ベレッタ奮闘記 6
見上げる空は茜空。
商店街の高い家屋に阻まれて、影を落とす通りには電灯の灯りが薄暮時に混ざる。
夕方の歩道は忙しい。帰路へつく学生。仕事終わりの会社人。逆に夜勤へと向かう背中。1日の最後の書き入れ時とばかりに声を張る商店街の売り子。
いろんな絵具のある中、わたしはこのキャンパスにはまだ馴染めないでいた。
原点はあやふやなもの。本当にそうなのだろうか。本当にそれでいいのだろうか。早く慣れていかなくちゃ。
マルタさんの笑顔を見送って、しばらく歩いて新しい我が家にたどり着いた。
今日はわたしが料理を振舞いたい。なので率先して厨房に立つも、驚きの事実が発覚。
なんと冷蔵庫の中身がすっからかん。野菜室にいたっては空。ゼロである。なにもない。こんな野菜室が存在したとは。これもまた想像の外である。
ただの想像の外ではない。一度として使われた形跡がない。野菜の葉クズが底のほうにちらばってたり、水垢がついてるとか、そんなものすらない。
正真正銘のゼロ。使用回数ゼロである。
「大丈夫。冷凍庫はぎっちぎちだから。今日は何を食べようかな。好きなのを選んでね」
笑顔のユノさん。わたしの頬にはじりじりとしたたる冷や汗が流れた。
ふんわりと冷気をまとって開けた冷凍庫は、隙間がないほどぎっちぎちに詰められている。
冷凍食品でッ!
おかしい。
いやおかしいよね、これ。
ってことは昨日食べた料理も、まさかレトルト食品ですか?
言葉にするのが怖かったので、ゴミ箱をのぞいてみると悲しきかな、おいしいと言って食べた料理は全部出来合いのもの。
真空パックから解放してレンジで温めて、はいおいしい。
いやそりゃおいしかったですよ。
文明の利器というやつです。企業努力の賜物です。
でも!
なんていうか!
手作りのぬくもりっていうのかな!
そういうのを一切感じない!
「まさかとは思いますが、毎食レトルトなんですか?」
「ううん、違うよ」
よかった。
ちゃんと手作りはしてるみたい。
たまたま食材を切らしただけですよね。
そうですよね?
「朝食はトーストだったり、シリアルだったり。今日のお昼はランチだったけど、ほとんどプロテインとサプリだね」
レトルト以下ッ!
こんなの絶対に嫌だッ!
仕事を覚える前に食事作んなきゃッ!
心が死ぬ自信があるッ!
とりあえず今日のところは甘んじてレトルト食品を食べましょう。
不機嫌な表情を悟ったのか、戸棚から紙パックを取り出して『スープの素もあるよ!』と満面の笑み。不意に怒りのオーラが噴出。
『そういうことじゃないんですよッ!』
なんとか言葉を飲み込んで、感謝の言葉を捧げたのちに夕食をとる。
真空パックに詰められたアクアパッツァをレンチン。
紙パックのポタージュの素とお湯を合成。
お気に入りと言って取り出した燻製サーモンを皿に出して白ワインを傾けた。
テーブルの上は豪勢な彩なのに、なんて味気ない食卓なのだろう。
質素でも賑やかな修道院の子供たちと囲む食卓が恋しい。
すみれ家で飲んで騒いだホームパーティーが懐かしい。
昨日に引き続き、超が付くほどのホームシックに襲われてます…………。
♪ ♪ ♪
翌日、味のしないシリアルを食べ、マルタさんにご指導ご鞭撻を賜り、ランチと講義を終え、夕日の輝きが差し込む研究室の中、ユノさんが中座したところを見計らい、マルタさんに詰め寄った。
「ユノさんってもしかして、変人ですか?」
しばし沈黙。のち、
「いまさらッ!?」
一喝にも似た破裂音が耳に響いた。
続けてマルタさんから追い打ちがかかる。
「以前に助手になった子たちの話しだと、助手になったはずなのに、助手の仕事も全部、ユノさんがやってしまって、やる気がなくなったって言ってました。講義の手配から家事まで、全部」
「既にその片鱗を味わってます。料理も、お風呂掃除も、ベッドメイキングも。講義の資料を運ぶのも、いいからいいからって言われて持たせてもらえませんでした。その時は、わたしがベルンに不慣れだからって説き伏せられたんです」
「うん、ユノ先輩、全く成長してませんね」
「助手3日目にしてこんなことを言うと傲慢に聞こえるかもしれませんが、わたしって信用されてないんでしょうか?」
はぁ~、とため息をついたのはわたしだけでなかった。
マルタさんも同じくして、肩を落としてため息をもらす。
