Oh! なんと楽しい日和かな 2
アイザンロックに行った時も、文字を読んだり書いたりする場面を見たことはない。
知り合ってすぐに食材を買いにスーパーに行った時も、名札を見ずに欲しい物を片っ端からカゴに入れた。
違和感はあった。だけどまさかそんなことを考えてもみなかった。
この人、文字が読めないんだ。
ダイナグラフやアイザンロックで彼女の行動や過去を見聞きして、随分と野性的な人生を送ってきたんだなぁと思った。まさかここまでとは。
やはり、ボクのレーダーは正しかった。
ヘイターハーゼで感じた只者ではないオーラは本物なんだな。
面白い。面白いよこの人。
彼女の過去はどんなものなのか。興味が湧いて仕方がない。
文字の読み書きができないまま、どうやって今日まで生きてこれたのか、想像できない。
想像できないからこそ知りたい!
しからば突撃取材と行きたいところ。だけど、興奮して紅潮する心を自制しよう。今自分がここにいる理由を反芻しよう。
義務講義の代打。そう、代打でここに来てるのです。では、その責を全うするのが最優先。
ちょっと動揺したので呼吸を整えて口角を上げましょう。
「さぁさぁみんな。そろそろお勉強の時間ですよ。今日はみんなが大好きな赤ずきんちゃんのお話しです♪」
振り返って大きな返事が返ってくる。いつもと違う先生が目の前にいて、不思議な顔をする生徒に代打の件を伝えると、これまた素直にそうなんだと納得してくれた。
納得してくれなかったら困るのだけど。
そこはまぁ見た目の柔和さが効いてるのか、掴みは上々。
子供相手には第一印象が大事。感情でモノゴトを判断するから特に大事。
大人はそんな彼らの心情を汲み取ることができるかどうかで懐の大きさが変わってくるのだ、と思う。
幸運だったのは、ハティさんが子供たちの心をわし掴みにしてくれていて、ボクと彼女が友達だということ。
友達の友達は友達という言葉がある。ハティさんのおかげで、見ず知らずのボクのお株をプラス域から始められた。
これは本当に大きな一歩だ。ありがとうハティさん。今度、ランチを奢らせて♪
だけどなんていうか、積極的なのは素敵なことなんだけど、貴女が一番前の席にいると、後ろの子がボクの顔を見れないんだなぁ。
やんわりと指摘すると、しまったという顔をして並び直した。本当に気付かなかったんだな。目の前の物に夢中になると周りが見えなくなるところは子供のそれと同じ。
まだ腰が低いだけ良い。素直に話しを聞いてくれるところも素敵。
クソの役にも立たないプライドを持ったカッコ悪い大人だと手に負えないところだった。
彼女に限ってそんなことはないだろう。でも、何をしでかすか分からないのはキッチンを通して身に染みてるから、用心しておかないとなんだな。
今日の題材はみんながよく知ってる【赤ずきんちゃん】。
原文は子供たちにとってかなり凄惨でダークなファンタジーなので、教育用かつ子供向けの物語は極めてマイルドなものになっていた。
ボクはこっちのマイルドな方が好きなのだけれど、原文はあのペーシェが絶賛するほどの仕上がりになっている。
最後はハッピーエンドで終わるものの、道中が絶望で満ち満ちてるのでボクは最後まで読み切るのに1か月かかった。
マイルドな赤ずきんちゃんは――――
おばあさんのところへ赤ずきんちゃんがパンとワインを持って行きました。
おばあさんはオオカミ男に食べられていました。
オオカミ男をやっつける為に旅に出た赤ずきんちゃんは道中、パンを与えて猟師を仲間にしました。
さらにワインを与えてオオカミ男をやっつける為の銀の弾を手にいれました。
オオカミ男を見つけ、赤ずきんちゃんと猟師は罠を張り、最後には復讐を遂げて幸せに暮らすというお話し。そんな感じの物語。
「――――そして赤ずきんちゃんは幸せになりました。めでたしめでたし♪」
「「「「「――――そして赤ずきんちゃんは幸せになりました。めでたしめでたし♪」」」」」
「みんな元気に読めたねー。分からなかった言葉とかあったかな?」
問うと元気よく挙がる手にひとつひとつ応える。
これが先生の醍醐味。逆に言えば真価が問われる瞬間。
彼らの知的好奇心を満たせるかどうかで、彼らの学習意欲が促せるかどうかにかかってくる。
とはいえ子供の頃から何度も読み聞かせられたお話しの1つ。しかもこちらには大人の最強武器【カンニングペーパー】が存在する。
そう、大人は学生とは違ってカンニングをしてよいのだ。
頭の中の記憶なんてすぐに忘れてしまう。相当に興味のあることや、印象深いものでなければ即忘却の彼方。ほぼほぼのことは忘れてしまう自信がある。
なぜなら人間の脳は記憶したものを忘れるようにできてるから。忘れないようにメモをすると同時に、忘れる為にメモをするのだ。
手元には歴戦のカンニングペーパー。多種多様なQ&Aが記録されていた。
こんな質問をしてくる子供がいるのかよ、というような目を疑う問いにも的確な答えが記されている。さすが経験値の高い武器は違いますなぁ。
レベル10のボクでも、レベル999の武器があれば魔王だって倒せる気がする。
悠々とした身のこなしで彼らの疑問を納得に変化させていった。
なるほど、先生すごーい!
