心の底、素直な気持ちを 2
以下、主観【エマ・ラーラライト】
お昼を過ぎて午後2時半。ついに閉幕のカーテンが降りる。
非日常から日常へ。夢の終わりが始まった。
朝、ペーシェさんが言っていた名残惜しいという言葉。本当に、本当に重く胸にのしかかってくるようだ。
それだけ彼らと過ごした時間は愛おしくかけがえのないものだったことを証明していた。
だけど、だからこそ、私たちには明日がある。立ち止まってはいられない。
だってこれから後夜祭があるんだもの。めいいっぱい楽しまなくてはいけません。
厨房の整理。足りない食材の買い出し。清掃から調理まで、まだまだまだまだやることは沢山あるのです。
ガッツのポーズで気合を入れて切り替えましょう。まずはこれから始まる鯨の骨で作られた家具のチャリティーオークションの準備です。
出品用のものとすみれさん宅へ届ける用のものとを分け、出品用のものはシャッターの前に並べておく。
ちょうどよいタイミングでエキュルイュのエリザベスさんと職人さんたちが登場。中古になった家具の手入れをしたのち、キッチン・グレンツェッタの目の前でオークションが始まった。
それぞれに上限価格が設定されており、各商品には値札と一緒に箱を置いておく。箱の中に希望購入価格を書いた紙を入れていくシステム。
通常のオークションであれば青天井の価格設定で最高値を付けた人が落札という形になる。
しかしここは整備されたオークション会場ではない。だから不正な価格のつり上げを懸念して、直入札の形式が採られた。
これならば入札者同士のやりとりがないため、相手に干渉することはできない。
「丁寧に使ってくれたみたいだから、あんまり傷もないようで良かった。これなら結構な値段がつけられる。つっても、あくまでチャリティー。正規品の10か20分の1の値段の予定だけどね」
点検を終えたエリザベスさん。我が子のように鏡面を撫でる。
これから旅立つ彼らの幸せを願っているようです。
「値段も大切ですが、大切に使って下さる方のところに渡って欲しいです。我々が漁をした鯨さんですし、勝手ではありますが、思い入れがありますので」
「それはきっと大丈夫だよ。決して安い買い物ではないし、手前ながらこれは本当にいいものだ。それにキッチンのみんなの思いも籠ってる。そういうのって、語らずとも感じられるものなんだよ。だから安心して」
語らずとも感じられる。そういうものなのでしょうか。
そうだったらいいなと思います。
全員で掃除を終え、男性陣は買い出しのためにスーパーへ赴き、女性陣は食事の準備と意気込みます。
あ、決して性別で仕事の分担を決めたわけではありませんよ。やりたい仕事を自ら選んだ結果です。
買い出しには自分で食材を見に行きたいと言って、ミーナさんもついて行きました。
料理の下ごしらえなら任せて欲しいと、アポロンさんは厨房に残っています。
すみれさんは自分の得意分野ということもあり、気合を入れて特製ビーフシチューを煮込んでいる。
かぐわしい香りがふわりと鼻をくすぐるたびに、お腹の虫が喜んでしまいます。
ハイジさんも故郷の料理を振舞って下さるとかで、ガーリックをたっぷり使った料理なのだそう。香ばしく炒められたニンニクと胡椒の匂いでついつい振り向いてしまいます。
へとへとに疲れ果てたアルマさんたち御一行も合流。
元気いっぱいの少女たちも、緊張の糸が切れたのかうとうととして微睡んでいる。椅子を並べて横にして、今しばらくはお休みなさい。
小さな体で走り回って元気な笑顔をいっぱいに振りまいて、多くの人々を楽しませたのだろう。
彼女たちの満ち足りた寝顔を見ていると、私たちまで幸せになる。
次のお客様はレレッチさんとグリムさん、それに外国からわざわざお越しになったルクスアキナさんの3人。
彼女たちのかき氷屋さんもたいへんな人気があり、連日長蛇の列を作って熱気沸き立つお祭りをさらに盛り上げていた。
というのも、超絶セクシー美女のルクスアキナさんが看板娘をしており、道行く人の目を奪っていたからというのも大きい。
それはもう揺れる揺れるお胸…………ミステリアスな紫色の長い髪。大きくはだけた背中。そして巨大な2つのウォーターメロン。
男女問わず2度見してしまう御姿は、その場の誰よりも注目を集めた。半端ではない集客力。
最後に現れたのはミレナさんと、ソフトクリーム製造機を携えた工房長のデルレンさん。
そしてみんな大好きヘラさん。最も多忙なヘラさんが表彰式の前にこんなところへいらっしゃるとは。もしかしてわざわざ労いの言葉を贈りに来てくださったのでしょうか。
なんと嬉しいことでしょう。
ヘラさんは市長であるゆえ忙しく、基本的には見回りと庁舎での雑務に追われている。
お祭り最終日は表彰のための準備と打ち合わせで時間が埋め尽くされているはず。
それを押してのご登場に一同は興奮気味。お疲れ様と労い、固い握手を交わして回る。
労いと、それからもう1つの用事のために彼女はここにいた。
用事とは、売り上げ勝負で入賞した代表者を迎えにきたこと。
つまり我々は勝ち得たのだ。少なくとも、黄金琥珀の蜂蜜酒を口にすることができる。よっしゃあっ!
