10、Dance Dance Dance
翌日、教会からすぐさま司教がスッ飛んできた。
もちろん、昨夜の騒ぎを聞いてのことだ。よっぽど噂になったのだろう。どういう事だと、皇后陛下に訴え出たようだ。
アンドリュー様も呼び出しをくらったらしい。
「どんなものかと常々思っていたけれど、そこまで愚かだったとは」
というデレシア様のお説教が、長らく廊下にまで響き渡っていたので。
「そりゃあねぇ。偉い坊さんが死後にやっと認められるような肩書、王家とはいえ教会でもないところがお気軽に言いだされちゃ困るものね」
尤もな意見をナスターシャは言うし、まさにそこが社会的な問題だと思うのだけれど。
「もっと下世話な話なのよ」
私は別の背景を知っている。ナスターシャは聡いけれど、ここしばらくの流行事などは明るくないだろうから。分からないのも無理ないわ。
「というと?」
「聖女って、アレなのよ……今流行りの大衆小説なの」
へえ? とナスターシャは小首を傾げた。
「流行ってるの?」
「そりゃもう。主には、聖なる力をもってして国を守っていたりするのね」
「国を……守って……」
「お祈りを捧げて不思議な力で、例えば魔物を弾いたりだとか作物の取れ高を増やしたりだとか。魔法を使うのがほとんどで」
「あぁ……ファンタシー小説なのね……」
思わず考え込んでしまった私の思考が読めたのか、ナスターシャはひょいと肩を竦めた。
「そうね、私の存在もだいぶファンタシーだったわ」
はい。
だから、天使もいるだろうと思うし、別に会話ができてもおかしくはない。かもしれない。
「子供の頃は皆が夢想するものだわ。確かに、そこは問題ない。ただそれを真実として請負い、ありえないほどの付加価値をつけようとしてるってことでしょう?」
そうなのよね。国が守れるほどの魔法の術者とは思えない。流行りの小説と違って、この世界に魔法はない。
でも、作り話に乗っかって思い付きを慣行しようとしてるって背景には、さらに重要なことがあるのよ。聖女になりたい理由が。
「重要なお約束として、聖女はね。小説の中では王子との結婚を定められていることが多いの」
んまぁ、と言ったっきり、ナスターシャは口元を手で蔽った。掌に隠している口は開いたまま塞がっていないのだろう。そして、いつものナスターシャらしい言葉で斬って捨てた。
「いやらしい。下心満載ね」
「その通りでございます」
気持ちいい切れ味に笑いながらも、慇懃に頭を下げる。
聖女と認めてしまえば、王妃となるのも自然な流れですもんね。と、周りに思わせるための布石に……なるのかしら!
あまりにもチャチなロジックだけど、そもそも彼女を聖女として受け入れている層はもうだいぶいたんだった。ヤバいわ、通りそうな気がする。
話の途中、気を取り直して啜ったショコラは口当たりが良い。一口飲んで、溜息代わりにホッと息を吐く。飲み物は甘いのに、話はどうにも酸っぱいのよね。
ナスターシャには悪いけれど、埃っぽくて寒すぎる塔よりやっぱり、温かいショコラを飲みながらお喋りできる部屋が私には幸せだ。
そしてナスターシャ、ワイン以外飲む気はないらしいのでお相伴はしていない。そもそも、お腹が減らないそうで食事も必須ではなくなっているという。そりゃあ……まあそうなのだけど。悲しい事実ね。寒さも感じなくなっているというので平気で窓辺に寄って外を眺めている。私はさっきから暖かい暖炉の傍を離れられないでいるけれど。
