シャングリラ、真実の幸福が在るところ 10
獣頭のデッドボルト・ダス。神樹の森と呼ばれる土地出身の狼の獣人さん。遠く離れたシャングリラから海を越えて渡ってきた理由は、肉。
故郷の神樹の森の主食は野菜や果物が主流。季節がくると、川魚を食べることもあるそうなのだが、お祝い事でもない限り、鳥や獣の肉は食べられない御馳走である。
子供の頃、御馳走の味を知った彼は、毎日でも肉が食べたいと思うようになり、田舎を飛び出して単身、都会へ繰り出した。
腕っぷしが強く、荒くれものを率いてモンスターの討伐を行うような生活をしながら肉食を謳歌。
そんなある日、ひったくりを庇ったハティさんに因縁をつけ、ある勝負に挑むも惨敗。それが原因で仕事を失ってしまう。
勝負に負けて借金を抱えることになったので、故郷の果物を城下へ運んで商人のような仕事をするようになった。
見かねた幼馴染のマルトーさんが手助けをするようになり、今ではデッドボルトさんの奥さんに。
二児の父親ということもあり、精力的に仕事をこなしている。
シャングリラでの仕事は持ち回り。料理や反物作りなどの専門的な仕事を除き、誰が抜けても誰かが穴埋めをできるようにと、土地の開発、畑の工作、製塩などの仕事は順番を決めて進めていた。
これにより、その仕事特有の楽しさと苦労を分かち合うことで、仲間意識と強いコミュニティを構築している。
なにせここはシャングリラ。人種と種族の坩堝。混沌を極める場所で共存共栄が出来なければ立ち行かないのです。
「まぁそれでもそれでも、いざこざってのは起っちまう。そういう時は顔役が出向いて仲裁するわな。結局、信頼か力業なわけだが。気をつけろよ。アラクネートはあれで暴力的だからな。いてぇ!」
言った途端、奥さんに頭をはたかれた。
「あんたねぇ。本人がいないからって、そういうことは言うもんじゃないよ」
奥さんのほうが立場が強いみたい。人間も獣人も変わらないな。
にしても、穏和そうなアラクネートさんにしては意外な評価。
「ほへぇ~……そんな雰囲気はしませんでしたが。口より手のほうが早い人ですか」
「口と手が同時に出るタイプだ」
「できれば口が先だとありがたいやつですね」
温厚そうな人だったんだけどな。職業柄、やらざるをえないのかもしれません。
ひと呼吸おいてヤヤちゃんがデッドボルトさんの過去をついばんだ。
「ところで、ハティさんと勝負した内容を聞いてもいいでしょうか。ハティさんが積極的に勝負事をするとは思えないのですが」
「それそれ、それ聞いちゃう……?」
逡巡して、話しを逸らそうとするも、隣にいる奥さんが井戸端会議のノリで饒舌になる。
「旦那は大食い勝負を挑んだんだよ。勝負のついでに酒代を肩代わりさせようって思惑もあってね。そしたら返り討ちさ。そんで借金をこさえたうえに城下で仕事ができなくなっちまってね。果物売りなんて商人紛いのことをやってたもんさ」
「お、おいおい……昔の話しを蒸し返すなよ……」
それでも、と続けてマルトーさん。今は旦那とこうして一緒にいられて幸せでいる。子宝にも恵まれた。シャングリラはいいところだから、きっと子供たちも幸せに暮らせるだろう。
本当に、心の底から満足した表情を浮かべていた。
旦那さんは赤面して照れながらも嬉しそうでいる。いやぁ良縁に恵まれて羨ましい限りです。
幸せなのろけも束の間、2人は何かが迫ってくる気配を感じたのか、扉の方を見て動き出した。
何事かと思ったら、もうすぐ取引相手がやってくるから準備しなくてはならないとのこと。
なんだびっくりした。危険な何かが現れたのかと思ってしまいました。
そろそろいい頃合いだし、お塩も手に入れたし、デッドボルトさんたちも忙しくなるだろうからと帰宅を促すも、来訪者がハティさんに会いたがってると聞いて立ち止まる。
なんでも、これから出会う人物はハティさんに多大なる恩があり、謁見の機会を待ち望んでいたという。『謁見』とはまた古風な言い回しですな。
我々は部外者なのですが、ハティさんのことを知る良い機会かもしれません。
彼女が何者かを知ることができるなら、もしかすると魔族と人間との間に開いた亀裂を修復することができるかもしれない。
修復できないにしても、橋を架けることはできるかもしれない。
シャングリラの人々の世界をもっと広げられるかもしれない。
世界に新たな可能性がもたらされるかもしれない。
フェインちゃんの背中に乗せてもらえる機会が増えるかもしれないっ!
考えただけでわくわくです♪
現れたのは馬車。今では見ることもないランドータイプ。後部には西部劇で登場するようなカバードワゴン付き。
ランドーとは、中世欧州の貴族が使っていた乗り物。4人乗りの対面式の座席。天井と壁も付いていて、雨風をしのげるスタンダードタイプ。
シャーロック・ホームズが移動する時に使ったりしているアレです。
カバードワゴンは荷下ろしがしやすいように前後が開けっ放しになっている。アーチ形の骨組みに厚布を張り付けるやつです。
異世界ファンタジーに出てくる行商人が使ってる定番のやつです。
通常、荷馬車は前半部が馬と御者。後部が荷車の構成。いくらお馬さんの馬力が人間の比ではないとはいえ、巨大な木製の箱を2つも連結させて移動するなど不可能だし、負担が大きすぎる。
なのになぜ、眼前に現れたそれは連結して走行しているのか。いや、できているのか。
近づいてくるにつれて理由が分かった。このお馬さん、ものすごくマッチョ。しかもデカいっ!
