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うさぎと酒 2

 大衆食堂【海万歳】。

 デアヴォルブさんの奥様が経営する街の酒場。漁師が獲ってくる新鮮な海産物を提供するお店。鯨漁を終えた仲間たちが集い、夜が更けるまで飲み明かすのが彼らの楽しみ。

 今日はいつものメンバーと、それから我々キッチン・グレンツェッタ・チームの面々も参加させていただくことと相成りました。


 まずは音頭をとってくださる女王様のありがたいお言葉を頂戴し、配られたククサと呼ばれる白樺のコブから作られた、大小様々なコップに自分の飲みたい飲み物を注ぎます。

 ククサには贈られた人を幸せにするという言い伝えがあることから、海万歳では乾杯の際には円陣を組んで、歌いながら回し、音頭取りの合図で目の前にある飲み物を飲むという習慣があるそうです。

 何を飲むかはお楽しみ。ただし、ガレットさんは未成年なので、お酒が回って来た場合は飲んだふりをしてノンアルコールと交換します。


 ぐるんぐるんぐるんぐるん。

 海と山と先祖に感謝の言葉を贈り歌い、回る回る幸せの果実。

 紡ぐ紡ぐ過去は今へ、今は未来へ。継いで渡して見送って、母なる自然に、命に感謝。

 一期一会の乾杯に、とにかく歌え、飲めや騒げや。


 乾杯っ!!


 拍手もそこそこにテーブルに並べられる地産の料理が鼻をくすぐり心を奪う。

 海と山のサラダ、青魚の塩焼き、マリネに刺身。なんといっても今日獲れたばかりの鯨肉をミディアムレアにした厚切りステーキ。


 南国に生息するブラックアントを振りかけて、海の漢たちは豪快にフォークを刺してそのまま口に放り込んだ。

 私たちに出されたものはサイコロ状に切られて食べやすくなっている。ひとつつまんでぱくり。

 こんがり火の通った香ばしさもさることながら、鯨肉独特の鉄分の香りが口の中いっぱいに広がっていく。それでいて下処理が完璧になされていて臭みは全くない。

 薬味と酸味の効いた香辛料のおかげでジューシーかつ、さっぱりとした味わいに仕上がってる。


 うまいっ!


 お肉を食べながら、おいしそうにコップを傾けるガレットさん。

 アイザンロックを代表する果実は林檎。それも真っ白な雪林檎。御伽噺に出てくるような雪のように真っ白な林檎です。


「ガレットさんのそれはリンゴジュースですか?」

「はい、お酒が回ってきたので替えていただきました。アイザンロック原産の雪林檎というもので、さっぱりした甘さなのでいくらでも飲めてしまいそうです」


 りんごのようにほっぺを真っ赤にしたガレットさん。おいしくて楽しくて、満面の笑みがこぼれてる。


「よぉーう、2人とも食ってる?」


 上機嫌のウォルフさん。タコ野郎の下品な態度も忘れて楽しく飲んでいらっしゃる。


「まだ食べ始めたばっかりですよ。ウォルフさんの持っているそれは何という食べ物ですか? 白いナマコ?」

「ナマコじゃなくってエンガワだよ。これに醤油をちょっとたらして、サラダと一緒に食うとうまいんだよ」


 ウォルフさんオススメのそれはヒラメのエンガワ。脂っぽさがカレイに比べて少なく、噛めば噛むほどおいしい脂の甘みが出てくる超高級部位。さすが漁師町は素晴らしいっ!

 春に獲れるという小ぶりの春子タコは若いタコゆえに小ぶり。反面、大人のタコさんに比べて柔らかく甘みが強いのが特徴。アヒージョにしてもよし。刺身にしてもよし。甘辛い煮物にしてもよし。

 透き通るようなイカの身は新鮮な証。刺身もおいしい。茹でたゲソのポン酢和えもよし。特においしいのがイカの詰め物。イカ墨を混ぜたマッシュポテトのサラダが定番なのだそう。


 運ばれてくる料理のどれもこれもおいしくて手が止まらない。

 サーモンのマリネもおいしい。シメサバのパイもたまらない。

 ここは天国か。

 ここは天国かっ!