「でもまあ、そうしたら私を追い出すのも便利よね、言い訳がきくわ。『私が聖女じゃなかったから』……気が変わったからではなく、国のためになる聖女を王妃として迎えるためにやむなく……だとか」
「小説のような恋愛で運命の結婚を演出、か。ロマンティックだこと。いかにもあのお坊ちゃまが書きそうなシナリオだわ」
でも、そう上手くいくかしら。
以降、夜会はいつにも増してギスギスしていた。いやあ盛り上がってまいりました。
アンドリュー様がアホなことを口約束してしまってから、取り巻きはもうカタリナ嬢を聖女の扱いにしていってるし、彼女を気に食わない人たちはさらに彼女を悪く言う。そしてその態度を「ほら御覧なさい、心根の曲がった人たちはああだから」と笑われ、また火種になるといった塩梅。
面白いことに、私の周りに人が増えた。反カタリナ嬢の旗印として認定されてしまったのだ。
そんなそんな滅相もない、天使サマに対抗できるような魔法はアタクシ持っておりませんことよオホホ。
と誤魔化してはいたが、これは半ば以上本気だ。
アンドリュー様が見初め、私をここに連れてきた。それ以上の権限は私にはない。他の人が期待するような働きはできるかどうか不確かだ。
さらに面白いことに、司教、というか教会が私の側についた。
何としても聖女反対、ポッと出の野良聖人なんて認めたくないためだ。教会の権威がかかっている。そこはお察しするわ。みんな大変ね。
周りが喧々囂々と小競り合いを繰り広げている中、私は黙って座ってニコニコして、自分でも不思議なほど落ち着いていた。
アンドリュー様のお気持ちがもうとっくに私に向けられていないこと、ある程度の諦めをもって認めているからだと思うんだけれど。
どうにもならないわ。私にはどうにもできない。
私にはもう彼のために仮病を装うほど、自身を捨てる気が無くなってきたもの。
周りの喧騒から目を逸らし、ふと隣を見る。
私の隣にいるのはナスターシャ。幽霊で誰にも見えていないけれど、誰よりも凛としていて、立派な淑女。
私もこうなりたいわ。自分を曲げず、目の前の道を、ただ胸を張って生きていきたい。愛を胸にして、しかるべき時しかるべき人にそれを捧げ……彼女の成し遂げたかった愛情あふれる家庭を築きたい。きっとそれを彼女に見せたい。
ナスターシャがこちらを向いた。ふっと笑う笑顔は、しっとりとしていてとても落ち着く。
ありがとう、と言うと、前後の会話もなく意味も分からないナスターシャはポカンとしたけれど。すぐに笑って答えてくれた。
どういたしまして。
ああ、私、貴方みたいになりたいわ、ナスターシャ。
聖女対アンチ。
この勝負、面白いほど早く決着がついた。
聖女宣言をして二週間も経っていなかったんじゃないかしら。足繁く城に通っては聖女認定に苦情を言っていた司教様だったのだけど……
「ああ、ダメだわ、メアリーアン。これはダメかもしれないわ。終わったわ」
ある夜会、いなくなってたナスターシャが急に帰ってきたかと思ったらそんなことを言い出した。
「えっ、何?」
ナスターシャが答える前に、続いてホールに入ってきたアンドリュー様が種明かしをしてくれた。
「皆、聞いてくれ!」
手を上げて一同の注目を集める。後から急いでカタリナ嬢も追ってきた。
えっいや……アンドリュー様?
皆さんに見てもらう前に、その頬っぺについたピンクとか、拭いた方がよございません??
なーにしてたのよ全くー二人してどっかにシケこんでたかと思えばイチャついてた痕跡も残したままで。皇太子の権威もへったくれもありゃしない。
「教会の権威は地に落ちた!」
言っちゃうのそれを、墓穴では?
