異世界旅行1-2 恋も旅路も行方は知れず 4
工房の集まる区画を抜けると、そこは2階建ての長屋がずっと奥まで続く居住区。家と家の間の路地は狭く、夏が始まる季節とは思えないようなひんやりとした空気が滞空していた。
涼を求め、気持ちよさそうに寝っ転がる子猫が6匹。どうしてもなでなでしたくて近づいたものの、見知らぬ気配に驚いたのか、さっと立ち上がって逃げてしまった。残念。
と、肩を落としていると目の前の引き戸が開いて見知った顔が現れる。
明るい紫色の髪をしたミステリアスな女性。立ち居振る舞いは大人っぽく、とてもたった1つしか歳が離れているとは思えない成熟した大人の雰囲気。この落ち着きようで8女の末妹。
思い返せば、姉にフィーアさんがいるのだから、その姉妹がしっかり者だとしてもおかしな話しではない。
「あらあら、いらっしゃい。でもどうしたの。こっちは路地裏だけど」
「あ、えっと、ここに猫ちゃんたちがいたので、もふもふしようとしたんですが、逃げられてしまって」
「あらそうなの。あの子たちは警戒心が強いから。なかなかもふもふさせてくれないかも」
ぐぬぬ。そうだったのか。それは至極残念である。隣で私以上に悔しがるシェリーさんがいた。
ひとつ笑みを作り、ルクスアキナさんは手に持っているそれを勝手口の前に置く。しっとりと濡れたなにかをこんもりと載せた平皿。中身は出汁をとったあとの鰹節。これを猫ちゃんたちにあげるため、わざわざ皿を用意して扉を開けたのだ。
餌につられてやってくるだろうか。
すかさずもふもふさせてくれたりしないだろうか。
期待に胸を膨らませようとしたものの、人間が近くにいると寄ってこないと、ルクスアキナさんは楽しそうに苦笑い。我々は首をがっくりと曲げて立ち上がった。
仕方がないので立ち去るといたしましょう。
私たちがいては彼らだってご飯を食べにこられない。
実に残念である。はぁ。
せめて子猫ちゃんたちの食事シーンを見てみたかった。はぁ。
「どんだけ見たかったんだよ」
「すっごい見たかった」
「そ、そうか。それは残念だったな」
エディネイだって見たかったくせに。そわそわしちゃって、まったく。
「ほら2人とも、ご飯の支度が済んでるから、早く入ってきなさい」
ライラさんは母親のように諭す。実際に二児の母。子供をベッドから引き離す時もこんな感じなんだろう。
ルクスアキナさんが経営する居酒屋はカウンター席が6つ。4人座れる座席が2つというこじんまりとした空間。掃除は行き届き、雑多な雰囲気は全くない。綺麗に整理整頓されていて、居酒屋とは思えない清々しい空気すら感じる。
厨房には魔法が付与された棚に酒瓶がずらりと並んだ。メリアローザや近隣諸国で作られるお酒。
特に面白いのがラベルである。我々の世界であれば、ラベルはガラスにシールが貼ってあるものがほとんど。あとはガラス瓶にエンボス加工を施してあったり、ラベルが和紙で作られていたりと個性がある。
だがメリアローザにはシールを作る技術も材料もない。和紙と同等の製法で作る紙はあれど、メリアローザでは紙は貴重品。瓶に巻くような使い方は一般的ではない。しかし、銘柄を記したラベルは貼られている。ただそれは紙ではなく、もっと原始的で、だからこそ美しい自然の姿。
「面白い! このラベルは紙じゃなくて鉋屑を圧着させて巻いてるんだ!」
「かんなくず、ですか?」
ヘラさんの見識の深さに脱帽するシェリーさん。補足するようにアルマが続く。
「メリアローザで紙は貴重です。最も身近な代用品として、鉋屑を集めて圧着させて紙状にしたものがあります。ちゃんと繊維をほぐして紙にするものに比べると、厚さは均一じゃないし硬いし文字も書きづらいです。でも墨の乗りはよく頑丈です。なので、こういう酒瓶に巻いたり、長期保存しておきたい記録用紙としては便利です。残念ながらマジックアイテムの媒体としては耐久力が低くて使用できませんが」
魔法に関連させようとする執念、というより、アルマとしては魔法と関連させることは息をするのと同じくらい自然なことなのだろう。