「専門的な知識や技術を要するならともかく、ベレッタにそこまでは求めてません。もちろん、今後、成長すれば難しい仕事を任せることになるでしょうけど。現状では、ユノさんの強力な母性的な何かと、笑顔でぐいぐい押してくる無駄な押しの強さが原因です。ちなみに、客観的には【やりがい搾取】というやつです」
「やりがい……搾取…………っ!?」
言われてみればたしかにそうかもしれない。こっちはやる気まんまんで、ユノさんの仕事のサポートをしたいって思ってここにいる。
なのに彼女から仕事を奪われ、やる気をそがれ、実際にテンションが下がりきった女がここにいた。
このままでは居心地が悪くなるに違いない。
己の存在価値に疑問を持ち、霧のように消えたくなるかもしれない。
不安な表情を察したマルタさん。非情な現実を突きつけてきた。
「これまで助手として来てくれた子たちは、みんなそうやって雲散霧消してしまいました」
霧のように消えてた人がいた。しかも3人もいるという。
でも、だとしたら、マルタさんはどうしてここにいられるのだろう。
彼女の中に打開策があるのかもしれない。
「ぶっちゃけ、『助手』というか、『介助』だと思って接してます」
それはちょっと…………。
結局、打開策が生まれないまま帰宅。
きちんと整えられた玄関。床だけでなく、壁や天井まで水拭きされていた。
綺麗なトイレ。無駄なもののないバスルーム。
キッチンは特に清潔に磨かれ、できる独身女子の背中が見える。
リビングも、ベランダも、洗面台周りも、完璧以外のなにものでもない。
気持ち悪いぐらい、完璧なのだ。
完璧すぎてわたしの出る幕がない。
「今日はパエリアと野菜スープを作ったよ。デザートにストロベリーも用意してあるから、あとで食べようね」
あ、はい、ありがとうございます。
パエリアもストロベリーも冷食ですけどね。
スープは紙パックですけどね。
これ、『作った』とは言いませんよね?
とは言えなかった。だって全部ユノさんにやってもらってるんですもの。
全部ユノさんに。
助手のはずのわたしは何もしてない。というか、何もさせてくれない。
今日はわたしが料理を作るから、スーパーに寄りませんかと提案しても、『冷食がまだあるから大丈夫』と断られる。
掃除も家事もわたしがやりますと手を挙げても、『空いた時間でちゃちゃっとやっちゃうから任せて』と満面の否定。
講義のための荷物もちだって、『ライブラに収納すれば大丈夫!』と、なんでも自分でやろうとしてしまう。
これがやりがい搾取というやつかっ!
ダメだ。このままでは絶対にダメだ。なんとかしなくては。
やりがいを得なくては、人間は働くことはできない。やりがいが無くて働けるのは、生きながらに死に続けるゾンビ人間だけ。
わたしはゾンビ人間になんかなりたくないっ!
1人で考えていても埒が明かない。
自然解凍されたイチゴを口の中に入れ、キャンディーのように舌の上で転がす。
外側が解凍されていても中がキンキンに冷たい。口の中の温度で温め、少しずつ食べ進めていくしかない。
少しずつ。溶かすように。
心を静めてイチゴの甘さを堪能する。
味覚に集中して、甘酸っぱさを楽しもう。ああ、やっぱり甘いものっていいなぁ。心が落ち着くなぁ。
果物っていいなぁ。ベランダでなにか育てられないか相談してみよう。イチゴか、ブルーベリーを育てたいなぁ。
ふふふっ♪
幸せな妄想の中、突如として身を震わせるほどの甲高い音が聞こえた。何か重い物が壁や床に打ち付けられた振動もある。
なにごとか。どこから聞こえたのか。音源を探ると、そこはユノさんのプライベートルーム。半開きになった扉を開け、中を確認すると、ひっくり返ったユノさんの姿があった。
「大丈夫ですかっ!?」
心配するなり、視線が泳いでユノさんから焦点がずれる。
整頓された本の壁。
世界の龍脈を記した世界地図。
なんに使うのか分からないけど、高価そうなマジックアイテム。それらはいい。まだいい。ユノさんは宮廷魔導士なんだから。
問題はそこじゃなくて、
「無事なようでよかったです。ところで、そっちに置いてある日用品の山は?」
「ああ、これ? これは生活必需品だけど」
「そうではなくて、どうしてここにあるんですか? トイレットペーパーに、洗剤に、くつべら?」
なんだかよくわからないものが、とにかく積み上げて部屋の中に押し込まれていた。
なんていうか、突然、彼氏が家にやってくるとなって、急いで部屋を片付けた汚部屋女子という感じ。
口の中のイチゴを咀嚼して状況を整理してみよう。
どうやらユノさんがつまずいて物を倒してしまったらしい。怪我はないようでなによりです。
そしてっ!
