0、まずは婚約破棄から
まあ、今思えば私もバカだなって思うんだけど。
あの頃は、あれはあれで真剣だった。
思い出してみても、恥と罪悪感と後悔に声まで出そうになる。皆様、本当にごめんなさい。不肖な私をお許しください。
でも私の大切な、とても大切な親友を得た話なので、たまに……そして、くじけそうな時に、思い返してはいろんな決意を新たにする。
ねぇナスターシャ、貴女のお陰なのよ。私がまだやっていく勇気が持てるのは。
あの時はもちろん、今も変わらず、私ったらまるであなたに頼りっきり。心の拠り所なの。
ありがとう。本当に。
胸に残る貴女の声が、今日も私を力付ける。
あとやっぱり、色々思い出しては声も出る。
「ねぇナスターシャ、貴女のお陰なのよ。私がまだやっていく勇気が持てるのは。本当よ?」
親友には、どれだけ熱心に感謝を述べても想いは伝えきれない。言うなれば、熱心に口説いてるみたい。ロマンチックに。
「それはよかったわ」
コロコロとナスターシャは笑う。
「それが目的だったしね」
「随分、図太くなれたわ」
「そうでしょう? 人を図太くするのは得意なのよ」
「やっぱりサロンを開きましょうよ。ナスターシャの図太い女研修会……需要あるわよ」
「またその話?」
彼女は本当に朗らかに笑う。それが好き。私も、彼女がそんな笑いを見せられるようになって、本当によかったと思う。
ナスターシャは綺麗だ。
白金の髪を編んで冠のように頂き、肌も抜けるように白い。ほっそりとした体でパワーのある言葉を吐く。
着ているものは二世代前のクラシックドレスだけど、それがまたうまい具合に華奢な線を浮かび上がらせて上品だ。
私は……赤味交じりの残念な金髪だけど、ナスターシャはそれを「健康的でいいわ」と言ってくれる。「ウォールナッツ、美味しくて好きよ」だって。
……そうね、これはもう胡桃色よね。健康的な胡桃色です。はい。
納得できれば胸を張って、宮殿ホールの大階段も堂々と降りられるの。「綺麗」は自信と比例するから、図太くなるのは美容にいい。
「溜息だらけの恋愛をしないため……淑女の皆様の未来に役立つと思うんだけど」
「やだもう貴女それ、ブーメラン刺さってるじゃない、メアリーアン」
二段先を降りるナスターシャは、私の名を呼んで振り向いた。あけすけな物言いをしながら。
「刺さってる刺さってる。抜いてくださいよ先生」
「どうしろって言うのよ……いや、どうもこうもないわね、婚約解消しなきゃ。けど、もうそろそろ彼の方から言ってくるんじゃないの?」
「でしょうねー」
彼。アンドリュー・クストー・クリューラント。
一応、まだ、私の恋人であり、婚約者であり、この国の皇太子さまであらせられる。
王室特有の高貴さはあるけれど、偉ぶらず、誰に対しても心を砕き、お優しい。王にそっくりな亜麻のくせ毛に甘い顔。非の打ちどころのない好青年でしょう? 私もそう思ったわ。始めはね。
彼と恋仲になれた時は、そりゃあ天にも昇る気持ちだったけど。今は宮殿内で、あまり顔も合わせなくなってしまった。だって、今は大好きなカタリナ嬢と仲良くするのにお忙しゅうございますからね。
それでも、公式の場では私が公然と彼の隣に立っている。立たざるをえない。婚約を解消していないからだ。
そろそろケジメつけなきゃいけないお年頃なのに未だにウダウダしてるのは、私となんか結婚したくないから。
どうするのかしら。あと半日後には、ここもパーティに来た貴族たちで埋まってしまうわ。今夜もまた、お集りの皆さんに結婚発表できないなんて。
殿下が新しいカノジョに夢中だなんて、みんな知ってる。それでも、澄ました顔で堂々と隣にいる私を見て、みんな何を噂しているんでしょうね。いい面の皮だと、そういったあたりでしょうけど。
