異世界旅行1-3 出会いの数だけ喜び増して 4
微妙な空気が渦巻く中、異世界間の牛肉に対する温度差と、我々の攻撃的な視線を感じた華恋は空気を読み、ミノタウロスから話しを逸らそうとはちみつの話題をシェリーさんに振った。
「シェリーさんは養蜂に興味がおありで?」
シェリーさんが生き返る。
「私はもともと修道院の出身でな。そこでは屋上で養蜂をしてるんだ。だからサン・セルティレア大聖堂の修道院出身者は蜂や養蜂にめっちゃ詳しいぞ」
噂では、普通にそれで食っていけるだけのスキルを身につけられるらしい。
さすがサン・セルティレア大聖堂が誇るシスターズ。教育の鬼は伊達じゃない。
アルマは自分のことのようにグレンツェンのはちみつを褒め称える。
「グレンツェンの市章には蜂とすみれの花が描かれるくらい、蜂と人との関係が深いんですよ。グレンツェン固有種の蜂さんが作り出すはちみつは、それはもう絶品なんですから♪」
えへん、と胸を張ったシェリーさんの隣で自分のことのように自慢するアルマ。
その向かい側で本当に自慢していい人も胸を張って鼻を鳴らした。グレンツェン市長のヘラさんだ。
「そうなの。あの暁ちゃんが誰にも渡さずに1人で食べきるって言うくらい、おいしいはちみつなんだから♪」
「えっ! それは初耳です。あの暁さんが独り占めするほどのはちみつ。めっちゃ気になる!」
そんなに驚くことなのか。暁さんをよく知るあざみさんもセチアさんも、華恋さんと同様に目を丸くした。
「驚きです。暁さんって、おいしいものを貰った時などはフレナグランのみなさんにおすそわけしている印象です。余ったら修道院の子供たちにも配ってましたし」
「そういや、お土産に渡したベルガモット・フレイのオレンジケーキもアイシャって子に渡してたな」
「ですです。私も食べさせてもらいました。見て食べて、全く同じとはいかなくても、新しいスイーツのヒントにしてほしいって言われていただきました。すんんんごくおいしかったです! ありがとうございます!」
「さすが暁さん。短期的なスイーツより長期的なスイーツを選んだわけか。私なら喜び勇んで胃袋の中ですわ」
普通はそうっすよね。
俺ももみじさんと同じタイプ。だいたいみんなこのタイプ。
メルティさんも前のめりになる。
「それは私も食べました。ふわふわのシフォンケーキの上にはちみつ漬けにされた輪切りのオレンジがのっかっていて、まるで太陽を食べているようでした。桃色のカチカチサクサクであまあまな塊は初体験です」
メルティさんの感動にヘラさんが答える。
「あれはメレンゲっていうものなの。いろんなバリエーションがあるんだけど、メリアローザでは一般的じゃない?」
「それについて詳しくっ!」
スイーツ大好きなメルティさんの情熱にシルヴァさんが手を挙げる。
「もしよろしければセチアさんの工房で一緒に作らせていただいてもよろしいでしょうか。簡単に作れますし、メレンゲ生地は焼くだけでクッキーになるので、材料と道具さえあればフェアリーのみんなでも簡単においしいメレンゲクッキーが作れますよ」
「まぁ! フェアリーのみんなも作れるのですか。それはとても嬉しいです」
セチアさんが手を開いて喜んだ。
フェアリーが一生懸命にスイーツを作ってる姿を見てみたいっ!