ルクスアキナさんはアルマの頭を撫でながら、だけど、と返して見返り美人。
「たしかにしっかりと加工されたものよりは使いづらいかもだけど、あたしは鉋屑のラベルは好きよ。どれ1つとっても同じものはないし、風合いがあって温かいでしょ。光にあてると木目の筋がきらきら輝いてね、とっても美しいの」
「アロマボトルもそうですけど、木の使い方が本当に上手ですね。ラムさんが見たら絶対に欲しいって言いそう。インテリアとしても素敵」
女将がコレクションからひとつ選び、我々の前に差し出して酒瓶をゆっくり回す。光に当たる角度が変わってきらきらと光りの筋を作った。
フェアリーのアロマボトルを思い出しながら、シルヴァはうっとりと眺めて自然の美しさに酔いしれる。
遠目からでもわかるその美しさはまさに職人芸。
鉋で削られた美しい木目肌の色合いと、力強い墨文字がよく調和してる。
無骨でありながら、飾り気のない自然美が輝いていた。
ルクスアキナさんもこの美しさに魅了され、気に入ったラベルの瓶は飾って並べているという。本当にセンスいいなぁ。どうやってそんな鋭い感性が磨かれるんだろう。
談笑をしていると、お手伝いのために繰り出していた子供たちが戻ってきた。彼女たちはタダ飯を食べさせてもらう代わりにルクスアキナさんの助手をしたいと手を挙げる。なんて出来た子たちなんだろう。親の顔を拝みたい。
いつもの双子と友人の子。3人並んで満面の笑み。
「今日の献立は白米にしじみの味噌汁。きゅうりとなすの浅漬けにカブの千枚漬け。それから白子のぽん酢和えです。超豪華絢爛!」
キキちゃんテンション爆上がり。
「さすがルクスアキナさんです。一般的な朝食の範囲を超えず、しかしてやはりおもてなしの心を添える腕前。プラスαのお点前、見事にございます!」
ヤヤちゃんの大人顔負けの解説には驚かされる。どういう教育を受けたんだろう。
「銀シャリじゃい! 銀シャリじゃい! みなのもの、心して食うがよいぞ!」
銀シャリを見て興奮するこの子は秋紅しじまちゃん。キキちゃんとヤヤちゃんの大の仲良し。川釣りが得意。これから鮎をめいいっぱい釣ってくると意気込んでいる。
しじまちゃんがここにいるのは彼女が暁さんの刀打ちを見学後、屋台で朝飯を済ませてキキちゃんたちと川釣りに行く予定だから。
キキちゃんたちが我々と一緒にルクスアキナさんのところで朝食を食べることを知ると、手伝いをするからご飯を食べさせてくれと頼みこんだのだ。
闊達で裏表のない性格が好印象な少女は1人だけ、ちゃっかりと白米を大盛にした。なかなか抜け目のない子のようだ。
いただきます、と手を合わせ、銀シャリをほおばった顔は満面の笑みである。くっかわ!
「これがメリアローザの一般的な朝食か。我々で言うところのトーストにバターとサラダとスープ。と言ったところか。正直、今時の朝食はトーストとスープどころか、シリアルとミルクだな」
「栄養価は高いんですけど、朝から糖質高めの食事は考えものですね」
昨今の朝食事情を憂うライラさんとすみれの言葉に多くの者どもが、
「「「「「「ぐふぅっ!」」」」」」
心当たり有り。
「めっちゃ刺さってる人たちがいるんだけど」
ルクスアキナさんは驚きを隠せない。彼女からしたら、1日の始まりは質素でもしっかりと食べるもの。糖質過多なんてもってのほか。
「マジですみれさんとシェアハウスできてよかったー……」
アルマは心の底から、魂からの感謝を漏らす。
「栄養学の講義を追加する必要がありそうだな。平行して時間栄養学も履修できるようにしたい」
ライラさんも危惧する食事問題。だけど、朝食にまで文句を言われるとテンションが下がるので、なんとかして阻止したい。
「月刊グレンツェンのコラムであんなにヘルスケアの情報を発信してるのに……」
分かってはいる。分かってはいるんですけどね、ヘラさん。朝は時間がないから簡単に済ませちゃうの。
だって本当に楽なんだもん。シリアルを皿に流しこんでミルクを注いで終わり。ほら簡単。
え、女子力ですか?
なんですか、それ。食べられるんですか?
