背が伸びた 5
朝食はいつも通り、バターコーヒーを1杯。カップのサイズを変えるでもなく、ハティさんにとってのいつもの1杯を飲みほした。
いつも通りの時間に電車へ乗り、講義を受けに大図書館へ歩いていく。
子供たちに慕われて、楽しそうに義務講義を受けていた。
とりあえず子供たちとの不和が原因で食事を摂らないわけではないらしい。
講義が終わると図書館へ向かった。
子供向けの児童書を読みながら辞書を引き、自主的に読み書きを覚えようと努力している。なんて素晴らしい後ろ姿なのだろう。真剣に取り組む姿のなんとまぶしいことか。
読んで、書いて、声に出す。ストーリーがあるから記憶しやすい。なにより、ハティさんには子供たちのためという力強い理由がある。
異変はやはり昼食時。いつもなら、うきうき気分でテラスに赴き、満面の笑みで食事をするはず。
なのに、今日は、聖母のような微笑みを浮かべながら、私たちが食べてるところを眺めるだけ。
ひと口どうですかと差し出しても、まさかのノーサンキュー。
まさかのノーサンキューッ!
アポロンさんが死ぬほど心配してる。
私も心配で心配で気が気でない。
ハティさんは相変わらずの満面の笑み。
いったいなにが起こっているというのかッ!
「確認するけど、すみれたちには心当たりがないの? その、オリヴィアさんも」
戦々恐々のアポロンさん。想定外の事態に動揺が隠せない。
「グレンツェンにいる間は変わりありませんでした。シャングリラではどうでしたか?」
「シャングリラでももぐもぐ。ご飯を食べない以外で変わったことはもぐもぐ。ありませんでしもぐもぐ」
オリヴィアさん、お肉を前にするとどうしようもなくなってしまいますね。
アポロンさんも冷静さを装いながら、意中の相手が誰なのか気になって気になって仕方ない様子。今日は仕事を休んでハティさん事変の解決に努める。
というか、気になって仕事にならないので追い出されていた。
今日はゲニーセンビーアでTボーンステーキを食べにきた。昼間からお肉なんて贅沢だな。そんなことをエイミィさんに言われる。
自分でもそう思う。でもこれは仕方のないことなのです。ハティさんに食事をしてもらうため、やむおえぬもぐもぐ。
「2人ともよく食べるねぇ。いやうちは嬉しいんだけどさ、いい食いっぷりしてくれて。ところで、ハティさんは食べないの? 水だけでいいってことだけど」
「私は大丈夫。水だけでいい」
「そ、そう? それならいいんだけど……」
あんなに大食漢だった彼女がどうして。そんな顔を浮かべてカウンターの奥に消えてしまった。
大好物のお肉を目の前にして、よだれひとつ垂らさずに平然としていられる。絶食して2日目。彼女の中にいったいどれほどの覚悟があるというのか。
やっぱり意中の人を落とすためにダイエットなんですか?
それにしても、16時間ダイエットにしても絶食が長すぎる。分解するべき脂肪がお腹にないというのに、いったいどこからエネルギーを供給しようというのか。
もしや胸ですか。胸の脂肪を消費して小さくしようとしてるんですか?