「あらあら、まだ分からないわよ。だってマーベラスとエクセレントがあるんだから。名誉ではあるけれど、そっちの2つには蜂蜜酒がついてこないから」
歓喜して、不確定な未来に肩も頭も落ちてしまった。
「た、たしかにそうですね。過度の期待は……禁物ですね……はぁ……」
「そんなに深いため息をつくなよ…………なんにせよ、表彰に出られるんだから名誉なことじゃないか。初出場でいきなり壇上に立てるだなんて、最高の思い出になるじゃん」
「そうだけど、とてつもなく緊張する」
ウォルフの励ましも虚しく、願う未来が来なかった時のための心の準備をした。
自分で勝手にテンションを上げまくった挙句、落とされたら精神が死ぬ自信がある。
テンションを低空飛行させよう。と、深呼吸する私の前でヘラさんの爆撃発言が続いた。
「まぁまぁ、壇上に上がるのはエマちゃんだけじゃないから。レレッチちゃんとアルマちゃんも一緒だから安心して」
「「――――――えっ!?」」
突然投げられた言葉に硬直してヘラさんを凝視する2人。
なんと、声を掛けに来たのは私だけではなかった。レレッチさんとアルマさんも一緒。見知った人が一緒なら少し安心できる。
知らない人の中に1人だけぽつんとしていると、なんだか場違い感を感じてしまって、いても立ってもいられなくなる自信があった。
それにしてもまさか知り合い2人と一緒に賞をもらえるなんて感激です。
できればキッチンのみんなと一緒に行きたいけれど、場所と時間の都合もあって代表者のみ。
表彰の様子はグレンツェンで放送されるラジオと各局のテレビ局が生中継で届けてくれる。だから一緒じゃなくても一緒に喜びを分かち合えるのです。
後夜祭の準備にいそしむみんなに手を振って、しばしの別れと相成ります。
付いてくるようにだけ言って背中を見せるヘラさんのなんと楽し気な声色だろう。
市長になってからずっと、いやそれよりも前からお祭りを楽しんで、肌で感じて、自分の手でもっともっと盛り上げたいと考えてきたのだろう。
道行く人の笑顔を見れば分かる。心の底からお祭りを楽しんでいる音が響いていた。
彼女が街を通るだけで人々は言葉を交わし、手を取っては労いの言葉を贈る。目の前にこの世界で最も素晴らしい女性の姿がある。
誰からも慕われ、尊敬される我らが市長。私もいつかこんな人間になれたらな。
と、そんなことを考えながら茫然と歩いていると、耳に触れる周囲の人々の声が頬を紅潮させていく。
このタイミングでヘラさんの後ろを歩いているということは、今年の受賞者は彼女たちなのだろうか。
スーツの少女はキッチンでリーダーをしていた子だ。
ふりふりフリルの女の子は空中散歩の発案者じゃないか。
桃色の目をした子はかき氷屋さんの女の子。
みんなよくご存じでいらっしゃる。
そんなに目立ってたかな。レレッチさんはかき氷を直接販売していたから覚えているのは分かる。
アルマさんも見た目が派手でよく目を引くし、一番目立つ場所にいたのだろうからして、多くの人の記憶に残るのも分かる。
しかし私はキッチンの中を巡回しながらみんなのサポートをしただけ。
すみれさんやシルヴァさんのように受付には立たなかった。
ルーィヒさんとペーシェさんのように、お客さんと直接接触した場面も殆どない。
ホールスタッフのような仕事もしたけど、食器を片付けたりテーブルを拭いたりといった地味な作業。