自分たちも作れると聞いて、ローズマリーが文字通り飛んできた。
「私たちでも作れるお菓子があるの!? 絶対作ってみたい!」
「それってバニラを入れてもいいの!?」
「さすがバーニア。いつでもバニラ激推し。だけどそこがかわいい!」
さすがフェアリー大好きシルヴァさん。
フェアリーと一緒にいるためならなりふり構わないというスタンスが丸見えである。
せっかくなので俺も教わろう。リィリィちゃんに喜んでもらえるならなんでもしよう。
午後の予定で盛り上がる最中、ふと足元に触れるもふもふの感触に気が付いた。
ログテーブルの下を覗き込むと、そこには真っ白に輝く羽を持った鶏が自由気ままに散歩している。
足元だけではない。見渡してみるとハーブ畑のそこかしこを闊歩してるではないか。
彼らがハーブを食べて育ったという超セレブ鶏。囲いもなく自由奔放であることはストレスのない生活を送ってるということ。
健康な鶏からはおいしい卵が生まれる。毛並みも艶も一般的な鶏と一線を画していることは素人目にも理解できた。純白の絹織物のような輝きを放っている。
リィリィちゃんが1匹の鶏を膝に抱えてもふらせてくれた。
ふわふわのつやつや。これが鶏だというのか。まるっきり別の生物に感じる。
光に反射する白い羽のなんと美しいことか。フラウウィードは鶏まで芸術的だ。
「なんという見事な毛艶。歩き方まで上品に見える」
「さすがにそれは色眼鏡をかけすぎです」
シルヴァさんの感動に冷静なつっこみを入れるペーシェさん。どこまでも現実的でらっしゃる。
「さすがにそこは普通の鶏です。まぁフラウウィードの鶏は卵もさることながら、普通じゃないんだけどね」
「普通ではない鶏とはこれいかに」
メルティさんの言葉と鶏に期待の眼差しを向けるすみれさん。特別においしいお肉になるのかとよだれがたらり。
どこまでも食欲の権化。
ライラさんは鶏を観察しながらメルティさんに問う。
「エメラルドパークでも養鶏はやってるけど、ここまで自由にさせたりはしないな。何か秘密があるのか? コツがあるなら教えてほしい。ノンストレスの鶏から生まれる卵は科学的にも栄養価が段違いなのが証明されてるからな」
マジ顔のライラさん。実家の話しが絡むと教練の時以上に真剣になる。
ライラさんのマジ顔にメルティさんが答えた。
「それはぜひともローズマリーたちから教えてもらうといいですよ。ローズマリー、みんながどれだけ努力家かを教えてほしいって」
満面の笑みで机の上に座る鶏に、もとい鶏の背中の上でロデオするフェアリーに語りかけるメルティさん。声に気付いた少女は眩しいほどの笑顔で応えてくれる。
鶏に騎乗するフェアリー。さながら西部劇のガンマン。サイズ感がばっちりすぎて不思議の国にでも迷い込んだのかと錯覚してしまった。
「あのねー、コッコちゃんたちとはお友達で、よく一緒に遊ぶんだ。その時にね、コッコちゃんたちから言われたの。自分たちには羽があるけど空が飛べない。空から見る景色を見てみたい。どうすればいいのかな、って。だから一緒に頑張ったんだ。羽があるなら絶対に空だって飛べる、って!」
「それって、つまり、まさか……」
「We! Can! Flllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllly!」
掛け声とともに長机の上を走り出す1羽の鶏。
懸命に羽を広げ、大空へ飛び立った。朝日に向かって飛翔する。
ジャンプではない。フライだ。
朝日に照らされて白く輝く姿のなんと神々しく、誇らしげなことか。
『俺は自由だ! 誰よりも! 何よりも!』
そんな魂の叫びが聞こえた気がした。
聞こえた瞬間、1人残らずのスタンディングオベーション。
「はあああああああああああああああッ!? 鶏が空を飛んだッ!?」
ライラさんは驚愕の現実に開いた口が塞がらない。
「あいきゃんふらああああいっ!」
リィリィちゃんもぴょんぴょんと飛び跳ねて、今にも飛び出してしまいそう。
「ものすごい跳躍じゃなくて、本当に空を飛んでる。空を飛べる種類の鶏、なわけないよね?」
ヘラさんも見たことないらしい。
「フラウウィードにいる鶏はもともと、メリアローザにいる一般的な鶏です。それが、フェアリーのみんなと一緒に空を飛ぶ練習をして、彼らは自由という名の大空を得たのです」
