Oh! なんと楽しい日和かな 3
図書館1階のカフェテラス。1800mにも及ぶ大図書館を支えるのは、観光客向けの飲食店を中心に、お土産屋さんの立ち並ぶスペース。庁舎の人が仕事でよく使う文房具などを販売する雑貨屋さんなどなど、多種多様な業種のテナントがひしめいている。
ハティさんと友人と3人でランチ。どこにしようかと見渡して、ちょうど空いた席に着席する。ナイスタイミング。
お昼時ともなればガーデンテラスは人でいっぱい。タイミングにもよるけど、座るだけで大変である。
さて、季節の花々で彩られた庭園を眺めてガールズトークに華を咲かせるのだ。
今日のところはガールズトークというより質問攻め。それもかなり一方的な。
「ハティさんはグレンツェンには何のために来たんだっけ?」
「それはね、文字の読み書きができるようになるため」
それなら留学しなくてもよいのでは?
ちょっと深堀りしてみよう。
「文字の読み書きができるようになって、何をするの? 実生活に必要だとかかな?」
「それもある。だけど、シャングリラの子供たちに絵本を読んであげて、『お姉ちゃんすご-いっ』って言われたい」
なんとまぁ、理由が超子供っぽい。キッチンを通して彼女の行動パターンを省みる限り、ハティさんは見てくれのわりに子供のそれと似てる。
思いついたら即行動。
好きか嫌いかで物事を判断する。
人に褒めてもらいたいがために全力疾走。Etcetc……
子供独特のかわいらしい一面が勢ぞろい。そりゃあまぁ、彼女の純粋な想いのおかげでこの数日間、とっても楽しい時間を過ごさせてもらった。
ついでに肝の冷える思いも多数。は、まぁいいとして。
理由はどうあれ、ガソリンとエンジンの準備は万端。あとはハンドルとブレーキとアクセルの操作が上手になれば、彼女のできることは格段に広がる。
いや、できるようになるべきことが多すぎるな。
それを除けば、人脈も豊富。魔法の扱いも相当なものなのだからなんだってできる。なんにだってなれるはず。
ボクがすべきは彼女が楽しく文字や文章をマスターすることなのだ。
自称24歳になるまでいったいどんな不思議な人生を送って来たのかはこの際、問うのはやめておこう。
きっと答えの出ない、というより、彼女はそんなことを意識して生きてきてはいないのだろうから。
前祝いの席で出会った暁さんとのやりとりを見る限り、周囲が彼女の感情を雰囲気で感じ取って、歯車がうまいこと噛み合ってきたに違いない。
ハティさんはそんな幸運と魔法の技術で世渡りをしてきた野性的ラッキーガール。そうとしか考えられない。
「姉妹がいらっしゃるのですか? いいですね姉妹。わたしは一人っ子なので憧れてしまいます。それに理想郷だなんて素敵な地名ですね。どんなところなのですか?」
質問したのはユカ・ストーンフィールド。同い年の小柄な少女。宝石店の跡取りであり、ペーシェとボクと同じ作家志望。
ハティさんは聞かれ、大好きな故郷の景色を語る。
「ちっちゃい子がいっぱいいる。みんないい子ばっかり。シャングリラはね、おいしい野菜や果物がいっぱい生るよ! それから港町もある。いろんな人たちがいっぱいいて、すっごく賑やかで楽しい!」
でたぁー、ハティ節。
言葉数が少なくて、彼女なりに要点を掴んでるんだろうけど、聞き手からすると情報不足で何が言いたいのか分からないやつ。
アポロンの手を引いて牛を貰いに出かけた時も『お肉……ちょっと行ってくる!』のひと言だけ。
追加の食材でも調達してきたり、サンプルになるような物を持ってくるだけかと思ったら、牛ごと連れてくるのだから驚いた。
5頭も引いて帰ってきた時は、『あぁ、この人の手綱をしっかり握っておかないと、暴走して大変なことになる』と思わされたものだ。
ついでにいうと、貴女と比べると殆どの人間はちっちゃい子だよ。
グレンツェンに来る前はシャングリラと呼ばれる場所にいたそうだ。
もしかしたら、その土地にいる人たちにもあまり詳しい説明をせずに来たのではないだろうか。であれば心配してるのではないだろうか。
不安が胸によぎるも分からないことだ。今は考えないでおこう。
素敵ポイントにフォーカスしよう。
「姉妹に絵本を読んであげたくて勉強しに来るだなんて素敵なことなんだな。ボクでよかったらいつでも力になるんだな」
「ほんとに? ありがとう!」
「わたしも是非にお手伝いさせて下さい。なんだか楽しそうです」
「わぁ、ありがとうっ!」
感謝の言葉とともにハンドをシェイク。力が強すぎてクラッシュしそう。
ユカは古くから続く宝石商の一人娘。実家兼商店はオーロラ・ストリートにあり、貴族相手にも商売をする由緒正しい老舗なのだ。
