昨日と同じ今日は来ない 2
ところ変わってキッチン・グレンツェッタ。
食材調達と会計を担当するクイヴァライネン兄妹が、新しく提案されたラザニアの試作品の詰めと食糧調達の段取りを行っている。
お手伝いに来てくれたアルマちゃんと、それから空中散歩のメンバーである男の子2人がなぜかお肉の下ごしらえの準備をしていた。
曰く、空中散歩で使う振り輪の練度を高めるため、魔力の鍛錬を行ってるのだそう。
ただ鍛錬するだけでは緊張感もない。タダ飯を食べさせてもらって、素敵なお土産まで貰ってばかりで申し訳ないと、自ら労働を買って出てくれたのだ。
少し残念だったのはペーシェさんとルーィヒさんがいなかったこと。ルーィヒさんは臨時の講師として講義に出向いていて、今日はここには来ないらしい。
ペーシェさんは弟さんが帰って来てるからしばらく顔を出せない。ペーシェさんと母親はグレンツェンに、弟さんと父親はベルンに住んで暮らしていて、久しぶりの再会ともなれば、一家団欒の時を過ごしたいと思うのは当然である。
が、実情は違う。弟を恐れて姉が引きこもってるのだ。
ちょっぴり寂しいけど、勝手に羨ましいと思いながらペーシェさんの笑顔を思い浮かべて、なんだか私まで幸せな気分になってしまった。
いいなぁ、一家団欒。どんなお話しをするのだろう。せっかくだし、弟さんとも仲良くなりたいなぁ。
力持ちのダーインさんが運んでくれた特製のショーケース。宝石のように輝く工芸品を並べながら妄想にも励む。
もくもくと作業を繰り返しながら、手作りの食器を舐めるように眺めては手が止まる。
はっと気づいてひとつ置いてはまた眺め、はっと気づいてはまた眺めを繰り返すので全然進まない。だってどれもこれも素敵で目を奪われてしまうんだもん。仕方ないよね。
ドーナツ型のショーケースにつめつめすること数十分。ようやく全部の棚が埋まりました。
在庫はまだまだあって、デザインが違う物が並んでる。その時出会った人と物の一期一会を楽しめるだろう。
そう考えると、なんだか胸がきゅんきゅんしちゃう。
あたかも運命で巡り会うような奇跡が起こるのだ。
ドキドキせずにはいられないよっ!
「しっかし、これがあの白鯨の骨から出来たものなのか。信じられないくらい美しいぜ」
ダーインさんはスプーンを手に取って光にかざした。
エマさんも工芸品を眺めて楽しむ。
「デザインや大きさも色々あって、見ているだけで楽しくなってしまいますね。色付けもガラスのように輝いていて素敵です。これが樹液だなんて信じられません」
エマさんはフォークを掴み、柄に装飾されたルビーに輝く樹液の宝石に目を凝らす。
ガレットさんは素敵な出会いを思い出して身を震わせた。
「本当に……海で出会った姿も美しかったけど、死してなお私達に感動を与え続けてくれるなんて、なんて偉大な存在なんだろう」
「そうですね。あの時、すみれさんが叫んだ言葉の意味が分かったような気がします。その姿に心をうたれたハティさんの想いも、どれも素晴らしいものです」
エマさんの微笑みを見て、自分のしたことに少し自信が湧いた。
「それなんだけど、なんであの時、ああ言ったのかは言葉にできなくて。ただただ言わなくちゃって、伝えなくちゃって思って」
「それはアレなんじゃねぇの。ハティの言ってた、『命に感謝』ってやつ。すみれはそれを意識的にか無意識的にか発したんだよ。奪う側のくせに感謝を言うだなんて傲慢だなんて思う奴もいるかもしれんが、善良な心から出たあのひと言は、白鯨にとって救いであり喜びになったんじゃねぇかなぁ?」
