもりで、私は壁に飾ってある象や飾り窓などを無の心で眺めながら奥へと歩いていった。
そしてある一角でぴたりと足を止める。
びっくりしたわ。息が止まった。大きな絵が飾ってあったのよ、そこに。描かれていたのは、堂々とした、等身大の女性。
あれ。これ。ナスターシャじゃない。
そう思った瞬間、ぶわりと涙が出た。絵の中のナスターシャはふっくらとした頬でにこやかに笑い、何の憂いもないようだった。美しい、女神のような姿。
「ナスターシャ……!」
もうダメよ、前後不覚よ。握っていた扇を取り落とし、顔を覆う。それでも指の間から涙と嗚咽は盛大に漏れ出た。立っていられなくなってしゃがみこみ、わあわあと私は泣いた。
「ナスターシャ、ナスターシャ……!」
どれくらいそうしていたのか、やがて哀れな私にそっと声がかけられた。
「レディ。……どうしたんです?」
顔を上げると……心配そうな顔をした、優し気な男性が私を覗き込んでいた。
ああ……まあ……そりゃあそうね。こんなところで地べたに座り込んで泣いてるなんて、よっぽどだわ。私は目元を拭いポケットを漁り、ハンカチを出して横を向いて小さめに鼻をかんで、とても見せられたものでない顔を隠しながらええ、はい、と曖昧に返事をした。
まだグスグス言って動けない私に、どうぞこちらに、と長椅子が勧められた。とりあえず座る。男性も隣に座った。えぇ……と思ったけれど、横並びなら顔も合わせずに済むので、まあいいか、と思い直した。
「……あの……大丈夫ですのよ……どこか痛いわけでもないし……ただ」
「ただ」
「悲しくなって」
どうしようもないじゃないね。どうしようもないんだもの。それでも心配なのか黙って動かない男性に、何か言わなければいけない気がして仕方なく白状する。
「私の親友に似てるんです、この絵のひと」
「この絵……」
男性はポカンと絵を見上げている。
「そうなんです。あの、聞いてくれます? 私の親友の話です。ホラ話や、おとぎ話と思ってくれても構わないので」
私は開き直った。こうなったらとことん利用してやるわ。お節介を焼いてくれるんならぜひとも聞いていって頂戴。私の親友がいかに素晴らしかったかって話よ。
私はナスターシャの話を始めた。出会う経緯と彼女の人となり。私の人生をかけたあれやこれやに、悲しみの原因である、彼女との突然の別れ。
相当な時間がかかったけど、付き合いのいい男性はずっと聞いてくれていた。気が長い。
途中、どこかの召使いと思しき人たちがやってきて、この男性に声をかけた。
「殿下、そろそろお戻りを……」
「あ、うん」
立ち上がった男性は、改めて私に腰を折って挨拶してきた。
「さてレディ、話は面白いのですが、まだ続きがあるようです。あなたがもしよろしければ、私と一緒に屋敷まで来ていただいて、最後までお聞かせ願えませんでしょうか? とても興味深い話です」
いや、お申し出は嬉しいんだけれども。私はその前の言葉に引っかかった。
「……殿下?」
「はい。申し遅れましたが私はカルミロ・アルバノ、この国の皇太子です。ちなみにこの絵は僕の祖母ですね」
私は完全に言葉を失くした。えっ何……祖母……皇太子??
自己紹介を終えたカルミロ皇太子はニッコリと笑う。
「馬車が来ています。ご同行いただけますか? 私の母もきっと、その話は聞きたいと思いますよ」
実は、ナスターシャの娘さんがお嫁に出されたのはこの国だったらしい。
現在この国の妃殿下がその娘さんだ。そしてそのさらに子供がカルミロ・アルバノ皇太子殿下。ということは、あの絵は本当にナスターシャで、血縁である……と。
「私にとっては頼もしく、大好きな母だったので」
と、引き合わされたこの国の妃殿下、イオ様は仰った。
「この間、夢見に母が現れたのは何かの予兆だったのかしら」
あら、それ、本物かもしれないわ。王宮に寄った、って言ってたものね。
幼くして郷里を離れ、心細くなった当時のイオ王女が、母の写し絵を描かせて飾っていたということだ。聖人と列を同じくして絵を置くなんて、すごく親子の仲は良かったのねぇ。
イオ様は大好きな母、ナスターシャのいろんな話を熱心に聞きたがり、聞かれるままにまとまりなく喋る私の拙い話でも満足していただけた。
なるほど言われてみれば、イオ様はナスターシャの面影を残している。ナスターシャの年を追い越して、穏やかに年を取ったナスターシャのような姿で、にこやかに私たちの様子を眺めてくれている。カルミロ殿下もまた、同じ遺伝を感じ取れた。
ナスターシャ。あなたの血族、ちゃんとこの世に残っているわよ。
それから私は、この国に逗留している間、頻繁に王宮に呼ばれして、お話をさせていただいた。
カルミロ殿下はいつも傍にいてくださり、楽し気に話に混ざってくる。ナスターシャのせいなのか、好感の持てる雰囲気の人。賢そうで、穏やかな人。
……ねえ、わかるでしょう? 私が殿下に好意を持つのに、たいして時間はかからず、本当にこれは幸運なんだけれどカルミロ殿下も私のことをお嫌いにはならなかったの。
バカンスを終える頃にはその延長を打診され、また来ると約束し、実際すぐに来て……
やがて私は陛下にプロポーズを受けたの。
返事なんて、聞くまでもないでしょう?
