カルチャーショック 3
見かねたペーシェさんが両手を引いてくれるも、体が動かない。動けない。
もうダメだと言って、私の体を持ち上げてフローリングの上へ置いた。瞬間、つま先立ちをして、椅子に座って足を上げる。
できるだけ最小限に。
靴の接地面を小さくしよう。
「わぁお。実家では玄関で靴を脱ぐ、って父さんが言ってたけど本当なんだ」
イレニアさんはどこか楽しそう。新しい発見をすると楽しくなるものです。見てる人はっ!
「そうなのか。倭国は独特の文化があると聞いてたが知らなかった。少なくとも俺の家では気にせず上がってくれ」
気にせずと言われても、気にならないはずがないっ!
「あとでお掃除して出ますので、ご勘弁を…………っ!」
せめてそのくらいはっ!
「いや、フローリングの掃除はお掃除ロボットがやるから別にいいよ」
すみれって面白いなぁ、と言って大笑い。
そんなに変かなぁ。笑い飛ばしてくるけど、文化の差というものは確かにあって、部屋の中に泥を持ち込むことを良しとしない習慣のある私には罪悪感で胸がいっぱいになる。
自分の中に習慣が残ってる内はどうしても縮こまってしまいます。
リンゴジュースをすすりはじめると、アーディさんも椅子に腰を落ち着けて、先日に出向いたアイザンロックでの話題となった。
無論、その間も足を上げてます。
腹筋が頑張ってます!
ビルドアップッ!
王国の暮らし。
文化と歴史。
鯨と人間の関係。
山と海の幸。
雪うさぎの奇妙な願い。
そして鯨漁の顛末。
ペーシェさんが録画した動画を見ながら補足的に説明を入れると、私の脳裏に鯨の瞳が蘇った。あの時の瞳は優しい表情をしてたな。それを思いだすと、スマホの中から私の叫び声が聞こえた。
あの時、鯨さんに放った最期の言葉だ。
私の背中越しに彼の目がこちらを覗き込んでいる。
やっぱりとても優しい瞳だ。まるでありがとうと言ってるような。
「ハティを知らなかったら、全部合成だと思われるほどに現実離れしてるな。鯨、でかすぎだろ」
アーディさんのコーヒーカップを持つ手が震える。
「地元の人でもこれほど大きいのは見たことないって言ってましたよ。それでも例年で獲れる大きさは、平均で700mって言ってましたけど。ちなみに先日獲れたのは1200m」
あまりの数字の大きさにコーヒーを吹き出しそうになるアーディさん。
「1200mって。それはもう動物の領域を超えてないか。神話に語られるレベルだろう。しかし、現実にしゃべるティラノサウルスを見てしまったからな。今なら何でも信じてしまいそうだ」
動画を見て、イレニアさんが目を白黒させた。
「え…………この動画ってCGじゃなくてリアルなんですか。しかもしゃべるティラノサウルスって。これってキッチンで出す食材を確保しに行ってるんですよね。いったいなんの料理を出すんですか?」
食材を聞けば当然の疑問である。
「鉄板焼きとサンドイッチなんだな」
「思ったより普通だった」
普通で安心したイレニアさん。なんだかんだで普通が素敵。
「もうひと品欲しいなぁって思ってるけどまだ模索中。そういえば、ハティさんが鯨肉の下ごしらえをしている途中、アポロンさんとどっかに行っちゃったけど、どこに行ったか聞いてる?」
ペーシェさんの質問にダーインさんもルーィヒさんもノー。
「いや知らねえ。あれから連絡がとれねぇんだけど、何か妙案があるんじゃねぇの?」
「もしかしたら【一品】じゃなくてお肉をもう【一種類】確保しに行ったんじゃない?」
「いやいやいや。まさかまさかまさかだろ。でもアイツならありうる」
「お前ら、それはフラグなんだな」
乾いた笑い声が木霊した。ありえない話しじゃない。そう思ったからだ。
なんのことかわからないイレニアさんは話題を最初の目的に戻してくれた。
「話し変わるけど、ここにはお肉を届けに来たって言ってたよね。冷蔵庫に入れなくていいの?」
「おっといけねぇ。そうだった」
持って来た保冷バッグの中から鯨肉のロースト肉が1つ。2つ。3つ…………。
無限に思えるほど出るわ出るわ肉の塊。2つ目まではおいしそうだと笑顔を見せたアーディさん。3つ4つと手渡されて、5つ目を手にストップをかける。
この保冷バッグはキッチンの冷蔵庫に繋がっていて、まるでよじげn
「いやその単語は肉の量以上にヤバい気がするからやめろ。そうじゃなくて、いったいいくつあるんだ。沢山持ってくるとは聞いてたが、もう冷蔵庫に入りきらないぞ」
「まだ冷凍庫に隙間があるじゃないっすか~」
にやにや顔のペーシェさん。
「お前ら……ッ! たしか肉の搬入はハティが担当したって言ってたな。いったいいくら貰ったんだ?」
「「「…………………」」」
フラッシュバックする肉の壁。
「おい、黙って冷蔵庫に詰めようとするな。本当にこれ以上は入らないから。いったん手をとめろ」
キッチンに備え付けられた巨大な業務用冷蔵庫にアリ1匹入れないほど、と伝えると、目頭を押さえ、腕組みをしながらため息をついた。
またやりやがった。
理論派で計画的なアーディさんと、天然で本能から行動を起こすハティさんとは水と油。
