お昼ご飯
バターコーヒー。うまいらしいですね。コーヒーを飲む習慣がないのでまだ飲んだことないですが。
コーヒーだけだと苦いイメージですが、バターが入るだけでなんか急にまろやかでコクがプラスされた気がしませんか。作者はそんな気がします。今度飲んでみようと思います。
玄関の目の前に階段が伸び、2階に上がると部屋が4つに振り分けられている。
田の字に分かれた部屋の間取りは等分。
家具はそれぞれ微妙に違っていて、クローゼットの位置や窓のあるなし、ベッドの大きさもそれぞれ違った。一番大きなベッドをハティさんが使うことにして、次に大きなベッドの部屋がキキちゃんとヤヤちゃんの寝室になる。
特に頓着のない私とアルマちゃんは、残った2つの部屋ということになった。
好きな方を選んでもらおうとしたけれど、アルマちゃんも特別こだわりがなく、窓のあるなし意外に魅力の差異がなかったから、どうぞどうぞということで、お言葉に甘えて外の景色が見える部屋をいただきます。
荷物を置いて、2階の窓から外を眺める。以前に住んでいた家は平屋だったから、こんな高さの場所から遠くを眺めるなんてことはしたことがなかった。
ガラスがはめ込まれた木枠を持ち上げて、春の風が、『ようこそ!』と言わんばかりに吹き抜ける。
知らない世界で、いろんなことを知って、見て、体験して、友達と笑い合って、助け合いながら過ごすんだ。なんて、なんて心躍ることだろう。
これから始まる新生活。胸がとってもドキドキします!
支度を済ませて玄関の外。みんな身なりを整えて、身軽になっただけで印象が少し違って見えたのは気のせいだろうか。
私と同じでわくわくどきどきしてるからかな。
そうだったら嬉しいな♪
玄関前で大集合。引率係のヘラさんが両の手をぽんと叩いて注目を促す。
「それじゃあまずは、市内に入ってお昼ご飯にしましょう。それからざっと街を見て回って、きっとよく使うであろう場所を案内するね。住宅街にも色々とお店はあるんだけど、それはまたおいおい歩いてみて。きっと面白いものがいっぱいあるから」
面白いものがいっぱいある。街中が宝箱みたいで素敵だな!
「改めまして、皆さまよろしくおねがいします。ヘラさんにおいては、事前のお話しもなく、突然のお願いであったにも関わらず快諾していただいて、感謝の言葉もありません」
超丁寧な口調のティレットさん。これが世に言うお嬢様。初めて見た。
「いいのいいの。気にしないで。大勢で歩いた方が楽しいもん。それに大好きなグレンツェンを学びの場として選んでくれるなんて、市長としてこれ以上嬉しいことはないわ」
満面の笑みのヘラさん。市長として、1人の友人として、心からの喜びを表した。
「うん。ご飯はみんなで囲んで食べたほうがおいしい」
ハティさんも楽しそう。お腹の虫までぐるぐる鳴いてパーティーしてる。
「キキもヤヤも賑やかなの好き! アルマお姉ちゃんもすみれお姉ちゃんも!」
待ちきれないキキちゃんがぴょんぴょんと飛び跳ねて、お姉ちゃんの手を引っ張ってる。
「アルマも賑やかなのは大好きです。魔法はもっと好きですよ!」
アルマちゃんは自慢のツインテールをぶんぶん振り回す。まるででんでん太鼓のようだ。
「私も、こんなたくさんの人と一緒にご飯を食べるのは初めて。だからすっごく楽しみです!」
ガレットさんもわくわくしっぱなし。早く行こうと体がそわそわ。
ほんとうに、ほんとうに初めてだ。こんなに大勢でご飯だなんて生まれて初めて。きっとこれからも、生まれて初めてがいっぱいなんだろうな。
ヘラさんははやる我々の気持ちを抑えるように、焦ると危ないと人差し指を立てて笑顔を向けた。
「それじゃあ、さっそくレッツゴー! あ、はぐれないように気を付けてね。街は人混みであふれてるから」
路面電車で来た道を20分ほど逆戻り。