思い当たる節があるとすればハティさんの存在。背も高く、目の覚めるような美人のハティさんと同じ格好をしている私も、一緒くたにして覚えられていたのかな。
支配人のネームプレートは胸に付けていたけど小さくて見えないだろう。きっとハティさんのおかげなのだろう。
実際には、休憩時間にかき氷を食べに行った際、迷子になった女の子を笑顔にして両親に引き渡した人として知れ渡っていた。
そんなところで有名になっているとも知らない私は、良くも悪くも落ち着いた心持ちでいる。
褒められるのは好きだ。だけど、大手を振ってよいしょされると照れくさくて上がってしまう。
きっとまともに歩けないだろう。赤面必死で逃げ出したくなるに違いない。
高揚を感じながらも、平常心を保てる程度の呼吸をもってテントの中へ入った。
数名のスタッフと椅子に座った1人の女性がいる。グラマラスでセミロングの金髪が印象的。開放的なファッションはその人が快活で飾り気のない人柄を象徴している。
彼女はアンナ・ブロークンフィールド。マジカルウェザーショーの発案者であり代表者。
ベルン寄宿生4年生の彼女は今年で学校を卒業し、ベルン第三騎士団に主席で入団予定。
騎士団で仕事をしながら龍脈と魔導災害に関する研究を続け、ゆくゆくは故郷で保安官をしながら対魔導災害の魔導防殻の研究と製作をしていくというスーパーレディ。
今回のマジカルウェザーショーはあくまで開発したウェザーボックスが展示物として機能するかどうかの確認。
それから、各国防衛省魔導災害対策課の人々に実物を見せ、魔導災害の対策を研究するための材料として公開・提案する意味も込めての開催だった。
まさか売り上げ勝負で入賞するとは思っておらず、撤去の準備を進めていた時、担当者から呼び出しを受けた時は驚いたと嬉しそうに語っている。
魔法のことになるとアルマさんがのめり出し、根ほり葉ほり聞こうと戦闘態勢に入った。
好きなことにとことん積極的なアルマさん。そこが眩しい輝かしい。
キラキラ光線を放つアルマさん。残念ながら遮るように運営スタッフがやってきて、これからの段取りの説明に入ってしまった。
言葉を摘ままれた少女はやや不機嫌そうに眉をひそめながらも、大人の指示に従いながら必ずチャンスをものにしようと猟犬のような鋭い眼光を放っている。
「なるほど。呼ばれたら前に出て賞状を受け取る…………と。その際にひと言欲しい、ですか。頭が真っ白になりかけていて何も思いつかない」
人見知りの強いレレッチさんには荷が重そう。
かくいう私も逃げ出したい。
「なんでもいいんじゃない? ありがとう、とか。これからもがんばります、とか。思ったことを言えば。ほらほらリラックスリラックス♪」
場を和ませようとしてくれるアンナさんには悪いけど、頭が真っ白になって何も考えられません!
「と、とはいえ、そこまで簡単だと申し訳ないという強迫観念を感じます。アルマさんはどうですか?」
「特に何も考えていません。その時思ったことを言います」
「…………すごい」
その時思ったことって言われても、その時、頭が真っ白になったら何も言えないわけで…………あぁ、こういうアドリブとか苦手だなぁ。
カンニングペーパーを作ってもいいかなぁ。
そんな時間もなく、控えの椅子に誘導されてヘラさんとベルン国王が壇上に上がられた。
もう猶予はない。
しかし何も頭に浮かばない。
ごめんみんな…………たぶんへんなことをいうけどゆるしてっ!
