ユノ暴走 1
ユノをキッチン・グレンツェッタの後夜祭に連れてきたマルタ。
表向きはユノの介護ですが、結局のところはおいしい料理と楽しい会話。可愛くてもふもふの動物たちとの触れ合いを求めてやってきました。そのため、面倒なユノをベレッタに押し付けて願望丸出しで突っ走ります。
なんだかんだでちゃっかりしていて美味しいところはもっていくタイプの人です。
同時に、容量がいいので世渡り上手ですが、嫉妬されやすい体質なので自由奔放しながらも周囲の警戒を怠るべからず、ですね。彼女はそのへんのところを力でねじ伏せるタイプの女性です。笑顔で。
以下、主観【マルタ・ガレイン】
乾杯をして宴の始まり。たった1人でここにいるなら、自由に歩き回って食べて飲んで、楽しい会話に花を咲かせることもできたでしょう。
でも今日は違う。
いや今日も同じと言うべきか。
私の隣にはユノさんがいる。彼女の意識がはっきりしていて、素直に仕事のことを忘れて酔いの時を過ごしてくれるなら苦労はない。
そう、苦労はないのだ。
車の中で失神したから大丈夫かと思ったけど、どうやらまだ意識朦朧としているらしい。
椅子に座るとありもしない資料やパソコンを無意識に探そうとする。
宴会の席でライブラから非常食を取り出して食べようとする。
挙句、私に向かって図書館から資料を取り行ってくれと頼む始末。
ダメだこの人。どうしようもない。
奇異な姿を見たベレッタちゃんが、不安そうな表情をしながら歩み寄ってくる。
できれば貴女にこんな先輩の姿を見せたくはなかった。
「お久しぶりです。ユノさん。マルタさん。その後おかわりない……ご様子で?」
「少しは変わって欲しかったのですけれど、これこの通りです。頭が眠っている様子ですので、何かさっぱりとした前菜はありませんか?」
疲れ目には酸味の効いた料理でおめめぱっちりとしていただくのが一番です。いっそレモンをそのまま口に放り込んであげたいくらい。
それならばと誘われたテーブルには大きな菊の花。否、菊の花びらのように盛り付けられた鯛とスモークサーモンのマリネ。
鮮やかなオレンジと淡いピンクの花びら。
薄切りの玉ねぎ。
輪切りにされたカラフルなパプリカが散りばめられていて目にも楽しいひと品です。
レモン汁もたっぷりと使われていて、前菜にうってつけの料理。
通常であれば千切りにしてしまうパプリカ。フラワーフェスティバルにあやかって輪切りにして、お花のように魅せる工夫は倭国人ならではの感性だろうか。
すみれちゃんのアイデアが炸裂した、映える景色は食べるのももったいないと思えるほど。
さて、ここで問題です。
クエスチョンではなくプロブレムです。
普通であれば薄切りの玉ねぎに乗っかっている花びらの塊を自分の取り皿に移すのが一般的。
しかしユノさんは違う。
この人の感覚は一般ピーポーとはかけはなれているのです。
なんと、恥ずかし気もなく、この人は、パプリカの花びらを押しのけ、鯛とスモークサーモンの花びらだけを採集。口へ運んでおいしいと頬を緩ませる。
おいしいのはいい。
野菜も食べろよっ!
呆気にとられるベレッタちゃん。たじろぎながらも、『野菜もおいしいですよ』と促すも、聞こえているのか聞いてないのか、はたまた誤魔化すためなのか生返事。
きっとこの人の目にはメインの花びら以外は台座。ないしは飾り。食べ物として認識されてないのです。
ユノ先輩の助手として恥ずかしい限りです。そういう食べ方は10代前半で卒業していただきたい。
嫌いな食べ物だったりアレルギーでどうしても食べられないならともかく、普通に食べられるじゃないですか。
「前菜のマリネの野菜が多めに残ってしまったみたいですね」
ほらもう、すみれちゃんが困ってるじゃないですか。
「ごめんなさい、すみれちゃん。ユノ先輩が本当に子供っぽいことを。お恥ずかしい限りです」
「そんな滅相もありません。余ったなら余ったでやりようはありますから。お任せ下さい」
全く嫌気も悪態もない少女の笑顔を見て、良かったと思うと同時に大丈夫だろうかと心配してしまう。
大の大人が失礼な食べ方をしたのに、本当に心の中に黒いものが顕れないものなのだろうか。
ないとしたら、きっと彼女は聖人に違いない。
大皿を厨房に戻して何やらしている様子。その間、天衣無縫な心で他所様に迷惑をかける子供大人にやんわりと叱るも効果無し。
何がいけなかったのか分からないと言った表情を返してくる。
この人、疲れるにつれてモラルが低下する。これは相当ヤバいところまで自分を追い詰めている証拠。
龍脈の異常を観測することができれば、現在起こっている魔獣の出現率の低下を人為的に作り出すことができる。
もしそうなったのなら、多くの人の命を、未来を、笑顔を守ることができる。その気持ちは痛いほど分かります。
でもほんともう勘弁して下さいっ!