グレンツェンでは多くの場合、魔導工学を用いた道具や機械が大活躍。耐久消費の高い金属などに魔術回路を刻み、動力を魔力が、歯車や人間が乗る箱の部分などを機械が補完し合って動いていた。
路面電車と呼ばれるような決まったレールの上を進み、複数人を同時に運ぶ乗り物。市営の食堂で試験的に運用されているお料理ゴーレムなどは魔導工学の産物。
魔法で浮いて魔法で進めばいいじゃないかとも思うけど、蓄積する魔力や人間の魔力量には限界がある。
魔術回路は消耗品。魔法だけに頼った運用だと何かが起こった時に対処できない。
機械と併用することでどちらかが機能不全を起こしても、しばらくの間は使用可能なエネルギーで動けるように工夫されているらしい。
くわえて、昨今の世界的なCO2問題や大気汚染からなる環境問題にも配慮した形となっていて、脱排気ガスの徹底にも視野を広げた結果だと、市長であるヘラさんが自慢する。
外の世界には色々と問題があって、それをなんとかしようとする人々のたゆまぬ努力があるんだなと感心しつつも、もっぱらの関心事はお腹の虫が想像以上に大声を上げてるということ。
慣れない土地で緊張したせいか、空腹が抑えられてたのに、緩んだ途端、いつもの調子を取り戻す。
個人を特定できるほどに泣き叫んでる。とんだ困ったちゃんだ。
昼食の席はヘラさんが予約してくれた大衆食堂・陽気な野ウサギ亭。
ここはかつて、堅苦しい貴族ばった会食にうんざりした中流階級の貴族が、社交界という名目で仮面を被り、一夜だけ自由気ままに飲んで騒ぐために生まれた。
貴族制度の弱体化によって貴族相手のレストランだった姿は身を潜め、徐々に大衆食堂の姿が強くなり、今ではお一人様から家族連れまで楽しめる憩いの場として愛されている。
しかし1年に1度のみ、かつての仮面社交界の姿を取り戻そうと、貴族の社交界パーティーが初開催された日にちなんで、10月12日に抽選で選ばれた91人限定の社交界が開催される。
ちなみに91人とは、当時初参加した人の人数だそうだ。
今日も今日とて満員御礼。そこかしこに楽しい食事を満喫する老若男女の姿があった。
私たちの予約席は2階の円卓。ランチと会話を楽しむ、言い方が雑かもだけど、長居するであろう人達は2階と3階のテーブル席に招待されていた。
真ん中が3階の天井まで吹き抜けていて、2階と3階は雛壇上にせり出している。コンサートホールのA席とB席とC席のように段々になって柱に支えられていた。
こんな大きな建物の中に入ったことがない。
まして周りは壁に囲まれるという圧。
人口密集率の高さのあまり、私たちは天を見上げて口をぱっくりと開け、呆然とするよりほかにない。
これが世界、まだ見ぬものだらけで目の前が白黒してしまう。
「あれ、どうしたの? もしかして君、ここに来るのは初めてなのかな? 上ばっかり見上げてたら危ないよ」
はわわ。うっかり呆然としてました。
もうしわけございません。
「ペーシェちゃんにルーィヒちゃん。お久しぶり。今日はここでお昼ご飯?」
「はい。占いアプリでお昼ご飯を占ったら、身近な食堂に行くと新しい出会いがあるって出たんで来ちゃいました。後ろの方々は?」
「こちらは今日から新しくグレンツェンに来た子たちよ。2人と年の近い人が多いから仲良くしてあげてね」
「どうも初めまして。ボクはルーィヒ・ヘルマン。夢はファンタジー小説家。ルーって呼んで。よろしくなんだな!」
「あたしの名前はペーシェ・アダン。夢は歌って踊れる舞台作家。みんなの自己紹介はお昼ご飯を食べながらにしないか。ここにいると後ろの人が閊えちゃうから!」
「さらっとお昼ご飯を一緒にしようと半ば無理やりねじ込んできた! だがそこがクレバーでいい!」
意訳したアルマちゃんの突っ込みの速さもさることながら、ペーシェさんの提案も素晴らしいと拍手したヘラさんの計らいで、一緒の卓を囲むことができた。雪だるま式に人が増えていく。
