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ヴィルヘルミナ・イン・ワンダーランド 11

 アリスを叩き起こして、いざ参る。

 光の扉を抜けた先は牧草地帯。これまでの賑やかな世界とは一線を画すのどかな土地。

 雨が通ったあとの湿った草。

 冷たい風が吹きすさんで、緑の香りが鼻を直撃。

 おかげで頭がすっきりする。めまいのするような、夢見心地のしていた体が現実感を取り戻した。

 もしや、ここが彼らが追い求めた理想の地。

 まさかそんな、タッチの差で間に合わなかったか。くそう……そういえばアリスはどこだ。よく見たらドードーもいない。

 あたしは今どこで何をしている。

 ドードーはどこで何をしている?


 深く深く深呼吸。灰色の空を見上げると、雲間から階が降りていた。これから空は青くなる。

 だというのに、あたしの心は雨模様。

 やっとのことでたどり着いたと思ったのに。

 苦労して世界を渡り歩いたというのに。

 やっと夢への一歩を踏み出せたと思ったのに。

 全部幻だったのか。

 全部夢だったというのか。

 あまりにも儚すぎる。

 あまりにも切なすぎる。

 あまりにも――――楽しい出会いだった。


 どんな世界のアリスも一生懸命に生きていた。

 辛くとも、悲しくとも、夢を持って前を向いていた。

 嫉妬と、それ以上に強い憧れの炎が胸にくべられて……あたしも頑張りたいって本気で思った。それが全部、夢だなんて。人の夢と書いて儚いとはよく言ったもんだ。


 たとえアリスたちとの出会いが夢だったとして、あたしの中でくすぶる思いは本物だ。本物に違いない。

 そうだよ。ドードーじゃなくたって素敵なお布団はできるはず。たくさん勉強だってしてきたんだ。今日からもいっぱい頑張ろう!


 はぁ~~~~そう思うとなんだかすがすがしい気分になってきたーーーーっ!

 それじゃ、ひと眠りして夢を渡り、家に戻ってショコラのお手伝いでもしますかね。

 なによりまずは先立つものがなくては。品質の良いホワイトダックを手に入れるにしてもお金が必要。

 餌の質は羽の質。いいものをいっぱい食わせてやらなくては。

 ストレスのかからない環境というものも大事だ。幼馴染の農場を借りてアヒルをいっぱい育てるぞ。


「それはいいんだけど、どうしてここにミーナちゃんがいるの? いや、僕は全然構わないんだけど……」


 目を開けると見知った顔が現れた。

 幼馴染のヴィルヘルム。生まれた病院が同じ。生まれた日も同じ。生まれたタイミングもほぼ同じ。なので両親が仲良くなり、交流がある。


「ムーくん? 見覚えのある農場だと思ったら、ハイゼンディ農場だったの。久しぶりなの♪」

「う、うん。久しぶり。それより今までどこに行ってたの? 昨日からみんな探してるんだよ? 突然いなくなったから」

「げっ……そんなに時間が経ってたのか。あとでお姉ちゃんにギャン泣きされそう…………。ってか、それよりも、茶色くて丸くてもっふもふしていてアホ面の鳥って知らない?」

「えぇと……それなんだけど、納屋の中に見慣れない鳥さんたちが雨宿りをしてるよ。もしかして、ミーナちゃんが連れてきたの?」

「いよおおおぉぉぉぉぉぉっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっしゃあああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっっっ!!!!!」


 頭ブリッジで吠えるヴィルヘルミナのなんと嬉しそうなことか。天を割き、雲間すら消えて空が輝いた。

 恐竜王の咆哮を思わせる怒号が全身を貫く。

 夢じゃなかった!

 夢にまで見たドードーがここにいる!

 神よ、アリスよ、心より感謝します。

 心の底から感謝します!


 そうとなれば善は急げ。彼らがまた新たな新天地を目指してしまう前に説得するのだ。

 やべぇ、疲れすぎて体が動かない。気持ちだけが先に立って魂だけが先走って体から抜けてしまいそうだ。


 おっと、ここでゴッドアイデアがフォールンダウンしてきやがったぜ。

 ムーくんの背中に乗っていけばいいじゃない。年頃の女の子が年頃の男の子の背中に乗ることに躊躇する――――だなんて間柄ではないので問題ない。

 ムーくんとは幼馴染。歳も誕生日も出産した病院も同じ。同じ病室で仲良くなった母との繋がりで友達でいる。

 特徴がないのが特徴。可もなく不可もない好青年。面倒見がよく、年下から好かれる無害なお兄さん的存在。

 あたしは知らなかったのだが、これで結構モテるらしい。


 背に飛び乗ってダッシュを要求。細い体に鞭を打って走れ走れドードーの元まで!

