黒い女
過度では御座いませんが、性的描写が描かれておりますのでご注意お願いいたします。
私は賢一と同じことをしているだけだ。
綾子は目の前の“欲”の快感に鳴いた。白い太腿の付け根に汗がじわりと一線たまって照明スタンドの光で飴色に反射している。胸元まである髪がベッドのシーツや相手の胸板に絡みついては、綾子は何かを探すようにベッドの上で泳いだ。
「なんだか最近、賢一の部屋によく髪の毛が落ちてるわね。」
綾子は賢一のマンションのソファから右手首をあげ、2、3本絡みついた明るめの茶髪の長い髪を賢一に見せた。一瞬、賢一が綾子への愛撫を止めて「綾子のじゃないか?」と言いこぼし綾子の服の中に自分の顔をつっこんだ。綾子は喘ぎながら「だったら、ごめんなさい。」と言うだけだった。
それから2週間くらい径ち、賢一のマンションに泊まりにくると、洗面所の壁に光沢のある黒い粉のようなものが、指の腹の形で張り付いていた。
綾子は見なかったことにして、クレンジングオイルで自分の化粧を落とした。
賢一とは1年半付き合っていて、2ヶ月前にプロポーズされたばかりで、年内には結婚する約束だ。
綾子は美しかった。25歳の女にしては艶があり、くっきりした顔立ちに女性らしい体つきをしていて知的だ。落ち着いた仕草や口調が一層、綾子の魅力を引き出していた。34歳になる賢一に当初、よく冗談で本当は何歳とからかわれていたくらいだ。
綾子にはなぜ賢一が、浮気をするのか心当たりがなかった。
「仕方ないわよ。男なんだから浮気の一つや二つ。」
綾子の親友の麗子が、ピンク色の口紅を丁寧にひきながら言った。
「だって今までこんなことなかったもの。私飽きられたのかな。」
「あんた結婚するんでしょう?女なんだから強くならなきゃ。どうせ綾子のところに結局戻ってくるわよ。」
綾子は、麗子が羨ましかった。どうしてそんな風に言えるのだろう。とてもじゃないが自分は麗子のように考えることができなかった。麗子は、綾子とは正反対で可愛らしい顔立ちをしているが考え方は誰よりも“色っぽかった”。
「女だから弱いのよ。私、麗子みたいに強くないわ。」
綾子は悲しさで震えた。見兼ねた麗子は、綾子にハンカチを手渡した。
「今は弱くても、そのうち強くなるわ。女だもの。」
綾子は麗子の香水の匂いが染み付いたハンカチを使わずに涙を流すのだった。
それから1ヶ月経ったころ麗子の誘いであるパーティーにでないかと誘われた。綾子はここ1ヶ月の間で、ほっそりした。さすがに心配した麗子が気晴らしにパーティーにでて賢一以外の自分の世界を作ってしばらく、賢一や結婚のことは忘れるように促した。パーティーといっても動物好きの人達が、お酒や食事をしながら話して人付き合いの輪を広げるような集まりだそうだ。綾子は乗り気ではなかったが、麗子に押されて引きずられるようにパーティーに出席した。
綾子はパーティーに出席して驚いた。もっとこじんまりした会合かと思っていたが、ホテルの宴会会場で行われるものだとは思いもしなかった。100人前後の立食パーティーだ。イブニングドレスで着飾った女や、爽やかにピシッとスーツを着こなしている男がグラスを傾けながら楽しそうに笑って話している。今になって、麗子がおめかししてきての言葉の意味が判った。綾子は仕事帰りの自分のスーツの服装が逆に目立って恥ずかしかった。
「だから言ったでしょう。ドレスにしなさいって。」
麗子は呆れた様子で、赤ワインが入ったグラスを綾子に差し出した。
「私帰るわ。よくよく考えると私動物飼ってないし。」
綾子は早くその場から逃げたかった。
「適当に飼ってることにすればいいじゃない。」
シャンパンカラーのイブニングドレスが可愛らしい麗子の顔立ちにいい具合に混ざって妙に色っぽかった。
