求めるなら与えよう 3
急激に魔力を消失すると、魔力欠乏症と呼ばれる症状が現れることがある。
血液の魔力版のようなもので、時にはショック死もあり得る危険な状態だ。私の場合は元々の魔力量が多い分、ショック死にまで至らないにしても、めまいでしばらく立てないでいた。
呼吸を整えて目の前で起きた現象を確かめてみよう。
召喚獣に魔力のほとんどを吸い取られて倦怠感に襲われる。
魔力を平らげた猫ちゃんは人の姿に変身した。
間違いない。現実だ。
猫は好きだが猫耳の獣人が好きなわけではない。いや、獣人を卑下したいとかそういうわけでは決してない。ただ、猫と猫型の獣人は別物としか見られないというだけの話しだ。
もう一度確認してみよう。召喚した猫ちゃんはいない。いるのは半裸の猫の獣人だ。
マジか…………。
絶望とまではいかない。しかし残念であるのは間違いない。
せめてその大きな耳と尻尾をもふもふさせてくれ。いやちょっと待て。これではセクハラと疑われるじゃないか。
猫を撫でるのとはわけが違うのだ。こんなところで牢屋の住人になるなんて御免被る。
「大丈夫かね。急に魔力を吸い取りすぎたかな?」
せめて語尾は『にゃ』でお願いします…………じゃなくて、やっぱりというか人語を喋った。
動物化する獣人の話しは聞いたことがない。獣人化する動物も聞いたことがない。ということは間違いなく召喚獣。さっきの猫ちゃんで間違いない。
理想と現実の狭間でもだえ苦しむ私を見て心配する獣人の少女。
未知への冒険を体感して感無量のフィアナ。
猫耳をなでなでしてもふもふ感を楽しむニャニャ。
一度落ち着こうと促す冷静なマルタ。
わくわくどきどきする面々の中で、フィアナが最初に言葉を紡いだ。
「色々とお伺いしたいことがあるのですが、貴女のお名前を伺ってもよろしいでしょうか。あ、自己紹介がまだでしたね。わたくしの名前はフィアナ・エヴェリックと申します。末永くお付き合いいただけますよう、お願いいたします」
フィアナは召喚獣に興味津々。結果がどうあれ、お友達になりたくて仕方がない。
「妾の名はバスト。猫の国・ウルタールに住む猫の神である」
「神ッ!? 獣人じゃなくて?」
「獣人? 妾はまごう事無き神であるぞ。と言っても、人からの信仰無き今、力は人のそれと変わらぬがな」
まさかの超展開。
頭がついていかない。
「神ッ! さすがはシェリーさんです。上位の召喚獣どころか神の座におわす猫の神様を呼び出されるだなんて凄いです。それに言葉で意思疎通ができるだなんて素敵です。ウルタールとはいったいどんな場所なのでしょうか。どんな暮らしをしていて、他にどんな精霊さんが住んでいらっしゃるのでしょうか?」
フィアナ大興奮。
バストは彼女の肩を叩いて落ち着かせ、私と相対する。
「まぁ落ち着け。まずはその『召喚』とやらのあれこれを済ませたい。あの魔法陣を見るところ、異次元の存在に語り掛けて主従関係を結ぶと言った類のものであろう。妾も初めて見るから詳しくは知らないのだが、それは間違いないな?」
私は問われ、簡潔に説明する
「その通りです。訳あって召喚獣を必要としたためにお呼びしました。もしよろしければご契約していただけますでしょうか。それと語尾には『にゃ』を付けていただけると嬉しいです」
「最後のところが小声でよく聞き取れなかったが。まぁいいか。それは別にかまわない。むしろ願ってもないことだ」
「と、言うと?」
私の質問を最後に、彼女は我々の顔を見渡して黙りこくってしまった。難しい表情をして言葉にしようかどうか葛藤しているといった様子。
私もみんなも焦る必要はないとだけ断り、お昼の時間が来てしまったので、そのまま昼食の流れになった。
私とマルタはブランチをとったばっかりだからジュースとクッキー。フィアナとニャニャは軽食を所望する。
せっかくなのでとバストにランチの提案をしてみるも、どんなものがくるか分からないから見てから頼むと用心をきかせた。
相手は獣人の少女に見えて猫の神。人とは違う生態だったり、価値観がそもそも違うかもしれない。
逆に言えば、彼女は神目線でしか物を視れないわけだから、人の価値観というのも分からない。
彼女の用心は必要な警戒だ。好意を断られたのは少し寂しい気持ちになるけれど、そりゃそうだと納得するしかない。
それにしても大変な存在を呼び寄せてしまったものだ。私はただ、子猫のペットシッターが欲しくて召喚獣と契約したかっただけなのに、まさか神様が現れようだなんて誰が思う。
興味もあるし強く勧められて断らなかったのも悪かった。それにしても、まさかこんな事態になるだなんて。
よくよく考えてみれば使い魔でも良かったのではなかろうか。猫の使い魔のほうがよっぽどお手軽で、しかも一石二鳥じゃないか。
子猫に魔法を覚えさせるような高度なことを望んでるわけではない。むしろ使い魔を使役するほうがよっぽど正論。
そりゃあまぁ、戦闘を生業とする騎士団長としては手札が多いに越したことはない。
神様というのだから並みの召喚獣以上のことはできるだろう。
それに人間化する前は普通の猫だったじゃないか。その姿でもふもふすることだって可能、いや、一度人間化されてしまうと、猫状態でなでなでしても、人間化した状態でなでなでする想像が浮かんでしまう。
これはこれ、それはそれで切り離して考えればいいのかもしれない。どうもこういうのは混同してしまっていけないな。
オレンジジュースをちゅーちゅー吸いながら、クッキーをぽりぽり食べて妄想を膨らませる。
もしこのまま契約したら、子猫の世話をしてもらって、戦闘の時は一緒に戦って、子猫ちゃんと一緒にもふもふして、お風呂も一緒に入ったりなんかして、ご飯も作ってもらって…………なんかかわいい妹ができたみたいでいいな。
なんかいいなっ!