荘厳な音楽に迎え入れられ、私は夫になる方と腕を取りあって、しずしずと祭壇へ向かった。
今日は結婚式。真っ白なウエディングドレスに身を包み、これからの未来を誓う日。
長く夢見ていたこのシーンを、それまで全く知らなかった国で執り行うなんてね。運命って不思議よね。
私たちは途中、運命の振り子とも言える絵画の前で足を止め、揃って一礼した。
ありがとう、ナスターシャ。
私はここで生きていくわ。あなたの忘れ形見を敬い、支え合って行こうと思う。どうか見守っていて。
それから幸せな私たちは神の前に膝を折り、永久の祝福を授かりましたとさ。
……というところで、話が終わっても良かったんだけどねぇ!
あとちょっとオマケがあって……そう、アンドリュー様よ。蛇足なんだけど。
結婚式は近隣の王族の方が来てくれて、まあもちろんアンドリュー様ご夫妻もいらしてたんだけどね一応。
晩餐の後で歓談中、なぜだかススッと寄ってくるのよ。来なくていいってのに。
「久しぶりだなメアリーアン、元気そうでなによりだ」
一年ぶりくらいですかね。あ、奥方はどこかに置いてから来たか、そこだけは褒めてあげよう。
「ええ、おかげさまで」
一応そう返しておくわ。おかげさまで素敵なお相手と巡り合いましたものでね! いやー良かった良かった本当。
すると何故だか知らないが、今は幸せか、困ったことはないか、とごちゃごちゃお尋ねになる。
困ってますなんて言うとまたエライことになるじゃん貴方の場合! やめて頂戴、もう。
「はいとっても幸せですけどー。何が言いたいんです?」
アンドリュー様は口籠った。そして、ぽつぽつと言いたいことだったらしい愚痴を垂れ流し始めた。
曰く、「君がいなくなって王宮は明るさがなくなった」「妻が動かない。一日中、具合が悪いといって寝込んでいる」「湿っぽくて困る」「サロンで友達と仲良くやってる時は元気」「その日の思い付きでインテリアなど変えさせて落ち着かない」「自分のお気に入りの持ち物まで縁起が悪いとして捨てられた」
……愚痴でしょこれ。家庭の愚痴でしょ。他所に捨てにこないで欲しいわ。
「はぁーん。いや、ありがたい天使様のお告げに従ってるだけでは? 問題なくないです?」
「……本当に天使の声なんだろうか……」
「ハァー? 彼女がウソつくわけないって言ったじゃないですのー? ていうか思い付きって言うな不敬ですわよー?」
もう言葉も取り繕う気にならない。いいわよね非公式だし。
「それが嫌なんだ!」
思いつめたようにアンドリュー様は叫び、ハッと口元を押さえてまたコソコソと訴えかけてきた。
「朝にはピンクと言い、夜にはブルーと言う。一事が万事、そんな感じだ。時折、方角すら間違える。本当か念押しするとべそべそ泣かれるし、神託を疑う不信心者と罵られる。最近は彼女が中空を見つめ、うっとりした顔をするたびに気分が悪くなってしまうんだ。次はどんな無茶を言い出すのかと」
それがカワイイって甘やかしてきたツケじゃんよ。知るか。
「それぞご神託でしょ、『天使さまがこう言ってるのー』ていうヤツ。結婚の際に大々的に発表なさったじゃないですか、神が聖女をお遣わしになったとかなんとか。それでご結婚なさいましたんでしょ、まー、お国は安泰ですことね」
と反論したとたん、驚いたことに「ふぐっ」と呻き、涙を堪える顔をして俯いた。えっ、なになに?? 割とガチで思いつめてますのね??