「私帰る!」
綾子が1歩後ずさったとき誰かの足を、ヒールで思いっきり踏んでしまった。
「ごめんなさい!足大丈夫ですか!?」
綾子は急いで振り向きながら謝った。
かっちりした男が右足の甲の部分を若干、靴の中でくねらせながら大丈夫ですと答えた。
男性の魅力に溢れていた男だった。一瞬、綾子が言葉を失い突っ立った。麗子はその様子を見て左肘で綾子の脇腹をつついてにやけた。
「ごめんなさい。この子おっちょこちょいなところがあって」と麗子が横で付け加えた。
「気にしてないから大丈夫だよ。僕こそ道をふさいでしまって申し訳ない。貴女こそ足くじいてませんか?」
その日、綾子は携帯の連絡先を聞かれ互いに連絡先を交換して別れた。
パーティーの帰り道、麗子が悪戯っぽく綾子をからかう様に質問した。
「ねえ、なんで黒いメス猫なんか飼ってるって佐久間さんに言ったのよ?」
綾子は、たじろぎながら言い返した。
「だってあの場で飼ってないなんて言えなかったもの。」
ふうん。と麗子は女の笑みを浮かべた。
黒いメス猫にした理由は特になかった。ただパーティー会場に背中がバックリ開いた黒い艶のあるドレスを美しく着こなしていた女が目に付いたから、その女と重ね合わせて言っただけだった。
それから綾子はあのパーティーで出逢った男性の佐久間と連絡を交し合った。
パーティーから2週間過ぎた頃、佐久間から綾子に、以前のパーティーより小さい集まりがまたあるが来ないかと連絡がきた。綾子は悩んだ。賢一に会っても、すっかり賢一にかまわれることがなくなって寂しかった。まるで自分に魅力がなくなったように思った。佐久間と会うことで自分に自信を付けたかった。自分も自分で、なんて身勝手な考えなのだろうと綾子は自分を責めが、麗子も誘えば大丈夫だろうと思い、行くことにした。
「綾子、佐久間さん気になるんでしょ。」
麗子はにやつきながら、綾子をじっとみつめた。
「そんなことないわよ。ただ・・・」
綾子は目の前に出されたまだ手がついてないフランス料理の魚のメインに目を落としながら言った。
「ただ、何?」
麗子はきょとんとした顔で、肉料理を綺麗にカトラリーで切りながら綾子をみた。
「私だって女だわ。」
綾子と麗子、佐久間達をいれて今度は20人ぐらいの集まりだった。今回も六本木にある雰囲気のあるレストランを貸しきった集まりだったが、綾子は服装に悩むことはなかった。男性はスーツが殆どだったが、女性はドレスを着た女もいたがスーツやワンピースの女もいた。
佐久間が綾子たちを見つけると駆け寄った。
「驚いた。綾子ちゃん見違えたね。」
綾子は真っ黒な背中の開いたイブニングドレスを着ていった。
「えっそうですか?」
綾子は顔を赤らめながら目をそらした。
初めはドレスなんて恥ずかしいと思ったが、思い切って銀座のショーウィンドーに飾られた艶っぽい美しいドレスに惹かれて購入してしまった。端正な顔立ちの綾子によく似合ったドレスだった。麗子も素直に、親友の美しさを褒めた。綾子の白い背中がちらつく度、佐久間以外の男も綾子をちら見した。まるで普段決して見せない場所をさらけ出してるみたいで綾子は少し恥ずかしくなって火照った。
「なんだか黒猫みたいだ。きっと綾子ちゃんの猫は、綾子ちゃんにそっくりな綺麗な猫な
んだろうね。」
黒猫と言われて、悪い気はしなかった。幼い頃、黒い猫と遭遇する度、足がすくんで怖がっていたが、歳を重ねるごとに嫌がることはなくなった。自分の祖母や母に黒猫は不吉なものだと教えられてきたが、黒猫の艶のあるしなやかな体を見るたびに綾子は美しいと思い自分もあんな風になりたいと思ったりもしたのだった。黒猫が毛づくろいをする光景を見ると、見てはいけない神秘的な行為を垣間見てしまったようで綾子は時々、体を火照らせた。