「仮にそうだとしたら死んでも阻止する」
急にアポロンさんが真剣になりました。いつも真剣なアポロンさんがもっと真剣になってる。やっぱりどう考えても間違いなく、アポロンさんはハティさんを狙っている。
猛獣のような目、あるいは猟師のような鋭い眼差しでハティさんを見つめていた。なんて熱視線。
それにしても、です。私はてっきり、ハティさんの好きな人はアポロンさんかと思ってました。だってホムパで最初に呼ぶのはアポロンさん。アポロンさんの作る料理がおいしいと、必ず名指しで呼びつける。
なんなら既に恋仲なのだとばっかり思ってた。そう思いたいのでそう思おうとした節はある。
たらふく食べて満足したオリヴィアさんが我に返り、ハティさんの心配をし始めた。緩急の差が激しくて戸惑ってしまう。
「ハティ、本当に大丈夫なの? 困ったことがあったらなんでも相談してね。家族なんだから。ね?」
「――――――大丈夫。困ってることなんてないっ!」
語気が強い。こういう時はきまって、自分の中でなにかが起こってる時だ。間違いなく、困ってることがあることの証左。解決してあげたいのに、問題ないとばかり言い放つ。
でもとりあえず、お店の料理も口にしないということは、私の料理が嫌になったわけではないということ。その点については安心です。
結局、ランチはお肉もマッシュポテトも、フライドポテトも薄切り揚げポテトも食べませんでした。
次に向かうはアラヴァミンマイ。道中点在してる屋台を前にハティさんの食事を促そうと思います。
新鮮な生牡蠣の前に立ち止まり、おいしそうに食べてみるも変化なし。
クレープ屋さんでフルーツとホイップクリームマシマシの激甘スイーツを注文するも、ハティさんはノーを突きつけた。
カラフルで多種多様なピンチョスとワインのマリアージュが絶品の取り合わせでも動かざること山の如し。
お店独自に開発したソースとカルソッツがおいしい屋台。焼いたネギにこうばしいタレの香りがたまらないシンプルイズベスト。が、これにもお腹の虫が反応しない。
なんてことだ。こんなにおいしいのに、どれひとつとして口にしないなんて。
どうしてかたくなに食べないのか。やっぱりダイエットなんですか。意中の相手は誰ですか!?
「それも気になるけど、すみれとオリヴィアさん、ずっと食べっぱなしで大丈夫?」
「なにがですかっ! これが食べずにいられませんっ! だって全部おいしいんですからっ!」
「そうです。こんなにおいしくて食欲をそそる屋台が出てるんですっ! 気になってしまうのは仕方ないことなのです。私も外世界に出たのは初めてですから、ハティが住んでる世界を楽しみたいんですっ!」
「あ、はい、全力で堪能されてるようでなによりです」
はっ、アポロンさんの顔に、『目的を忘れてないか?』という文字が書いてあります。
大丈夫です。忘れてなんかいません。むしろこれはハティさんに食事をしてもらうために必要なこと。我々がおいしそうに食べていれば、ハティさんだってつられてご飯をしてくれるはず。
完璧な作戦。死角無しっ!
「全然成功してないんだけど?」
「ごうふっ!? そんなことはありません。これからです。こういうのは積み重ねが大事なんです!」
千里の道も一歩から。行動することが大事なんです。
しばらく歩いていると、かたわらでレモネードと手作りクッキーを販売する兄妹に出会った。これはチャチャチャチャンス。子供好きのハティさん。彼らの申し出を断るはずがない。
「食べ歩いてたら少し喉が渇いてきましたよね? みなさんもそうですよね?」
「はいっ! 私も欲しいですっ!」
「脅迫じみてきたね。僕は食べ歩いてないけど…………1杯貰おうかな。ハティさんはどうですか?」
「私も欲しい。クッキーもちょうだい」
クッキーッ!
まさかの炭水化物&糖分ッ!
ダイエットではないッ!?
驚愕の事実。ここまできてダイエット仮説が破壊された。
いやまて、甘い物は別腹に入るという。つまり通常の胃とは別。なら問題ないか。でもそうなると、ヤヤちゃんの体重が増えたのは――――成長期だからかな。いやそんなわけないか。
ハティさんはレモネードとクッキーを受け取り、レモネードを片手にクッキーを、ライブラへしまってしまった。曰く、『キキとヤヤとアルマへのお土産』だそう。
自分で食べるぶんではなかった。逆に言えば、ダイエット説が復活です。
アラヴァミンマイでルーィヒさんとユカさんと合流。グレンツェン大図書館の末端。大きな影に抱かれるカフェテラス。涼しくて、だけどどこか温かくて、ゆったりとした時間の流れる素敵空間。