「普段の朝食についてはノーコメントでお願いします」
「え、えっと、普段の朝食にプラスαってことなんですけど、どのへんがプラスαなんでしょうか?」
必死に話題を逸らそうとするペーシェさんとローザ。彼女たちも楽ちんブレックファーストの住人。
「ぎーんーしゃーりーうーめぇーーーっ!」
多分、このへんなんだと思われる。
しじまちゃんは見てるこっちが幸せになるような満面の笑みで朝食を満喫する。これほどまでに朝食が楽しいと思ったことは、故郷で家族と囲む食卓以来かもしれない。ちょっとホームシック。
ルクスアキナさんは困ったような顔で苦笑いをした。
「まずお断りを。一般的な朝食を希望してらっしゃったのですが、そこはやっぱり居酒屋の女将として譲れないおもてなしの一線があります。なので、明らかに今日の朝食は普段のものに比べてレベルが高いです。そこはご愛嬌ということで勘弁してください」
「あ、いいえ、批難したいとかそういうことでなく、むしろ感謝こそすれ否定するだなんてとんでもありません。ただ、どのへんが特別なのか知りたいなぁー、と。興味本位でして」
ローザの言葉にほっと胸を撫でおろした女将さんが、安堵のため息をついて解説に入る。
「まずはお米。普段は精米してない玄米を炊いてます。精米するには手間がかかりますからね」
「ルクスお姉ちゃんって毎日銀シャリ食ってんの!? ちょーすげーっ! 時々朝飯食わせてくれっ!」
「う、うぅ~ん。また今度、何かのおりに、ね。でも準備する時間があるから、事前に知らせてくれると嬉しいな。とまぁこのように、銀シャリを出すだけで子供たちはテンションが上がります」
ちょっとしじまちゃんのテンションの上がり方は異常な気がしますけど……。
「次にお味噌汁。普段は昆布と鰹節から出汁をとって味噌を溶くだけですが、今回は訳あってしじみが入ってます。訳というのは、実はこのしじみはエルドラドで育ったしじみなんです」
ルクスアキナさんの笑顔に乗っかったすみれのテンションが大爆発。
「あさりと見紛うほどの大きさなんです。ぷっくりと肉厚で本当にいい出汁が出るんですよ。お味噌汁ってシンプルなものだと、具材はお豆腐やわかめを入れるだけなんです。けど、野菜やしじみ、あさり、魚のアラを入れたものはよりおいしくなります。具が入ってるだけで豪華です。オニオンスープがオニオングラタンスープにレベルアップするような感覚です」
「なるほど、中身が増えて楽しくなっちゃうやつか」
「でもなんで『訳あり』なんですか?」
当然の疑問だ。ペーシェさんは味噌汁をぐるぐるかき混ぜてしじみを探す。スプーンですくいあげたそれは私たちの知ってるしじみとはサイズが違う。
大きい。あさりのように大粒だ。特別なおもてなしをされてると思うと、ふつふつとテンションが上がってくる。
これは今日の朝食のために用意してくれた特別なしじみなのだろうか。
「実はエルドラドに住む人たちはしじみを見たことがないんだって。だからメリアローザで使ってみて、問題なければエルドラドに行って料理指南をしてほしいって頼まれてるの。つまりお試しで使わせてもらってるんだ。まぁ大粒のしじみってだけで、ようはしじみだから問題はないんだけど。1つ違うのは、大きいから砂抜きに時間がかかるってことかな」
「具体的には」
「完全に砂抜きが終わったって確信できたのは2日目」
「その間絶食となると、身が小さくなってしまうのでは?」
「気になるほどではなかったかな。味もしっかりしてるから食べる分にも問題無し。あたしが知ってるしじみだと、通常は半日もほっとけば砂抜きできるんだけど、体積が大きい分、砂抜きに時間がかかるみたい。半日、1日、1日半、ってな具合で砂抜き具合を見たんだけど、2日目にしてようやくじゃりじゃりしなくなった。これはなかなか手ごわいよ」
「ぬぬぬ、お口じゃりじゃりは嫌ですね」
「テンション下がっちゃうよねー」
料理好きのルクスアキナさんとすみれの漫才にも似たやりとりが楽しい。こんなに楽しい朝食は久しぶり。
砂抜きするだけに、そんなに時間をかけるだなんて想像の外。ご飯を食べる最中に口の中が砂まみれになるのは絶対に嫌だ。
身を削ってまでおいしいしじみのお味噌汁を作ってくれるルクスアキナさん、本当にありがとうございます。
続いてグレートキングサーモンの白子のぽん酢和え。
ダンジョンの戦利品の1つであるグレートキングサーモンから獲れたアイテム。元々は居酒屋で出す酒の肴として仕入れたのだが、品質が良く、メリアローザでしか食べられない特別なものを、との計らいでお皿に加えてくれたのだ。
それに、白子には子供の成長にかかせない栄養素が豊富に含まれる。キキちゃんたちも朝食を楽しむということで、彼女たちの健康と成長を願ってのこともあった。
なんでこの人、結婚してないんだろう。せめて彼氏がいてもおかしくないのに。
育ち盛りに白子。この話題にキキちゃんが食いつく。
「いっぱい食べたら背が伸びる?」
「個人差はあるけど、いっぱい食べていっぱい遊んで、いっぱい寝て、たくさんのことを経験したら、きっと素敵な大人になれるよ」
早く大人になりたいキキちゃん。ルクスアキナさんの言葉を信じて銀シャリをおかわり。
「いっぱい食べたらおっぱい大きくなりますか?」
「えっと、ごめんね。そこまではちょっと詳しくなくて。それから、白子は栄養満点だから食べすぎると体によくないの。1日1個にしておこうね」
早く大人になりたいヤヤちゃん。ルクスアキナさんの豊満な胸を見つめながら、理想の自分を思い描く。
「そもそも白子ってなんなん?」
「えっ!? えっと、それは……」
知らないことに興味津々なしじまちゃん。ルクスアキナさんに聞いてはイケナイ質問をしてしまう。
魚の体の一部。と答えれば済む話しなのに答えに詰まる女将さん。
彼女、実は下ネタが大好き。居酒屋の女将モードになると、客と一緒にお酒を飲んで下ネタランチャーを放つともっぱらの噂である。だからこそ、彼女は白子の正体に意識を引っ張られて答えを出せずにいた。
白子とは、つまるところ卵巣である。
卵巣の中身はつまり、精子である。
この言葉を中心に考えてしまって言葉に詰まってるのだ。
さすがに10歳の子供の前で下ネタ核弾頭を投下するわけにはいかない。
美人女将の唯一の欠点と言っても過言ではない下ネタ好きという属性。
この局面をどのように切り抜けるのか。
「ヘラさん、お願いします!」
逃げた!