「ダーインさんが筋肉以外でちゃんと会話してる……あ、すみませんっ!」
エマさん、なんという偏見。
「おいおい、俺だって筋肉だけで生きてるんじゃないぜぇ? 脳は筋肉でも、心はバーニングしてるんだからな?」
「「(脳筋は認めてしまうんだ……)」」
脳が筋肉ってどういうことだろう。
脳筋の意味を知らない私とガレットさんの頭の上にはてなマークがぴょんぴょんと飛び跳ねる。
本人に聞くのが手っ取り早いのだけど、エマさんとベレッタさんの表情が芳しくない。あまり大勢の前で聞かない方がいいやつかもしれないな。
あとでペーシェさんに聞いてみよう。
シルヴァさんの号令でお昼の時間となりました。
メニューは完成間近の試作品であるラザニア。軽食として提供するサンドイッチの試食を兼ねた食事会。
それから余って冷凍保存したモツ料理。モツの二文字を聞くなり、アルマちゃんがおおはしゃぎ。
いの一番に食卓の準備に走った。
サンドイッチはローストした鯨のこま切れ肉を詰め、しゃきしゃきレタスにチーズが1枚。薄く塗られたわさびのペーストが刺激的なひと品。
ラザニアは本番で出すのと同じように、一度冷凍してオーブンで焼き直したもの。これもまた絶品。
さすがヘラさんが市税をつぎ込んで購入した急速冷凍庫。一気に冷凍させることによって食材へのダメージを極限まで減らし、解凍した料理をおいしくいただけるという魔法のような機械。
欲しい。せめてレンタルとかできないだろうか。
私は冷蔵庫を前にして謎のダンスを踊る。なにをしてるんだろうと、首を傾げるガレットさん。冷蔵庫とエキュルイュを連想させて、ゆきぽんの話題を切り出した。
「あ、そうだすみれさん。ゆきぽんのお家はどうなりましたか。たしかエキュルイュで作っていただくとおっしゃっていましたが」
「エリザベスさんに相談したら、雪うさぎは元々木の上で生活してたし、今のシェアハウスでも高い所にいるようなら一度家に入って、ゆきぽんがリラックスできるベストポジションを見つけるのがいいって言ってた。ハティさんはゆきぽんの言葉が分かるし、直接聞いてみようということで、お家を作るのはそれからってことになったよ」
「なるほど、それは楽しみですね。そういえばすみれさんの故郷は島国だということですが、どんなところなんですか?」
「故郷繋がりのお話し? 私も聞いてみたいわ」
ヘラさんも興味津々。関心を持たれるというのはいいものだ。
故郷の話し。
小さな島に収まりきらないくらいの思い出があるぞ。
しゃべり始めたら3日間は止まらない自信がある。
要約しよう。
「えっと、海がずっと広がっていて、畑があって、家があるよ。ここと比べるとすっごく狭くて、本島からずっとずっと離れてる。グレンツェンと比べるとすごく狭くて、何もないけど、そう、お星様がとっても綺麗に歌ってるの!」
グレンツェンと比べてしまうと本当に何もない孤島。おばちゃんたちと住む家の他に、私を育ててくれたおじちゃんたちの家屋が2つ。島には鶏がそこら中にいて、卵を探すのが楽しかったなぁ。
断崖の絶壁で釣りを楽しんだり、土を捏ねて陶器を作ったりと、毎日が同じ繰り返しのように見えて、新しい発見の連続だった。
特に好きなのは夜の星空。快晴の天にはところ狭しと星が瞬いて、キラキラと歌を歌うのだ。
ずーっと輝いてる子がいれば、小さく呟いたり大きくあくびをしたりする子もいる。
