異世界旅行1-3 出会いの数だけ喜び増して 10
眼前に広がる白い花の絨毯。
青い空。
飛び交う蜂たちの羽音が心地よい。
薔薇の塔・26層【幻想神殿】。
ゲート近くにはメリアローザの人々によって開拓された養蜂場。コピアと呼ばれる白い花から採取される蜜だけを使って作られるはちみつは水のように滑らか。さっぱりとした切れ味の甘さが特徴的な特産品。
冷水にも溶けやすく、小麦の生地にも溶けやすいことから、通常のはちみつよりも圧倒的に使い勝手がよい。
甘さも控えめで甘すぎるスイーツが苦手な人にも大好評。
養蜂場のミツバチとはちみつを見ると、幼少の頃を思い出す。
なにものにもとらわれなかったあの日。
仲間たちとミツバチの世話をしては、この子たちが作るはちみつはどんな味がするんだろう。この花で作ったはちみつはどんな味がするんだろう。このはちみつとこっちのはちみつを合わせたらおいしくなるだろうか。
そんな他愛もない話しで盛り上がった。
少女だった彼の日。
友と築いたかけがえのない思い出は今の私を作っている。
「ダンジョンに入った途端にシェリーの意識が過去にぶっ飛んだんだけど。郷愁に深けさせる魔法にでもかかったのか?」
「そんな魔法はないと思いますけど。幻想神殿の風の香りが思い出を呼び覚ましたのかもしれません。もしくはストレスからリラックスへの落差が激しすぎて、深い深いマインドフルネスに入ってるのかも」
「ぼーっと突っ立って、大丈夫なのか? そんなに珍しい景色だとは思わんが」
「はちさんがこんなにたくさんとんでるよ! きょうもいっぱいいっぱいはちみちゅをあつめようね!」
「「「「「ッッッッッ!!!!! ッッッッッ?????」」」」」
—————————はっ!
私は今誰としゃべってた!?
なんか目の前に幼少の頃の友人が見えたような。
彼女は養蜂家に嫁いで二児の母となり、慎ましやかな日々を謳歌してるはず。
であれば幻。過去の記憶が幻影となって現れた。
ま、まずい。一瞬とはいえストレスのせいで幼児退行を起こしてしまった。自分で思ってるよりもストレスがかかってたのか。
ヤバい。これは本当にヤバい。生死を分ける局面で先頭に立って指揮をする護国の要・第一騎士団長がこんなことでどうする!?
青ざめた表情で心配そうに私をみつめる一同。
アルマは今にも泣きそうだ。
「す、すみません。情けない姿を見せました。こんなことで騎士団長なんて務まりませんよね。もっと気を張らないと」
謝るも、虎丞さんが鋭い指摘を炸裂させた。
「異世界のことはよく知らんが、ストレスの原因はそれじゃね?」
図星かもしれない。不意に心臓に言葉の剣が刺さった。
「ミノタウロスの牽制任務だったけど、今日の同行はやめておくか。ある程度の荷物は担いでやれる自信はあるが、戦場で今みたいになるとどうしようもない」
「気づいてやれなくてすまん。せめてメリアローザにいる間は自由に遊んでいてくれ。仕事は私がやるから」
「だ、大丈夫です! 一瞬だけ戻っちゃっただけですから! 一瞬だけですから。すぐに戻ってきましたから!」
弁明をするも泥沼。
なぜなら日々の職務と責任感がストレスの原因だから。
ストレスの原因を頑張ると言われても説得力ゼロ。
解決策はひとつ。ライラさんの言葉通り、仕事から離れて心をデトックスすること。
でもそれは役職上、許されない。たしかに後任の育成は行っている。防護に秀でた人材を集め、事務処理から指揮系統のノウハウなどを叩きこんだ。
最も重要な魔法は国を守護する都市防衛用魔導防殻と同期させて発動する【守護神殿】の習得。
護るべき者が多ければ多いほど、防御力を増強させる世界屈指の防御系魔法。私が開発したオリジナルの魔法であり、現在、ゲニウス・テモノスを扱えることが第一騎士団長の資格と定めている。
第一騎士団長候補のみなは魔法も剣も地頭の強さも優秀そのもの。
くしくもゲニウス・テモノスの習得に至らないことが残念だった。
この魔法を習得さえできれば、二交代で国の防護に就くことができ、万一片方に何かがあっても国の安全は守られる。