麗子は次の日の朝が早いと途中で帰っていった。綾子は女の気配りだと判った。
パーティーも終わり、佐久間に2件目行かないかと誘われたが、綾子はやんわり断った。
麗子に佐久間からの誘いを断ったことを言えば怒られるだろう。ただ、今、賢一に会えば何か変わる気がして、どうしても賢一に会いたかったのだ。
綾子はタクシーを拾って賢一のマンションに向かった。賢一と会うのがすごく久しぶりに感じた。今の自分の姿を見たら賢一の心が自分に戻ってくるような気がした。
既に夜中の12時半を過ぎていた。合鍵を使って賢一のマンションに入った。
綾子は賢一のマンションの玄関に並んでる靴を見て、頭が真っ白になった。
賢一の靴の横に、黒いピンヒールが並んでいる。
綾子は恐る恐る、賢一のリビングに向かった。扉から薄い光が真っ黒な床に流れ込んでいる。女の鳴き声が聞こえた。女のうつろな甘ったるい声が部屋中にこだましている。
綾子はドアノブに手をかけ扉を開けた。
「何してるの?」
綾子は素直に、疑問を口に出して二つの裸体に向かって言った。
ソファに女と賢一の服が淫らに散乱している。賢一は驚いて振り向いた。
「綾子なんで!?」
賢一は思いもかけない状況に驚きあたふたして服を引っつかんでいる。その賢一とは反対に女はあわてることもなく、肌を曝け出したまま綾子をじっとみつめて笑みさえ浮かべるのだった。薄暗い闇の中で女の瞳が光ったように見えた。
「貴女、誰?」
女は何も言わず、長い髪を持ち上げて右肩に寄せ集めた。
綾子は“猫”だと思った。
「あんた馬鹿ね。なんでそこで何もいわないで帰ってくんのよ。」
麗子はしゃくりあげながら嗚咽する綾子を撫でながら言った。
「だって・・・」
「もう・・・。とりあえず賢一さんと話し合いなさい。」
綾子は、泣きながら頷いた。
麗子と別れて電車に乗ろうとしたときスーツのポケットの中で、携帯が震えた。綾子は急いで携帯を開いた。
「もしもし。佐久間ですけど今晩、よかったら食事でも一緒にしませんか?」
佐久間だった。
綾子はふいを突かれて、言葉を詰まらせた。
「あっ、突然誘ってしまってすいません。昨日の会話の続きをしたいなって思ったもので。」
綾子は、白い携帯を握り締めた。
「ごめんなさい。ちょっとびっくりしちゃって。大丈夫です。今夜特に予定はいってないので。」
その晩綾子は、佐久間と交わった。佐久間は優しかった。耳元で好きだと言ってくれた。綾子は佐久間に、猫のように絡まった。
次の日の朝、綾子はしてはいけないことをしてしまったと嘆いた。佐久間は確かに優しくて素敵な男性だ。でも賢一に会って、このどうしようもない不安を払拭したかった。
綾子は、まだ寝ている佐久間を起こさないようにホテルの部屋を出た。まだ朝の5時半だった。エレベーターに乗ろうとしたら女が一人乗っていた。あの女だった。綾子の顔から血の気が引いた。怒りよりも恐怖がわいた。
女は横目で綾子を見た。綺麗な顔立ちに、華奢な四肢が印象的だった。女は背中の開いた黒いドレスを着ていた。そのドレスからくたびれた煙草の匂いと香水の匂いがした。
1階までエレベーターの中は沈黙で保たれた。
綾子は、賢一とこの女がどんなセックスをしているのか想像した。頭の中で垣間見てしまったような気がした。エレベーターが1階に着いて扉が開くと同時に、女がするりと出て行った。綾子は、はっとして咄嗟に女に声をかけた。
「貴女、なんなの!?」
女がピンヒールの靴を止めて、ゆっくり綾子のほうに振り返った。ホテルのロビーで女の瞳が光った。
「貴女と同じ女よ?」
女が艶っぽく笑みを浮かべて言った。