貴女が先に倒れますよっ!
ため息をする私の横を小さな影が通りすぎた。厨房から戻ってきたすみれちゃんが新しい料理、否、生まれ変わった料理を手に舞い戻ってこられました。
薄切りの玉ねぎと輪切りのパプリカはそのままに、新しく多彩なキノコがキャンパスを彩っている。
エリンギ、舞茸、マッシュルーム。オリーブオイルをも纏っておいしそうに横たわっているではありませんか。
なんという閃きと早業。グレンツェンの人たちは基本スペックが高いと耳にするけど、力量を目の当たりにして驚くばかりです。
そして何よりちゃんとおいしい。
やっつけではない。経験に裏付けされた間違いない料理です。
「あっ、これってお母さんがパーリーで作ってるキノコのマリネにそっくり。リスペクト?」
「レーレィさんのをリスペクトしました。時間があればフリットした魚の切り身もキノコと一緒に出したかったんだけど、さすがに時間的に難しいので、簡単ではありますがアレンジしました。玉ねぎとパプリカだけでは食べにくいと思うから」
「わぁ~、すみれちゃん天才的! 将来はいいお嫁さんになれるね♪」
そう言って、ユノさんはおいしそうにぱくぱくとキノコのマリネを頬張っていく。
さっきはよけていたパプリカと玉ねぎも食べている。
これはアレですか。作り手が目の前に現れたから全部食べないといけない罪悪感に襲われた結果ですか?
それともキノコの出現により、野菜もお口の射程圏内に入ったってことなんですか。
もう分からない。この人のこういうところ、本当によく分からない。
これから変人の助手になるベレッタちゃん。何か困ったことがあったら私たちに相談してね。
解決できるかどうかは分からないけど。
1人で悩んではダメよっ!
次に向かったのはビーフシチューの鍋の並ぶテーブル。シチューもおいしそうなのだが、なにより焼きたてのバゲットの香りに誘われてしまいました。
手のひらサイズのミニミニバゲット。ノーマルにミルクフランス。ライ麦パン。くるみパンまであるではありませんか。
ひと口サイズを実現するため、キキちゃんを筆頭に子供たちに作ってもらったそうです。
かわいらしくまぁるいフォルム。パーティーにはもってこいのサイズ感。の、中にひと際大きなバゲットが現る。
これはなんていうか、普通サイズも用意しているということでしょうか。
バゲットはある程度の大きさがあればあるほど内包する空気の量が多くなり、おいしく焼けると聞いている。
そういう事情があるのかな?
不思議そうに眺める私の姿を見て、作り手のミーナさんが真相を教えてくれる。
「いや、それは小さいサイズで間違いない。ハティの小さいサイズだ」
「あぁ~なるほど。我々には普通サイズに見えるけど、彼女にとっては小さいってことですね。普段からどんなサイズのバゲットを食べているのでしょう」
「そんなことよりシチューを食べるんだ。すみれと一緒に作った自信作だぞ。右からマンゴー入りの甘口。真ん中は隠し味にリンゴを入れた普通のやつ。最後はブラックコーヒーを入れたビターなやつだ」
なんと、ブラックコーヒーを入れたビター味ですと。
マンゴー入りの甘口とか、リンゴを溶かした普通のシチューはなんとなく味の想像がつく。
でもコーヒーを入れたものというのは食べたことがない。これは試しておいて損はないでしょう。
お玉を入れるとゴロゴロと音を立てて転がっていそうな大粒の野菜。柔らかくなるまで煮込まれたお肉にぶつかる。
なんという存在感。シチューが煮込み料理とはいえ、この具材の量は半端ではない。
油断するとすぐにお腹いっぱいになってしまうやつです。
さて、新境地へいざ参る。
たしかにビターな味わい。だけど思ったより尖った様子はなく、ビターな苦みはマイルドな仕上がりになっているよう。
野菜の甘味がそうさせるのか。これは何か秘密がありそうです。
問うと待ってましたとすみれちゃん。
自信に満ちた表情をして元気いっぱいのウィンクを飛ばしてくれた。
「よく気付かれましたね。コーヒーの苦みだけだと少し味が尖ってしまうので、ある工夫をしてマイルドにしました。それは――――」
「それは……?」
「使っているお肉なんですが、特に脂身の多いすじ肉を選んで使っています。お肉の脂から出る独特の甘い旨味を多めにしたので、マイルドなビターを実現しましたっ!」
「なんというワンダフルアイデア!」
なるほどそういうことなんですね。
これには驚かされました。そんな方法で角を丸くするとは思ってもみなかった。とってもワンダフルです♪
思ってもみなかったと言えばやっぱりユノ先輩。
なにやらお玉を鍋に入れて、出しては入れて出しては入れてを繰り返す。なんか嫌な予感。
嫌な予感っていうのはどういうわけか当たるものです。
人間の生存本能がそうさせるのでしょうか。本能的に危険を察知する能力がそのまま活かされているのでしょうか。
なんにしても今、先輩が行っている蛮行を止めなくてはならない。そう思ったのは間違いではない。
お椀の中にはシチューと、お肉。そしてお肉。またお肉が入っている。
野菜ゼロ。
この人、本当に中身が子供すぎる。
あざといのを狙ってやってるんですか?
