炎の芸術
キール酒に続いてマーリンが目立つ回が続きます。
彼女としてはみんなを喜ばせたい一心の行動です。
そういう人は主人公体質と言いますか、周囲を巻き込んで物語を加速させるキャラクターとして非常に強い威力を持っていますね。やっぱり【好き】とか【こだわり】が強いと個性が出ていいキャラクターになると思います。
そんな彼女が残った料理を芸術品に仕上げてあっと驚かせるお話しです。
以下、主観【マーリン・ララルット・ラルラ】
グラスに口づけをしてもう一度、天に杯をかかげて拍手の嵐。労いと感謝の言葉が巻き起こる。
グラスを置いてすぐにみんなの前へ。ひとりひとりの手をとって、お疲れ様でしたと言葉を贈ってビズをした。
売り上げ勝負で優勝したことは嬉しい。
羨望に胸焦がした黄金琥珀の蜂蜜酒が飲めるのだから。
エクセレントを授与されたことはこの上ない名誉。
王の心を動かした者にしか与えられないのだから。
でも最も嬉しいのは、みんなと一緒にキッチン・グレンツェッタをやり遂げられたこと。
大変なこともあったけど、今思えば楽しい思い出だった。
最初は食材探しのためにジャングルへ赴いて、コカトリスなる魔獣を捕獲しに行った。ノリと勢いでなんとかなったものの、ぱっと外国に跳んでしまうのだから、ハティさんの底が知れない。
次は雪国アイザンロック。超巨大な鯨を求めて氷の海を突き進んだ。身を翻した巨鯨の津波で押し潰されてしまいそうになったこともあったっけ。
あの時ばかりは生きた心地がしなかった。ハティさんとマーリンさんのおかげで一命をとりとめ、すみれさんの言葉で命の大切さを痛感した。
グレンツェンに戻ってからも色々あったなぁ。
なんの料理にするかとか、鯨の骨の工芸品を修道院の子供たちに売らせて欲しいとか。
ナマスカールで誤発注した食材を消化して欲しいなんて案件もあった。
やることと問題が積み重なって、どうなることかと思いきや、みんなは楽しく乗り越えてしまうのだから頭が上がらない。心から尊敬してやみません。
「どうした、エマ。遠い目をして意識がどっか行ってるぞ。早くしないと料理がなくなっちゃうぜ?」
ウォルフは楽しそうに微笑む。
貴女の笑顔はいつも私に元気をくれる。
「え、あ、うん。ちょっと今日までのことを思い出してて。そうだね、私もお腹ペコペコだったんだ」
「ねぇねぇこのサラダがすっごいおいしいんだけど、フレッシュサラダに鯨のベーコンと……お塩は天然塩だよね。チーズはこの辺では食べたことないやつよね。もしかして暁ちゃんたちが持ってきたチーズ?」
文字通り子供のようにはしゃぎまくるヘラさん。
まるで母のような、姉のような安心感を与えてくれた。
「はい、お塩はシャングリラ産のダイヤモンドソルト。チーズはリリスさんが持ってきてくれたもので、とても好評なんです。暁さんが持って来て下さったものは食後のデザートにチーズケーキを用意しています」
「まぁなんと! チックタックさんのチーズはお菓子に重宝されますのでナイスチョイスです。ベーコンサラダとチーズの取り合わせは王道かつベストマッチです」
食べるの大好きリリスさん。
お祭りの間中、ずっと食べ続けたらしい。
「他にも鯛とスモークサーモンのマリネもあるので是非ご賞味下さい。それで、ええと……」
「もしかして黄金琥珀の蜂蜜酒のこと?」
そう、売り上げ勝負の優勝賞品。それは誰もが求め、一度は口にしたいと願うもの。
本来であれば、ボトルで手に入るのだが、今回は事情が全く違う。
樽1つ。
そうなると個人で所有するのは困難。ボトルに詰めて受け取るという方法もあるけれど、できるのなら樽のまま飲み干したい。
樽の香りが濃厚に残ったままを堪能したい。
ならばどうするか。最も良い方法は後夜祭で、みんなで一緒に楽しむこと。
きっと1人で飲むより、家族で飲むより、ずっとずっとおいしいに違いない。
私の気持ちをヘラさんに伝えるより早く、彼女は迅速に動いていた。
通用口の扉が開いたところを横目で確認して振り向くと、大きな樽を台車に乗せて運ぶ男性が現れる。
手際よく×字の脚立を組み立てて置いた銘柄は【黄金琥珀の蜂蜜酒】。
待望の蜂蜜酒。既にヘラさんが手を回してくれていたのだ!