他騎士団長たちにまかせっきりの外国への出張や遠征任務にも参戦できる。あわよくば有給も消化しやすくなる。副業で猫カフェのオーナーもできるかもしれない。
だけど現状では誰一人として習得には至らない。
だから私が頑張るしかないのだ。
「この人、責任感が強すぎて逆に怖いよ。休めよ」
「真面目なのはわかっていたが、ここまでくると狂気的だな」
仲良し夫婦の意見が一致。
「アルマに呼ばれて来てみたら、これはいったいどういう状況なんですか?」
「おやおや。体調不良ですか? よい煎じ薬を持ってきています。ちょうどここにははちみつもありますので、一服してから様子を見ますか?」
ミノタウロス狩りに呼ばれた桜と陽介さんが心配してくれる。心配させるつもりじゃなかったんだが。
「いえ、大丈夫です。日が暮れる前に終わらせてしまいましょう」
やる気を示すたびにアルマの表情が険しくなる。
そんな顔をするな、アルマ。
私は至って平気だ。問題ない。
と、思ってるのはだいたい本人だけ。
♪ ♪ ♪
コピアの花が咲き誇る草原が終わると、そこは真っ黒に濁った沼地。
楽園から地獄。天地が逆転したかのような景色の変わりよう。
エルドラドで見た泥炭地とは全然違う。肌を冒すようにじっとりと濡れる湿気。雑然と顔を出し、ゆく手を阻む腐った枝木や丸太の数々。
極めつけは曇天の空。草原のエリアまでは晴天だったのに、沼地が始まったところから灰色の雲が立ち込めた。
明らかに何かが潜んでる。そう思わせるに十分な雰囲気だ。
沼地を前に、夜咲良桜が先陣を切る。
「ここからは私が先に進みます。沼地を凍結させて歩きやすくします。それでも少し沈むので気を付けて歩いてください」
「アルマは浮遊するから、だーいじょーぶ♪」
「はいはい」
桜は足元から温度を奪い、結果的に沼地の表面から約30cmほどの深さを凍結させる。足を踏み込むとパキパキと音を立てて靴底が沈んだ。表面を凍らせると足を滑らせて満足な戦闘が行えない。だから完全ではなく、半冷凍状態になるように魔力の出力を制御する。
足場の悪い戦闘に慣れてるだけではない。魔法の扱い方も超一流。
夜咲良桜。アルマの九死に一緒の大親友。
齢15にして数少ないSSランクに相当する冒険者のひとり。
薔薇の塔を登る冒険者の評価は国に対する【貢献度】。メリアローザ中央機関ダンジョン管理局が実施する実力評価試験による【実力評価】の2つで決まる。
前者はダンジョン内で採取したアイテムに付与された価値に対するポイントの蓄積で決まる。
採取難易度の高いものほどポイントは高く、誰でも採取できたり、珍しくても安全に採取できるアイテムはポイントが低く設定される。
後者は本人の実力を端的に表すためのもの。客観的事実に基づき、その冒険者がどのレベルの実力者なのかを一定の水準を持って評価することで、破塔に臨む際の参考に利用された。
「とはいえ、ダンジョンによって相性のいい人と悪い人がいますので、後者の実力評価については参考程度に見ておいたほうがよろしいかと。実力評価がBでも、相性がよければ高難度ダンジョンを軽々とクリアできる人もいますからねえ」
「となると大事なのは前者の貢献度?」
ライラさんの疑問を肯定する陽介さん。ひとつうなずいて言葉を続ける。
「どちらかと言えば貢献度のほうが重要視されます。多くのアイテムを採取するということは、そのまま国に対する貢献度、戦闘能力、生存能力の高さを表しています。採取難易度が高く有用なものは貢献度が高いためポイントが高く、誰でも採取できるようなもの、珍しくても安全に手に入るものなどはポイントが低く設定されています」
なるほど、理にかなった評価制度だ。納得して、次は桜が言葉を繋げた。
「とは言っても、実力評価も無駄というわけではありません。それぞれの階級別に要求される能力が違います。Cクラスは個人の基礎能力が一定水準以上か。Bクラスは個人の力量はもとより、集団戦における戦術や役割をこなせるか。などなど、普遍的に通用する能力を評価基準にしています」