 息を切らせて納屋へ到着。するとそこには80羽からなる鳥の大群。ガァガァと合唱をして飛び跳ねた。

 茶色い毛色。丸っこいフォルム。特徴的な目元とクチバシ。間違いない。かつてモーリシャス島にいたという幻の鳥。

 彼らがついにあたしのものにっ!


 いや待て。冷静になれヴィルヘルミナ。

 彼らがここに渡り歩いてきたということは、あたしの元に来たのではなく、ヴィルヘルムの元を訪ねてやってきたのではないだろうか。

 そうなるとドードー鳥はヴィルヘルムのもの。それは困る。断じて許せん。

 ドードーの羽で至極の羽毛布団を作るはあたしなのだ。絶対に誰にも渡すわけにはいかない。

 たとえそれが幼馴染だとしても。

 血を分けた兄姉だとしても。

 絶対にッ!


 そんなことを考えて覇気を全開にすると、聞き覚えのある声が聞こえた。

 かわいいかわいいヤヤちゃんだ。


「うーしさんのおーちちはおーいしーいな~♪ あーいすくりーむはおーいしーなー♪ あれ? ヴィルヘルミナさんもいらっしゃたのですか。こんにちは。雨が止んでよかったですね」

「あれ、ヤヤちゃん? それにみんなも。ここでなにをしてるの?」


 ヤヤちゃんと仲良く手を繋ぐキキちゃんはぴょんぴょん飛び跳ねて教えてくれる。


「今日は午前中にエメラルドパークの山でジロール茸を取りに行ったんだよ。その帰りに、乳牛の乳しぼり体験ができるって聞いてここに来たの。ヴィルヘルミナさんは?」

「ドードー鳥を追ってここまで来たの。ようやく見つけたんだけど、どうやって説得しようか悩んでるの。そもそも会話できないし」

「会話なら私ができるから任せて。何を聞けばいい?」


 まじすか、ハティさん。動物と会話できるんですか。

 そういえば、キッチン・グレンツェッタで一緒にいた時もそういうそぶりを見せた時があったな。

 ただたんに動物が大好きなだけだと思っていた。飼い主がペットに語り掛けるような、そんなもんだと思っていた。

 会話できるって言われても半信半疑。否、とても信じられない。試しにハティさんは知らなくてドードーが知る質問をしてみよう。

 それで彼女が本当のことを言っているかが分かる。ハティさんが変な嘘をつくとは思えない。とはいえ、動物と会話できるなんて……本当なのだとしたら教えて欲しい。


Q,「アリスのサークルゲームが嫌で飛び出したって聞いたけど、それは本当なの?」

A,『アリス殿下には安寧の地を与えて下さったこと、誠に感謝しております。しかし終わりのないレースには疲れました。日も経ちましたことですし、ワンダーランド、ひいてはロストワールドとはお別れした所存です』


Q,「新たな安寧の地を探してるということだけど、その住処はもう決まった?」

A,『お許しがいただけるなら、この地に根を張ろうかと思っています。自然は豊か。外敵も少なそう。ご飯の虫や川魚も豊富そうです。なにより、この世界には獣の神にして王たる御方がいらっしゃる。この地をおいて他に安住の地はありますまい』


 なるほど。ハティさんさまさまですな。


「それじゃあここに住むといい。ここはあたしの幼馴染のヴィルヘルムがいる。彼ならきっとよくしてくれる。無論、あたしもお世話するから、よろしくね」

「えっ、ちょっと待って。いきなりそんなことを言われても困るんだけど」


 うるさいやつの口元を制してドードーに向き直る。


『なんと慈悲深いお言葉でしょう。しかし我らドードー。食って寝るしかできません。恩を返そうにも返せませぬが』


 ハティさんが自動通訳してくれてる。めっちゃ助かる。今度、ショコラでケーキを奢ります!