ばん馬と呼ばれる種類の彼らは、力強く温厚な性格でよく人に懐く。
農耕馬としても、荷馬車を引く役目としても申し分ないということで外国から輸入され、今ではシャングリラの農業や荷物の運搬のために活躍してくれる。
色艶もよく肌はふさふさ。長く特徴的な鬣は三つ編みにされ、たくましいながらもかわいらしさすら持ち合わせている。
左の子は艶やかな青毛。健康状態も良好なようで、見る角度によって濃い青色と黒色の変化が楽しめる。
右の子は純白の白馬。両親は芦毛だったそうだが、遺伝子の変異のせいか、兄弟の中でこの子だけが真っ白に生まれてきたらしい。
その見た目の良さと力強さを見込まれてシャングリラ行きに抜擢された。
どちらも見ごたえのある子たちでカッコかわいらしい。
金色のフェインちゃんも荘厳でカッコいい。
お馬さんも凛々しくて美しくて素晴らしい。ここは動物王国なのかもしれません。
物珍しいお馬さんを見てキラキラと目を輝かせるキキちゃんとヤヤちゃん。力強い背中に乗ってみたくてしょうがないみたいです。
できれば私も乗ってみたいです。
乗馬体験なんて子供の頃にしたっきり。
牧場は近くにあっても、なかなかできるものではありません。
ハティさんが御者のバスティンさんに頼んでみると、二つ返事で快諾。キキちゃんとヤヤちゃんはご満悦。
いいないいな。私も背中に乗せて下さいっ!
わくわくする私の前に出たのはハティさん。御者のバスティンさんとは知り合いみたい。
「久しぶり、バスティン。キキたちがお馬さんに乗りたいって言ってる。乗せてあげてもいい?」
「おおっ、わたくしめごときの名を覚えていただいてらっしゃるなど光栄の極みでございます。乗馬でございますね。もちろんですとも! それと、本日はヴァスカ王子がおりますゆえ、お会いいただけますと幸いにございます」
ケルピーの顔をした海魔のバスティンさんは快く受け入れてくれて、キキちゃんたちをお馬さんの背中に乗せてくれた。
それはもう嬉しそうにきゃっきゃとはしゃぎまくる。私も含めて。
子供の頃に乗ったなら、自分よりも大きな背中と対比するせいでより大きく見える。
大人になったなら、かつての記憶と違って乗った背中は小さく見えるだろう。
しかしどうだ。お馬さんの背中のなんと大きなことか。足も太く体も逞しいことから、予想はしていたが、当然、横幅も広い。足が鐙に届かない。なんという巨体。
フェインちゃんも目を疑うほどの大きさではあるが、この子はなんていうか、ものすっごいムキムキです。
想像していた以上にマッチョです。
肌に触れて感じる筋肉感が半端ないです。
なんかめっちゃテンション上がるっ!
毛並みはつやつや。毛先がふさふさ。なんという力強さ。そりゃあ連結させた荷馬車を軽々と引けるというものです。
できれば手綱を持って歩いて欲しい。しかし馬車に繋がっていて単独で歩くことはできない。
諦めるか。否、バスティンさんに頼めばなんとかなるのではないでしょうか。無理を承知でお願いしてみましょう。
翻って彼らの姿を見ると、驚くべき光景が広がっていた。
海魔族の王子と呼ばれたヴァスカさんがハティさんの手の甲にキスをしている。
王族や貴族が最上の挨拶として用いる作法。生で見るのは初めてです。今時そんな古風な礼節を守る人がいるだなんて思いもしなかった。
見るとしたらファンタジー映画くらいのものです。
でもまぁ百歩譲ってそれはいいでしょう。王族なのですから、仰々しい礼儀作法を使ったって驚きはしない。
見たことがないって意味では驚きましたが。
それよりも驚きなのは、王子様の横で跪く従者の2人。護衛として槍を携帯している場合、膝を着いて槍の柄を地面に立てるもの。
膝を着くという行為は相手に対する敬いや礼儀としての意思表示。
槍を立てることは護衛としての職務ゆえに当然のこと。
くわえて、相手より自分の守るべきものが大切であり、相手に対する最低限の警戒の意味でもある。
これは決して失礼なことではない。武器を持ちながらも、お互いに手を取り合うことを示す意思表示なのだ。
だというのに、彼らは槍を地面に置いてるではありませんか。しかし、護衛としての仕事を放棄したわけではない。
だとしたら警戒する必要のない、格下だと見て侮っていると取られても仕方のない行動のようにも見える。
どういうことだろう。疑問に思いながら、彼らの視線の先には女神のような顔をしたハティさんがいる。
慈悲深く、再会を心の底から喜んでいた。彼らにとって彼女は、刃を携えて警戒することすら不敬にあたるということなのだろうか。
そういえば、バスティンさんは自分の名前を覚えていたハティさんに随分と感激した。
ハティさんに名前を覚えていてもらっただけで涙ぐむほど嬉しいものとは。一体、彼女は何者なのか。いよいよ興味が湧いてきます。