「3人とも楽しんでる? 鯨肉は食べた?」


 久々の故郷にうきうきのハティさん。普段あまり飲まないお酒をたくさん飲んでる。


「はい、歯ごたえがあってすっごくおいしかったです。ハティさんの目の前にあるそれは…………もしかして」

「これはねっ。熊の丸焼きっ!」


 右手にナイフ。左手にもナイフを持って前傾姿勢になるハティさんの目の前にでかでかと鎮座しているそれは、なんと灰色熊(グリズリー)の丸焼き。

 こんがりと丁寧に調理された姿は鯨とは違った迫力を放っていた。


 なんとハティさんの大好物は熊。

 鯨肉より熊肉が大好き。

 椅子にも座らず立って食べるスタイルに一同騒然。

 鯨漁が行われる日に合わせ、アッチェさんがハティさんのために山に登り、冬眠から目覚めて寝ぼけている熊を狩りに行ったのだ。

 ちなみに、冬眠に備えて食べ物を探し回るグリズリーは獰猛そのもの。絶対に近づいてはいけない動物の1つに数えられている。冬眠中も同様、途中で起こすとキレるので誰も近寄らない。

 アッチェさんでも正面からは絶対に戦いたくないと断言するほど危険。

 狙うのは冬眠から目覚めて、日光浴で体内時計を合わせ終える瞬間だけ。


 ハティさんはアッチェさんの用意した感謝の気持ちを凄い勢いでたいらげていく。気持ちいいくらいの食べっぷりでたいらげる。

 頭が終わったと思えばそのまま首、胸、腕、手。肉も軟骨も残らず胃に収まっていく。明らかに体長2mを越える肉なのに、食べる速度を落とすことなく胃に運んでいった。

 この光景に慣れてる地元民もさすがに驚く。私たちは言葉も出ない。


「いやぁ~~~~~~~~小さい頃から変わらず、素晴らしい食べっぷりだ」


 アッチェさんも驚愕のため息。

 私は思わず、アッチェさんにつっこんだ。


「小さい頃から熊肉をこんなふうに食べてたのですか? 普通は熊汁とか熊の手を煮物にしたりとか。肉はカットして小さくするものだと思うけど」

「あたしたちが食べる分にはそうするけど、ハティは丸焼きが好きなんだ。正直言って綺麗に血抜きをするのが超大変。でもまぁ、かわいい義妹のためだ。彼女が喜んでくれるならってみんな頑張ってくれるんだ。鯨肉が手に入るならってのもあるし。それに…………いや、なんでもない」


 なんでもない、の言葉を漏らした瞬間、顔が引きつったのには過去の記憶をさかのぼらなければならない。

 今からおよそ12年前、ハティさんと黝と呼ばれる人物がアイザンロックに渡り歩いてしばらく過ごしたことがある。2人は共に世界中を旅してまわり、様々な事情があって、アイザンロックに定住した期間があるのだ。


 食いしん坊だったハティさんは食べ物の減る冬の間、なかなか好物のお肉にありつけないと不満を持っていた。

 しかし空腹なのは自分だけではないと知っていたから我慢して、黝さん以外の他の誰かに空腹を打ち明けることはなかった。

 ある日、黝と呼ばれる人はうっかり、『冬眠中の熊は脂が乗っていて栄養も豊富で、すごくおいしいらしいですが、狩猟は危険だから獲りにはいけない』と漏らしてしまったのだ。

 我慢の限界を迎えた少女は冬眠中の灰色熊(グリズリー)に奇襲をかけ、熊がビバークしていたかまくらの中で丸焼きにして骨までしゃぶり、熊のかわりに冬眠しようとした過去があった。


 副騎士団長になったアッチェさんですら冬眠中の熊に奇襲をかけるだなんて自殺行為はしないのに、幼い頃のハティさんはそれをやってのけた。

 頼もしくもあり、同時に恐怖の対象にもなった。


 それほどまでに大好きな熊肉を横からつまもうとするスパルタコさんの指をつまもうとするハティさん。

 本気の殺気を向けている。


「ハティの熊肉を食べようとするのはやめておけ。命がいくつあっても足りないぞ。いるんだったらリリアとルルアに注文しなよ」

「…………う、うっす」


 スパルタコさん、絶命の危機を免れる。


「そういえばアッチェさん。さっきからうさちゃんが見当たらないのですけれど、どこに行ったのか知りませんか?」


 リリアさんの言葉によると、どこかにうさちゃんがいるらしい。見たい、触れたい、もふりたいっ!