決戦の火蓋は落とされた。お決まりの口上から始まって、ヘラさんとベルン国王の簡単な挨拶。あっという間に表彰式。
どうどう巡りの思考回路に陥って、何も思いつかないあいだに我々の出番が来てしまった。
まずは第3位からの発表。最初に名前を呼ばれたのはアンナ・ブロークンフィールド。
レナトゥスの宮廷魔導士やベルン寄宿生OBの協力などもあり、採点の際には大幅なポイントの減算があったにも関わらず、3位入賞の功績を得る。
レナトゥスを擁するベルンの国王として誇り高いと、冠を頂く男性は珍しく鼻を鳴らした。
最後にひと言とマイクを渡され、彼女は生まれ故郷の過酷な環境と、そして自分の夢を語る。
天災はもちろんのこと、魔導災害の多い土地で生まれ、育ち、故郷を離れていく多くの友の背中を見送った。
時にはもう2度と会えない背中をただ茫然と眺めることもあったという。
そんな土地だけど、故郷だから、なんとかしたくてベルンに来た。
龍脈と魔導防殻の研究と開発を行うレナトゥスでなら、きっとその足掛かりが見つけられる。
死に物狂いで勉学に励み、やっとここまでたどり着いた。まだまだ先は長いけど、今日より明日は素晴らしいものにするために歩んで来た。
その道のりは決して自分1人では無理なもの。支えてくれる仲間がいて、先達がいて、応援してくれる家族がいて、今ここに胸を張って自慢できる自分がいる。
これからも故郷のために、誰かのためにいられる自分であり続けたい。
感謝の言葉で締めくくり、頭を垂れる姿を見た観客が、記者が、ラジオやテレビを通じて彼女の想いを受け取った人々全ての胸に熱が籠り、鳴り止まぬとすら思わせる拍手の渦が巻き起こった。
会場にいた誰もが立ち上がって目を輝かせる。彼女の描く素敵な未来を信じて!
次に呼ばれたのはレレッチ・ペルンノート。妖精のかき氷の名前に偽りなく見た目・味ともに最高の出来栄えだった。
商品のクオリティの高さもさることながら、広告の完成度、食品サンプルの完成度共に初出店のものとは思えない美しさと細部にまでこだわった、まさに芸術的な屋台だったとの評判をいただいている。
なにより売り子の目立ち方がえげつなかった…………。
ともあれお姫様もあまりのおいしさと独特のふわふわ食感のため、全種類を食べ尽くしてしまうほどの人気ぶり。これは世界中で流行すること間違いなし。
実はレレッチさん、かき氷というより実家の農場で栽培している果物のおいしさを宣伝するつもりで屋台を出していたそうな。
ただ果物そのものを売るでなし、タルトやケーキよりももっと見た目にインパクトと中身に意外性のある商品。
色々と探して図書館を彷徨っていた時、ある古文書からかき氷に行きついた。
最初はただそれだけの理由。だけどおいしいと、良い着眼点だと褒められて、想いが一気に加速していく。
ヤヤちゃんからは門外不出のイエローダイヤモンドを授けてくれて、ふわふわきらきらの雪山に後光が差した。
フライヤーの作成も乗り気ではなかった。それなりにできていればいいだろうと。するとペーシェが手を貸してくれて、本当に素晴らしいものが出来上がる。
キュートだけどちょっぴりセクシーな印象を与えるポスター。モノトーン調の背景に浮かび上がる果物の色彩は、私の心の中で広がっていく。
もっと素敵なものにしようと、食品サンプルまで作ろうと提案してくれる人まで現れた。
彼は別の企画を持っているのに、真剣にいくつものデザインを提案してくれて、徹底的に仕上げてくれる。あたかも本物の妖精が魔法をかけているような、メルヘンでファンタスティックな幻想的な世界。
誰もが夢に見た童心の思い出。
そう、それは自分の中にもあった。母が私のために作ってくれたカンポットをおいしそうに飲むと、自分のことのように喜んでくれる。
最後に残った果実をヨーグルトと一緒に混ぜてよく食べた。
その時のことを思い出しながら今、私はここにいる。
彼の日、朧気に映る記憶は幽かでも、確かに眩しく輝いていた。
思い出して、私にもあんな景色を描き出せたなら、きっとこの世で最上の気持ちになれるに違いない。
娘の幸福を願う母のようにいられたら、それはどれだけ幸せなことだろう。今まさに、その気持ちが胸にある。
この胸に燃ゆる感情を、誰かにもたらせたなら――――そんなことができるのかどうかは分からないけど、これからももっともっと頑張ります。
足早に駆け抜けた彼女は大きくお辞儀をし、天をも割れんばかりの喝采に包まれた。
最後に呼ばれたのはエマ・ラーラライト――――――――あっ、私だ!
