Oh! なんと楽しい日和かな 1
お祭りの準備から少し離れて講義の話しが少し顔を出します。
学校物の妙は授業風景がほぼほぼ出てこないところですね。逆に面白いです。
まぁどうしてもイベント物をやりたくなりますね。仕方ないです。映えないですからね。
そんなこんなで今回はハティがグレンツェンに来た目的を果たそうと頑張る回です。
以下、主観【ルーィヒ・ヘルマン】
おめめぱっちり、朝すっきり。
夜まで大宴会をして、酒まで飲んだ次の日とは思えないほどすがすがしい朝を迎えてます。
どうも、ボクの名前はルーィヒ・ヘルマン。ファンタジー小説家を夢見て、グレンツェンで学業に勤しむ16歳の少女なんだな。
今日はアルバイト先の保育園の先生経由で、義務講義を開いてる教授からヘルプを頂き、1コマ担当することとなりました。お題目は初等教育で行う『楽しい言葉を学ぼう』という講義。
ようするに、8歳程度の子供たちに語学を教える国語の授業です。
ここでは子供たちに新しく学んだ言葉や感性を自宅に持ち帰り、両親と共に学びの楽しさを拡張してもらうための一助を担うことが目的。
そう、言葉や国語力を覚えるのが目的ではない。学ぶ楽しさを体感してもらうのが目的なのだ。
覚えるのはその過程。学びというのは楽しければ勝手に進んでいくものです。
だから教える側に求められるものは、一方的に学びを強要したり知識を押し付けるものではなく、【知ることは楽しい】と思わせることであります。
言うは易しでこれはなかなか高度な次元の物語。
楽しいと思うのは人それぞれに違うわけで、得意不得意、好き嫌いに左右されやすい。そんな悪感情をいかに払拭し、自ら進んで歩みたいと思わせるかが鍵なのです。
ま、その鍵っていうのは、いかに教える自分自身が楽しく自信に満ちているかにかかってるんだな。
グレンツェンで学ぶ分にはそうは思わなかったけど、外国の学習意欲に関する論文を読んでると、勉強が楽しいと思えない理由に教師が関係していることが分かっていた。
そんな感情を抱く生徒の教師への視線はこうだ。
偉そう。
押しつけがましい。
生徒に無関心。
事務的。
無感情。
差別的etcetc……
これらのことを客観的に見てみると、生徒は教師のことをよく見ていて、資質を見抜こうとし、教えを乞うに値するか値踏みをしてると判断される。
教える側からすれば面白くないだろう。世の中を知らぬ青二才に、自分の価値を決められようとしてるのだ。
未成熟な価値観で己の存在価値に数字が付けられるのだからたまったものではない。
悪く言えば生意気。
しかし生徒からすれば、人生を左右するであろう貴重な時間を、彼らに割くだけの価値があるのか不安に思い、疑いながらも信じようとしてると言える。
ここまでの判断材料で結論を言おう。
生意気と思って腹の中で子供を侮辱する教師の受け持つ生徒の学力は低く、学習意欲も低い。
なぜなら学ぶことが楽しくないから。
そんな大人を見て未来に希望が持てないから。
半信半疑の子供は大人を本当によく見ている。
生意気と感情的に決めつけて侮る大人は子供を見ていない。
負のスパイラルが学びの意欲を損なわせている。
それがよく知るグレンツェンの教育委員会は日々、楽しく学びを促すことに尽力してるのだ。
あぁ~~そう思い返すとなんだか緊張してきたぁーー。
まずは見た目。メイクはナチュラル。髪型は大きな三つ編みを肩にかけ、包容力のある頼れるお姉さんを演出。
服装はビシッと決めながらも、とっつきやすい万人受けコーデ。色は明るいピンクを中心に暖色でアプローチ。
これがルーィヒ流完全武装・デキる子供向け大人ファッション。
「相変わらず気合い入ってるねぇ~。友達と遊びに行く時より決まってる」
従姉妹のペーシェが感心した面持ちでミルクをすする。
いつもの風景を前にして、少しだけ緊張がほぐれた。
「ある意味、緊張の裏返しかもしれないんだな。でも子供には第一印象が特に大事。彼らは論理を蹴っ飛ばして感情で物を語る。頭ごなしな大人の論理は、たとえ社会的に正しくても彼らは理解できない。ゆえに感情が最優先。もちろん論理を理解させる努力は怠らない。教育現場は戦場なのだよ、ペーシェ君」
「さすがはルーィヒ先生でありますっ!」
最愛の友人にしばしの別れを申し渡して、いざ出陣。
図書館の一室。4人が座れる長机が4つ、横にきちんと整列する。窓の外を覗くと、グレンツェンの街を一望できるベストポジション部屋。
屋上庭園から時折舞い落ちる花びらが幻想的で情緒的な景色を彩るとあって、知る人ぞ知る秘密の場所なのだ。
素晴らしい景色は人の心を豊かにし、感性を育むというヘラさんの信念から、子供たちが受ける義務講義の講義室はグレンツェンの歴史を感じられ、優しく華やかな場所を勧めてくれる。
さすがはグレンツェン伯爵の意志を継ぐヘラさん。頭が下がる思いです。
かくいうボクも子供の頃はここで義務講義を受け、この場所から見る景色が大好きだった。
だから彼らのように早くここへ来て、春のグレンツェンを一望するために背伸びをする姿を見ると、やっぱりグレンツェンはいいところだなぁと感服してしまう。
既に何人かの子供たちは扉を開けっぴろにして窓ガラスに張り付いていた。
小さい影がぴょんぴょんと跳ねながら、あの人は何をするのだろう。向こうの人はよく挨拶してくれる花屋さんだ。そんな会話に華を咲かせながらはしゃいでいた。
いやぁ、やっぱり子供は無邪気でかわいいなぁ。
特に一番大きな背中をしている彼女なんか、小さな子供たちにあっちこっちと指をさされて右往左往してる。
膝まで伸ばした金色に輝く髪を三つ編みにして、右に左にふわり揺らした。
天井まで届きそうな背丈は、子供が見上げるとまるで山のような威圧感だ。大人の男よりも大きな体は巨人を連想させる。
しかし落ち着いた口調は歳相応に静かで力強く、神々しさすら感じた。
どこか見覚えのある雰囲気だ。あぁそうだ、ハティさんだ。
厳かで瀟洒。だけど少し抜けていてかわいらしく、清廉な心は見ていて清々しい。
向かうべき女性の姿と言っても過言ではないかもしれない。
どの子かの親御さんかな。
よく見るとハティさんそっくりだ。
服のセンスもエスニックな髪飾りもうりふたつ。
というかハティさんじゃない?
あ、やっぱりハティさんだ。
なんでこんなところにいるんだろう。
そういえば追記事項で、『最近引っ越してきた人が今日から新しく講義を受けるからよろしく』って言ってたっけ。たしかハティさんは最近引っ越してきた人だったな。
え、ということは彼女が新しく講義を受ける人?
だってこの義務講義は7~9歳程度の子供に文字や文章を覚えさせるものなんだよ。
ハティさんって24歳 (自称)って言ってなかったっけ。
…………思い返せばキッチン・グレンツェッタの出来事をスマホで情報共有をする時、ハティさん発の発言は全部、すみれ経由で発信してたな。
通信機器の扱いが苦手なものだとばっかり思っていたけれど、まさか、文字が読めないのでは?




