異世界旅行1-3 出会いの数だけ喜び増して 14
ペーシェが想像した通りの事情を鑑み、当初はグレンツェンとベルンの研究施設でそれぞれに課題を設けて研究しようと目論んでいたヘラさんの思惑は頓挫したのでした。
今後の異世界間交流では、加工されたブルーポーションの乾燥タイプと丸薬タイプの2種類のみの取引をしていくことになりそうだ、という話しで幕を閉じた。
なにはともあれ、回復を行使できる医療術者がいない戦場でも、ヒールと同等の治癒ができるのは、今後の活動の幅を広げる大きな一手となるだろう。
との思惑も、リンのひと言で砕かれる。
「でも基本的には自然治癒や医療術者のヒールを優先するようにしてくださいね。少量や少ない頻度でのブルーポーションの使用はそこまで問題ではありません。ですが、大量に使用し始めるとその手軽さと効果の強さから、精神的にも肉体的にも中毒症状のような傾向が出てきてしまいますから」
「傷を癒すと言っても結局は【薬物】の域を出ないから。容量用法をきちんと守るためのガイドラインを作成しなくちゃ」
私はヘラさんの言葉にうなずき、今後の取り扱い方法を考えてみる。
「ですね。免許の発行とまではいかなくても、徹底した情報共有と講習が必要でしょう。毒と薬は表裏一体。大事なのは使い手の判断力です」
「薬は使い手の判断力が大事、ですか。金言です。ね、リンさん」
私の言葉を拾って、桜がリンにスパイクを打った。なんか嫌な予感がするんだけど。
「なんで私に話しを振るのかちょっとよくわかんないな~♪ それよりほら、晩御飯ができたみたい。今日は二八蕎麦と天ぷらだって。いい音してるわ~♪」
なんか無理やりに話しを逸らした。
『薬は使い手の判断力が大事』
金言と表現して個人に話しを向けるということは、この人、新薬を使って非人道的な実験を行ってるのではないか。そんな疑いを感じざるをえない。
しかしこれ以上突っ込んだところで、のらりくらりと躱されるだろう。
柔和な笑顔の裏にどんな顔が隠れてるのやら。彼女については暁からそれとなく聞き出すとしよう。
♪ ♪ ♪
さてさて、本日はなんと蕎麦。
ベルンでは食べられない独特の香り。
天ぷらも新鮮な野菜と魚介を使った一級品。
金色の衣を纏った彼らは湯気を上げて食欲をかきたてる。
ナス、キス、大葉、地エビ、アナゴ。変わり種としてトマトの天ぷらが添えられた。
カリカリの衣とジューシーなトマトのコントラストが絶品と噂のひと品。塩や天つゆで食べる天ぷらだが、完熟したトマトの天ぷらはそのまま食べるだけであつあつじゅわっと口の中いっぱいに旨味が広がる。
なんという新食感。これはちょっと癖になるな。
「二八蕎麦でありながら、十割蕎麦に負けず劣らずの風味の強さ。キンキンに冷えたそばつゆと蕎麦の相性が抜群です。暑い夏にぴったりですね」
きらきらと瞳を輝かせて語るすみれの生き生きとした姿よ。
きっと暗闇の中でもすみれだけは見つけ出せるだろう。
食堂を切り盛りするアイシャが楽しそうに料理の説明をしてくれる。
「夏は盛り蕎麦を出しますので、少し濃いめのそばつゆに仕上げています。冬はかけ蕎麦を出すので、旨味と甘味を少し抑えて蕎麦の味を引き立てるように工夫しています。温度によって味の感じ方が変わりますから。それと、お店によってそばつゆの配合や蕎麦粉の使い方が違っていろんな味が楽しめますので、他と比べてみるのも面白いかもしれません。特に野菜やジビエに精通した職人さんが多い秋風亭の蕎麦は行列ができるほど人気なんです。秋風亭はアジやかつお節だけでなく、野菜やキノコ、ジビエからも出汁をとっていて、とても複雑で奥深い味わいが楽しめます」
「ジビエから出汁ですとな!?」
「なんでも、良質な鴨の脂を少し加えているそうです。詳しくは私も知らないんです。ちらっ」
「ちらっ」
アイシャとすみれがリンを見つめる。蝶のギルドが運営する食堂のことなら、ギルドマスターがなにか知ってるかもと期待しての無言の圧。