「あっ、レモネード! いいなぁ、どこで売ってた?」
そうくると思いまして、ユカさんとルーィヒさんのぶんのレモネードも調達済み。2人へ渡して席へつくと、ウェイターさんが注文をとりにきた。
新人さん。初めてみる人。落ち着いたというよりは、少々鬱屈としたような声色をのぞかせる。彼女もなにか困ったことがあるのだろうか。
「困ったことがあったら相談してくださいね!」
「え、いや、なにも困ったことなんてありませんが。そんな顔をしてましたか?」
しまった。つい勢いで失礼なことを言ってしまった。
謝罪を済ませ、アラヴァミンマイお手製のレンガのようなクッキーを注文。レンガのようなサイズとか、レンガのように硬いわけではありません。
紅茶とナッツをたっぷり使ってるので、色合いとか質感がレンガっぽいのです。すんごくいい香り。ナッツのさくさく感がたまらない逸品です♪
注文を受けてクッキーを持ってきてくれた。ひとしきり仕事を終えたウェイターさんは真っ白なゆきぽんを見てなでなで。小さくてもふもふでかわいいとメロメロである。
「ゆきぽんはりんごを使ったクッキーが食べてみたいって言ってる」
「りんご、ですか。アップルミントを使ったクッキーなんて素敵かもしれませんね。ミントは糖質がなくさっぱりとしてるので、とても爽やかです。あ、ごめんなさい。アップルミントじゃなくて、りんごの話しでしたよね」
「ううん。謝らなくていい。ゆきぽんはりんごの香りのするミントに興味があるみたい」
「ほんと、ですか? 嬉しいです」
もふもふを堪能するためか、彼女は席へ座って談笑を始めた。仕事中なのに。だけどそれはアラヴァミンマイの特徴のひとつ。
勤務中は、オーダーを受けて仕事する以外は自由時間。
読書してもよし、お店の機材で新作スイーツを作ってもよし。うたた寝をしてもよし(ただし、最低1人は起きていること)。お客さんと一緒にティータイムを楽しんでよし。
めっちゃ自由な勤務形態なのだ。
でもそのおかげでアラヴァミンマイの従業員さんたちみんなと仲良しになれました。ありがとうございます!
微笑ましい姿を眺めながら、ところでと話題を切り出したのはルーィヒさん。
「ハティさんが飲み物以外口にしないって本当?」
信じられないという表情で前のめり。
私だって信じたくはありません。でも事実なんです。助けてくださいっ!
「そうなんです。飲み物以外、一切、何も、食べようとしないんです。ランチのTボーンステーキも、屋台のうまうま料理も全部、です!」
「それは一大事なんだな。食べることをあんなに楽しんでたハティさんが。ダイエットにしても極端すぎる。ハティさんらしいっちゃらしいけど」
そうなんです。だから判断に困るんです。大丈夫の次元が一般ピーポーとかけ離れすぎていて、なにが大丈夫でなにがだいじょばないのかがわかりません。
「とりあえず、ダイエットしてるとして、正しい方法を教えないと栄養失調で倒れちゃいそうなんだな。近々、海に繰り出してサマーバケーション…………もしかして、ダイエットの目的って?」
「そのもしかしてかもしれません」
「な、なんとっ! ハティさんに片思いの人がいるんだな!? 昨日は滅茶苦茶にはぐらかしたのに!」
そこへすかさずアポロンさんの否が入る。
「まだ確定してないけどね」
「現在進行形で調査中。相手が誰なのかが分かれば、その人にハティさんはダイエットしなくても十分魅力的だって説得してもらえれば、問題が解決するかもしれない」
「個人的にはちょぉーーーーおもしろそうな話し。だけど、さすがにまどろっこしすぎない? てか、倒れてからじゃ遅いから、なんでもいいから口に放り込まないと」
「さいあく点滴だね」
「最終手段なんだな」
それは嫌だ。どうせ栄養を摂るなら私の料理を食べてほしい。点滴だなんて味気なさすぎる。そもそも点滴っておいしくないし。
「飲んだこと、あんの?」
「人命救助の講義で」
「あれってそんな体験できる講義だったっけ?」
「試しに飲んでみたいってお願いしたら飲ませてもらえました」
「好奇心の権化!」
それはともかく、
「ハティさんが食事をしない理由、ダイエット以外で考えられる理由ってなんでしょう?」
それが問題である。
頭を悩ませるより早く、ユカさんが脊髄反射的にハティさんの隣に席を移動してひと言、
「ハティさんハティさん。ダイエットしてるの?」
いったぁーーーーッ!
「ダイエットってなに?」
そこからかぁーーーーっ!
「好きな人っているの?」
掘り下げたぁーーーーッ!