「それなら大丈夫なの。換毛期になったら毛皮を譲って欲しいの。人間は君たちの毛皮を使って商売をするの。君たちは毛皮を、我々は食事と寝るところを。ギブアンドテイクの関係なの」

『それはまさに望外の喜びでございます。ただあと、ひとつだけお願いが……』

「ちょ、勝手に話しを進められても困るよ。生き物を飼うにしても諸々の手続きとかあるわけだし」

「いいからお前は黙ってろ」


 幼馴染を羽交い締め。こういう時は暴力の出番ですな。

 さて彼らの願いとは、今後、サークルゲームをしないということだった。

 あっ、もう、全然オッケーです。そんなくだらないことをするつもりはありませんので、安心してください。


 そう告げると、彼らは濡れた羽をバタバタと羽ばたかせて水しぶきをあげた。納屋に降り注ぐ陽光を受けた水しぶきは、美しい虹をかけて彼らの来訪を祝福する。

 あぁ、なんて素敵な日だろう。

 できることなら祝日にしたい。

 ドードー記念日と名付けたい。


     ♪     ♪     ♪


 ひとまずドードーはハイゼンディ農場で預かることとなった。

 意気揚々と帰宅するあたしの目の前で、心配しすぎて怒っていいのか、泣いたらいいのか、どっちともつかない表情を浮かべた姉の姿ある。


 やべぇ、忘れてた。あたしは謎の行方不明を敢行したのだった。

 一応、事の顛末を全部説明するも、全くなんのことか分からないとクエスチョンマークを生やす家族一同。

 そりゃそうだ。夢を渡り歩いて異世界渡航をしただなんて誰が信じるだろうか。

 信じるのだとしたら、きっと同じく異世界から渡り歩いてきた人に違いない。


 そんな話しをアルマとしたら、彼女は真っ青な顔をして紅茶を噴いた。

 よし、面白そうだからもう一発爆弾投下。


「細かいことが気にならなくなる魔法、ってあるのかな?」


 すると彼女はお皿に乗ったクッキーに頭突き。なるほど。不思議のアリスが言ったことは本当だったのか。

 だとすると、これも本当に存在してるということになる。あたしにとって一番の関心事。

 それは――――


「フェアリーって実在するんでしょ?」

「ぶふぅーーーーーーっ!? なんでそんなことをアルマに聞くの!?」


 吐きすぎだ。しかし今は許してやろう。


「ふっふっふっ! アルマとキキちゃんヤヤちゃん。それからハティさんが異世界人であることは承知の上なの。前祝と後夜祭に来た暁さんたちもそうなんでしょ?」

「バカな…………ハティさんの極大魔法が効いてない。ヴィルヘルミナ……貴女、いったい…………?」

「大丈夫。あたしは異世界渡航肯定派だから。誰にも言わないから安心して。むしろ異世界渡航万々歳。だからさ、今度の七夕の日にアルマの故郷に行くんでしょ? あたしも絶対連れてって! 」

「それが目的か。まぁ黙っていてくれるならいいけど。でもいいの? 幼馴染と結婚の約束をしたんでしょ? ドードーがハイゼンディ一家の財産になるから、財産分与をするためにヴィルヘルムのお嫁さんになるって力業を使ったって聞いてるけど。諸々の手続きとかあるんでしょ?」

「大丈V。結婚式を挙げるのはまだ先だから。今は同棲してお互いの仲を深め合うところから始めるの。って言っても、幼馴染だからあんまり緊張とかしないけどね。あれ…………っていうか」


 そうだ、結婚。結婚するんだった、あたし。

 あの日はドードーをどうするかで話しあって、勢いで結婚するって言ったんだった。

 結婚して夫婦になれば、夫の財産を嫁の財産として扱える。ドードーの支配権を共有できる一番簡単な方法として選択した。

 よく考えたら、結婚って!

 いやそれ人生で重要な選択じゃん!

 それを、勢いで、短絡的に、結婚するって言っちゃったんですけど!?


 ヤバい。どうしよう。もう引き返せない。夢を叶えるためとはいえ、考え無さ過ぎた。

 でもちょっと待て。見ず知らずの相手ならともかく、見知った仲のヴィルヘルム。幼馴染の男の子。

 だったら何も問題ないじゃないか。当時の自分は思ったより冷静だったのかもしれない。

 おぉっ、全然いいではないか。ドードーとは取引が済んでる。

 商材が商材なだけに、クラウドファンディングを募れば世界中から出資者が現れるに違いない。

 人生は順風満帆。黄金の明日が待ってるっ!

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