「ですね。依頼の難易度を明確化することで、ダンジョン内での死亡事故の防止に繋がってます」
「なるほど。めちゃくちゃ分かり易くて合理的。すっげー異世界っぽい!」
「異世界っぽい、とは?」
七尾陽介。メリアローザ魔術師組合マジックアイテム開発局局長。
魔術師とはとうてい思えない筋骨隆々な肉体。白髪のせいか、若いのか老けてるのかよくわからないあべこべな男性。
座右の銘は『健全な魔力は健全な肉体と精神に宿る』。
ゆえに、毎日の筋トレをかかさない。
魔術師として魔力量の拡充と練度の高さはとても大事。しかし最後に頼れるのは自分の体。
肉体強化の魔法は素の身体能力が高ければ高いほど能力の最大値が上がる。魔術師でも彼のように筋肉バッキバキであれば、下手をすれば、というか、下手な魔術師や魔法剣士なんかよりよっぽど身体機能が高い。
身体能力は抜群。
魔法の研鑽も賢人のそれ。
並みいる冒険者の中でも怪物級の人間である。
当然のように冒険者ランクは桜と同じSSクラス。
研究職でありながら、自らの研究成果を自らで検証するため、ふらりとモンスターの現れる階層に出向いては実験を繰り返した。ユノと引き合わせたらとんでもない化学反応が起きそう。
「アルマは異世界でも魔法の研究してるの? セチアから聞いた話しだと、相変わらず魔法の研究ばっかりしてるって聞いてるけど」
アリアンと呼ばれた同行者は人懐っこい笑顔でアルマの顔をのぞきこんだ。
「アルマ道は魔法の探求にあります。今は宝石魔法の研究とクリスタルパレスの魔法を応用した人工ダンジョンの建設にいそしんでます。毎日毎日楽しくて仕方がありません。宝石魔法に関しては戦闘に応用できる技術なので、なるはやで研究を進めたいと思ってます」
「たしか留学先には魔獣っていうモンスターが出没するんですよね? 生活は大丈夫ですか?」
ネロの心配を吹き飛ばすように、胸を張るアルマは自信たっぷりに語りはじめた。
「大丈夫です。魔獣が出てきても返り討ちにしてやります。まぁハティさんの魔力が龍脈を通って世界中に循環してるので、魔獣の発生件数も減ってしばらく安全です。でもハティさんがシャングリラに戻ったら龍脈も元に戻ってしまうと思うので、その前に対策を講じておかねばなりません。ぜひとも冒険者の皆々様には宝石魔法の実証実験を行っていただきたく存じます」
「なにそれ。華恋のユニークスキルみたいに宝石に魔法を付与するやつ?」
「華恋さんのよりもっと具体的なものです。半永久的に使用できるインスタントマジックのようなものです」
「なにそれ超すごいじゃんっ!」
アリアンは破塔に役立つと知って目を輝かせる。いつできるのか。なにができるようになるのか。興味津々の様子。
「それだと、僕のエクスカリバリュエルが参考になりそうですね。必要になったらいつでもおっしゃってください」
ネロは柔和な笑顔でアルマの頑張りを褒め、協力を惜しまないと約束した。
アリアン・クラシュ。冒険者ランクAAクラス。
羽化と追い風の魔法を併用して踊るように空を舞い、双剣の斬撃でモンスターを狩っていく若手冒険者。最近、ようやく念願の魔剣を手に入れたのでモンスター狩りに出たくて仕方ない。
これから向かうミノタウロス討伐にも何度か参加しており、桜が誘ったお墨付きの実力者。
ネロ・ランス。冒険者ランクASクラス。
冒険者の中でも珍しい、貢献度より実力評価値のほうが高い冒険者。
冒険者の中には実力評価をクリアするために特化した訓練をする人がいる。しかし彼はそうでなく、元々は戦術規範の充実した騎士団から冒険者になった人物。
ゆえに、試験問題を作る騎士団戦術班の傾向を熟知しているため、貢献値がSになるより早く、Sランクの実力試験に合格した。
くわえて、彼は集団戦術に長け、採取したアイテムの売却金やポイントをチームで分割しているため、蓄積する貢献値ポイントの獲得量が低いという理由もあり、貢献度はA止まり。
ネロがそろそろかなと虎丞さんに合図を送る。ひりついた表情。もしや縄張りに入った?