時折見られる流れ星は宇宙の旅人。果てしなく続く銀河を駆け回るディスカバリー。
私もいつか、世界中を見て回りたいな。
「グレンツェンで見る星空も綺麗だと思いますが、ここよりもっと凄いんですか?」
ガレットさんの瞳が星空のように輝く。
星空の話しを振られ、私の瞳も星空のように輝いた。
「うん、夜はキラキラしててすっごく明るいよ。でもグレンツェンの夜は少し暗いかも」
天井を見上げ、夜の空を思い出す。グレンツェンの空は故郷の天と比べて少し暗い。
すると、ヘラさんは残念そうなため息をついてしまった。
「そうねぇ、技術革新が進むにつれて、大陸の空は汚れてしまったから、本来の夜の姿を隠してしまってるのね。暮らしがよくなってきてはいるけれど、自然に与える影響は大きくなってしまったわ」
「そうなのですか。ヘラさんは環境汚染に関して敏感に反応されていて、数年前に比べて人の住む環境が良くなってきていると聞きましたが、まだまだ改善の余地があるのですね」
エマさんも残念と肩を落とす。
「本当に困難な課題なのよ。人と自然の歩みを両立させようとすると、悔しいけどすみれちゃんの故郷のような明るい夜は難しいかな」
だけど決して諦めない。言葉に反してヘラさんの笑顔はそう言ってる気がする。
否をつきつけるわけではないが、ダーインさんから諦めも肝心論が出た。
「それは仕方ないんじゃねぇの? 工場を稼働させないわけにはいかないし、そうすると煙や塵が舞うわけだし。しかしそうなると明るい夜っていうのを見てみてぇもんだな。俺の筋肉もそう言ってるぜ!」
ダーインさんの上腕二頭筋が唸りをあげた。
ガレットさんはたじたじ。
「…………そ、そうですね。すみれさんの故郷にも是非、遊びに行きたいです」
「私の故郷に? うん、絶対来てね!」
「私も行きたい! 里帰りする時は声をかけてね」
「わかりました。何もないところだけど、遊びに来て下さいっ!」
きっといつかみんなに故郷を紹介したい。紹介したいと思って何があるか思い返してみるも瞬間、グレンツェンと比べてしまうと何もないことに気付いてしまった。
本当に……何も……無いなぁ…………。
よし、これはまた後日の課題としよう。グレンツェンの便利な環境に慣れすぎて、何もないように感じるだけに違いない。
いいところはいっぱいあるのだから。それを糧に胸を張ろう。
何もなくても、私は生まれ故郷が大好きだから。
楽しい食事もたけなわに、1人また1人と席を立つ。
寂しいけれど、始まりがあれば終わりがある。
だからこそ、終わりがあるから始まりがあるのだ。
食器の販売は修道院の子供たちがやってくれるということで、小売店の担当は修道院育ちで彼らの面倒を見るベレッタさんが担当となりました。
私も厨房担当のシルヴァさんの補佐をするからっ、参考になるか分からないけど、ヘラさんがベレッタさんに教えてる話しをよく聞いてっ、自分の動きを機敏にできるようにしようと思いますっ。
こう、シュバッと動けるように。シュバっと。シュバシュバッ!
アルマちゃんと男の子2人のほうは…………なぜだかアルマちゃんが怖い顔をして、大きな声を出してるから近寄らないでおこう。
君子危うきに近寄らず。これは明らかに危ういやつです。
なのでガレットさんと一緒にシルヴァさんのところへ行き、大量生産されているラザニアのお手伝いをすることにしました。
暇を持て余すダーインさんもやってきて、いざ出陣!
