異世界旅行1-4 晴天穿つは人の業 8
帰ってきた少女は肩を揺らして息切れした。そんな体力では一般公募はおろか、寄宿生試験にすら合格するのは難しい。
寄宿生試験は高等教育に該当するとはいえ、将来的には騎士団幹部候補生として扱う予定のため、通常の一般試験よりも遥かに高いレベルを要求する。
体力、知力、魔力。そして性格と協調性。これらがある一定水準以上でないと合格は難しい。
ましてやヘッドハンティングなど夢のまた夢。
夢を夢見る少女は自信満々に武具を見せる。
「これさえあれば私は無敵なんです!」
手に持つは大きめの鎧。明らかに体格に合ってない。
そもそも武器があれば無敵という思考パターンがダメ。魔剣持ちの心構えの説法を彼女も聞いたはず、なんだけどなぁ。
暁は怪訝な表情を浮かべ、桜は無関心を貫いた。
初対面での印象は頑張り屋さんの女の子。
今は憧れが空回りして暴走してるだけの哀れなハムスター。
なんとか自力で甲冑を着た少女のなんと不格好なことか。
だぼだぼのセーターならかわいげもあろう。
しかしこれは、あまりにも、不細工すぎる。
彼女の自信と見た目との差が激しすぎて笑えない。
かける言葉を探して思考を巡らす最中、目の前でありえない光景が広がった。光を発した鎧はそのまま詩織を包み、変身してみせたのだ。
その鎧は、鎧のサイズにフィットするように詩織を変形させ、子供から大人へと変貌させた。
鎧が使用者の体にフィットするようにアジャストするならまだ分かる。
だがこれは、鎧のサイズに人間を合わせるという狂気の発想。
なんだこれは。呪いの防具なのか!?
これも魔剣のひとつだというのか!?
「詩織曰く、『転生ボーナス』なるものだそうです。理解不能です」
暁がぼそっと呟いた。
なんだその理解不能な報酬。
邪神か悪魔とでも契約したのか?
「体は、大丈夫なのか? どこか痛かったりしないのか?」
「大丈夫です。鎧が完全に私の体にフィットしてるので、布製の服を着るのと同じくらいに自由に動けます」
そっちの心配はしてないよ。
大きくなった体のほうを心配してるんだよ。
脚も、腰回りも胸囲も、顔つきすらも変わった。心配しないほうが不自然である。
現実は小説より奇なり。暁はやれやれといった表情。桜は相変わらずの無視。光に気付いてるであろう虎丞たち冒険者も、日常的な光景として受け入れていた。
驚くのは鈴を含む異世界渡航組だけ。これでは間抜けなのは我々みたいではないか。
なにもかも意味がわからん。
【転生ボーナス】ってなんだよ。
メディアミックスに疎い私には理解が追い付かん。
多分こういうのに強いのはペーシェだと思われる。
彼女に降臨してもらって話しを聞こう。
「ちょっとそこ私の席なんですけどっ!?」
「呼ばれていきなり怒られた!?」
ペーシェを隣に座らせようとしたら怒声を浴びせてきた。
どうやら私の隣にいたいらしい。気持ちは嬉しいが、今はそんな場合じゃない。
とりあえずペーシェにはライラさんがいた席に収まってもらいましょう。ライラさんはいつの間にか焼き魚を焼く子供たちの中に混じって遊んでる。
羨ましい。
私も早くそっちに行きたい。
「で、転生ボーナスってマジなんすか? ってか、【転生】ってことは一度死んでるってことなんだけど」
「首吊って死にましたがなにか?」
詩織はあっけらかんと笑顔を向ける。
自分がなにを言ってるのかわかってるのか?
ペーシェは冷や汗が止まらない。
「えっ、自殺…………………………………………えっと、転生ボーナスっていうのは異世界転生物ファンタジーの定番で、魔法も剣もない世界、あるいは魔法と剣のある世界からそれぞれ別の環境に強制転生される際、初期装備無しだと転生後に即ゲームオーバーになることを防ぐための特別なアイテムです。ほとんどはチートアイテムが支給されたり、特殊な能力を付与されることが一般的です」
「信じられん。異世界を転生すること自体、そんなことがありえるのか? ワープがあるから転移するのはまだわかる。しかし転生ってことは一度死んで生き返るんだぞ? 人間がそんなにほいほい生き返ってたまるか」
まったく、暁の言う通り。
なのに詩織は自信たっぷりに否定した。
「最初からずっと説明してるのに一向に信じてくれないの。ペーシェからも説得してあげて」
「謎の上から目線!? 説得って言われても根拠も証拠もないんじゃどうしようもないよ」
「根拠ならここにあるでしょ。この鎧がその証明。聖なる鎧は邪なものを寄せ付けない聖なる守護を持ってるの。剣だってあるんだから。どんなものだって水ようかんのように切っちゃうんだから」
見てなさいよ、と言って柄に手を置いた瞬間、背後霊のように現れたアイシャに腕を掴まれ、骨を粉々に折られた。とんでもなく嫌な音が通り過ぎ、続いて詩織の叫び声が木霊する。
加害者のアイシャは悪びれる様子、どころか感情の死んだ目で、詩織にまるで食糧庫を食い荒らす卑しいネズミを見るかのような視線を送るではないか。
超怖っ!