修道院生活の時は血の繋がりはなくとも、兄弟と呼べる存在は多くいた。
ベルンに独り暮らしを始めてからは物理的な距離も遠くなり、知名度的な意味でも遠い存在に見られるようになって、孤独感に苛まれた時期もある。
結婚の二文字が浮かぶも、幼少の頃に受けた神父のスパルタンヌ教育のせいで、異性を恋愛対象として見られなくなってしまった。
私の赤い糸は誰と繋がってるのだろう。もしや誰とも繋がってないのか。それならいっそふんぎりがつく。
クッキーとジュースで間をおいて、さてそろそろ質問タイムといきますか。
「バストさんは召喚獣として呼ばれたわけですが、神様ということは精霊ではないのですか?」
「精霊? 妾は神であるがゆえ精霊と言う存在ではない。もしや彼女は精霊を願っていたのか。であれば妾は余計なことをしてしまったか?」
「いえ、そんなことはありません。あくまでこの召喚魔法の本質は、術者の意志に呼応する者を呼び出すというものです。通常であれば精霊と呼応するのが常らしいのですが、今回はバストさんと波長が合ったようです。でもまさか神様がおいでになるとは思いませんでした」
「そうか…………それなら良い。ひと安心だ。あぁそれと、妾のことは『バスト』と呼び捨てで構わぬ。妾も呼び捨てで呼ばせてもらうが良いか?」
「分かりました。では私のこともシェリーとお呼び下さい」
「できれば敬語もやめて欲しい。妾としては対等でありたいのだ。神であればこそ敬られるとはいえ、苦い思い出があるでな」
了解だけを伝えて、それ以上は踏み込まなかった。
過去に何かがあったのだろう。きっと今、彼女はそのことについて悩んでいる。
人と神の間で何があったかは推し量る術もない。他人がずけずけと入り込むものでもない。
対等でありたいと言ってくれたことは素直に嬉しかった。
つまり彼女は私と同じ場所でモノゴトを感じたいと言っている。上も下もなく、横並びに同じ景色を楽しみたいと微笑んだ。
だからそんな誠実な彼女の心の不安を少しでも取り除きたい。
私は『もしも悩み事があれば打ち明けて欲しい。私は貴女の助けになりたい』とだけ告げると、彼女は涙を堪えて、ただひと言、『ありがとう』と微笑んだ。
彼女の涙を見て、元気になってほしいニャニャが手元に来たプレートを差し出した。
匂いを嗅いでみて、隣で食るところを見て、自分も食べるかどうか判断してほしいという真心である。
「ニシンのパイ包みです。ここのは隠し味にオレンジの皮が入っていて、さっぱりフレッシュなのが気に入ってるです」
ニャニャは魚が大好物。
マルタもおいしいと太鼓判。
「それ私も大好きです。ワンダフルにマッチしていておいしいですよね。フィアナさんのは?」
「わたくしはレモンカリーです。辛いものはあまり得意ではないのですが、ここのカレーはレモンを加えてさっぱりいただけるので、とても気に入っています」
「カリーにそんな食べ方があるとは知らなかった。今度試してみよう。しかしさすがに柑橘系を推してるだけあって、面白いランチが揃ってるな」
ランチもお菓子も柑橘類を使うベルガモット・フレイは今日も大繁盛。
「ですです。オレンジジュースもマーマレードを使ったクッキーも絶品です。ここのマーマレードはしっとりと上品で、だけどしつこくなく食べやすいと評判です。八朔やレモンを使ったさっぱりあまあまシュークリームは15時に販売なのですが、お店に並ぶと同時に売れてしまうほどの人気ぶりです」
ベルンでも有名なお菓子だと聞いたことがある。月刊誌にもよく掲載されていて、子供から女性の間で大人気。
柑橘系を専門的に扱いながら、チャレンジ商品の完成度が高いと騎士団の中でも噂になっていた。
思えばあまり外食をせず、昼食は騎士団用の食堂で済ませてしまうから、こういうところに昼時に来るのは初めてかもしれない。
実技演習のみならず、事務仕事もあり、忙しいということもあり、食事はレナトゥスの敷地内で簡単に終わらせてしまう。
今度からは市井でゆっくりご飯を食べるというのもアリかもしれないな。
なんだかそう思えば思う程、自分が女として終わってるのではないかと疑ってしまう。
最近のトレンドに疎く、仕事に関するアンテナばかりの自分に気付かされた。今後は寄宿生たちを誘って気軽にランチ会を催してみようか。
普段は授業の中で彼らの良い部分や問題点を見つけ出すようにしているが、プライベートな視点に立てば、今の彼女たちのように気張らない素の姿を見られるかもしれない。
そう、今の彼女のように……。