「メルティさんはナチュラルにご説明されていますが、種の可能性と物理現象を超越した奇跡をまのあたりにしていますわよね?」
「空飛ぶ鶏、初めて、見ました」
誰も彼も唖然として動けない。
リンさんの言葉に被せて、アルマがメリアローザでの空飛ぶ鶏たちの活躍を聞かせてくれた。
「ですです。これを見た冒険者の間では、『最初から諦めるなんて鶏以下だッ!』って言って自分を鼓舞する文化が生まれました。リアルにガチで鶏以下になってしまいますからね」
「それ笑えねぇな」
ペーシェさんが引き笑いしながらつっこんだ。彼女がつっこんでなかったら、俺が言葉を返したところ。
「フェアリーって多種族の可能性を拡げる能力でもあるの?」
ペーシェさんがセチアさんに問うも、彼女は困ったように苦笑い。
「それは、どうでしょう。彼女たち自身も自分たちのことを詳しく認識してないようですし」
ぴこんと閃いたヘラさんが人差し指を立てて仮説を立てた。
「これはきっとアレよ。不可能なことを知らないからこそ、心の底から出来るって信じてるから出来るのよ。たとえばミツバチなんかもそう。ミツバチって物理学的には体の大きさから考えて、あの小さな羽では飛ぶことができないとされてるの。それでも彼らが飛ぶことができるのは、彼ら自身が飛べないことを知らないからだ、って言われてるのよ」
「たしかにそんな論文はありますが、かなり無茶苦茶な理屈ですよね?」
「その無茶苦茶な理屈をまのあたりにしてしまった私たちは、いったいどうすればいいのかしら?」
「ぐ、うぬぅ……きっと我々が知ってる鶏は進化の過程段階で、今見てる鶏が最終進化系の可能性も。飛べるように翼が大きく成長してるとか。フライの魔法が使える特別な鶏とか」
珍しくシェリーさんが滅茶苦茶な理屈を述べる。
理知的で合理的。確固たる根拠を元に会話を構築する彼女の常識が崩れかけている証拠だった。
己の仮説が正しいことを信じ、散歩している鶏を捕まえて翼を広げてみた。普通サイズだ。飛べるように成長した様子ではない。
丸々と太ったもふもふの鶏は明らかに家畜としての生を選んだもの。そもそもスリムな鶏は5~10mくらいなら飛べるのだ。飛べない理由は家畜として太らされたから。
彼らは当然のように太ってる。ではなぜ飛べるのか。筋肉がものすごく発達してるからか。気流に流れる魔素を捕まえて飛んでるのか。
翼に特殊な魔法の痕跡はない。魔法を行使した残滓も存在しない。
スリムならともかく、通常サイズの翼では飛べるはずがない。
目の前の謎に愕然とすると、じっとすることに飽きたのか、鶏はシェリーさんの膝元から大空へ飛び立った。
疑問符を浮かべる彼女をあざ笑うかのように、鶏独特の鳴き声を発しながら去っていく。
異世界。
動死体。
魔剣。
小妖精。
空に浮かぶ浮遊要塞。
異世界へ続く薔薇の塔。
黄金郷。
空飛ぶ鶏。
積み上げてきた常識が異世界爆弾で吹き飛んでいく。
再構築するには時間がかかりそう。
積み上げ直してる間に壊されそう。
もういっそバラバラに砕け散ったままでいいのかもしれない。
頭を抱えて悶えるシェリーさんの隣で、白雲と赤雷が太陽を目指した鶏を見上げて楽しそうに語る。
「コッコさんたち、大空を飛べて毎日楽しそうです。我々もよくお空の散歩をするんですよ。人間様も魔法で空が飛べるのですよね?」
ライラさんに向けられた笑顔を、見逃してなるかと素早く動いたのはシルヴァさん。
しかし彼女は眺めるだけ。答えるのはライラさん。ライラさんはシルヴァさんの奇行に警戒するように身を震わせ、一度腰を落ち着かせた。
「えっと、人によるな。適正がないと使えない人もいる。そういう時はマジックアイテムを使って空を移動するかな。私たちの世界では、正直言って自由に飛べる空は無い」
「まぁ! 空が自由に飛べないのですか? それはまた、随分と窮屈そうですね」
赤雷の不安を肯定したローザさん。
だけど彼女の笑顔は安心できるものだった。
「そうね。メリアローザやフラウウィードくらい自由だったらいいんだけど。でも飛べないのは人間だけ。鳥やフェアリーのみんなには自由だよ。ところでシェリーさん。大丈夫ですか?」
「もう考えるのやめる。アイスティーをもらっていいですか」
思考を放棄した!
いやいやしかしこれは仕方がない。
一朝一夕で解明できるような謎ではない。
そんなことよりハーブティー。ここでしかできない体験を優先するほうが建設的だ。