「ニアキラーパス! えっとね、白子っていうのは魚の体の一部分なの。栄養がいっぱい詰まってるんだって。それにしても味の濃い白子を朝ご飯に持ってくるなんて大胆だなって思ったけど、さっぱりとした味わいでおいしいね。朝食にぴったり」
話しをそらした!
そりゃそうだ。具体的な話しをすると生理的に気持ち悪くなって吐き戻すかもしれない。
実は私も意識しないようにしてる。食べてるのはあくまで魚だから。人間換算するのは絶対にダメ。
ルクスアキナさんも料理にフォーカス。
「そ、そうなんです。大葉とネギをたっぷり添えてぽん酢で和えているので、さっぱりといただけるんです。普段は干物を炙ってご飯のお供にするんですけど、今日は銀シャリにしたのでおかずの趣向を変えてみました」
ルクスアキナさんも逃げきろうと必死の解説。
すみれさんが女将のバトンを自然な形で受け取る。
「抜群の取り合わせだと思います。ふっくらと粒の立った銀シャリ。風味豊かなしじみの味噌汁。グレンツェンではほとんど食べられない白子。お野菜の浅漬け千枚漬けもご飯によく合います。さすがルクスアキナさん。おみそれいたしました」
すみれは手を合わせ、ごちそうさまと、ルクスアキナさんに感謝を告げた。
「いえいえ、お粗末様でした」
ごちそうさまでした。嗚呼、これが倭国の家庭料理。感無量でございました。
「すみません。ここは異世界でありますれば」
「そうだった。メリアローザなんだった」
アルマに指摘されまくり案件。倭国と異世界を混同してしまう。だって見た目とか文化とか、めっちゃ似てるんだもん。
「にしても不思議だよな。文化が私たちの知ってる倭国と酷似してる。なんでなんだろう。刀も倭国刀と瓜二つだ。魔剣であるという点を除いて、だが」
ライラさんの疑問は私も持ち合わせてる。地理のせいか、気候のせいか。環境が文化を作る。そのせいだろうか。
首をひねる我々の前に、ヘラさんが驚き爆弾を投下した。
「それはこの世界の世界地図を見てみると面白いよ~。なんと、私たちとほとんどおんなじ地形なの。もしかしたら私たちの世界とパラレルワールドの関係なのかも」
「「「「「!!!???」」」」」
「でも考えても答えが出たりしないから、ノーシンキングで行きましょう♪」
またとんでもない爆弾が落とされた。
そしてそれを笑顔でかっさらっていく。
これがヘラ・グレンツェン・ヴォーヴェラト。
みんなが憧れるグレンツェン市長。
青春真っ只中に生きてらっしゃる。
先を行き過ぎて背中が見えないことが珠に瑕。
思考停止。のちにルクスアキナさんの手招きで窓の外を覗いてみた。
そこには6匹の子猫たちが仲良くご飯を食べる姿がある。
もそもそ。もぐもぐ。
おいしそうにご飯を食べ、満足そうな表情を浮かべていた。
猫ちゃんたちも安心して過ごせる世界。
ならいいじゃないか。ここが異世界だってなんだって。大事なのは彼らが私たちの良き隣人であること。それだけあればいいじゃないか。
愛らしい猫ちゃんたちのもぐもぐたいむを愛で、私はどうにもならないことを頭の中から追い出した。