彼女の両親は家督を継いで欲しいと願っている。
親の心子知らず。メルヘン少女のユカ・ストーンフィールドの夢は絵本作家。妄想癖がちょっと激しい脳内お花畑ガール。
彼女とボクたちは作家志望で同い年ということもあり、よく遊びに出かける仲なのです。
今日もこうしてお昼ご飯を待ち合わせたというわけ。
ユカもボクと同じような性格。面白そうな人や物に強い興味を持つ習性がある。そして良く言えば寛容。悪く言えばいい加減な性格をしてるので、ハティ節にも寛大な心で接することができるであろうという腹なのだ。
案の定、何を言ってるのか分からない、かつ、どうでもよさそうな発言には必殺『そーなんだー』を連発して聞き流す。
さすが興味のあることにのみ熱中し、興味のないことにはとことん関心のない性格。いっそ惚れ惚れしますわ。
昼食を共にしながら、ハティさんがどのくらいの文字を読めるのかを確認してみると、よく見かける単語は覚えていて、なんとなく見たことのある文字や文章は感覚で覚えている。
駅の名前やお店の看板などは、他人が発声してるところを聞いて少しずつ覚える努力をしていた。
最も大事な『意欲』は旺盛。これがないとどれだけ覚えてもらおうと努力してものれんに腕押し。彼女は自助努力もしてるのでゴールは目前であろう。
試しにテーブルに置かれたメニュー表を見せて、どの文字が読めるか上から順番に示してもらう。ランチメニューには単語はもちろん、フレーバーテキストとして、ごく簡単な説明文が明記されている。
彼女の趣味は食べること。であれば食べ物関連を教材に混ぜて覚えさせる方法が効果的であろう。まずはこれで具体的な理解度の確認といきましょう。
幸いなことに難しい表現は使っておらず、万人に分かり易く理解できるよう、基本的な文法が心がけられた。
こういうところはさすが世界中から観光客や学徒の集まるグレンツェンと言うべきか。細かいところまで行き届いていて助かります。
上から順に単語を読んで声に出す。ところどころたどたどしい部分があった。前後の単語や状況を鑑みて、これが『~の』だとか『~なので』の助詞も手探りながらに読めている。
想像していた以上にすぐ覚えられそう。
好きなことや興味のあること、何よりやりたいことがある人は覚えが早い。好奇心こそ学びを楽しくさせる潤滑油。であれば我々は彼女の背中を押してあげるだけ。
ボクたちで手助けもしながら全部読み終えて達成感に汗を流すハティさん。
やりきった感を全面に押し出した表情で、『読めるようになった』とガッツポーズ&グッドスマイルを向けてくれる彼女のなんとかわいらしいことか。喜んでもらえれば教え甲斐があるというもの。
こっちもこっちで楽しい時間を過ごさせてもらったよ。特に『ビーフ』『ポーク』『チキン』などのお肉に関する単語を発する語気の上がり方が露骨で面白かった。
それこそ隣でご飯を食べてる人が、何事かと振り向いてしまうほど大声を出した時は笑ってしまった。
「すごい頑張った。人生で一番頑張ったかもしれない。本当にありがとう!」
「人生で一番っ!? まぁ喜んでもらえて何よりだよ。でもハティさんの学びは始まったばっかりだから、もっといっぱい頑張ろうね!」
「そうですね。今は見て読んだので、書けるようにもなりましょう。子供向け文房具店には低年齢対象…………簡単で分かりやすい国語の教材が置いてあるはずなので、それを参考に自宅で勉強をされてみてはいかがですか?」
「それいいね。あと、国語系の義務講義と自由講義は複数あるからとってみるといいよ。時間に余裕がない場合は過去のビデオクリップがグレンツェンのオフィシャルサイトに掲載されてるから、必要なのを購入して、いつでも閲覧できるようにしておくと便利だよ」
「びでおくりっぷ……? って何?」
義務講義ないし自由講義の過去のビデオクリップとは。講義の様子を録画したデータのことである。
座学の場合、講義の内容は録画されていて、録画データはグレンツェンのオフィシャルサイトにアップロードされ、購入することでいつでも閲覧することのできるサービスがある。
これにより、仕事や病気などで講義を欠席してしまった人、途中で興味を持った人などが時間を気にすることなく学業に勤しむことのできる素晴らしいシステムなのだ。
このサービスはグレンツェンに住んでる人にとどまらず、ベルンに住む人や海外の人たちも利用でき、自宅にいながら、グレンツェンにいなくても講義を閲覧することが出来る。
子供のみならず社会人をも対象にしたグレンツェンの教育理念ならではの配慮だ。