「陛下。貴方」
聞き覚えのある声がして、アンドリュー様は飛び上がって振り向いた。号令をかけられた犬のようだった。
「あらクリューラントの王妃。お変わりなく」
目は合ったが向こうは何も言わず、ただアンドリュー様の腕を引いて「行きますわよ」と命じた。
本当におかわりないことね、カタリナ妃。嫌いなものに対するその態度。
引きずられていくアンドリュー様がしょぼくれた顔でこっちを振り返ってきたが、私に何ができるって言うのよ。ただ黙って見送る以外なかったわ。
「いや、思いっきり安泰ではないからね」
と後でカルミロ殿下から聞いた。
「サガッドル国の大使に、どうもいけない態度をとったらしいんだ。件の聖女様がね。それで、どうにも二国間に緊張が走っていると……」
まさか、いつものようにやっちゃったのかしら。だっから自分と合わない人を悪魔ってことにするなって言ったのに。
呆れて終わったその時の話は当事者たちには大きな外交問題で、結論から言うとダメだった。ダメ。破滅。終わりになってしまった。
小さい火種だったこの件は鎮火に失敗しズルズルと諍いが大きくなり、ある日起こった小競り合いがきっかけでサガッドルの国が武器を取った。
あれだけ仲良しこよしでやっていたアンドリュー様の(カタリナの?)取り巻きは、いざ戦争となると尻尾を巻いて逃げていき、大した戦闘もなく王宮は落ちた。即位二年も保たず、国が終わってしまったことになる。
筋金入りのシンパは最後まで少数残っていたようだ。攻め込まれていた時には、聖女カタリナと一緒に「敵を跳ねのけるお祈り」を神に捧げていたらしい。
あー……はぁ……さいですかぁ……
「助命嘆願書の可否について我が国にも意見を求められているが」
どうだろう、とカルミロ殿下は私を見つめながら問うた。
死者の少ない争いだったので、アンドリュー様ご夫妻などはまるっと無事らしい。ただ、事の発端ではあるので責任を問われているところだ。
「彼らは私の母を見捨てた者の末裔ですよ。命は助けてくれと言われて、私はそこで気持ちよくハイと言えるかわかりませんよ」
とイオ様は少しばかりヘソを曲げているが。うーん。
「……私は、助命に賛成します」
考えをまとめた私は一礼して意見を述べた。
「今更、疚しい心はありません。逆に彼らには思うところもあります。そりゃああります。めいっぱいイヤな思いさせられました。でも、意趣返しは牢に入れられている今の状態で十分に叶っているのでこれ以上は望みませんし、それに……」
目を閉じれば、いつだってナスターシャを思い出せるのだ。彼女なら何というだろう。それが私の心の、道標となっている。
「ナスターシャは恨んでいないと言ったのです」
デレシア様も、他所から嫁いだ女だった。あの方に免じて、という気持ちも少しある。何よりやはり、ナスターシャの気持ちを優先させたい。それなら、まあ……とイオ様も最終的には頷いてくれた。
「それならメアリーアン、どうしたらいいと思う? 君ならどんなお裁きにするかい?」
カルミロ殿下に言われて、私は考えこんだ。
「どうせ国は奪われるのです。適当な役職を与えるのがいいでしょう。ヘマしても人が死んだり、大金が動いてしまわないところがいいと思います。例えば、図書館の管理人だとか」
「図書館の管理人」
「同時に歴史を学ばせて勉強させれば、少しは役に立つかもしれません。あの人、根は悪い人物ではないので」
「そうだね、そう思うよ」
カルミロ殿下は笑って、この結果を話し合いの場に持っていくと約束してくれた。
君に聞いてみてよかったよ、と褒められるだけで有頂天になれる、私は幸せな女なのだ。
アンドリュー様は片田舎の屋敷に居を移して、無数の本と共に暮らすことになった。
奥様は不平たらたらのようで、夫婦仲は微妙らしい。それでも、読書家に鞍替えしたアンドリュー様は、落ち着いた生活を手にいれて満足そうにしているという。
一度、私に礼をしたいと申し出があったが、私は丁重にお断りした。向こうも、重ねては言ってこなかった。
平凡な者が不相応なところにいるのは苦しいものね。私も身に染みたことだもの。でしょう?
お屋敷のテラスに出て、私は辺りを見回した。
同盟国であるうちにもクリューラントの土地を少しいただいた。思いがけない帰国となったけれど、しみじみ人生っていうのは山あり谷ありの旅路ね。
それでも私がまだやっていく勇気が持てるのは……
私を見つけたカルミロ殿下が、そっと隣に並んできた。
「何をしているの?」
景色を眺めたまま、正直なところを言う。
「ナスターシャのことを考えていたの」
クスクス笑って、カルミロ殿下は私の手を取ってきた。
「私もいるよ?」
「ええ、もちろん。光栄ですわ」
そのために、相応しい淑女に。そして図太い悪役に。なっていかなきゃね。
旦那様の手を取って新しく得た領地を眺める。そうか私は、過去ではなく、未来を思うために、貴女を思い出すのねナスターシャ。
胸に残る貴女の声が、今日も私を力付ける。
これが私の親友の話。
ご清聴、ありがとう。