そういうのはバカな男の前でやって下さい。
「恥ずかしいことしないでもらえます?」
「お肉が……おいしそうだったから…………」
そういう話しをしてるんじゃありません。
「じゃがいもやニンジンもおいしいと思いますけど」
「それはまぁ……うん、そうだろうけど…………」
ベレッタちゃんの助言も虚しく、彼女は生返事を返すのみ。
そうだろうけど、と言いながら、野菜を戻してはお肉だけを取り分ける。
久しぶりに暴力に訴えたい気分になりました。
でも我慢です。私は大人だから。
「ここまで言ってもまだお肉だけ狙って取りますか。いい加減にしないと怒りますよ!?」
「――――?」
え、なにこの人。本気で悪気ないの?
タチが悪いんですけど!?
もうやだこの人。
ほんともうほんとなんなのこの人。
同僚だったら殴り飛ばしてるところですよっ!
常識人のベレッタちゃんにだってドン引きされてるじゃないですか。
このままではベレッタちゃんがベルンに来てくれませんよ。
そうなると私の負担が今まで通りではありませんか。
貴女のもとで勉強するのは自分のためになるのですが、同時にストレスも増えるので勘弁して欲しいものです。
天然の奇行を許容するにも限度がありますからね。
あ~~も~~殴りたぁ~~~~いっ!
「ユノさん、お肉が好きなようですが、ビーフシチューは野菜もおいしいですよ? お肉ばっかりだとシチューの楽しさは半分です。お野菜も全部食べて全部です。はい、どうぞ♪」
なかば無理やりにユノ先輩から器を奪い取り、お肉を野菜と強制交換するすみれちゃん。
屈託のない笑顔で野菜もおいしいと諭すことで子供大人もそれ以上はつっこまない。
勧められる通りに具材を口の中に放り込み、おいしいと舌鼓を打って頬を緩ませた。
そう、これ。
こんな感じ。
こんな風にしてユノ先輩の心を手の平で転がすの。全くのイヤイヤ期というわけでもなければ、人の言葉を聞かないわけでもない。
そっと背中を押すように促してやればいい。彼女の助手になるためには必須能力。
私のように怒りに任せてどうにかしてやろうとか思ってはダメなのです。
ダメなのですっ!
近いうちにユノ先輩の毒牙にかかるであろうベレッタちゃんの両肩を揺らすようにして大切なことを教えているというのに、彼女は『自分にはこんなこと、できる気がしない』と生返事をしているではありませんか。
今からそんな弱気でどうするのっ!
そんなんじゃ3日ともたずに故郷へ帰るハメになってしまいますよ!?
どんなに真剣にユノ先輩の取り扱い方法やベルンでの真実の姿を語っても半信半疑を貫く少女。
事実を目の当たりにするまでは信じられないと言った様子で目を白黒させるばかり。
嗚呼、これはその時になってみないと分からないやーつのようです。
実際に今、とても素敵なレディがとるとは思えない行動の数々を目の当たりにして、まだ彼女は仕事で疲れているせいだろうと言う。
その通りでもあるけれど、こういう精神が後退を起こす現象は顕著に見られる。貴女はそれをなんとかしなくてはならないの。
もしかしてこれはアレなのだろうか。むしろ彼女にガッツとか心の広さがあるからこそ、今ここにある幼稚園児の行動を見守ることに徹することができるというのだろうか。
それとも特に気にしてないだけ?
スルースキルが高いだけなの?
あ~も~分からなくなってきた。
私がおかしいのでしょうか。
悩みすぎる私が悪いのでしょうか。
よし、ストレスは心と体の健康に悪いので、ストレスの原因については考えないようにしましょう。
そう、今日はユノ先輩の介護を建前に癒しを求めに来たんだから。
どうしようもない子供大人はベレッタちゃんに押し付けて、私は自由気ままに、せっかくの休暇を楽しんじゃいましょう。
半分は仕事みたいなものだったけど、それはまぁこの際いいでしょう。