高らかに宣言するアンドリュー様に内心に突っ込んだ瞬間、この二人を追ってバタバタとホールに入ってきた法衣姿の人物があった。司教サマじゃない、どうしたのよ。
……一拍おいて、ホールの人たちはアンドリュー様の言わんとする事が理解できた。司教の頬には、目のお悪い人にもクッキリと見える、紅がついていたのだ。
「私たち、見ました!」
カタリナ嬢も胸の前に手を組み、必死という体で声を張り上げた。
「木陰に司祭様がコソコソと入っていくところを。何をしておいでだろうと後をつけてみると、そこで待ち合わせていたらしい女人と抱き合い、キスをして、そ、そして……ああっ」
これ以上は言えない、というように顔を覆う。思い余った演技は「それでキミタチはそこで何してたんだね」と突っ込む余地を排除してきている。
アンドリュー様は司教に指を突き付けた。
「見ての通り、禁欲とは程遠い行いをしておいでだ、破廉恥にも夜闇に紛れて! 彼らこそが俗物だ。彼らがレディ・カタリナの聖性を、偽物だなんだと断じる権利なぞありはしない!」
私には解説のナスターシャが囁いてくれた。
「どうもね、懇ろになっているお嬢さんがいたらしいのね。このところ用事で城に来れるから、いい機会だと毎日デートしてたらしいわ。けど、何しに来てたかを考えると立場上問題よね」
そうね、聖職代表で登城しているはずだから、隙をみせたのはマズい。同じく、隠れたところでアレコレしようとしていたアンドリュー様たちに見つかって、騒がれてしまったというわけね。お相手の娘さんがカタリナ嬢より濃い紅をさしていたのが決定打になるとは。
「出かけたのは見ていたから私もついて行ったんだけれど……ごめんなさいね、何もできなかったわ」
いいえ、謝ることじゃないわ。そうね、幽霊では簡単に覗き見はできるけれど、人を呼ぶことは難しいわね。
司教は何か言い訳じみたことを叫んでいた。喚くよりキスマークを拭ったほうがいいと思うんだけど、動転したのか気づいてないのかその素振りがないので、言えば言うほど辺りの空気は悪くなっていく。
司祭の声を遮るように、誰かが叫ぶ。
「だから私は言ってたんだ最初から! 聖女の力は本物だと!」
そこに賛同する別の声が続いた。
「聖堂が聖女の力を恐れて隠蔽しようとしたんだ!」
「そうよ、職務怠慢だわ! 聖女を認めなさい!」
「やはり神のご加護があったのだ、聖女が遣わされるとは」
負けじと反対側からも声が上がる。
「それとこれとは別だぞ! 聖女の力とやらが証明されたわけではない!」
「やってる事はまるでごっこ遊び、そのうえ神までないがしろにするとは!」
「だいたい人を悪魔呼ばわりして済むと思ってるのか!」
「私たちが今までどれほど王室に貢献してきたか!」
ああー、とナスターシャは呟いた。
「雪崩が起きるわ……」
同時に、キャア、と小さな悲鳴が上がった。見れば、床に手袋が転がっている。「もう我慢ならん!」と立ち上がって叫んでいる殿方が投げつけたに違いない。投げつけられた方も色めき立つ。
それを見ていた別の所でも「俺も常々、我慢がならないと思っていたんだ!」手袋を脱いで隣の男性に投げつけている。
「決闘だ!」「俺もだ!」「この悪魔!」「目を覚ませ!」
あちらこちらで手袋が飛ぶ。まぁ、えらいことになっちゃったわ。中には狙いが逸れて、隣にいたレディに手袋をブチ当ててしまい、泣き出したレディの前でオロオロしている人もいる。何してるの……
降って湧いたようなカオスな状態に、この騒ぎを引き起こしたアンドリュー様は何してるのかというと、ひたすらポカンとした顔で辺りを見回していた。
彼の思惑としては司教を断罪、皆が一丸になって追い出し万々歳、カタリナ嬢フィーバーで幕、というシーンだったのだろう。あまりにも「えっ、何で?」という言葉が顔に出ていて笑える。
カタリナ嬢も途方にくれた様子だったが、アンチの一人に肩を小突かれて激高していた。
「何よ! ひどいことしないで! 皆やめて! 憎しみの心に囚われたら、悪魔の思うつぼよ!」
「いやアンタのせいでしょ! どうにかしなさいよ!」
ヤジが入ったことで嫌になったらしい。カタリナ嬢はキィー、と叫んで足を踏み鳴らし、「私は悪くない!!」と叫んだ。
「ここは苦しみに満ちている! 息ができないわ、もうこんな所にいられない!」
ハンカチを口に当てて(涙を湛えた目元はこれみよがしに見せたまま)、彼女はホールから出て行った。
「えー、ちょっとー。本当どうにかしなさいよこの事態」
正直な意見が思わず口をついて出た。収拾がつかないじゃない。
「ねぇナスターシャ、どうしたらいい?」
いざというとき頼りになるのは親友だ。そうねえ、と小首を傾げたナスターシャは、ここで驚きの、とてもとても素敵な提案をしてきた。
「踊らない?」
手を差し伸べられて、私は一瞬で笑顔を見せた。とびっきりのよ。ええ、喜んで!