このところ、私、ずっと考えているの。
「私ね、ロマンス物語が大好きなんだけれど。それには大概、どれも悪役令嬢が出てくるの。恋のライバルで意地悪してくるレディよ」
「ええ」
「私、図太さを手に入れて、冷静に今の立ち位置を考えてみたんだけど……普通に悪役令嬢に当てはまらない?」
アンドリュー様からすれば、私のせいで好きな女と一緒になれないんですものね。まあ立派な悪役の立ち位置じゃない。
小説に出てくる悪役令嬢なら、こう言うところかしら。
『ごめんあそばせ。私、図太くなったの。悪役だなんて、むしろ褒め言葉だわ!』
なんてね。
「私も読むわよ、小説」
ナスターシャも頷いた。そうね、あなたは読書家よね。言葉が怜悧だもの。
「いろんな話があって、人生に役立つことを教えてくれるわよね。……それでね、ひとつ覚えている言葉があるの。どの物語か忘れたんだけれど、文言はとても心に残ったのよ。曰く『どんな人でも、ただ頑張っているだけで、別の人物の物語では悪役になる』……ね、すごい言葉でしょう?」
「……わぁ」
噛みしめれば思わず呆然とするくらいすごい言葉だ。そして、ものすごく腹落ちした。
「だからね。一生懸命に生きているだけなのよ。神様でさえ、裏切ってくる仲間はいたんだもの。人なんて、生きているだけで誰とも摩擦を起こさず生きるなんてムリよ。一生懸命生きるしかない、それだけよ」
「そうね……私は『良い人間』でもないしね」
「立派な悪役令嬢じゃない!」
やだ、本当にそんな素質持ってたのね、私。
思わず二人で笑い声をあげると、階段アーチを支える女神像の影で、ビクリと動く人影があった。
「あ……ら」
さすがに私も、ドキリとして動きを止めたわ。
慌てて振り返るそのご尊顔。
噂のアンドリュー皇太子殿下ではありませんか。お元気? そのようね、なによりだわ。だって、庇うようにこちらを向いて見せるけど、その後ろに隠しているつもりで隠しきれないスカートは、今の熱い抱擁で接吻なさってたカタリナ嬢でしょうからね? 彼女の好きな深緑だわ。
悪事が見つかったアンドリュー様は、険を含んだ目つきでこちらを見る。
そう。もう私たちは、そういう表情を送りあって差し支えない仲なのね。
なので私も眉を上げて、皮肉たっぷりに言ってやった。
「大胆ですわね、殿下。物陰とはいえ、人目も忍ばず」
アンドリュー様は目を逸らし、感情を抑えるようにそれを告げた。
「話がある、メアリーアン」
やってたことの否定はしないのか、なるほど。
私はチラリとナスターシャに目配せした。彼女も、私に視線を寄越した。
──いよいよかしら。
──いよいよでしょう。
「君との婚約は、破棄させてほしい」
はい来たー。
物語なら盛り上がるところでしょう。大舞台だわね。
私は扇を広げて、二度ほどゆったりと仰いだ。さすがに気が昂って。でも意を決して顔を上げると、ナスターシャは勇気づけるようにこちらに向き合ってくれているから、大丈夫。
ウインクまでくれて、彼女は言う。
「さ。じゃあ、一生懸命やってやりましょうか、人生」
「そうね。望むところだわ」
いい塩梅に肩の力も抜けた。扇に口元を隠してそっと笑う。
間違いなく、私が悪役令嬢に見えているのね、アンドリュー様。でも、私から見た人生では、しっかり貴方が悪役ですわよ。
「どんなに良い人間でも、きちんとがんばっていれば、だれかの物語では悪役になる」 出典・猫のお寺の知恩さん オジロマコト(敬称略)
前作はこちらでした。よろしければご覧くださいませ
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