そう言われるたびにドーパミンがあふれ出す。いやぁいいもんですなぁ。ファンタジー小説家をしながら、子供向けワークショップを副業にするなんて人生もいいかもしれない。
楽しい気分から一転、相変わらずのハティ爆弾が投下。
不発弾。あるいは晴れた日の落雷。
「ねぇ、ルーィヒ。これ、私が知ってるのと全然違う」
おっとっと、それ以上はちょっと待って。
それって多分、原文のことを言ってるんだよね。
その存在を知るのは子供たちにはまだ早いから気付かせないで。
たとえ知ったとして嫌悪感を催すならいいのだけど、いやよくないのだけど、1周回ってペーシェみたいにダークファンタジー大好きっ子になってもらうのは教育の観点から言ってよくないからやめて!
なぜなら赤ずきんちゃんの原文の中身は、さすが古い童話と言うべき造形。
おばあさんを狼に殺され復讐に燃える少女の前に2人の双子が現れる。愛する双子の義兄妹と童話の賢者と呼ばれる男と共に、狼男の足跡を辿りながら世界中を旅してまわり、喜びと絶望を繰り返しながら仲間との結束を高めていく。
しかし終着の地で知った真実は、信じていた絆を裏切るものだった。狼の正体は双子の片割れ。心の底から愛した義妹だったのだ。
涙の末に復讐を完遂した少女は絶望の中、死に場所を求め戦場へと身を投じ、最後まで生きると誓った童話の賢者にすら裏切られ、ひとり孤独に生き延びてしまうという物語。
そこから先は描写されてはいないが、少女はその後、戦争を勝利へと導いた英雄として称えられ幸せに暮らしたとか。貴族の位を頂いて国王の妃になったとか。
はたまた戦場で戦死したというアナザーストーリーが作られている。
結末は後世の空想だから諸説創作された。とにかく道中の希望と絶望の落差が激しすぎて、子供には刺激が強すぎるのだ。それこそ目を覆いたくなるほどに……。
平常心を装いながら、『今ではいろんな人が同じ題材で様々な物語を書いてるから、きっとハティさんは別の赤ずきんちゃんを読んだんだね』と原文を隠しつつも嘘を吐かない範囲で話しを逸らした。
付け加えて、『いっぱい文字や文章が読めるようになったら、グレンツェンに収めてある面白い本がいっぱい読めるようになるよ~。そうしたら大人が読んでるような難しい本も楽しくなるね』と学習意欲を促しておく。
あ、一応言っておくけど、決してSから始まる楽しいXな本のことを言ってるのではない。
専門書や料理本のことである。決してSから始まる楽しいXな本のことを言ってるのではない。大事なことなので2度言っておこう。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、子供たちがはしゃいだ後の部屋はすっかり片付けられた。最後に講義の報告を担当教諭に送ってお仕事終了。
終了したので、ハティさんをお昼ご飯に誘って話しを聞くことにするんだな。