ぐちゃぐちゃに押し込まれた日用品の数々。生活必需品のストックが見当たらないと思ったら、自室に詰め込んで隠してた!
これはつまり!
体裁を取り繕うために!
見てくれを大事にするのはとてもよいことだ。しかしこの場において、これはやりすぎである。
住み込みで助手になるのだから、生活をともにするわけで、お互いに助け合っていかなくてはならない。だというのに、この人は、自分1人で、全てを、完結させようとしていらっしゃる!
それはつまり、わたしに対するやりがい搾取以外のなにものでもない!
わたしの存在を否定すると同義!
噛み潰したイチゴは、ものすごく酸っぱく感じた。
ユノさんはなにごともなかったかのように就寝。
彼女の部屋に散乱する物質のことなどおかまいなしに。
押し込められた穢れを見たわたしの感情などおかまいなしに。
ミネラルウォーターを飲んで心と体を冷やそう。
椅子に腰深くかけ、深呼吸をして心を整えるのだ。
うん、無理です!
はらわたが煮えくり返る思いですよ!
暗に彼女は、わたしの存在を否定しているっ!
こんな、こんなにも暴力的な感情は初めてです!
生まれて初めて物に当たりたい衝動に駆られています!
落ち着け、わたし。甘い物を補給してフラストレーションを発散するのだ。
ダメだ!
暴食して太るかもしれないっ!
これがストレスによる肥満の入り口。
落ち着け、わたし。正しいストレスの発散方法を見つけるのだっ!
うぉぉぉおおおおおおッ!
ストレスの原因はなんだ?
ユノさんの、わたしに対する客人対応である。
それをやめさせるにはなにが必要か?
わたしを助手であると認めさせることである。
それはどのようにして?
――――――――とにかく、ユノさんより早く行動し、助手としての仕事を全うする!
今日からわたしのあくなき戦いは始まった。
ユノさんより早く起き、朝食の準備。恐ろしいことに、ユノさんは朝5時に起床していた。夜10時に就寝し、朝5時に起床。睡眠時間約6時間。彼女の生活リズムに合わせようとすると、わたしの睡眠時間が少なくなってしまう。
それでは日中のパフォーマンスが落ちてしまう。朝食は作り置きのものを考えなおそう。就寝時間はユノさんより2時間早くしよう。
一人暮らしをしてるアポロンたちと、作り置きしててもおいしく食べられる朝食関係はエマとすみれに相談だ。
部屋の掃除関係は魔法を使うと時短できる。アルマちゃんは水流を操作して疑似食洗器を作ってた。それを応用すれば、部屋中の壁や床のみならず、バスタブやトイレの細かな隙間の汚れもこそぎ落とせるはず。
コツを聞くためにアルマちゃんに電話しよう。
仕事のルーティーンを覚えてきた。あとはユノさんの補助的な仕事を完璧にこなすだけ。
荷物持ち。事務的なデスクワーク。当日と1年間のスケジュールの管理。エトセトラエトセトラ。
マルタさんの言葉を信じ、ユノさんの仕事を奪う勢いで攻め立てた。
すると、毎回同じ流れができあがる。
「わたしがやります」
「いや、自分でできるから大丈夫」
「いやいや、わたしは手ぶらなので荷物を持ちます。助手なのですから」
「そ、そう? じゃあお願いしようかな」
なにかをするたびに全く同じ問答を繰り返す。
なんども、なんども。いい加減学習してもいいんじゃないでしょうか。と思うも、とりあえず結果的には仕事を任せてくれた。
なるほど。2度押しすれば折れてくれる。これは使えますね。
1週間が経過し、徐々にユノさんの仕事を奪い、というか、元々助手であるわたしの仕事だから、奪われた仕事を取り戻したと表現したほうが正しい。
そう、取り返したのです。仕事はたいへんだけど、ちょっぴりずつ楽しくなってきました。
でもまだです。
こんなもので終わらせるつもりはありません。
ここで満足してしまったら、わたしの中で暴れる虎と龍とグリフォンとウロボロスとカーバンクルたちの収まりがききません。
これは、そう、復讐です。プチ復讐を実行します。
ユノさんには覚悟してもらいましょう♪