2人の演説に聞き惚れて何も考えていない。せっかく時間があったのに…………いや、それは無理というもの。あんなに情熱的な胸の内を聞かされて、耳を傾けない人なんていやしない。
きっとそれは本心だから。
ありのままの本音。
嘘偽りない純粋な気持ち。
だから人の心を惹きつけて、熱は伝播し、焚きつける。
私にも……そんなことができるだろうか。
できるかどうかじゃない。
やれるかどうかでもない。
ただ私の、今の気持ちを伝えるだけ。
せめて私に、私たちに、私たちに期待を寄せて訪れた人たちに、感謝の言葉を伝えるだけ。
「私は……最初はリーダーじゃなくて、任されてなって、すごく不安でした。頼れる人たちばかりで、頼りっぱなしで自分に何ができるんだろうって考えていました。支えてくれるみんなのために、私は何ができるんだろうって。正直に打ち明けると今もまだ分かりません。それでも今日まで関わってくれた人たちに何か恩返しがしたい。自分に自信が持てる自分になりたくて。今日まで頑張ってきました。それから、えぇと……いろんな人と出会う中で少しは変われたのかも。あ、あぁすみません。自分のことばかり!」
死ぬほどてんぱって涙目になる。
帰りたい。壇上から飛び降りたい!
「大丈夫大丈夫。意識して立派なことを言わなくてもいいのよ。素直な気持ちをひと言で言い放ってしまっていいんだから。焦らないで♪」
聖母のように優しく微笑むヘラさんマジ女神。肩を抱かれて少しだけ気持ちが楽になりました。
それではお言葉に甘えまして、短くまとめさせていただきますっ!
「あ、はいっ――――――ひと言で言うと、我々を助けてくれた皆さんと、仲間と、訪れてくれた人みんなに…………ありがとうございますっ!」
地に着くほど思いっきり頭を下げて、顔から吹きあがる火の粉を必死で隠す少女が1人。
自分で何を言っているのか分からなくなってパニックになって逃げだしたい。
穴があったら埋まりたいっ!
このまま顔を覆って帰りたい。あまりに素っ頓狂な演説のせいか会場は沈黙で満たされている。
よし、このまましれっと席に戻ろう。そうすれば残り2つの受賞を終えたのち、全力ダッシュでキッチンへ帰るのだ。
人生史上最大最速の逃げ足を披露してみせる!
深呼吸をして、おそるおそる顔を上げる私の前に立ちはだかる人の波。スタンディングオベーションと拍手の渦で沈黙が掻き消されてしまう。
茫然と立ち尽くす。こんなのでよかったのだろうか。そんな言葉が浮かんですぐに盛大な喝采の中に消えていく。
会場を照らすライトは眩しく、照らされる人の笑顔、花壇に咲き誇る花々、噴水の水の飛沫も、反射するレンガの影も、まるで私たちを祝福してくれているかのように映った。
一身に称賛の声を受けて恍惚に酔う。それはこの世のどんなお酒よりも強く、体を熱くさせる魅惑の美酒。
こんな感覚は初めてだ。
こんな感覚も……いいものだな。
目録と賞状を受け取って席に戻る。まるで夢から覚めた微睡みのように、ふわふわと体が揺れて倒れてしまいそう。
本当に1位を勝ち取ったんだ。
私と、キッチンのみんな。
それだけじゃない。
ダイナグラフの王様。
アイザンロックの漁師さん。
巨牛をくれた名も知れぬ牧場主。
青白く輝く家具を掘り出してくれたエキュルイュの職人さん。
ありえないほどの奇跡的な出会いのおかげで今、私はここにいる。
なんて、なんて素敵なことなのだろう。丁寧に思い返していくうちに、体の奥底から感謝の想いが込み上げてきた。
みんなの元へ戻ったなら、いの一番に伝えたい。
ありがとう、って。
何度でも、何度でも。