「あぁあの子か。あいつは高い所が好きだから天井か、それか2階にいるんじゃないか? とにかくこの場にいないのなら申し分ない」


 申し分ない?

 なにかトラウマがあるのだろうか。だとすると、かなり近くにトラウマの原因がいるのだが。


「うさぎってもしかして、ハティさんの肩に引っ付いてる、小さくてもふもふしてる子ですか?」

「ん? おぉう、そんなところにいたのか。気づかなかった。…………こいつ、がっしり掴んでいて離れようとしないぞっ!」


 いつのまにか肩に張り付いてるそれは体長5cmほどの子供の雪うさぎ。

 白くてもふもふしてうさうさして、とてもかわいらしい。

 雪うさぎはアイザンロックに生息するうさぎ。外敵の少ない木の上で一生の殆どを過ごし、木の実や雪林檎を食べて生活している。

 この子はハティさんが食べている熊に両親を殺され、行き場がなくなったせいか、独りぼっちになって寂しかったのか、アッチェさんと一緒に山を降りた。


 アッチェさんには雪うさぎがこの場にいることをあまり好んでいない理由がある。

 熊狩りに出かけたアッチェさんは世にも奇妙な光景を見たからだ。


 熊が雪うさぎに勝負を挑んでいた。グリズリーの身体能力の高さもさることながら、木の上で生活する雪うさぎは脚力が強く、木と木の間を行き来できるほどのジャンプ力を持っている。