「そろそろ会敵してもいい頃なんだが。ミノタウロスの姿が見えないな。哨戒班が見当たらないということは…………」
「いやぁ~だとしたら面倒臭いですね~。残念ですね~。刀打ちの終わった暁さんのためにおいしいお肉を用意しておこうと意気込んだのに~。ミノタウロスが討伐できないんじゃあ骨折り損ですね~」
アルマが言うめんどくさいとはこれいかに。
「アルマはライラの本気が見れなくて残念なだけだろう?」
ゼィーダの図星がアルマに刺さった。
「そんなことないですよ。暁さんは刀打ちのあとは精力をつけるために肉料理を食べるんです。暁さんにはぜひともおいすぅい~お肉を召し上がっていただきたい」
アルマは本音半分。建前半分の顔をする。
虎丞さんは本音全開。
「牛肉は高値で売れるしな。ミノタウロスの頭蓋骨なんかはマジックアイテムの素材としても買い取ってもらえる。かわいい嫁と過ごす愛の巣を手に入れるためにも、ミノタウロスには礎になってもらわなくては」
「2人とも、少しは本音を隠すってことしたら?」
ゼィーダ・ウォ・フラン。冒険者ランクCCクラス。
冒険者として登録したのはごく最近。冒険者である夫の補助をするために登録した彼女は故郷で元魔王軍幹部を担っていた。
人間との戦争のおり、虎丞に根負けする形で投降。彼の優しさと男らしさに惚れて今にいたる。
魔法適正が非常に高く、火属性の魔法だけならメリアローザ随一と評価された。評価したのは色眼鏡がかけられた旦那の虎丞さんなので信ぴょう性は謎である。
伊織部虎丞。冒険者ランクSSクラス。
棍棒の魔剣を扱うメリアローザ屈指の実力者。
内燃系魔法、剣技系魔法、補助魔法、棍棒による肉弾戦。どれをとっても最高水準の実力者。義弟が故郷に戻って様子を見に行ったおり、戦争に参加して生涯の伴侶を携えて戻ってきた。
それからというもの、嫁大好きが過ぎてちょっとウザがられる。
アルマ・クローディアン。冒険者ランクSSクラス。
我らのかわいいふりふりフリルの金髪ツインテール。
幼少の頃から魔法の研究に明け暮れ、暁に拾われる形でメリアローザに移住。
大人に混じって魔法を研究する日々を邁進した。
冒険者としての実力も申し分なく、遠距離攻撃魔法役としてチームに入れておけば安心してダンジョンに登れると、彼女の信頼は非常に厚い。
「冒険者ランクが高いと高難易度ダンジョンに挑めるっていうのは分かるんだけど、それ以外になんか特典とかあるの? ギルドの食事が安くなるとか」
暇を殺そうとライラさんが当てずっぽうを投げた。拾ったネロが丁寧に返信してくれる。
「貢献度の評価値が高いとギルドが運営している食事の代金を割り引きしてもらえます。ただし、自分が所属しているギルドの食堂だけですが。売却したアイテムの一部の金銭はギルドに直接納金されること。冒険者のやる気向上に寄与するため。こういった理由があります。実力評価値については特に特典のようなものはありませんね。冒険者としての箔はつけられます。というのも、Aクラスまでは戦闘の相性に関係のない内容の試験だからです。Sクラスになると突然火力が求められます。なぜか」
「Aまでは人間性とか戦略と戦術の使い方とかを問うてくるのに、Sクラス試験になると高火力を求めてくるんですよね。結局は火力ですよ。火力こそ正義!」
アルマはそうだろうが、隣の八兵衛さんはそうじゃないらしいぞ?
「おいおい、だとすると小生は悪ではござらんか。まぁ難局を打破するには圧倒的な火力というのは否定せんが。個人的には納得いかぬ」
柳八兵衛。冒険者ランクSBクラス。
毒吹き矢使い。独自調合した毒霧は吸い込んで即発動。5秒ほど全身を麻痺させたのち、瞬時に解毒。モンスターの動きを止めて戦闘を有利にする補助的な役割を担う。『止めの八兵衛』と呼ばれ、強力なモンスター討伐には必ずと言っていいほど頻繁に呼ばれる強者。
毒はすぐに無毒になるため、討伐したモンスターの肉は安全に獲得。成果報酬として売却できる利点がある。
彼がいるだけで安全に仕事ができ、成果も期待できると評判が高い。
特徴的なのは顔。浮世絵からそのまま出てきたのではないかというような面長色白。
毒を扱うため、その影響かと思ったが顔は生まれつきらしい。
索敵を始めて20分。見渡す限りの暗雲と沼地。時折見せる背の高い木々は葉が枯れて黄昏ていた。振り向くと遠くに別世界のような光景が広がる。
太陽の降り注ぐ緑の大地。階が降りた先に咲く白い花にはミツバチが飛び交ってるのだろう。
ヤバい。なんか無性に恋しくなってきた。
今はモンスター討伐に集中だ。
しばらく歩くと険しい傾斜を持つ小山に出くわした。
周囲が暗いせいか、岩肌は紫がかって見える。
木々は1本も生えてない。
小動物のたぐいも見られない。
絵にかいたような荒廃した世界。
ここまで居心地が悪いとは思わなかった。
「ミノタウロス。伝説に登場する幻獣か。平均的な体長が10mと聞いてるが、目の前にしてみるとすさまじいんだろうな」
私の心配をよそに、慣れた桜はどこ吹く風。
「そんなことはありませんよ。2本足で歩くただのバカでかい牛です。それにミノタウロスの旨さを知ればかわいく見えます。食べると全部食材に見えてきます」
「超極端。でもそのくらい単純なほうがいいのかもな。あれこれ考えていても仕方がない。ちなみに桜の魔剣ってどんなんなの?」
「「「「「「それは聞かないほうがいいよ」」」」」」
ライラさんの疑問を全員が抑えに入った。
「まさかの六重奏。聞かないほうがいい魔剣っていったい……?」




