我々がどこに立っているのか 2
キッチン・グレンツェッタのキッチンは大図書館の東館。庁舎の真下、1階部分に設置してある。
天井は2階まで突き抜けていて、ガラス戸からは庁舎で働く人々が食堂を見渡せる造りになっていた。
もちろん一般の人々も立ち寄ることもあるから、書類を提出したついでや待ち時間にご飯を食べようと、人の空き具合を見て腹ごしらえに行くように促す狙いもある。
今日はそれとは違う意味で、立ち寄った人はキッチンを見下ろし、何が起こるのかと興味津々な目を向けていた。
巨大な5頭の牛もさることながら、ハティさんがビキニ姿で現れたのだ。
「…………ところで、ハティさんのその恰好は何? 何かの儀式的な? 女同士だけどなんていうか、目のやり場に困るというか」
「汚れてもいい服を着てきた」
「それ汚れてもいいの!? ずいぶんと高そうな装飾が付いてるんだな」
ペーシェさんとルーィヒさんの目の前に大迫力の光景。
最後の参加者を連れてきて、さてさっそく本番に入ろうかと思った矢先、何故かハティさんがエスニックなビキニを着て現れた。
季節は春。開放的な気分になるにはまだ時期尚早だと思う。
だけど思い返してみれば、今までハティさんの行動に意味のないものはなかった。何をするのかの説明がないだけで。
心の準備がいるから先に話して欲しいです。
理由を聞くと、満面の笑みでガッツポーズをするのみ。
それじゃ何も伝わらないよ?
もっと相手に伝わるように5W1Hで説明して欲しい。
「横からすまない。ハティは屠殺を行うにあたって牛たちと約束をしたんだ。まず最初にハティに自分の大事な部分を食べて、血肉にして欲しいって。だから新鮮な状態で食べるために汚れてもいい服を選んできたんだ。チョイスについてはまぁ、文化の違いだと思ってくれ」
彼女の満面の笑みとガッツポーズの全てを意訳できる、太陽のように燃える赤い髪の女性は紅暁さん。
ハティさんやアルマちゃんたちに留学を勧めた張本人。
グレンツェンで言う組合に似た組織のトップ。
女侍のような出で立ちの東洋人。脇に刀を差し、ピンと張った背筋はまさにできる女社長の風格。
刀を差して和服を着こなしているというのに、侍ではなく商人と言い張る。
この世知辛い世の中、商人もある程度、戦えるようにしておかないと世渡りができないらしい。
それにしては随分と使い込まれた刀のように見える。彼女の渡る世とはいったいどんな世知辛さだというのか。
晴れやかな笑顔からではその世界を覗き見ることはできない。だけど、鬼ばかりの世間で素敵な出会いがあったのだろうということは、なんとなく理解できた。
付き添いということで彼女の後ろに並んでやってきた人が何人かいる。
1人は身長180cm。しっとりと赤く濡れたような長髪の女性。セチア・カルチポアと名乗る女性は落ち着き払った様子。風に聞く大和撫子。
明るい赤髪の暁さんは闊達で姉御肌という雰囲気。反対にセチアさんは、暗く艶やかな赤色の髪を持ち、艶やかな色気を感じさせた。
セチアさんはどちらかというと、食べ物目的とか、暁さんのお手伝いというよりは、アルマちゃんが目当てである。
故郷ではアルマちゃんをとてもかわいがっていたらしく、元気な姿を見るなり泣くほど喜んで抱擁した。
2人目は小柄な少女。煌めく黒のワンピースと美しい金髪ストレート。弾ける笑顔がトレードマークのリィリィ・フォン・エルクークゥ。
肉親ではないがセチアさんと一緒に生活していて、家を空けると独りぼっちになってしまうので、どうせならいろんなものを見に行こうと旅行気分でやってきた。
彼女はヘラさんとも面識があるようで、見つけるなり飛びついて無垢な笑顔で心をわし掴みにしていく。
最後に雑用係としてやってきたゴードン・アンバコリー。2mを越える背丈よりも、横に張り出た屈強な筋肉に目を奪われる巨漢。獅子の獣人のとおり、金色の体毛と大きな八重歯が特徴的。
月下の金獅子の二つ名を持つハティさんに会えるとあって、今回の雑用を引き受けたのだとか。
何かとハティさんにつっかかっては戦おう戦おうと挑発する。彼女はただひと言、『嫌だ』とだけ言って相手にしない。