「詩織さん。許可のない場所での抜刀は独房行き、あるいは死罪です。ゆめゆめお忘れなきよう、肝に銘じておいてください」
厳しいっ!
いやたしかに食事の最中に剣を抜くなんて論外ではあるけども、なにも腕を折らなくたっていいじゃないか。
よく考えたら握力だけで腕を粉々にしたな。アイシャと腕相撲をすると病院行きになるって本当だったんだ。
怖い。見た目とのギャップの差がマリアナ海溝より深くて怖いっ!
暁も桜も何食わぬ顔で食事を続けるところが怖い。
普通は心配して駆け寄ったりするだろう。同じことを思ったペーシェが暁に問うも、『抜刀しようとした詩織が悪い。ここには戦闘職ではない一般人や、それこそ家族連れで子供だっている。アイシャの言う通り、許可のない場所での抜刀は厳罰だ。腕を折られたくらいで済んでよかったと思ってもらうしかない』という答え。
郷に入りては郷に従えとは言えども、さすがにこれはモラルを逸脱しすぎではないだろか。
叫び声を聞いて抱き寄せたのは私とローザとヘラさん。医療術者の2人からしたら当然の反応。すぐにヒールの魔法と応急処置が施され、大事にはいたらなかった。
詩織は内出血したところが火傷するように痛い痛いと叫びまくる。冷水で冷やそうと井戸の水を注文したら熱々のお湯が渡された。
絶対にわざとでしょ。
これもしかして、詩織がフレナグランの人たちにしでかしていて、その意趣返しをされてるのだろうか。
怪我人に容赦のない人々の顔は悪戯好きな子供の顔ではない。憤怒に燃える阿修羅が嘲笑するような表情を浮かべた。
これ絶対なんかしでかしたやつ。
いい大人が重症人にする態度ではない。
医療術者としてふざけた態度をとる人々に喝を入れるかと思いきや、場の雰囲気を感じて沈黙を守った。
2人も気づいてる。詩織が過去になんかやらかした、と。
「え、えっぐぅ……。しかしなんていうか、昨日と性格が違いすぎませんか? 生理なんですかね」
ペーシェが心の声をひけらかす。暁は彼女の勘の良さを賛美した。
「ペーシェ、君は本当に勘が働くな。詩織の性格の変貌にはカラクリがある。が、今それを話したところで解決しない。とりあえず異世界転生ボーナスとやらの話しの続きを聞かせてくれ。ちなみにあたしは、詩織の鎧と剣について、少なくとも鎧は、本人は聖なる鎧とかなんとか言ってるけど呪いの鎧だと思ってる」
「同感っす」
「ああ、鎧のほうに体を合わせる防具なんて聞いたことがない。神器にだってそんな機能を持ったものはない」
少なくとも私の知る限り、我々の世界にそんなものは存在しない。
「だとするとマジに転生ボーナスかもしれませんね。定番なのは、神様から装備や能力を与えられるっていうやつですね」
「神様から装備や能力を与えられる!?」
そりゃ驚くわな。
自称不死身の体を持つ暁ですら、神やら仏やらの存在は見たことがない。当たり前だが。
とりあえずペーシェは話しを続ける。
「えぇ、まぁそういう場合は、魔王を討伐するために異世界から人材を登用するって流れが一般的ですね」
「魔王を討伐だとッ!? じゃあまさか、詩織が魔王を殺すために神様から遣わされた使者だということか?」
「そういうパターンもあります。ほかには何の脈絡も無しに異世界に飛ばされたり、ゲームの世界が実は異世界に繋がっていて、ゲームをしてる最中にその世界に体ごと転移したり。死んだ後に目的のあるなしに関わらず、異世界で受肉して蘇ったり。ミッションタイプだと、異世界と現実世界を行き来してクエストをクリアしたり、とかですね」
「言ってることがほぼほぼ分からん。分からんが、2つ確認させてくれ」
1つ、それはグレンツェン側の世界でもよく起こる現象なのか。
答えは全力でノーだ。
そんなことが日常的にあってたまるか、と語気を強めて言い放つと、桜がペーシェの皿に肉を置いてひと言つぶやいた。
「意外ですね。メリアローザ、とりわけ暮れない太陽のギルドではよく異世界人がやってきますよ」