そうとなったら、この騒ぎは邪魔だわ。鎮めなきゃ。私は飛び上がって頭を巡らせ、近くにいた召使にワインを持ってくるよう命じた。
もうあちこちで今にも剣を抜きそうな気配。私はやっと来たワイングラスを奪い取り、フロアの真ん中に躍り出て大声で叫んだ。楽しそうに。気合を入れて。
「乾杯!!」
一瞬、虚をつかれた一同が騒ぎをやめてこちらを見た。よし。
「皆様の健康を祝して!」
そしてワインを一息に飲み干した。皆はまだ私を不思議そうに見ている。
「皆様の長寿と繁栄を祝して……それとも、こんなくだらないことで、ここで命落とす? この騒ぎは私が預かったわ。楽隊! 楽隊ー! 音楽を流して。楽しいやつよ」
邪魔なワイングラスを横に投げる。グラスが割れた音と共に、私は恭しくお辞儀をした。
向かいには同じく、優雅に膝を折って見せるナスターシャの姿。
ああ、ワクワクするわね。
音楽が始まった。弾むようなステップで前に出る。私たちは手を握れないけれど、重ねた指先で綺麗にターンも決められる。
絶妙に触れ合わない、ぴったりと重なったデュエット。
やっぱりね、貴方かなりの腕だわナスターシャ。ダンスパートナーとして申し分ない、とてもお上手でこちらをリードすらしてくれる。
広いダンスホールが狭く感じられるほど、芸術の息吹を感じるわ。大仰な言い方になったけれど、本当にそう。これこそ神に感謝できる。
腕を巻いて、広げて。踊る貴方はなんて美しいのかしら。右回り、左回りも寸分狂いなく。
最後の音が終わり、私は大きく、ナスターシャはドレスに合わせてスレンダーに挨拶を交わした。
夢のようね。私、きっとこの夜を忘れなくてよ。
「楽しかったわ」
「ええ」
さて、息が上がったまま辺りを見ると、ホールを開けて私を見守っていた人たちが、相変わらず黙ったままになっている。どことなく息を詰めて。
芸術点高かったんだから、拍手くらいしてくれていいのよ?
そう思ったんだけど、そういえば私が一人でニコニコと楽しそうに踊ってたようにしか見えてないのよね。いよいよイカレたと思われたかもしれないわ。まあいいけれど。
肩を竦めて、私は召使を呼んだ。
「落ちてる手袋集めておいで。危ないし。やれやれ、お店が開けそうなほどあるわね」
「勝手に決めるな」
声が飛んだ。
ゆっくりとそちらを向くと、発言者の男性と目があって、一瞬怯んだ顔された。
疲れてるだけなんだけど、恐怖感煽ったみたいになっちゃったかしら。うふ。本当にヤバいやつと思われてるのかもしれないわね、私。
でも一人が声を上げたことで勇気が出たのか、そうだそうだと追従する声も上がった。
「出しゃばるな、こっちはそれでいいと言った覚えはないぞ」
「女が采配をするんじゃない」
「そうだ、これはプライドを懸けた……」
また場がざわめいてくる。思わず、シニカルな笑いが沸いて出た。
そう。私の力もここまでなのね。発言力とは見做されていないということか。
今夜追い出されるのは私かもしれないわ。鬱憤の溜まった群衆の真ん中に立ち尽くし、唇を歪めて笑う私が、この後袋叩きに会わないとも限らない。
最悪の事態が浮かんだ時、大きく手を打った音がその場に響いた。
ゆったりとした拍手だ。上座から聞こえる。
誰が現れたのか理解できる音に近い方から、皆が頭を下げていく。私もその人物を見分けて、スカートをつまんで頭を下げた。
皇后陛下。デレシア様だ。
「見事でした」
拍手を終え、それだけ感想を述べる。主語は抜いたがダンスのことであるのは明白なので、私はより一層腰を低くした。
こつり、こつりと静かになったホールに進み出る、デレシア様の靴音だけが響く。
「采配も悪くないと思いましたよ。そうでなければ、明日にはここの貴族たちは頭数が半減するはずですからね。浮いた資産は国家の総取りということで良いのですか? 財政も潤って、こちらとしてはありがたい限りですが」
返事はない。デレシア様は鼻を鳴らした。
「彼女では嫌だというのなら、私が今日の騒ぎを預かりましょう。……不満があるのなら今のうちに言ってくるように。私も『女』ですからね」
もちろん、誰も何も言わない。デレシア様は踵を返し、アンドリュー様を呼んだ。お二人が退室し、今日の夜会はここでお開きとなった。
やれやれ、助かったわ。
ここにいる全員が、ね。
感想など、ありがとうございます。励みになります!
 




