異世界旅行1-2 恋も旅路も行方は知れず 10
平坦な丘が続く景色に大きな木造家屋が現れる。エルドラドで試験運用される完全養殖場。通年を通して安定した品質と量を供給できる養殖場はエルドラドのみならず、メリアローザにも多大な恩恵をもたらそうとしている。
隣接した田畑には柑橘系の植物をはじめ、スーパーフードとして注目を集めるモリンガ。みんな大好きなオリーブなどなど、たくさんの作物が栽培された。
これらはエルドラドに住む人々の口に入るものもあれば、そのまま加工して養殖魚の餌になるものもある。
まず紹介されたのは養殖場の肝である水槽。
8の字に整備された水槽は水族館を思わせるような巨大なもの。円を描きながら回遊する魚たちを見るのはとても新鮮です。水族館か食卓以外で魚を見ることがない我々にとって、上から見る魚影もなかなかどうして面白い。
水槽の淵から落ちないように覗き込む我々に、リンさんが養殖場の話しをする。
「えっと、ここでは、4種類の魚、を、育てて、ます。2つは、メリアローザから。残り2つは、エルドラドが決め、ました」
言葉はたどたとしくも、リンさんは暁さんのためにと勇気を振り絞って前に出てくれる。
こういう人は応援したくなりますね。
リンさんの言葉より先に、すみれさんがお魚さんたちに思いを馳せる。
「フグに鯛にマサバと車エビ。どれも大きく育ってておいしそじゅるり」
「見ただけでよくわかるな」
「サバ以外はさすがにわかるでしょ」
すみれさん、ペーシェさん、ローザさんの仲良し3人組みが水槽を覗く。
「よかったら養殖魚の採用基準を教えてもらっていいかしら」
ヘラさんは楽しそうな表情を見せ、リンさんが緊張しないように配慮する。
「えっと、はい、フグと鯛、は、縁起物、ということで、メリアローザから、希望され、ました。祝いの席、に、これらがあると、とても喜ばれるそう、です。えっと、それから、マサバとエビ、は、エルドラドで決め、ました。マサバ、は、塩サバが」
言葉たどたどしくする彼女を見守るように言葉を待つ。
きっと不当な扱いを受けたせいで心に傷を負ったに違いない。それでもなお、傷ついてもなお立ち上がり、未来へ向かおうと努力する彼女を尊敬せずにはいられない。
今日のこのエルドラドの案内も自ら手を挙げて志願してくれたそうです。
エルドラドへやってきて、暁さんをはじめとして多くの人に手を引いてもらえた。それはとても幸運で、人生で一番の幸せ。でもそれだけではいけない。今度は自分が誰かに幸せを届ける番。
受け身のままではいられない。
尊敬する太陽の女性のように、自分の意志で道を切り開ける人間になりたい。
誰かに憧れられるような、そんな未来を描きたい。
なんて素敵なのでしょう。
わたくしはもっと彼女のことを、エルドラドのことを知りたくて仕方がありません。
ぽかぽかと温かな心のぬくもりを感じながら、頑張って言葉を紡ごうとする彼女を応援すると、うつむいた顔を上げて語りだした。それはもう本当に幸せそうな表情で。
「以前に食べさせてもらった塩サバが本当においしくて。だから養殖するなら絶対にマサバしかないと思ったんです。エルドラドのみんなも大賛成で、ぷっくりと大きくなる時期を楽しみにしています!」
好きなことになると驚くほど流暢になる。ミーケさんに感謝を告げた時も全く口ごもらなかった。きっと無意識なんだろう。見ていてほっこりしちゃいます。
続いて車エビの説明に移る。
「エビは、エルドラドの、子供たち、からの、リクエスト、です。エビを油で、揚げたもの、が、とても印象、に、残ったそう、です」
車エビは言葉が流暢になるほどまでの好きではないらしい。
「個人的にはマサバも好きなのですが、鯛も好きです。塩焼きにするとふっくらとしておいしいです。炊き込みご飯にしたり、澄まし汁にしたりと全部全部おいしいです!」
鯛はかなり好きらしい。
鯛が嫌いな人って聞いたことがありませんね。
わたくしも鯛は大好きです。
同意すると、まるで自分のことのように喜んで鯛のよさを語ってくれる。そこにすみれさんも乗っかっておおはしゃぎ。
料理の話しになるとわたくしは途端にトーンダウン。なぜなら料理の経験がないから。これからはそっち方面の努力も必要かもしれません。
料理談義の横でライラさんがミーケさんに向き合う。
「マジで巨大な施設だな。魚の管理とかたいへんじゃないのか?」
「計画的に餌をやるだけだからそこまで難しくにゃいらしいにゃ。仕事量が増えるのは収穫時期と、それから稚魚と成魚の選別の時かにゃ。水槽を仕切って別々で管理する。餌も成魚用と稚魚用で作らにゃいといけにゃいし。あとは水槽の清掃。でも枯れ葉とか土が入り込んだりしにゃいから、半年に1回とかその程度だにゃ。糞は自動的に底に集めて処理してるから清潔にゃ。それにしてもまぁ異世界の技術ってのはすごいにゃ。陸に海を作ってしまうにゃんて」