「ん~~~~残念だけど私も知らないの。ごめんね。でも秋風亭の料理はどれも絶品だから、ぜひ来てね」
「秋のサンマが待ち遠しい~♪」
「焼き芋と紅葉も最高です♪」
「紅葉饅頭も食べたいな~♪」
「「「秋はおいしいがいっぱい!」」」
リンの周りでさくさくと心地よい音を立てるキキちゃん、ヤヤちゃん、しじまちゃんの三部合唱。
秋はおいしいものがいっぱい。秋のメリアローザも堪能したい。
「俺は秋の終わりの脂の乗った鯛の刺身が食いたい」
虎丞さんは鯛。産卵期に入って栄養をたっぷり蓄えた鯛の刺身も蒸し焼きも絶品。
「カボチャのポタージュと秋に採れた野菜やキノコをたんまり乗せたピッツァが最高。あれをリィリィちゃんの歌を聴きながら食べるのが至上の贅沢♪」
アリアンは食と芸術。ハイターハーゼで不定期開催される音楽会を思い出す。
「今は夏なのに、もう秋のことで頭がいっぱいになってるよ」
「きっと秋になったら冬の御馳走に思いを馳せるのでしょうね」
それこそ四季の醍醐味。移り変わる景色を思い描き、明日に希望を夢見ることのなんと幸福なことだろう。
「冬の御馳走といえばそう、みなさんが狩ってくれたベヒーモスとミノタウロスのお肉を冬支度のために漬物にします。なので、秋になったらまたいらっしゃってください。その頃に食べごろになっているでしょうから。それと、お肉は蕎麦を食べ終わったあとに懐石にしてお出ししますので、楽しみにしていてください♪」
いかん!
食後で思い出した。アイシャは『食後』なんて言ってないが思い出したことがある!
「そうだ忘れるところだった! お肉もそうなんだが、エレニツィカがここにはちみつを届けてくれるって約束だったんだ。それはもう来てるかな?」
「はい。搾りたてのはちみつをたーんと届けてくださいました。それから新開発のお肉用はちみつ調味料も」
ん、あれ?
蜂の巣は?
疑問の最中、すみれが立ち上がって大声を出す。
「お肉用はちみつ調味料ですとなっ!」
それは幻想神殿で採取されるはちみつをベースに、各種ハーブを漬けて調合したエレニツィカオリジナルブレンドの調味料。
はちみつの持つ抗菌作用と保湿力で肉の水分を逃がさず熟成を援けることで、ジューシーで柔らかい肉質を実現。
調合したハーブがお肉の臭みを消し、肉の持つ旨味を最大限に引き出してくれるという料理人垂涎のアイテム。
それはぜひとも味わってみたい。
いったいどんな代物なのか。
養蜂経験者として興味が尽きない。
蕎麦も天ぷらも尽きて、予想以上にお腹がいっぱい。
見た目よりずっとボリュームのある晩御飯のシメに肉料理。
料理の最後に肉ってどんな食文化なんだ。
まとまった朝食。
豪快な肉と海鮮サラダと米のランチ。
最後に上品な蕎麦と天ぷらと、肉。
すんごい展開だ。ヘイターハーゼの料理人が見たら卒倒しそうなコースである。
簡単なコースでも、最低で『前菜』『メイン』『デザート』。
今日のはもう『蕎麦』『天ぷら』『肉』。最後にはちみつ。
バランスがカオス!
そういえばここは住んでる種族もカオスなんだった。
魔族に獣人にアンデット。もはやなんでもありの異世界ディナー。
だけどなぜだか心地いい。お題目より、やはり中身ということ。
ヘラさんが言った。『大事なのは、その人がどういう人かということ』。まさに格言。平和を実現させるための真理である。
お肉の前にお口をさっぱりさせるためにと出されたのは梅酒。
マジか梅酒ってマジか。
酸っぱい印象しかない梅酒。ベルンでもグレンツェンでも不人気の梅酒。
なぜならめっちゃ酸っぱいから。酸味が強い梅酒はカクテルでも一滴だけ注いでアクセントに用いられるようなもの。
それをそのまま飲むなんて自殺行為に等しい。さっき食べた料理の余韻が破壊されるではないか。
と思ったのは異世界人の我々だけ。
メリアローザ側の人は嬉しそうに、しかもおいしそうに飲み干す。
文化が違うから味覚が違うのか?
