シャングリラ、真実の幸福が在るところ 7
よし、そういうわけで踵を返して空中散歩へ向かうとしよう。
早く行かないと片づけてしまうかもしれない。
このあとはシャングリラへ出向いて、大きな金色の狼をもふもふすることになってるからな。
そうなるとマルタを始め、子供たちの意識がそっちへ向き始めてしまう。私の思惑を超えて圧倒的な速さで突き進むに違いない。
子供は行動力の化身。大人が子供の行動力についていくのはなかなかどうして至難の業です。
さぁ行こう!
心と体を東へ向けてみるも、ハティたちは兄に何かを伝えてるようで動かない。
ハティによると、東の森の端に生ってる大きな栗の木が病気だから診て欲しいとのこと。なんでそんなことを知ってるのか。
答えは簡単。小鳥さんに聞いたから。
そんなことを教えてくれるのか。めっちゃ助かるんだけど。
しかしそれは兄に任せるとして、いざ出陣!
「わぁ~い。空中散歩は大成功でした。場所をお借しいただき、ありがとうございました~♪」
「ふぁっ!? ここにアルマがいるということは、空中散歩は終わったということか?」
満面の笑みで満足した様子を見せるマルタは夢見心地な声色を奏でる。
「はぁ~い、とってもワンダフルでした~。どうしたんですか、ライラさん。何か落ち込むことでもあったんですか?」
「いや、なんでもない……」
無念。タッチの差で間に合わなかった。しかしまぁ……モンスターカーレースの催し物のひとつとして開催が決まってるし……今がむしゃらに求める必要は……ないのかもしれない。
ここでひとつ、私は失念していることがあった。
それはモンスターカーレースに出場するマルタの助手席に私が座る予定ということ。
だから私は空中散歩に出向くことができない。
レース本番の1週間前から調整を始め、一時も休むことなく練習を行う。
マルタがハンドルを、私が補助を担当。
優勝者は栄誉と多額の賞金が得られるレース。
これを欠席することはできない。
勝負事となればなおさら。
どうあっても私は空中散歩を楽しむことはできないのであった。
でも息子たちがとっても楽しそうに遊んだということなので、良しとしましょう。
★ ★ ★ 【マルタ・ガレイン】
マルタ・ガレインは今、感動しているっ!
空中散歩で見たエメラルドパークの豊かな自然を俯瞰した時と同じような胸の高鳴り。
風になびく緑の絨毯と、自然豊かな山林。
生き生きと住まう人の影。
どこまでも広がる青い空。
延長線上にはキラキラと瞬く群青の海。
宇宙から地球を見た人は、その星の美しさに目を奪われたと言う。そこまでの距離でないにしろ、私もその時、同じ気持ちになっていただろう。
今はどうか。ハティさんに連れられて、ワープに乗って彼女の故郷へ転移した。
よく手入れされた土の香り立ち上るカラフルな畑。
青い空に浮かぶ白い雲。
地平線の彼方まで突き進むスカイブルーの海。
絶海の孤島で悠々自適な老後ライフを過ごすのにうってつけの場所。
ここは理想郷。
穏やかな時間の流れる理想郷。とってもとってもワンダフルですっ♪
ヤヤちゃんは晴天の空の下、潮風に微笑んだ。
「話しには聞いていましたが、とっても綺麗な場所ですね。なんだかメリアローザに帰ってきたみたいです」
ワープ初体験のライラさんは呆然として呆れ返る。
「景色も凄いんだが、実際にワープを体験してみると、なんていうか、あっけないというか凄まじすぎてよく分からんというか。まったくハティには驚かされてばっかりだ」
「うわああぁぁぁぁ~~っ! びっくりした! あっ、ハティお姉ちゃんだ!」
どうやら突然現れたので驚かせてしまったらしい。
おいしそうな…………ぷっくりと膨れてかわいらしい鶏を両腕で抱えた小さな少女は、ハティさんの姿を見るなり、鶏のことなど忘れて放り出して、大好きなお姉ちゃんに抱き着いた。
彼女も満面の笑みで挨拶をすると、少女の声を聞いた子供たちが仕事の手を止めて集まってくる。
笑顔の花に囲まれて、ハティさんもとっても嬉しそう。
彼女の帰りを待ち遠しくしていた彼らは、ハティさんにかまって欲しくて仕方のない様子。
とっても素敵で羨ましくて、ワンダフルな光景です。
そこにお屋敷から飛び出してきた1人の少女が割って入った。
おそらくこのお屋敷でハティさんの代わりに子供たちの世話をしてるだろう彼女は、子供たちを窘めながら一列に整列させ、ハティさんのご友人に挨拶をするようにと説く。
おお、なんとできた子でしょう。近年ではこういう光景はなかなか見られません。
近年の情報の高速化の影響なのか、1人1人の名前を言わせるなんてしないのです。
そもそも十余人からなる人の名前をその場で覚えるということが無理な話し。
非合理的な行動を避ける傾向にある昨今、こういう儀礼的とも言える挨拶って大事だなって感じ始めました。
ベルン寄宿生相手に講義をすることもあるのですが、当然、全員の名前は覚えられない。
かと言って、覚えられないにしろ名前を聞いてないってなんだか寂しいような気がするんです。
気にしすぎでしょうか?