失礼にもお礼を述べるより早く、蜂蜜酒の樽に張り付いて深く深く息を吸う。
シェリー酒をベースにたっぷりのグレンツェン特産蜂蜜を織り込んだ珠玉の逸品。
それがなんと、一般では決して公開されない樽の状態でお目にかかれるだなんて夢のよう。
今日ほど生まれてきてよかったと思う日はないだろう。
素晴らしきかな、人生っ!
吸い込まれるように樽へ張り付いたのは私だけでなかった。
気づいたらそこにお酒の魔女。マーリンさんもほっぺをむにゅっとへこませて木肌に押し付けてる。
そのお気持ち、よく分かります。
「あら、エマちゃん。ちょっとごめんね、私も蜂蜜酒を樽で拝んだことはなかったものだから、少し失礼しています」
「いえそんな遠慮なさらないで下さい。樽が目の前に現れたら誰だって香りを楽しみたいと近づいてしまいます。これは仕方のないことです。そう、仕方のないことなんですよっ!」
「気持ちは分かるけど顔をくっつけすぎだ。みんな苦笑いしてるぞ」
ウォルフにたしなめられるも、謎の引力によって体が離れないのだから仕方ない。
そんな2人を見て、親友は肩を落とした。
「ごめんごめん。それより、キッチンの売り上げ勝負で手に入れたものとはいえ、量はたっぷりあるし、ここに集まった人たちにも飲んで欲しいと思うんです。だからみなさんに許可を貰ってきていただいていいですか?」
「樽から顔を離してしゃべれな。それからそういうのはリーダーが号令しろな」
「うん、わかった」
が、離れられない。
離れたくない。
あぁ、頬が緩む素敵な香り♪
「――――――お前、離れる気がないだろ」
「離れようと思ってるんだけど、引力がすさまじくて」
「…………分かったよ。あたしが聞いてくるよ」
なぜだか分からないけど、樽から体がぴったりくっついてしまって動けない。
まさか樽に引力の魔法が掛けられているのだろうか。
そんなわけないと思っていても離れたくない。
これは心の問題なのだ。
今はまだこうしていたいという欲望がそうさせているのです。
至福の時間を過ごしながら、同じようにぴったりと張り付いて離れないマーリンさんとお酒トークで盛り上がりました。
10分ほども話していると、さすがにお腹の虫も限界がきた。惜しむらくも料理のほうに足がむく。
さぁさぁどれから食べましょう。どれもみんなおいしそうです。
取り皿をとろうとすると、マーリンさんは思い出したように『あっ』と小さく声を弾いた。
「そういえばさ、鉄板焼きの材料は余らなかったの? お祭りに参加できなかったから、余ってるなら食べたいなって思ってるんだけど。あ、でも無理はしなくていいからね」
「ええとですね、4人分ほどの在庫が冷蔵庫にあるはずです。2日目が終わった時点でそれだけ余ってしまったので」
「3日分を2日で使い切ったんだ。それはすさまじい。そうか、でもそれだと1人で食べるにしても余るし、全員で食べるには少ないな。あっ、もしよかったら、私からも料理を提供させてもらえないかな。野菜も使わせてもらいたい」
「受け取り手が決まっていないのでそれは構いませんが、何を作られるのですか?」
「それはね……野菜炒めだよっ!」
野菜炒め。単純明快な料理に少し驚いてしまう。
マーリンさんほどの経験と料理の腕があるならば、もっと手の込んだ料理を提案してくるものと身構えていたからだ。