「そういえば、華恋も雪子も異世界人って言ってたな。セチアもそうだし、ハティもそうなんだったっけ」
会話のバトンを暁に渡す。彼女はハティと大親友。詳しい事情を教えてほしい。
「ハティは異世界を自由に行き来できるので、違う分類だと思います。セチアは異世界転移者で間違いないと雪子が言ってました。修道院に住んでる夜識さんも該当するでしょうね。あとはダンスに渾沌と、リィリィもそう。こっちの世界に来ていて行方までは分かってないセチアの恩人も転移者のはずです」
暁の言葉に続いて、通りすがりにアルマが援護射撃をした。
「ちなみにマーリンさんも異世界を自由に行き来できるみたいですよ。アイザンロックのことを知ってましたからね」
「え、マーリンさんも!?」
めちゃくちゃいるじゃん。
私の感嘆に続いてペーシェもつっこんだ。
「結構いるな!」
ペーシェの驚きにヘラさんが過去話を持ち出した。
「私も、飛行機の爆発事故に巻き込まれて時空の歪みに吸い込まれて、うっかり異世界転移しちゃった1人です。暁ちゃんと出会えなかったら元の世界に戻れなかったかも」
隣の卓から元異世界転移者のヘラさんが割り込んできた。
お昼から飲んでるのか、頬が少し赤い。
暁がヘラさんにお酌をしながら疑問を放つ。
「ついでに時間も跳躍したって言ってましたっけ。意外に不意に転移してしまうことって多いのか。それとも超低確率な現象の結果が一カ所に収束してるだけなのか?」
慣れたのか、諦めたのか、おいしそうに焼肉を食べながらペーシェが考察をしてくれた。
「おそらく後者でしょう。グレンツェン側の世界では聞いたことないですし。ていうか後者であってもらわないと困ります。もしかしたら、異世界転生ファンタジーを書いてる人が、そもそも異世界転生者なのかもしれませんよ。なんてね」
「ちょっと待て。異世界転生ってファンタジーとして周知されてるのか?」
「もちろんですよ。現実に異世界に転生するなんてありえないじゃないですか」
「ということは、もしかすると、いやむしろこっちのほうが可能性が高いのだが、詩織は自分が異世界転生したと勘違いしているイカレポンチかも?」
「語彙力! 可能性だけはありますが、残念ながらこっちの世界で異世界転生という言葉が一般的でないのに、彼女がここでその言葉を使うということは、十中八九、詩織は異世界転生者、あるいは転移者で間違いないと思われます」
「じゃあ魔王を殺しに来たっていうのも本当か!?」
「それは現時点では分かりません」
ペーシェにがっつく暁の目が血走る。なにかあるのか?
「やけにそこに食いついてるように見えるけど、何かあるのか?」
「なにもかにもないですよ。魔王はあたしの旦那なんですからッ!」
「「はぁッ!?」」
晴天が霹靂するとはこのことよ。
暁の旦那が魔王。魔王がこの世界にも存在するのか。いや、我々の世界の魔王は征伐されたからもういないのだけど。
ともかくまさかのカミングアウト。暁の旦那が魔王とは。
我々の世界観では、魔王とは魔族の王。人間種に敵対し、世界を征服しようと企てる悪意の化身。そう説明すると、暁は呆けた顔で否定した。
「まぁ魔王って言っても世襲制で、しゃーなしで継ぐしかなかったって形だそうです。本人は戦闘力皆無ですし、趣味は畑仕事ですから。なんならあたしとあたしの嫁よりも腕っぷしが弱いですからね。でもいい男なんですよ~。優しくてね~。笑顔がキュートなんですわ~♪」
「でれでれだな」
「羨ましいくらい微笑ましいですね」
「だから万が一、詩織がさっちゃんを殺そうとしてるなら全てをかなぐり捨てて詩織を殺す」
「「さっちゃん!?」」
「ぴぎゃっ!?」
サタンという名前だから臣民からは”さっちゃん”の愛称で親しまれてるらしい。
急に緩い存在になったな、魔王。
仮に魔王が人間を征服しようとしても、きっと暁が止めてくれるだろう。なんなら両頬をひっぱたいてでも改心させそう。
彼女の魂が正義の輝きの中に在る限り、世界は平和に違いない。