まるで駄々をこねる子供と、それを適当にいなす大人のようだ。
ちなみに、筋肉大好きなハイジさんは彼の筋肉を見るなり鼻血を出して倒れました。
思い思いにざわめく会場を見渡して合図を送る。雰囲気に気付いた人たちの口が閉じ、連鎖して静寂が訪れた。
仲間内で殆どの人とは面識があるのに、まるで初めての地を訪れるような緊張感が漂う。
慣れてないっていうのが一番大きい。これもリーダーになると決めた日から覚悟してたこと。予行練習だってきっちりしてきたんだ。きっと大丈夫。
ティレット様とガレット様がジェスチャーで『頑張って』の声援を送ってくれる。失敗を恐れず、前を向いて声を張ろう。
「さて、メンバーが全員揃ったので、そろそろ始めたいと思います。本日はご多忙の中、お集り頂きありがとうございます。今回のフラワーフェスティバルで我々は飲食店を展開し、料理を提供します。それに伴い、ハティさんから今日この企画の提案がありました。普段何気なく、当たり前に食べている食事。それらは全て天然、養殖を問わず等しくこの世に生きた命です。私たちはその多くの命の上に立っています。だから今一度、数多頂く命に感謝したいと思います」
それでは、と繋げてハティさんに出番を回す。
立案者からのひと言という流れ。素晴らしいアイデアと機会を恵んでくれた賢人の想いを共有し、未来を歩む糧とするための言葉を頂戴しようとしたのだ。
一歩前へ出て彼女はひと言、言葉を投げる。
「命に、感謝を」
それだけ言って、一歩下がった。
下がったということは、これで終わりということだ。
相変わらずのハティ節というか、言葉足らずというか。
見方によってはただのひと言に多くの意味を込めた含蓄ある言葉にも聞こえる。けれど、意味が分からない人にとっては疑問符しか浮かんでこない。
腕を組んで納得したようにうなずく何人かにはその意図が理解できたらしい。
経験を積んだ大人には分かるものがあるのかもしれない。しかしこの場の殆どは齢20に満たない子供ばかり。
ありがたーい御言葉を理解するには若すぎる。
と、そこに助け舟。助けすぎて船長がやや怠け気味ではないかとも思うけど。
長年の付き合いで短い文章から本人の意図を察するという超能力を持つ暁さんによると、『食べるということは常に何かの命を奪うということ。頂いてるということ。空や大地、海や山。様々な恵みによって今日まで生かされている。食べることは生きること。生きることは頂くこと。そのことに自覚をもって、感謝を持って欲しい』とのことだ。
だよな、と確認すると、彼女は大きく頷いて肯定した。
あの短い文章の中にそんな長い言葉が隠されてただなんて。
つっこみを入れるより先に、会場の拍手に押し流されて、気持ちは喉の奥から外へ飛び出すことはなかった。
なかったけど、拍手をしながら思ったことがある。
ハティさんの言葉足らずの原因の一端は、やはり暁さんにあるのではないかと。
短い言葉で全てを理解してしまうがゆえに、これで人に伝わると誤解してるのではないだろうか。
だとしたら、ハティさんにはその事実について、しっかり自覚を持ってもらわないとなぁ。
拍手が収まって、新参の暁さんが前へ出る。
「手順の確認をする前に、この場を借りて自己紹介をさせていただきます。あたしは不死人の紅暁。ハティから解体を依頼されて参りました。隣の獣人はゴードン・アンバコリー。絶世の美女が魔人のセチア・カルチポア。超絶美少女の吸血姫がリィリィ・フォン・エルクークゥ。みんなよろしくな」
自己紹介ついでにさらっととんでもない二つ名が引っ付いてるのだけれど、どういうことだろう。
外国の大手ゲームメーカーでは、名刺に肩書をつけて呼び合う面白企業があるって聞いたことがある。そんな感じなんだろうか。
獣人はもろに獣人。不死人と魔人というのは聞いたことも見たこともないから判断できない。
吸血姫については冗談半分というか、見た目からついたあだ名か何かだろうな。
金髪色白で黒いワンピースとだけ見たら、確かに吸血姫のような印象もある。でも普通にお日様の下を歩いてる。ネックレスの十字架にも反応してない。