ある意味、火と油。
「工房の方にも冷蔵庫があるからそっちに入れてくれ。工房仲間にも渡していいよな。1人じゃ食べ切れん。絶対腐る」
「「「あざーっす!」」」
からの、
「あ、そうだ。イレニアも持って行ってよ。間違えた。イレニアも持って行けよ」
巻き添え。
「言い間違えッ!? いやそれはいいんだけど、本当にいいの? こんな立派なロースト肉。かなりお高いんじゃ?」
業務用冷蔵庫からロースト鯨肉がフォールンダウン。
「さっきの動画に出てきた鯨がいるでしょ。あれのお肉なんだけど、現地の人たちが1年で消費する分と輸出分を差し引いても超余るってんで、いっぱい貰ったんだよね。だからお願い、受け取って。減らさないと冷蔵庫に何も入らないの。おいしいから。ね? おいしいからっ!」
ペーシェさんの圧がすごい。
「そりゃまぁ断る理由もないし、貰えるなら貰うけど。本当にいいの?」
「これも一期一会なんだな。工房の人たちにも渡してあげて。それから、ユノさんの分も渡しておくから一緒に食べて欲しいんだな。当分はお仕事でこっちに来ないらしいから持っといて。日持ちもするし火入れもしてあるから、切って食べるだけなんだな」
「う、うん。ありがとう」
こんなにも戸惑う押し売りがあるだろうか。もとい、押し付けがあるだろうか。
嬉しいが4分の1。残りは本当にいいのかという疑念でたじろぐといった様子。
居住区の奥の扉の向こうは工房に繋がっていて、作業中の技術者が手を止めてアーディさんに挨拶をする。
年配の強面から私たちと同じくらいの年の人まで、様々な年齢の堅物を取りまとめ、尊敬されている証拠を目の当たりにして、やっぱりアーディさんは凄いんだなぁと感心した。
若干20歳で1つの分野のトップにいる人物。キッチン・グレンツェッタで見る彼は頼もしくて細身。だけど、彼の背中は大きく信頼できるお兄さんのような存在。
きっと彼の工房でも同じだ。情熱と行動力、責任感。人として信頼される要素を兼ね備え、仲間を大事にするから、こんなにも楽しそうな笑顔で挨拶を返せるのだろう。
お肉の話しをすると、みな喜んでいくらでも置いて行ってくれと意気込んだのが最後。業務用の冷たい鉄の箱の中身はこんがりと焼き目のついたかぐわしいお肉色のお肉でいっぱいになってしまった。
それを見て大爆笑。
ドレッシングを入れる隙間もない。
ある意味、初めての光景だと写メを撮る人も現れる。
さすがのアーディさんも引き笑いが出てしまうほどだ。
お礼になにかして欲しいか、という話題になると、お祭りの時は是非、キッチン・グレンツェッタをよろしくとだけ言って、縁もたけなわと逃げるように手を振った。
~おまけ小話『惚れた相手』~
アーディ「程度って言葉を知ってるか?」
ハティ「腹八分目っ!」
ヤヤ「ハティさんの容積は一般ピーポーとはかけ離れてるのでご注意ください」
アーディ「うん。それはなんか知ってたよ」
マーリン「まあまあ。材料に関しては足りないよりはいいんじゃない? ねぇ?」
アーディ「貴女は手数料として鯨肉を貰えたから万々歳なのでしょう?」
マーリン「バレたか♪」
アルマ「ちゃっかりしてておちゃめなマーリンさんも素敵ですっ!」
アーディ「惚れた相手にはどこまでも、だな」
アルマ「アーディさんは惚れた相手はいらっしゃらないんですか?」
アーディ「尊敬する相手ならいるぞ。育ててくれた神父様とシスターたちだな。返しきれないくらいの恩を貰ったよ。だから今度は俺が恩を返す番だ。もっとも、与えるなら子供たちに、って言われてるけどな」
アルマ「自分よりも子供たちの幸福を優先する姿勢、敬服します。ところで、鯨肉のモツはなかったのでしょうか?」
マーリン「ごめんね。モツも皮も尾羽も、その他諸々はお肉に比べて量が少なくて栄養価が高いから、アイザンロックで全部消費されちゃうの」
アルマ「ぐぬぬ。しかしやはり鯨のモツは超気になります。いつかは必ずっ!」
アーディ「モツに対する執念がすごい」
マーリン「ほんとにモツが好きなのね。惜しむらくはお酒が飲めないところ」
アルマ「でもお酌をするだけでも楽しいです。その時は聞き手に回りますので、ぜひともモツと会話を楽しみましょう! モツパ! モツパですよ!」
アーディ「とんでもないパーティーが開催されそうな予感しかしねえ」
マーリン「1300余年生きてきて、モツまみれのモツ祭りは私も経験がないわ」
すみれ「だからこそ、そこがいいっ!」
部屋の中に靴のままで入ると泥がフローリングやマットに入り込みます。
すると、泥が乾燥して大気中に巻き上がり、泥に含まれる細菌が体内に入り込んで様々な症状を引き起こすそうです。日本では玄関で靴を脱ぐのであまりみかけないということですが、そういう文化がある国では結構問題になっているそうです。
でも文化によっては靴を脱いで靴下を晒すのは、裸になるくらい恥ずかしいことだという所もあるそうです。病気にはなりたくないですが、感情的な側面もあって難しいジレンマです。