めくるめく荒波の中、刻一刻と変わっていく状況に翻弄されながらも、笑顔の絶えない出会いがとても愛おしくて、どうしようもなく鼓動が高鳴っていく。
人生のジェットコースターに乗ってるような気分。背中を押されるがまま席についたはいいが、話しやすそうなガレットさんはペーシェさんの向こう側に着いてしまった。
というより、ガレットさんと私の間に割って入られてしまった。
左隣はヤヤちゃん。大人びて社交的な彼女だけど、妹のキキちゃんのお世話で手一杯。
どうしよう、何を話せばいいのかわからない。外の世界の人の話題ってなんなんだろう。
島では本の中身とか料理とか麻雀の話しばっかりだった。島を出てここまで来る間に見たもののことを考えると、私の常識と外の常識は全然違うっぽい。
メニュー表とやらを差し出された。これがどういうものかもわからない。どうしよう。
おばちゃんたちと外の世界の予行演習をした時にはこんなのなかったよぉ……。
よし。さっそく困ったのでヘルプを求めます。
「あ、あの、ペーシェさん。お伺いしたいことがあるのですが、いいですか?」
「なになに? なーんでも聞いてよ。分からないことがいっぱいあるだろうから、教えられることなら何でも教えてあげるよ。あと、そんなにかしこまらなくていいよ。友達なんだから。あ、そうだ。あとで連絡先を交換しようよ。講義とるのもさ、どれとるか教えて。なんなら講義の手続きとかも教えてあげようか? 初めてだと右往左往しちゃうだろうし、手続きミスって受講できなかったらもったいないからね」
「そ、そうですか? ありがとうございます。それでその、分からないことなんですけど、このメニュー表っていうのは、なんですか?」
またきょとんとした表情をされてしまった。
やっぱりおかしなことを言っちゃったかな。
そうだよね。みんな当たり前のように知ってるみたいだし。変だって思われるのは構わない。だけど、なんだかちょっと恥ずかしいな。
呆然として、嘲笑するでもなく、辟易するでもなく、ペーシェさんはにっこりと笑って丁寧に説明してくれた。
メニュー表に書かれてるものは料理の名前であること。
太文字の下の小さな文字は、料理の具体的な説明であること。
タイトルごとに色分けされ、ランチメニューはワンプレートで提供されること。
一番下のセットメニューは、ワンプレートと一緒に付け合わせられること。
どれも聞いたことがない。食べたこともない料理。
選びきれないで悩んでいると、ペーシェさんがオススメメニューを2つ頼んでシェアしようと切り出してくれた。度重なる質問に丁寧に返してくれるペーシェさん。
寛容で誠実で、とってもいい人だ。
テーブルに並ぶ見た事もない料理の数々。食卓というのは、机に御椀や焼き魚を乗せる板状の皿ばかりが置かれるものと思っていた常識が、音を立てて崩れていく。
大きな皿にこじんまりとおしゃれに盛り付けられ、鮮やかな野菜とソースで着飾ったステーキがどんっ!
くびれの長いグラスに透き通る紅玉のワインが美しい。
大皿からはみ出んばかりの生地の上に、カリカリに炙られたピリ辛サラミ。酸味の効いた輪切りのフレッシュトマト。飴色に色づいた玉ねぎ。とろとろでふつふつと沸き立つ黄金のチーズ。エロスを感じる大量の生ハムがふんだんに盛り付けられたピッツァ。
滑らかなクリームソースの中を泳ぐ小麦色のパスタ。優しく懐かしさを感じる香りが湧き上がり、鼻から入って脳天直撃。
ふっくらバンズにチーズを被ったミートがドオォーンッ!
アツアツポテトとコーラのハンバーガーセットはまさに王道のストレートパンチ。
見たことも聞いたことないのに、おいしいものレーダーがもの凄い反応してる。
お腹の虫が小躍りを始め、開いて塞がらない口からよだれがたらりと滴り落ちる。
あぁ、私の目の前には何が来るんだろう。
ペーシェさんのオススメって言ってたけど、何がくるんだろう!