 いつもなら熊に襲われて住処の雪林檎の木をなぎ倒されようとも逃げるはずなのだが、珍しいことに彼らは対峙していた。

 グリズリーは巨体とは思えないほどの反応速度で移動する。剛腕を備えた巨躯の忍者の異名をとる。

 雪うさぎは飛ぶ鳥ですら蹴り殺す脚力を持ち、白い弾丸と呼ばれる。

 何がきっかけで戦うことになったのかは分からないが、珍しい組み合わせにアッチェさんは目を疑いながら岩陰に身を潜めた。

 3分もしないうちに両者共倒れの激闘に落ち着き、猟師は絵にかいたような漁夫の利を得たのだ。


 残された子うさぎがいるとも知らず、猟師は鼻歌まじりで山を降り、3匹の血抜きを終えて部屋を出ようとした。

 暗室の扉を開いて光が落とす影のシルエットに怯えたのはその時だ。両親を殺された子うさぎが肩にいるではないか。


 いつの間に。

 いやそれよりも。


 皮を剥いで血抜きをしたところを見てたのではないか。だとすれば次は自分か。

 空を飛ぶ大鷲ですら、小枝から飛び跳ねて蹴り殺す雪うさぎ。

 それがこんな、ほとんどゼロ距離の位置で頭を蹴られでもしたらひとたまりもないのではないか。

 喜びも束の間、突然、命の危機にさらされる。

 こんなにも露骨に背筋が凍る思いをしたのはいつぶりだろうか。そうだ12年くらい前かな。


 いやいやそれよりどうするよこの状況。

 何もせず、こっちをずっと凝視してるのも不気味。

 見た目がかわいいのも相まって、不気味さが増す。

 だけど雪うさぎは特に何をしてくることもなく、その日は肩に乗ってじっとアッチェさんの顔を見つめるだけだった。

 何を考えてるかは分からない。しかしこの子が仮に人間であったなら、彼女の両親に手を出したアッチェさんに復讐の気持ちを持っていてもおかしくはない。

 そういう事情もあり、この子には山に帰って欲しいと願ってる。


 それが今、ハティさんの肩に乗っかって何かを思っている様子。

 両親を殺した熊を見下ろして何を思うか。


 実はこう思っている。

 生前、両親は強い戦士と戦い、そしてその者の血肉となって最期を迎えたい。そんなことを語っていた。

 数日前、両親は熊に殺され、熊もまた両親に殺された。このままでは両親の悲願は達成されない。惨めに土に還るのだろうか。それを思うと悲しくなる。

 彼女は両親の死はもとより、彼らの願いが叶わなかったことに絶望したのだ。

 しかし、天は――――いや獣の神にして王たるものは、今、両親を殺した熊を血肉と変えようとしている。厳密に言えば血は抜かれてしまってるが、しかし肉も内臓も軟骨でさえ余すことなく平らげた。


 羨ましい。


 きっとこの熊は高貴なる者の糧となれることを誇りに思っているに違いない。

 彼も強い戦士だった。彼女の口に運ばれる権利がある。

 だけど両親はどうなのか。自分は知っている。まだ調理されることなく、冷たい部屋に保管されてることを知っている。

 どうやら今日の皿に乗ることはないようだ。


 嫌だっ!


 ただひと言、浮かんだ言葉はそれだった。

 彼女は自分の両親のことを知らない。

 だけど、自分は彼らが描いた夢を知っている。

 父も母も強い戦士だった。

 春の風を愛し、木に成る果実に感謝し、空より舞い落ちる雪よりも白く、誇り高い魂を持った雪うさぎだった。

 そう思うと自然と体が動いた。

 無礼を承知と知りながら、動かずにはいられなかったのだ。


『どうか、どうか獣の神にして王よ。どうかこのかそけき雪うさぎの願いをお聞きください』

「ん、なぁに?」

『生前、父と母は言いました。最期には素晴らしい戦士の血肉になりたいと。彼らは貴女が食されました熊に殺されました。しかし死闘の末、熊も命を絶ちました。両親の願いを叶えることができるのは貴女をおいて他におりません。ああ、獣の神にして王よ。どうか、どうか両親のささやかな願いを叶えて下さいませ。どうか……』

「うん、分かった。君のご両親は今どこに?」

『この人間の屋敷の地下に眠っております』

「うん、分かった。いただくね」

『ああ、感謝します。心から感謝いたします。獣の神にして王よ。ありがとうございます。ありがとうございます』


 雪うさぎと会話を交わしたハティさんは、アッチェさんと女将さんしか知らないお肉を調理するよう注文をつける。

 背筋の凍る思いで目を見開くアッチェさんはハティさんに理由を聞いた。

 なにゆえに両親を食べるところを子うさぎの目の前に晒すのか。この子はいったい何を考え、どうして欲しいのか。


 簡潔に子うさぎの願いを述べると、驚き半分、納得半分で子うさぎに視線を落とし、女将さんに声をかけた。本当かよ、と漏らしながら地下の冷暗室に保管されているお肉の調理を始める。

 夫婦仲良く鍋に入れて、最低限の調味料で味を整えた。灰汁をとって薬味を浮かべてできあがり。シンプルであるが繊細。綺麗な金色の脂がいくつもの円を描き、蒸気から沸き立つ香りは神秘的な風景を思わせた。


「いただきます」


 手を合わせてもくもくと食べ始める。

 肩に乗った彼女はただただその光景を眺め、愛しき両親のことを思い出した。

 共に喜んだ秋の実りの味を思い出す。

 冬の寒空の下で寄り添い、真ん中に挟まれて両親の温もりを感じた。

 春に咲き乱れる花々に心躍らせる。

 夏の強い日差しの中、木陰で体を休める心地良さにまどろんだ。


 嗚呼、全ては我が両親のおかげで感じられた素晴らしさ。

 愛してくれてありがとう。

 生んでくれてありがとう。


 皿の上の全てが彼女の体の一部となった。

 きっと父も母も喜んでいることだろう。

 獣の神にして王よ、本当にありがとう。

 愛しい人たちの願いを叶えてくれて、ありがとう。

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