時間もそれほどあるわけではないから、短時間で完成させられる料理となるとそのあたりが無難なのかもしれない。
いい意味で意外なチョイス。
でもきっと、マーリンさんのことだからただの野菜炒めではないはず。
なにかしらのおしゃれポイントとかがあるのかも。
期待に胸を膨らませながら材料を取り出し、各種野菜を用意して厨房にマーリンさんを残した。
何か手伝おうかと進言するも、危ないからガラス越しに見ていて欲しいと言う。
野菜炒めをするのに危ないという言葉が出るあたり、やはり一般ピーポーがするような素人芸ではないのでしょう。
彼女が魅せる料理は炎の料理。
瞬間火力の炎の芸術。
鍋に油を回してお肉を投入。最大火力で噴き出す炎。鍋を越えて天井まで届きそうなほど燃え盛る。
カットした野菜を連続投下。具材が宙を舞ってお肉と一緒に踊り出す。と、次の瞬間。ぽんっと投げ入れたお酒に火が点いて、お肉が、野菜が、マーリンさんが炎の中へ姿を消した。
業火は天を衝き、真っ赤な焔は人々の目と心を釘付けにする。
何も知らない人が見ればボヤ騒ぎ。消防車を呼んでもおかしくない。
実際、大丈夫なのかコレって声が漏れている。
数秒、姿を消したマーリンさんは、汗をかくこともなく手慣れた手つきで大皿に料理を添える。
ただそれだけど、炎を巻き起こす芸は素人目に見て凄いと思う。けど、料理的にはどうなんだろう。素人の目にはよく分からない。あまり変哲のないようにも見えるのだけど。
鼻を鳴らして自慢げに広げた大風呂敷。たしかにおいしそうなお肉と野菜のコントラスト。
だけどやっぱりどこにでもありそうな野菜炒め…………のように見えなくもない。
私が料理に関して素人だというのは自分でも分かっていた。それを痛感させられるように、2人の女性の言葉が耳を貫く。すみれさんと暁さんだ。
2人は大皿を見るなり仰天して感嘆のため息をついた。
その理由を見るだけで看破できない私はやはり素人。悔しいけど、経験が全然足りないということなのでしょう。
悔しさを押し殺しながらいざ実食。
キャベツにフォークを刺し、そのままお肉に貫通させる。
高温かつ均一に火の通った野菜は三叉を突き立ててバリッと小気味よい音を奏でた。
お肉は外側がカリッとしていながらも、中がふっくらしていることは感触から伝わってくる。
いかにもおいしそうな見た目、音、匂い、感触。食は五感で楽しむもの。さぁお味はいかがでしょう。
口に放り込もうとした瞬間。何かしらの違和感を覚えた。そうだ、突き刺したキャベツが少しぷらんぷらんと揺れている。
このままでは上手にお口に入れられないかも。ちょっとだけ小さくしておいたほうがいいかな。
ひと口かじって思い知ることになる。
これが炎の料理。
炎の芸術。
パリパリと音を立てて崩れていく野菜。歯を使うどころか、舌で押し潰すだけで簡単に細かくなっていく脆さのなんと繊細なことか。
よく見てみればキャベツがしんなりとへたっていない。これは適度に、しかも一瞬の間で水分を蒸発させられ、形を成している食物繊維に火を通しているからだ。
驚くべきところはそれだけじゃない。超高温にさらされながらも焦げ目ひとつとしてついていないのだ。
なんという超絶技巧。火工を極めると、野菜炒めですら別次元の料理に昇華されるのかっ!