ミーケさんの視線の先にはヘラさんがいた。
「それもこれも高い魔法技術のおかげです」
「そういえば、さっき華恋が言ってましたね。エルドラドの養殖場の建設のために、金を触媒にしたマジックアイテムを作ったって」
シェリーさんから魔法の単語が出て躍り出たのはアルマさん。
待ってましたと大手を振って飛び出した。
「説明しましょう! ヘラさんが提供してくださった設計図を元に、メリアローザが誇る魔術師組合と職人さんたちの手で造り上げた傑作です。水槽には魔術回路が組み込まれ、水質・温度の管理。1/f理論を搭載した音波魔法も実現してます。水槽だけではありません。餌であるペレットを作るための圧縮・裁断・乾燥を一手にこなせる魔導具。朝昼晩を報せるための屋内照明。出荷するに最適な体調を整えさせるための特殊水槽などなど、ここには魔法技術の粋を集めた情熱がちりばめられているのですっ! どやっ!」
「すごいな。昨日ヘラさんが言った通り、全てが魔力で動いてるのか。エネルギーは龍脈由来なのか?」
「ですです。エルドラドには安定した龍脈が流れてるので、川から水を引くように養殖場へ流しこんでます。龍脈の流れが変わったり枯渇しなければ大丈夫です」
どや顔になるのも無理はない。魔力を原動力にできるなら、これほどクリーンなエネルギーはない。
ライラさんは感心して、次はリンさんに話題を振った。
「理論上、龍脈の枯渇は星の死だからそれは大丈夫そうだな。リンは養殖場での仕事に携わってるのか?」
「いえ、わたしは体力が、あまりないので、いつも機織りを、させてもらって、ます。でも、みんな楽しそうに、仕事、を、してます。早く大きく、育って、食べたいなって、食堂では、よく聞き、ます」
「自分たちが育てたものだから、なおさらおいしく感じるだろうな。メリアローザからの技術提供ってことになるだろうけど、どのくらいの量を折半してるの? 半々とか?」
きょとんとした表情の裏には、『なぜ異世界人がそんなことを聞くのだろう』という思いの表れが見てとれる。暁さんの客人とはいえ、滞在は数日。メリアローザとは直接的な関係はないはずなのに。
ここまでの想像力がある彼女は基本的に地頭が良い。単純な悪意や下心には勘付けるはず。であれば、彼女の言葉には信ぴょう性と信頼がおけるということ。それは視察のために訪れている我々としては心強い助けになった。
なぜだろう、と少し考えて、素直に答えても問題ない、と判断した彼女は事実とともに自分の抱える悩みをこぼす。
「えっと、実は、暁さんから、メリアローザへの出荷は、しないように、と、止められて、ます」
「ん? 技術供与者が生産物の提供を拒んでるのか?」
「はい。わたしたちとしては、作ったものを、暁さん、たちに、食べてほしい、です。本当に、お世話になりっぱなし、で、どれだけ感謝してるかを知って欲しくて。でも、それを伝えると、嬉しいけど、まずはエルドラドのみんなが、万全に、冬を越せることが、大事だ、と。あぁ、でも、秋の収穫祭の、宴会の席、には、来てくれる、とのことなので、みんなとっても、楽しみにして、ます」
目頭が熱くなったライラさんは目元を抑えて天を仰いだ。
ヘラさんは涙ぐんで親友を讃える。
「さすが暁ちゃん。涙なしでは聞けない話しね」
「暁さんって神か仏の化身なのでは?」
エディネイがそう思うのも無理はない。
シェリーさんは少し不安げな様子。
「見た感じ、エルドラドの文化水準だと越冬は命がけだろうからな。だが、メリアローザだって越冬はたいへんだろう」
視線の先にはアルマさんがいた。
「たしかに冬は寒いし収穫できる作物も減ります。漁も必要最低限の回数になるので、秋までにどれだけ蓄えがあるかが命綱ですね。幸い、メリアローザにはダンジョンがあります。メリアローザでは冬でも、ダンジョン内は春だったり秋だったりするので、さいあくの場合、それで飢えをしのげます。ただし、今日と明日が同じとは限りません。だからこそ、困った時はお互いに助けあえるよう、お互いがお互いのために努力してます。【人】という字は人と人が助けあって支え合ってできていると暁さんが言ってました。それから感謝の意を表す合掌の象形文字だとかなんとか言ってた気もします。合掌」
わたくしたちを支えてくれる全ての存在に、合掌。
感謝を心に置いて手を合わせると、なぜだか悟りが開けた気がします。これが噂のマインドフルネス。心がデトックスされる思いです。