いいえ、そんなことはないはずです。
だからというか、元気よく自己紹介をしてくれる彼らがとても暖かく見えるんです。
我々が置き去りにしてしまった真心とか、なんだかそういうものがここにはあるんだなって思いました。
それもシャングリラの魅力なのかも。
エリストリアと名乗る少女は黒髪黒巻角が特徴的な魔族の女性。面倒見の良さそうなお姉さんといった印象。
「おかえりなさい、ハティさん。リビングに見覚えのない瓶が現れたので、そろそろ戻ってこられると思ってました。ご友人の方々も夕飯をご一緒される予定ですよね。それではっ! 今日はチーズの日にしましょう♪」
「げ~っ! 今日は新鮮な魚が届くんだから、焼き魚にしようよ。しばらくチーズはいいよ」
「前に食べた鳥の香草包みがおいしかったから、それをお魚で食べようよ。チーズはしばらくいいや」
「私もお魚さんがいい。チーズは……しばらく食べたくないな」
「私もみんなと同意見です。あと半月はチーズは遠慮したいです」
満場一致のチーズ拒否。子供たちはどれだけチーズを食べ続けさせられたのだろう。
エリストリアさんはどれだけチーズが大好きなのだろう。
おいしいものも連日食べ続けると飽きてくる。彼女は好きすぎて気にならないみたいだけど、子供たちからは相当に嫌悪されていた。
まとめ役の年長者が変わり者だと苦労しますね。
……あっ、なんかデジャブを感じました。ユノ先輩には内緒です。
続いて現れたのは3人の美女。エリストリアさんたちと一緒にシャングリラで生活をしているメアリ・ニアーニャさん。
金髪で少しウェーブのかかった髪の彼女は子供たちによく慕われ、エリストリアさんのチーズを止める役目のよう。
彼らはチーズはしばらく食べたくない、と言ってエリストリアさんを説得するように泣きついた。
小さくため息をついて諭すも譲らない。どうやら力関係は対等のようです。
黒髪ショートヘアで先っちょが軽くカールしている彼女はアラクネート・ウィルハートさん。ハティさんに心酔しているのか、嬌声を発しながら溺愛している恋人を前にしたかのような形相。
頬を赤らめ、腰をくねくねとさせる姿はまるで発情期のメス。
子供たち曰く、アラクネートさんはハティさんのことを強く慕っていて、彼女に相対する時だけ別人のようになる、とのこと。
まぁ女惚れするのは分かるけど、見ていて恥ずかしいというか、距離を置きたくなるというか、あまり関わりたくないなぁと思います。
最後に細い金髪を静かに揺らし、大人びた印象を持つ少女。オリヴィア・ダイヤモンドムーンさん。
こめかみから鋭く尖った細く赤い角が印象的な彼女は、ハティさんの姿を見るなり、熱い抱擁を交わして満面の笑みをこぼした。
ハティさんも久しぶりの再会に胸を熱くする。
ちなみに、姓は同じだけど血は繋がってないらしい。義姉妹ということか。
ある意味では血の繋がった家族よりも信頼が厚いのかもしれません。
「久しぶり、ハティ。元気にしてましたか?」
「うん、おかげ様で元気いっぱい。オリヴィアも元気そうでよかったっ!」
オリヴィアさんと挨拶をして、アラクネートさんが隣に這い寄る。
「あぁ~ん、ハティ様、今しばらくじっとしていて下さいませ。あらら、少しウェスト周りが大きくなられましたか?」
「違う。そんなはずはないッ!」
珍しく大きな声。
ハティさんもそこは気にするんですね。
ライラさんが楽しそうにつっこんだ。
「ハティでもやっぱりそのへんは気にするんだな。しかしきっと、すみれのおいしいご飯を食べてるからだろうな。アラクネートは被服職人なのかい?」
「ええ、おっしゃる通りです。わたくしはシャングリラで【衣】を担当しております。反物の製作から染色、衣服の製造まで全てを任されております。ハティ様は今度、海をご遊覧されるということで、わたくしはハティ様の『水着』なる衣服を製作する栄誉に賜りました。つきましては、世界最高の水着をお作りしなくてはらならないのですっ!」
決意を聞いて、ヤヤちゃんが数日前の出来事を思い出す。
「あぁ~、この前、みんなで水着の下見に行ったんですけど、ハティさんに合うサイズのものがなかったんですよね。あったとしてもあんまりかわいくなくって。そしたら知り合いに服を作っている職人さんがいるということなので、その人に作ってもらうと言ってました。アラクネートさんがそうなのですね」
たしかにハティさんのスリーサイズは、バンッ、キュ、バンッ、ですからね。
大きいのも困りものです。
「なるほど、ハティさんレベルの身長とスタイルの水着はマイノリティですね。下着もそうですが、数とデザインが限られてきますからね。悩ましいところです」
「下着もオーダーメイドしてもらっているはずです。超かわいいんですよっ!」
それは凄く見てみたい。私だって女の子。人に見られないといっても、かわいい下着を着るとテンションが上がるものなのです。
見えないところに気を配る。できる女の条件です。
ユノ先輩にもハティさんと私の爪の垢を煎じて飲ませてあげたいですね。




