正直かなり緊張した。
廃病院の真っ暗な廊下を走りながら、僕は怒りに身を震わせていた。
ドライブの帰り道、ユウヤが、「みんなで夏の思い出を作ろう」なんて言い出さなければこんなことにはならなかったんだ。
ネットで有名な心霊スポット。
山の上の廃病院に野郎三人。
ケンスケとユウヤは、夜の不法侵入に興奮して、子供みたいにはしゃいでいたけど、僕は最初から乗り気じゃなかったんだ。
案の定、こんな目にあっているし。
まぁ、懐中電灯を任されていたのが僕だったのが不幸中の幸いか。
きっと、あいつに捕まったのだろう。
背後からユウヤの悲鳴が聞こえてきた。自業自得だ。
手術室に立っていた、あの白衣の何か。
首から上がなかった。
普段、食事はどうしているんだろう。
そういえば、小腹が空いてきたなぁ。
車の中に、何かつまめる物でもあったっけ。
そんなことを考えていたら、突然懐中電灯が明滅し始めた。
これが心霊現象というやつだろうか。
ヤバい。
今明かりがなくなるのは相当面倒臭い。
そんなに複雑な構造の病院じゃないけど、車までの道を完璧に覚えられているわけじゃないから、明かりは絶対に必要だ。
ケンスケみたいに、首なしの医者に追われて早々、迷子になるようなヘマだけはしたくない。
「しっかりしやがれ」と一発、僕の怒りを懐中電灯に入魂してみたら、光がチカチカしなくなった。
やっぱり何事にも躾が肝要なんだなぁ。これは今日の一つの学びだ。
親から躾の一環として今まで色々と学ばされてきたけど、あれはあながち間違いでもなかったってことか。
全力疾走し続けているから、そろそろ息が持たなくなってきた。
化け物の気配は依然として背後にある。
あいつは、まだ僕を追ってきている。
不意に、ユウヤの家でやらせてもらったゲームの光景が浮かんできた。
「でっどばい、なんとか?」とか言ったっけ。
興味がないからあんまり覚えていないけど、僕が今置かれている状況と割と似ている気がして、ちょっとだけ楽しくなってきた。
ユウヤが言うには、僕は初めてにしては「ちぇいす?」が上手い方らしい。
もうユウヤの家では遊ぶことができないだろうから、今度自分で買ってみよう。
案外ハマってしまうかもしれない。
そうこうしている内に、廃病院の玄関ホールに到着した。
ガラスでできた扉は全部割れているので、どこからでも出ることができる。
あとは、近くの山道に停めた車に乗って帰るだけだ。
化け物の足音は、僕の少し後ろ、そんなに離れていないところから響いてきている。
首はないくせに、足はあるのか。
普通、幽霊なら逆じゃないのか?
足がないのが、伝統的な幽霊じゃないのか?
急がなければ。
早く帰って、大学の課題を終わらせてしまわないと。
それが終わったら「でっどばい、なんとか?」を極めてみよう。
「シュウジ!!」
突然、僕の名前を呼ぶ声がした。
振り返ると、さっきからずっと逸れていたケンスケがいた。
多分、玄関ホールとは別の、どこかの出口から脱出してきたんだろう。興味ないけど。
「ケンスケ頑張れよ~! あいつ、もうそこまで来てっぞ~!」
必死な表情をして走っているケンスケを励ますため、そう応援してやった。
頑張れ、ケンスケ。
んで、車はどの辺に停めたっけ。
そうそう。確か、あの坂を下ったあたりだったような……あった!!
僕はリモートキーで車を開錠し、運転席に飛び込んだ。
フットブレーキを踏み、パワースイッチを押す。
パネルにランプがつく。
よし、これでいつでも出発できる。
バックミラーの位置をイジって後方を確認すると、こちらに向かって走ってきているケンスケと、首のない化け物の姿が見えた。
「待ってくれ!! シュウジ!!」
ケンスケが泣きそうな顔で、こちらに手を振っている。
こういうときホラー映画だと、エンジンが中々つかなかったり、すでに後部座席に化け物が座っていたりするけど、これはフィクションではない。
現実は現実だから。
そんなフィクションみたいなことにはならない。なるわけがない。
僕はホッとすると同時に、車を発進させた。
こんな深夜に下山するのは少々骨が折れるけれど、運転に集中さえすればなんとかなるだろう。
無事に逃げ出すことができてよかった。
唯一悲しいことは、ケンスケに貸していた2764円がもう返ってこないことだ。
ちらっと横目で助手席を見ると、ケンスケの食べかけのポテトチップスが置かれていた。
これはもう僕が貰ってしまっても大丈夫だろう。
僕は左手でその袋を掴み、自分の膝の上に持ってきて、そのまま左手でポテトチップスを口に運んだ。
咀嚼を繰り返すたび、油と塩のつまらない味がした。
片手でハンドルを握りながら、片手でポテトチップスを食べ続ける。
運転。油。
運転。塩。
運転。油。
運転。塩。
運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩。運転。油。運転。塩……。
僕は器用な方ではないので、正直かなり緊張した。
お読みいただき、誠にありがとうございました。
ゾッとしていただけていたら幸いに存じます。