それにしても女性の持ち上げ方が強いなぁ。
そりゃあセチアさんは美人だしリィリィちゃんはかわいいけれど。
次に手順の再確認を行う。
暁さんが解体したお肉をゴードンの手でみんなが持つトレイに移していく。それを冷蔵庫にしまっていくという流れ。
作業も単純。言葉にするとそれだけ。だがしかし、自分の手に持ってその重みを感じることに意味がある。
これらが我々の命の礎になると。
頂く命と向き合うことが大事なのだ。
ハティさんの持ち込んだ球体の魔導具を宙に浮かべ、キッチンの中央に敷いた祭壇の上に牛が自ら歩み出て、ついにその時が始まろうとする。
彼は自らの足でここまで歩き、最後の刻を結ぼうとした。
考えてみれば、自分の最後を自分で決められるだなんて幸せなことかもしれない。
身命を賭したい相手に血肉と運命を捧げることに喜びを感じてるのだろうか。
異様な光景であると思いながら、人の価値観とは違うものを持ってるのだろうと、自分を無理やり納得させる。
考えても分からない。
だから、せめてそう思っておこう。
ただ私たちは彼らに感謝をするだけだ。彼らがいてくれるから、私たちは今こうしてここにいられる。
先に奪ったコカトリスにも白鯨にも、感謝をしなければならない。
「一同、合掌! 礼ッ!」
暁さんの言霊が沈黙を守る空気に響き渡った。
深く呼吸を整えて、刀の柄に手を添えた暁さんの一閃。
命を絶つならせめて苦しむことのなきように。礼を尽くし、刹那より速く刀を振るう。
目にもとまらぬ速さで振り払った刃に一滴の血もつかない。
彼はまだ4つの足で地に立っている。
私たちには何が起こったのか、何かが起こってるのかどうかさえ分からない。
緊張した空気が疑問によって解きほぐされようとしたその時、ハティさんはまっすぐに彼の元へ歩みより、感謝の言葉を述べたと思ったら、まるで眠りに入るように目を閉じて体がゆっくりと地面についた。
本当に、眠るように、倒れ込んだのだ。
それと同時に宙に浮いた魔導具が回りだし、彼の体から魂を引き抜くかのように何かを吸い出し始める。
体のあちらこちらから赤い液体が滲み出て、球の中を満たしていった。
血だ。体中を駆け巡っていた鮮血が溢れ出している。
ジビエ料理に使う肉の良し悪しは血抜きによって大きく左右されるという。空を回る魔導具は自動的に血抜きをすることによって鮮度を保つ役割を担っていた。
よく見ると頭は首からバッサリと斬り落とされている。足の付け根も、シッポも、ずれるように皮も剥ぎ取られた。
筋肉は部位ごとに解体され、死後硬直が起きないように即死させられている。
最も大事なことは、痛みを感じぬように一瞬で神経を断絶させたということ。
奪う命に対してのせめてもの感謝の顕れ。
技術だけではない。心に至るまで鍛えてなければここまでのことはできない。
解体されたことが分かれば、誰だってすぐに保存しようとする。無意識に一歩前に出た。だけどすぐにゴードンに無言で制されて、ハティさんの行動に目を奪われる。
倒れた体の前に座り、礼をして、肉の間に手を突っ込んで何かを引き出した。
それは真っ赤な楕円形の臓器。鮮血に染まり、命を絶たれてなお力強く鼓動する。
神聖なものを見る穏やかな眼差しを向けて天にかかげ、生きる喜びを感じながら食らいついた。
時間にして1分たらず。だけどそれを見る私たちの間に流れる時間は途方もなく長く、思考は深層に潜りこみながらも心は強く脈打っている。
余すことなくそれを頂き、ご馳走様を言ってゴードンが動きだした。
セチアさんが皮や骨を取り除き、ゴードンが肉の部分を取り出して私たちに預ける。
まるで宝物庫に宝を収めるような気持ちでいた。
誰も声を出さない。静謐で神聖な時間の中を泳ぐよう。
言葉など必要ない。頂く命と心で会話をする。そんな気持ちになったのだ。
2階のガラス窓から見下ろす人々も、こんな光景は初めてなのに、不思議と誰も騒いだり血の気が引いたりはしなかった。
前置きがあったにせよ、この景色が当たり前の日常を支えてくれてるのだと思うと、命に感謝をせずにはいられなかったからだ。




