第1話 融合
夕焼けの残照とともに、東の空に広がる紺色の空に、絢爛と輝く真っ白な月があった。
「あの衛星は行かなくていいのか。確か月って呼ばれてるんだよね」
太陽系の惑星、地球に降り立った少年、ネレは、きれいだなぁなどとつぶやきながら、乗ってきた宇宙船『フロートマインド』に乗り込んだ。そのあとすぐに宇宙船が少し浮き、仕事をするべく飛び立った。地表を飛べば飛ぶほど、それに合わせて周辺地理が惑星球儀――今回は地球儀と呼ぶのが適している――に記録されていき、少年はそれを埋めるように、ゲームのマッピング感覚で虱潰しにしていった。
地球探査を始めてから半年ほど過ぎたころだろうか、地上のみならず、海底や地下空洞のマッピングが終わり、宇宙船は初めに止まっていた場所まで戻ってきていた。背伸びをしながら宇宙船から出てきたネレは、一面に広がる草原に座り、雲一つない青い空を眺めた。
「それにしても、思っていたのと全然違ったな。文明を持ちそうな生物は確認できなかったけど、旧文明の跡はあったし、動物はたくさんいたし、いつか人間とは別の知的生命体が誕生するかもしれないな」
すこしワクワクした声でそう言ったネレは、そのまま仰向けに寝転び、目を閉じた。
記録に残っている地球は、自然など見る影もない典型的な廃棄惑星であり、何の魅力もない星だった。そのためここまで見事な自然の景色を見られたことに驚いているのだ。
さらに天の川銀河など超のつく田舎であり、数千年ぶりの地球探索には希望者が現れなかった。やることは楽で、報酬も悪いわけではないのにも関わらずここまで人気がない依頼は珍しくない。銀河連合の依頼の三割はそうした地味で面白味のないものであったりする。
そしてそうしたときは指名で依頼されることが多い。一応強制ではあるが、危険なために達成されていない依頼を振られることはないし、さらには少ない罰金――普通の傭兵団からすればだが――を払えばペナルティーなしで依頼拒否できるために、あまり大きな問題になったことはない。
今回はネレが所属する傭兵船団、『星空の悪夢』に依頼が下りた。天の川銀河の近くにいたという理由もあるにはあったのかもしれないが、それ以上に傭兵、冒険者ギルドからの信頼があったのだろう。団長は特に断ることはしなかったが、この仕事をネレに丸投げした。
いくら船団の初期メンバーとはいえ、個人で所属している僕に任せなくたっていいじゃないか、とはじめは思っていたネレだったが、探査が進むにつれ、感謝の念が生まれていった。もともと大して不満に思っていたわけではなかったのだ。美しい光景が好きなネレとしては、地球の光景を誰よりも先に見れたのはとても嬉しかったのだろう。個人的に撮った写真を売り、少なくない額を稼いでいることも関係していたのかもしれない。
ネレはその場から立ち上がり、周囲の風景を名残惜しそうに見渡した後、地球から旅立った。
宇宙船の操縦はほとんどAIに任せ、わざわざ写真専用用紙し印刷した地球で撮った写真を眺めていた。どれも素晴らしく、今度の写真のコンテストに出す一枚をどう選ぼうか悩んでいた。
宇宙船が大気圏を突破し、月の横を通り過ぎようとしたときだった。写真から目を離し、ふと月を見たネレの視界に動く何かが映ったのだ。
すぐに自動操縦を切り、月に向かって舵を取る。1分と経たないうちに到着し、宇宙服を着て外に出たネレの目に映ったのは、白い大地にはあまりにも不自然な、赤黒く、不規則に蠢く物体であった。
§§
月に捨てられてからものすごく長い時間が過ぎたけど、特にこれといった変化はなかった。毎日変わらない日々を過ごして、太陽の光をエネルギーにして生きてきた。自分の体のことなのに、なんでそれで生きてこれたのはわからない。光合成みたいなものかな。
地球に自然が戻っていくのを見るのが唯一の楽しみだった。本当に戻っているのかどうかはわからないけど。幼いころに目にすることができたのは開発や戦争によって汚染されつくした地球だけだったから、青と緑の地球なんて写真で見ることしかできなかった。それと、視力はとってもいいけど、上からの地球しか見れないのは結構残念だった。
地球にまだ人間が生きているかなんて知ったことじゃないけど、もし生きていたとしてもわざわざ殺しに行くことはしないし、できない。昔抱いていた恨みなんて、時間が忘れさせてくれる程度のことだったのかな、なんて思う。今はどちらかというと寂しい。
どうして会いに来てくれないのかな、もしかして本当にいなくなっちゃったのかな、なんて考えてしまう。もしも目の前に人間が現れたら、寂しさのあまり抱き着いてしまうかも、なんてね。
それにしても、あのこっちに向かってくる隕石みたいなの、なんなんだろう。ものすごいスピードだけど、人工物みたい。でも、そんなわけないか。
§§
結構楽しかった仕事が終わって、後は船団に戻るだけだったはずなのになぁ。なんでいま目の前に面倒ごとが鎮座しているんだろう。
この赤黒いの、何かしらの生物じゃなければいいな。ただの物体だったらこのまま無視してもいいわけだし。ちょっと調べて何の反応もなかったら帰ろう。
そうはならなかったみたいだ。指先で触ろうとしたら僕が反応するよりも早く拘束されてしまった。しかし不思議と何の痛みもないな、抱きしめられてるみたいだ。力は弱いのかな。
そんなのんきなことを考えていたら、誰かの記憶が一斉に流れてきた。誰かといっても、この場には自分以外にはあの赤黒いやつしかいないから、そいつの記憶なのだとは思う。
おそらく、背中にある脊髄に接続するためのコネクタに侵入したのだろう。肉のスライムみたいになった奴に、僕の体はもう取り込まれていた。
流れてくる情報が多すぎて意識を保てそうにない。宇宙船に戻ろうと必死で足を動かそうとしても、足にまで脳の命令が届いていないのか、動くことはなかった。必死にあがこうとした僕の抵抗虚しく、しばらくと立たないうちに僕は意識を手放した。
目が覚めた。どのくらいの時間がたったかわからない。あたりを見渡そうと上半身を起こそうとすると、宇宙服の顔の部分がなくなっていることに気づいた。それでも生きていることにはさすがに驚いたが、意識がはっきりするにつれて、さっきの肉でできたスライムのような奴が見当たらない理由を知った。
僕は、あの肉スライムと融合してしまったのだ。念じるだけで意思の疎通ができることと、まともな理性を持っていてコミュニケーションが取れることは救いだった。
肉スライムは、なんというか、意思を持った肉体の一部といった感じで、僕が自由に動かせるらしい。ちなみに、セナと名付けた。背中から生えてきたから。
月の表面でしばらく訓練して、ある程度セナを自由に動かすことができるようになった。その過程でセナのことが可愛く思えるようになってきた。昔は人間を憎んでいたが、時間がたちすぎて寂しさが勝ってしまったらしい。やっぱりかわいいな、幼い妹に見えてきた。
そんなセナのためになるのかはわからないが、聞きたかったことを聞くことにした。
(そろそろ月を出よう。船団に帰る前にいっかい地球に行ってみる?)
(……うん)
月にいた理由は聞いていた。荒廃した地球環境に適応させるための人体実験が失敗し、手に負えなくなったから月に捨てたのだという。地球に人間はもういないことは伝えてはいたが、やはり勇気が足りなかったのだろう、返事がとても弱々しく感じられた。
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2022年7月9日/サブタイの修正を行いました。