出されたからには飲まねば失礼。しかし、さすがに梅酒はちょっと…………。
「ぱっふぁ~~っ! うんま! どうしたんですか、シェリーさん。梅酒は苦手ですか?」
アルマのお口には合うらしい。
「う、うん。梅酒って酸っぱいだろ? ベルンやグレンツェンではポピュラーなお酒ではないからな」
「そういえば、お酒コーナーにも梅酒は置いてないですね。コニャックやブランデーで漬けた梅酒はおいしいらしいですが、スーパーで扱えないほどプレミア物だそうです」
「ピンからキリまであるとはいえ、コニャックとかブランデーが基本的に高価だからね」
噂には聞いたことがある。特別に加工された梅酒はめっちゃうまいらしい。
が、抵抗はある。
「そうなんですか。こんなにおいしいのにもったいない。飲まないなら頂きますが、どうしましょうか?」
桜もおいしそうに飲み干した。
「ううむ、そう言われると気になるな」
「そもそも酸っぱい梅酒なんてあるんですか?」
「「「「「えっ!?」」」」」
梅酒って酸っぱいものだろう。なんで梅酒を飲んでそんな言葉がでてくるのか。
つまりメリアローザの梅酒は酸っぱくないってことなのか。
だったらいったいどんな味がするのか。
桜が言うように本当においしいのか。
これは飲んで疑問を晴らさねば永久に理解できない難問。
何事もチャレンジ。経験は財産である。
ひと口、舌に転がして広がるまろやかな酸味。
飲み下し、追いかけるように口いっぱいにじんわりと静かに感じる梅独特の甘味。
なんだこれは。
本当に梅酒なのか。
別の果物じゃないのか?
驚く私たちのために、アルマがメリアローザ自慢の梅酒を教えてくれる。
「桃梅花と呼ばれるお酒です。メリアローザで生産されるお酒のひとつで、まろやかな酸味と舌に残る梅独特の甘味。さらりとした舌触りが特徴です。春の始まりを告げる果実の梅で作ったお酒は縁起物なので、結婚祝いの引き出物にも重宝されます。アルコール度数も低いので女性にも嬉しいひと品です。酢の代わりに料理にも使われます」
めずらしくお酒の説明が饒舌なアルマ。そこかしこで聞かされるのだろう。それだけ人気の品というのも、飲んだ今なら理解できる。
これ、めちゃくちゃおいしくて飲みやすい!
「これは飲みやすくておいしいな。お土産に売ってるのか?」
「お土産コーナーにも酒造屋にも置いてると思います。今年は豊作だったので、いっぱい作れたって聞いてます」
「料理にも使えるってことだけど、どんな料理に使うの? お酢の代わりとか?」
料理大好きすみれのクエスチョン。アンサーするアルマは普段使いしてくれたら嬉しいと期待して満面の笑み。
「黒酢の代わりに使ってるって聞きました。酢豚に使うとさっぱりとした酸味とほのかな甘みが癖になるそうです」
「それはぜひとも食べてみたじゅるり」
「よだれよだれ。あ、お肉ができたみた、い、これ、は、石に乗ったお肉?」
じゅうじゅうと音を立てて現れたそれは、熱々に熱せられた丸い石の上でふつふつと身を躍らせた。おいしそうだけれども、なんか思ってたのと違う。
ここでは器の代わりに石を使うのか。
雰囲気があると表現すればよいのか。
原始的と呼べばよいのか。
とりあえずいただいてみましょう。
と、フォークを伸ばすより先に視界に入ってきたのは小柄な少女。
よだれを垂らしながら目を見開き、お腹をぎゅうぎゅうと鳴らして固唾を飲んでいる。
相当にお腹が減ってるようで、ずいぶんと息を荒くしていた。
まさか物乞いなのだろうか。10代に見えるけど、お金に困ってご飯が食べられないのか?
彼女たちの存在に気付いた桜が挨拶と牽制をする。
「雪子さん、お久しぶりです。お仕事はもう終わりですか? それと詩織さん。食事中の人に迫らないであげてください」
桜を見るなり、詩織と呼ばれた少女は飛び退き声を大にした。
「腹パン女! じゃなくて、えっと、すみません。お腹がすいてて。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「腹パン女? もちろん。私はシェリー・グランデ・フルールだ。シェリーと呼んでくれ。2人の名前を聞かせてもらってもいいかな?」
背の高い女性は志間雪子。普段は猟師。メリアローザと交易のある村の橋渡しとしての役割を担っており、今はあるダンジョンの土地を作物の育つ場所にするために帰郷していた。