だけど、1万個以上の量を作るという。なんだかとっても大変な予感。
しかし手を動かさなければ終わらない。千里の道も一歩から。そう、この一歩から始まるのです。
「ダーインさんとクスタヴィさんって料理されるんですか?」
クスタヴィさんが答える。
「俺はもっぱら食べる専門かな。ちなみにこれはただ言われるがままに、卵とカットほうれん草とチーズをボウルに入れて混ぜてるだけね」
クスタヴィさんは食べる専門。恰幅からして、なんかそんな気がしてた。
ダーインさんは食べるし作りもする。
「俺はヘイターハーゼの厨房で鍋を振ってて、それで料理もできるようになったんだぜぇ。特に鍋振りは俺様の筋肉を活かせる場所さ!」
ダーインさんは力仕事がすごく得意そう。鍋振りってすっごく大変だもん。体格がよくて力持ちなのは羨ましい。
シルヴァさんが食べ専の兄の夢を教えてくれた。
「お兄ちゃんはベルンの騎士団員志望なんだけど、昨年の試験は食あたりで棄権しちゃったの。だから今年こそはって張り切ってるんだよ」
「昨日、シェリー騎士団長に褒められた時は驚いたの。ちゃんと筆記試験が受けられれば合格しただろうし、実技はほぼ満点だったとは。褒めすぎなの」
妹のシルヴァさんとヴィルヘルミナさんの手際がいい。口と手が動いて、口より手が早い。
「ふわぁ。クスタヴィさんは凄いんですね。騎士団試験って合格したらすぐに入隊だから、とても厳しいものだと聞いたことがありますが」
ガレットさんの手は遅い。仕方ない。慣れてないから。
「そうだね。寄宿生試験よりは難しく設定されてるはずだよ。でもシェリー騎士団長の言葉を貰って自信がついた。今年こそはやってやるさ!」
クスタヴィさんはガッツのポーズでやる気十分。夢に向かって突き進む人の笑顔というのは輝いてる。ぜひとも頑張っていただきたい。
ガンバガッツを作る兄。
気を引き締めろとばかりにため息をつく妹2人。
それは期待の裏返し。
「緊張したからって食べすぎたり、昨年みたいに普段と違う物を食べてお腹を壊したりしないでよね」
「そう言うと、食べないで本番で力が出ないとかってなりそうなの」
「お兄ちゃんは妹たちがしっかり者で嬉しいよ……」
談笑の合間に面白いの喝采が上がる。手を動かしながら鼻歌を歌うかのように調理が進んだ。
みんなはそうでもなさそうだけど、私にとってはこうして誰かと手を取り合って何かをするということは、とても新鮮な経験だ。
おばちゃんたちと一緒に遊んだり釣りをしたりといったことと同じに思える。
だけど、やっぱりどこか違う気がする。年近い人達と年配の人達との会話は内容もテンポも違った。受け答えの仕方や冗談のベクトルも全然違う。
だから会話をするだけで懐かしいと感じながらも、新しい発見に満ちていた。
今日は昨日の繰り返しと言うけれど、今日は昨日と少し違う。
その違いがとてもキラキラしていて、両手に収まりきらないほどの素敵で溢れていた。
電車から見た景色も。
空に浮かび流れる雲も。
庭園で揺れる木々の囁きも。
同じようで全然違う。昨日と違ってすっごく素敵!
昨日も素敵!
今日も素敵!
きっと明日はもっと素敵!
日も暮れ始めて夜の息吹が身を縮こませる。春になったとはいえ、昼と夜の寒暖差はなかなか激しい。
お天道様が見えなくなる前に解散して、家に帰る頃にはお月様がこんばんは。
晩御飯の支度をするキキちゃんとヤヤちゃん、それから講義を終えてルーィヒさんたちと勉強をしていたハティさんに、『おかえりなさい』を言ってもらった。
誰かが待ってくれてるっていうのはとってもいいことだなぁ。
『ただいま』を言うと、『おかえりなさい』が返ってくる。
この『当たり前』が、いつまでも続きますように。
夜って本当はかなり明るいんですよね。
空気が淀んで見えないだけなんですよね。極めて残念です。
すみれの故郷に行く回を予定しています。かなり先ですけど。
なにせ複数キャラの主観で同じ一日を描いているので超鈍足ペースです。作者自身、フラワーフェスティバルの準備期間だけでどんだけやってんだって思いますね。寄り道を通り越して迷子です。重要箇所の構想は最初にしていましたが、恐ろしく余談が増えていきます。キャラが増えるだけストーリーが踊り始めるので収拾がつきません(爆笑)
空中散歩も最初はシェリーやベレッタが出てくる予定はありませんでした。
作者のストーリー作りの流れは設定したキャラが勝手に動きだして、それを見て文章にしていくスタイルなので途中で突然に新規キャラが現れたりします。マルコとその取り巻きなんかも突然現れた部類です。作者自身、全く予期していませんでした。
物書きがキャラの管理をしていないとかどうなん?
って思うかもしれませんが、まぁ色々とあるんだと思います。
そんなもんだと思っていてください。