わくわくで足がばたばたして、体が待ちきれないと宝石を探してきょろきょろしてしまう。
待ちに待ったお昼ご飯。生ハムの壁に包まれ、旬のシャキシャキ野菜の上に濃厚ぷるぷるな半熟卵。新鮮でフレッシュな野菜のおいしい甘みと苦みを包み込むように、濃厚な半熟卵が覆いかぶさった。
塩気の効いた生ハムは噛めば噛むほど口の中でおいしい調和を作り出す。
見た目も味も食感も、楽しいおいしい素晴らしい!
ペーシェさんのお皿は鶏肉料理。ガーリックとペッパーの効いたスパイシーでボリューミーなひと品。
この国では朝はコーヒー。昼夜はワインと言われてるらしく、お昼からでもワインを飲む習慣があるらしい。
残念ながらアルコールに慣れてない私では、その慣例を貫くことができないだろう。
なのでオレンジジュースをいただきます。しぼりたてのオレンジジュースもおいしい!
半熟卵の生ハムサラダも、鶏肉の悪魔風ガーリックペッパーも、みんなの食べてるものも少しずつもらってお口の中へ放り込んだ。
どれもすっごくおいしくて、思わず心の声が漏れてしまった。
「うまいっ!」
~~~おまけ小話『ペーシェの好物』~~~
ペーシェ「桃だね。桃が大好きだね。ランチの最後に桃のコンポートを食べちゃうね」
すみれ「コンポート。果物を砂糖で煮た保存食ですね。きらきらしてておいしそじゅるり」
ガレット「きらきらであまあまで素敵です。私も、少し、食べたいなー」
ティレット「それでは食後のデザートを追加してコンポートを頼みましょう。それからバニラアイスも」
キキ「バニラ! と、あいすってなに?」
エマ「冷たくて甘くって、とってもおいしいスイーツです。私も注文するので、ひと口食べてみますか?」
キキ「うん! ありがとう!」
アルマ「ぐぬぬ。見たことも聞いたこともない名前ばかり。甘い物は食べてみたいけど、こうも難解だと困っちゃいますね」
スパルタコ「もしよろしければ、こちらに写真がございますので、説明させていただいてもよろしいですか?」
ペーシェ「げ! 出来るウェイターのタコ野郎」
スパルタコ「褒めるか褒めるかどっちかにしてくれ」
ルーィヒ「最初っから選択肢がないやつ!」
アルマ「お知り合いですか?」
ペーシェ「顔見知りの腐れ縁」
スパルタコ「――――彼女とは幼馴染なんですよ。それはともかく、こちらが本日のデザートです。ひとつずつ、簡単に説明いたしますね」
アルマ「わぁーい。ありがとうございます」
ウォルフ「幼馴染か。仲良さそうだな」
ペーシェ「仲は、まぁ、悪いわけではない。言っとくが好意は持ってない。ただ仕事に対する情熱だけは尊敬してる。こいつ、来店した女性客の顔と名前と食べた物と好みは全部覚えてるんだって」
ウォルフ「女性客限定ってどうなん?」
スパルタコ「失礼な。老若男女、全員の顔と名前と食べた物と好みを覚えとるわい!」
エマ「えっ、それってとてつもなく凄いのでは?」
スパルタコ「ただどちらかというと、女性のステータスのほうがはっきりと覚えてるだけだ」
エマ「すごい、んですけど、なんと言いますか。なんと形容すればいいのでしょう」
ペーシェ「無視していいよ」
スパルタコ「それ一番キツイからなんか言ってくれ。なんでもいいから」
ペーシェ「仕事に戻れ」
作者はアルコールが全くダメな上、5歳の頃に親の知り合いのおっちゃんに、「泡の出る麦茶」と言って騙されてビールを飲んでしまったことがあります。飲んでしばらくしてから目覚めるまで記憶がありません。覚えているのは、そのおっちゃんが滅茶クソ怒られている画面だけです。その記憶だけを思い出して、大人になっても酒は飲まないと誓いました。タバコもしないと誓いました。上質な反面教師でした。