「みんな大好き。ユカもルーィヒも、オリヴィアもみんなみんな」
ありがとうございまーーーーすっ!
頭をなでなでされて上機嫌のユカさん。彼女から、核心をつく爆弾が炸裂した。
「なんでご飯、食べないの?」
「……………………」
沈黙ッ!
言い淀み、視線を逸らし、口を塞いだ。
ダイエットでなく、好きな人――そもそも異性を好きになるという感覚を理解してない――がいるわけでもない。だったらいったいなんだというのか。
やっぱり私の料理が不味いのか。
だったらいっそはっきりそういってくださいっ!
「私の料理が嫌になったんですか!?」
「すみれの料理はおいしい。いつもおいしい料理を作ってくれてありがとう」
はわわ~~♪
よかったー。是だったら絶望か料理修行の旅に出るところだった。
「すみれも大概、極端かつ大胆な発言と行動で周囲を驚かせるんだな。鮎釣りの話しを聞いたんだな。笑っちゃった」
「鮎はおいしいですけど、いろんな調理法で彩ある食卓にしたいですからねっ!」
「そういうところなんだな」
「そこは愛嬌と言えば愛嬌」
「?」
よくわかりませんが、とにかく私の料理が嫌いにならないでいてくれてよかった。
安堵のため息をひとつ。おいしくて冷たいレモネードをひと含み。
はふーっ。おちつくー♪
「それはそうと、ご飯を食べなきゃ栄養失調で倒れるんだな。とりあえずそこをきちんと説明しないと、救急車で運ばれてからじゃ遅いんだな」
「そうでした。そこのところをきちんと説明しなくてはっ!」
自分なりにそこのところを説明すると、
「大丈夫。魔力を変換して栄養にしてる。栄養が足りなくなって倒れることはない」
とのこと。はふーっ。それならひと安心です。
ひと安心して、ルーィヒさんから厳しい現実を突きつけられる。
「ひと安心かもしれないけど、すみれの料理を食べてくれないという点についてはなにも変わってないんだな」
「そうでしたっ! 肝心なことを忘れるところでした! でもこれだけしてもなにも食べてくれません。お肉も、屋台の料理も、お菓子でさえも。直接聞いても理由を教えてくれない。私はどうすればいいのでしょう?」
ぐぬぬ。両腕を組んで唸る。唸りを上げる。いったいどうすればご飯を食べてくれるというのか。私の頭では、おいしそうに食べてハティさんの食欲を誘うことしか思いつかない。
ほかのみんなはどうだろう。
「本人に直接聞いて教えてくれないんだったら、とりあえずほっとくしかないんじゃない?」
「がーんっ!」
「すみれが他人を放っておくなんてできるわけないんだな。ユカと違って優しいから」
「その話しだと、わたしが優しくないみたいじゃん。まぁそれはそれとして、我慢にも限界があるから、限界がくるまで待つしかないと思う」
「限界、イコール、死!」
「貴女も考え方が極端よねぇ」
いやだってなにも食べなかったら死ぬじゃないですか。極端じゃないんです。スタートとゴールを端的に表現しただけです。
「ゴールに至るまでになんとかできるかもしれないけど、心配なのは心配だよね。やっぱり料理しかないんだろうか (ルーィヒ)」
「料理もそうですけど、子供たちからプレッシャーを受けると折れるかもしれません。シャングリラから子供たちを呼んで、お肉を一緒に食べましょう! (オリヴィア)」
「オリヴィアさんはお肉が食べたいだけでは? でも子供たちからプレッシャーを受けるというのはいい案だと思います (すみれ)」
「やり方がちょっとエグい気もするけど、しのごの言ってられないならそれが一番なのかも。情でほだすしかない (ルーィヒ)」
「よし、そうとなればシャングリラのみんなを呼びます! (オリヴィア)」
「わかりました! ではホムパの準備をして待ってます! でもうちでは狭いので、レーレィさんちにお邪魔できないか聞いてみます! ひゃっほう! (すみれ)」
「すみれはホムパがしたいだけなのでは? (ユカ)」
そんなことはありません。ホムパは副産物。手段なのです。
目的はハティさんに食事をしてもらうこと。それを忘れてはいません。忘れてはいませんともっ!