なのでさっそく、ハティさんにスマホとSNSの使い方を伝授。購入にはお金が必要なので、閲覧一歩手前まで教えておいた。まだどれをとればいいか判断ができないから、これ以上は進まないように釘を刺しておきましょう。
でないとあれもこれもとビデオを買ったらお金が足りない。
時間に自由が利く分、顔と顔を見合って受ける講義に比べて少し割高なのだ。これにはグレンツェン側の仲介料や動画の編集をする手間賃だとか、色々と経費の関係もあるので仕方ないところ。
初めての、それも慣れない作業にハティさんは悪戦苦闘。だけどやり切ったあとの顔はとても清々しい。
「覚えることがいっぱいあって大変。でも、いっぱい新しいことを覚えられて楽しい。あ、そうだ。お礼にランチのお金を出させてほしい」
「いいんですか? ではせっかくのご厚意なので、ありがたく頂戴いたします」
「わぁ、ありがとう! じゃあお願い。あっ」
あっ、と言葉が漏れたのはヤヤちゃんの言葉を思い出してのことだった。
ヤヤちゃんからハティさんについての注意事項の1つに、『彼女には金銭感覚が殆どないから、会計を一緒にする時は助けてあげてほしい』と、言われたんだ。
本当に、どんな生活をしてたんだろう……。
これまでの印象では、食べる物は自給自足で狩りをして、その日暮らしをしてたのではないかと疑ってしまう。
キッチンのために集めた食材も、お金を対価にしたものは1つもない。逆に人脈と実力で獲得してしまうところは驚愕と言うか、そういう魅力的な人間になりたいと憧れてしまうほどだけど。
とりあえずは彼女の挙動を観察しよう。助言をするのはそれからでも遅くはなかろう。
ヤヤちゃんから渡された財布を取り出して中身を確認する。テーブルに置かれたレシートの総額は3154ピノ。
対してハティさんの持ち合わせは2000ピノ。
足りない……。
ハティさんは、『お金があるだけ食べてしまうから、外食や買い物は財布の中にある金額以内で済ませるように言われていた』と、ヤヤちゃんの言葉を思い出して焦る。どうしたものかと右往左往した。
金銭感覚。普通は手元にあるお金を確認してから物を買うものだけど、食べたい物を注文したあとに財布の薄さに気付くところを見ると、本当に金銭感覚がないらしい。
いやぁ実に…………面白い!
「あぁいいよいいよ。また今度奢ってもらうからさ」
「せ、せめてこの2枚だけでも」
「いや、それを払っちゃったら本が買えないんじゃ」
「大丈夫。跳躍んで帰る」
「ハティさんはグレンツェンに来て間もないから知らないだろうけど、基本的にグレンツェン内での許可の無い空間移動は禁止だよ。危ないからね」
「大丈夫。転移先は千里眼で大丈夫なのを見てるから」
「いや、そうかもしれないけど、とりあえずダメだから。ちなみになんだけど、ダイナグラフやアイザンロックに行った時はキッチンの活動ってことで、ヘラさんの口利きで目を瞑ってもらってるみたいだから勘弁してあげて。てか、千里眼ってどういうこと?」
「たしか空間や距離を越えて指定した座標の周囲を見る魔法ですよね。でも犯罪に使われる可能性が高いということで、国際法で禁止されているはずでは?」
使ってはダメなことに驚きを隠せないハティさん。
ツーアウトを目の当たりにして、国語力の育成より先に、ボクたちはグレンツェンでのルールを覚えてもらう方が先だと確信した。
こんなところでもハティ節が炸裂。どんな問題も魔法でなんとかしてしまう、魔法でなんとかできてしまうという常人の常識から外れた離れ業。
空間移動だけでも並みの人間の所業ではないのに、それにくわえて千里眼だなんてチート技まで扱えるだなんて、本当になんなんだこの人。もはや魔王とか勇者とかいう次元の人なんじゃなかろうか。
チート技と形容したが、千里眼の魔法はそこまで難しくなく、訓練すれば一般人でも使いこなせるようになる。ボクに魔法の知識がないことが露呈した瞬間だった。
とかく支払いは各人でと提案するも、頑なにこれを拒否。こんなこともあろうかと、暁から持たされたものがあるから大丈夫と口角を上げて自信満々。どうにかして支払いをしたいらしい。
多分アレだな。お姉さんっぽいことをして尊敬されたいのかな。
勉強をするためにグレンツェンに来たと言った。動機は子供たちに『すご~い』と褒めてもらいたいから。
お姉さんとしての羨望の眼差しを集めたいという欲求が強いのは間違いない。
まぁ支払いをしてくれるというのはありがたい話し。せっかく上がった彼女のテンションを無碍に下げるデメリットは大きすぎるので黙っておこう。
黙っておこうと思ったけど、異次元書庫から取り出したそれらを見せられては黙っておくわけにもいかなかった。
ボクは顔を真っ青にして、宝石商の一人娘は頬を紅潮させる。