「なんという技術力。感服いたしましたっ!」
「凄い……玉ねぎもピーマンも完璧な火の通り具合。肉汁もしっかりまとっていて両者の旨味が融合している」
料理の分かるすみれさんとアポロンさんが大絶賛。
「こんなパリパリの野菜なんて食べたことない。マーリンさんすごいっ!」
キキちゃんもご満悦。
すごいすごいと飛び跳ねる。
「ふふん♪ これが極めに極めた炎の技術。伊達に長生きしてないからねっ! あ、でもごめん。これは箸文化の料理だから、フォークだと食べづらいかも」
「たしかにそうかも。でもバラバラになったキャベツを余った肉汁と一緒にスプーンですくって食べるのもなかなか新鮮。どっちにしても超おいしい。これをアーディ君のお料理ロボットで作ることができれば。ちらっ」
「努力はしますが多分無理です。繊細すぎて今の技術では不可能かと」
そこはなんとか頑張ってと、背中をバンバン叩きまくるヘラさんはさておき、マーリンさんの技術力は本当に凄い。
できることなら彼女の元で料理修行をしてみたい。
だけどティレットお嬢様たちの元を離れるわけもいかず、言葉にはならなかった。
しかしお友達になれたわけだし、我が家へ招待したり、マーリンさんの家へお邪魔したりしたいと思っています。
その際にはわずかでも彼女の技術を学びたいです。
~おまけ小話『マッシュポテト』~
マーリン「エマの夢って料理人になるんだっけ? それならヘイターハーゼでアルバイトをしながら、料理や給仕の経験を積んだ方がよくない?」
エマ「それもそうなのですが、今はヘイターハーゼでアルバイトを募集していないらしくて機会がないんです。取り急ぎ、パーリーの総菜コーナーで働けたらなって思っています」
グリム「うちならきっと大歓迎です。料理仲間が増えるのは楽しいですし、基本的にレーレィさんと私、今はすみれさんもいてくれていますが、仲間が増えるのは嬉しいです」
マーリン「大事なことだから自然と2回言ったわね」
すみれ「エマさんと一緒にお仕事ができるなら願ってもないですっ!」
サイドチェスト「でもパーリーも今はアルバイトの募集は
グリム「キッチンのリーダーならおいしいお料理だってたくさん知ってるはずです。何も問題はないでしょう。それに料理人になりたいなら向上心だって抜群のはずです」
エマ「おいしい料理…………」
すみれ「エマさんが今日のために作ってくれたのはこれ、マッシュポテトです」
キキ「普通においしいです」
ヤヤ「安心する味です」
アルマ「家庭的な味です」
エマ「そ、それは……褒め言葉ですよねっ!?」
すみれ「もちろんですっ! 焼きたてのバゲットに挟んでよし。油で揚げてコロッケにしてよし。フライドチキンと一緒に食べてよし。ビーフシチューにからめてよし。なんにでも合わせておいしいところはなんだかエマさんっぽいです」
エマ「私っぽい!?」
ミーナ「あれだな。エマって誰とでも仲良くできるじゃん。だから自然とそういうチョイスになるんじゃないの?」
エマ「そういうものなの……?」
すみれ「ですです。それってとっても素敵なことです」
マーリン「そうそうなかなかそういうのは…………あ、1人心当たりがあるわ。でも友達が多いってのは本当に素敵なことよ。普通でいられるのって、とっても特別なんだから」
エマ「そうでしょうか。そうですね。そうかもしれません。これからも普通でい続けられるように頑張りますっ!」
アルマ「ですです。普通最高っ!」
シェリー「アルマにそれを言われても説得力がないな」
炎と料理の関係は切っても切れないものです。弱すぎても強すぎても素材のよさを活かせない。非常に繊細な存在です。
エマはなんにでも合うマッシュポテトのような存在。どこにでもいられて、どんなものにもぴったりと合ってしまう。こういう人はなかなかいません。普通でいられることのなんと特別なことでしょう。
次回は、素敵なネックレスを見て興奮したルーィヒが語尾に【だな】をつけまくる話しです。




