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求めるなら与えよう 4

 バストはよだれを垂らしながら鼻をすんすん鳴らして、ニャニャのニシンのパイ包みを凝視する。

 猫だから魚が好きなのかな。ニャニャがフォークを突き刺して、湯気がぼわっと吹き出すと、酔ったようにふらふらと目が回る。

 またたびが入ってるんじゃないだろうな。

 ぱくりあむあむと食べる彼女の咀嚼に合わせてバストの口ももぐもぐした。

 随分とお気に召したようだ。だったらそれにしようかと提案すれば、彼女は大きくヘッドバッドをする。


 ご所望の品と、せめてもの心付けにオレンジジュースを一杯添えて、彼女の目の前に差し出した。

 まるで宝石でも見るかのようなキラキラとした目で見下ろし、口に運ぶ。

 言葉にならない歓喜の雄叫びを上げて一目散に平らげてしまった。よほどおいしかったのか目に涙まで浮かべて、『おいしいおいしい』と、ただそればかりを繰り返す。

 コップに注がれたジュースをストローでちゅうちゅう吸うと、飲んだら飲んだだけの涙が頬を伝った。


 エスニックな衣装をしているところを見ると、彼女の食生活は現代人ほど複雑なものではなさそうだ。

 網で魚をとって、串に刺して火で炙る。果物は皮をむいてそのまま食べる。それはそれで素材そのものの味を楽しめるというもの。

 ともすれば、贅沢な工程を踏まれた見ず知らずの料理はさぞ新鮮であろう。

 そう空想して、彼女の漏らす言葉に私は息を詰まらせることになる。


「おいしい……やっぱり、人と共にする食事は…………おいしいなぁ…………」


 辛い思い出の中に愛しい郷愁を垣間見て、彼女は大粒の涙を流していた。

 何があったのか、それを聞くまいと決心したにも関わらず、私は感情の動かされるままに問うてしまう。

 その涙の先に何があるのか。いても立ってもいられずに、バストの心に触れたくなった。


 曰く、数百年も昔のこと。ウルタールは人と猫が生活する素晴らしい街だったという。

 しかし大きな戦争の終わりを機に、ある人間が猫を誘って無残に殺す事件が頻発した。

 ことを荒立てたくなかったバストは人間の長に相談し、内密に解決するように依頼する。しかし猫をおびき寄せて殺していたのはその長だった。

 真実を知るは遅く、街の半数の猫たちは殺害され、怒り狂った彼女は眷属の死に携わった人間を殺して回ったのだという。

 さらなる神の怒りを恐れた罪のない人間は、火の粉が降りかかることを恐れ街を捨てて去ってしまった。


 戦争に出た息子の死に病んだ長が八つ当たりに猫を殺していたのが原因といえど、きっかけは同情に値する。

 もしも報復に彼を殺すのではなく、彼の心を癒せたのなら、きっとこんな結末にはなってなかっただろうと、永い時の中、ずっとずっと後悔をしたのだ。


 心を塞いだ神はその土地から出ることもままならず、しかし街の噂を流したであろう人間の音によって誰1人として訪れる者はいない。

 時折迷い込む旅人に話しかけてみようとしたが、傷つくことを恐れて遠く背中を眺めるばかり。

 最近、ある青年に出会い、街を立ち去ったものの、勇気を残していってくれたこともあり、少し前向きになった矢先、私の魔法陣が現れた。


 これは好機だ。

 いや、運命だ。


 自分と、そして廃れゆくウルタールを救う最後の希望に違いない。

 だから思い切って飛び込んだ。だけど、本当のことを言ったら嫌われてしまう。人間を殺した猫など、人が好き好んで傍に置くはずがない。

 さりとて隠し事はいつかバレる。そうなっても関係は終わる。

 差し伸べた手を払いのけられるのが怖くて言い出せなかった。

 去っていく背中を見るのが辛くて苦しかった。

 だけど、悲しみと後悔を乗り越える勇気を貰ったのに、前に進まないだなんてできなかった。


 普通の神経なら、慄き恐怖にかられるがままに彼女と距離を置くだろう。

 生物としての生存本能がそうさせた。当たり前だ。人を殺したことのある者に会えば誰だってそうなる。自ら公言するのだから間違いないのだろう。その事実は彼女の涙が語っている。


 裏切られて、後悔して、途方もない赦しを求めて昏い闇を彷徨った。

 やっと掴めそうなところに光明を見出し、しかしそれは幻の如く儚く、触れようとするだけで遠のいてしまう蜃気楼。

 いくら走っても追いつけない。

 どんなに求めても手に入らない。

 このもどかしさが、苦しみが、自分に与えられた罰なのか。

 いつ晴れる?

 いつ赦される?

 誰か、助けてくれ…………。


 彼女の必死の叫びを聞いて、居ても立っても居られなくなった。手を取り、握りしめ、抱きしめて叫んだ。


「求めるなら与えよう。赦しも、喜びも、快晴の空も。だから、だからもう泣くな。また一緒に手を取り合って、おいしいご飯を食べたいというのなら、少なくとも私はいくらでも付き合ってやる。もう十分悩んだだろう。もう十二分に苦しんだだろう? これからは楽しく生きよう。お前と、お前の仲間たちも含めて、な?」

「そうです。ニャニャだってこうやって一緒にご飯を食べたいです。もっとウルタールのことを知りたいです。なんならニャニャがウルタールの住人になるです。猫さんたちに囲まれて暮らしたいですっ!」

「それは私も大いに賛成」


 シリアスな展開に真顔で反応してしまった。だって猫に囲まれて暮らしたいもん。


「そうですわ。バストさんは十分すぎるほど罰を受けています。これからわたくしたちと一緒に歩んでいきましょう」

「そうです。またこうして一緒にご飯を食べながら、今度はガールズトークに花を咲かせましょう! 私もバストさんのこと、もっとたくさん知りたいし、私のこともこの街のこともいっぱい知って欲しいです!」


 フィアナとマルタも同じ気持ち。暖かくて優しい心を差し伸べた。

 光明を見て、バストの涙が止まる。


「みな……本当に良いのか? 妾は……妾は…………」

「「「「友達になりましょう!」」」」」


 彼女はそれ以上、何も言う事はなく、ただ首を縦に振ってみせた。

 その表情はとても晴れやかで、まだ朝露が瞳に溜まっているけれど、すがすがしい春の朝日のような眼差だった。


 長い(よる)明け、朝陽は昇る。

 空は快晴、未来は白雲の向かう旅路かな。

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