一期一会の白昼夢 5
きらきらと輝くオルゴール。温かな照明の光に照らされて、鈍く優しく映る立方体の美しさたるや、言葉にすることができません。
ネジを巻けばぐるぐると速足で回る歯車。
カチコチと小刻みに進む歯車。
耳を澄ませばピンを弾く音以外にもさまざまな鼓動を聞かせてくれる歯車。
きっとこれはアルマの宝物になるでしょう。
一生大事にしていこう。
それじゃあそろそろ、と痺れを切らしたリリスさん。ショコラへ向かうのかと思いきや、メニュー表を掲げて指を差した。
これまた立方体。トーストを一斤まるまる素揚げにして砂糖をまぶし、アイスクリームにチョコレートをコーティングした焼き菓子。
さくさくウェハースにチョコがしっかり染みたパフ盛りだくさんのゴージャススイーツ。
まさにカロリーの爆弾と呼ぶにふさわしいそれは、いつかの朝食で見たことがあるような……。
ここに無いショコラのチョコレートケーキより、ここにあるスイーツトースト。
リリスさんが早くおやつの時間にしようと心を急かす。
まんざらでもないシェリーさん。小さい頃は修行の毎日。女の子らしいことができなかったため、大人になったらめいいぱい女の子っぽいことをしたいという反動を持っている。
くわえて、騎士団に入団してからも鍛錬の日々。騎士団長になってからは外面の体裁も気にしなくてはならなくなって、女の子らしいことができるのは自宅のみ。
彼女だって気の置けない仲間たちと思いっきり乙女ロードを驀進したいと思っています。
ベレッタさんも目を輝かせてそわそわそわそわ落ち着かない。謙虚で奥ゆかしく、自分の立場を強く自覚している彼女は常に節制を第一に考えた。
着る物の種類も少なくいつも古着。
下着以外で新品を買うことはなく、身の回りの物も寄付かお古のものばかり。
唯一の自慢は長い髪。シャンプー代を気にして短く切りそろえようとしたところ、シスターに説得されて髪だけは伸ばしている。
リリスさんはお姫様。優雅に見えて不自由な生活を強いられていた。
成人してからは難癖付けて遊びに出かけるものの、お姫様という立場を忘れず、振舞う姿を決して崩したりはしない。
賢く、強く、誠実に。
しかし今はただの女の子。欲望爆発。思い立ったら超特急。急ぎ足になるのも無理はない。
席はカウンターが7つ。4人座りの席が5つに8人席が2つ。となれば選択肢は限られている。
奥の右側8人席に座るより他にない。というのに、リリス姫はひと席ひと席を吟味するように入っては次に進み、窓の外の景色を楽しんでは楽しそうに踊り出る。
何をそんなに楽しくしているのだろう。たしかに外の世界、しかも異世界の景色は彼女にとっても未知の体験。
どんな些細なものも輝いているに違いない。だけどここはカフェ。全部違う装飾なんてことはないはずだけど。
しかも路地の中にあるのだから、外の景色といっても人通りがあるくらいか。街行く人を見るのは……それはそれで趣きがあるのは認めよう。
でもだったら、わざわざ全部の席に飛び込まなくったっていいのに。
思いながら、それでもとりあえず何があるのだろうとリリスさんの轍を目で追うアルマ。
するとどうでしょう。窓の外に信じられない光景が広がっているではありませんか。
火炎渦巻く灼熱の世界。どろどろと流れ出る溶岩と吹き出る火花。空気の摩擦で起こった光は火山雷。
窓越しでは音は聞こえない。熱も感じない。だけどそこに本当にあるような実在感。
窓のように見えるこれは、テレビみたいな液晶ディスプレイ?
とてもそんなふうには思えない。触った感じもガラスのそれだし、液晶なら近づいただけで発光しているのが分かる。
でもそうじゃない。これは明らかに奥行きがある。立体感がある。なんだというのか、これは!
魔法だと言うのか、これは!?
「アルマ、こっちに来て。隣は草原が広がってるよ」
そんなバカな!
ひとつ叫んで現実に驚く。
「嘘!? え、どうしてどうして? 隣はマグマなのに。それじゃあその隣は……わっ、凄い。絵本で見たアトランティスみたい――――っと、失礼しました」
夢中になりすぎて視野が狭くなるのはいけませんな。
頭を新聞に埋めてくつろいでいる、体の大きなおじさんがいた。随分と大きな手。足回りもズボン越しに分かるくらいぶっくりと逞しい。
そそくさと逃げるように駆けるアルマの目の端に、新聞を持つ手の隙間から顔が見えたような気がした。
あれはそう、魚のような目に似ていた。人間というにはあまりにも前かがみな頭部。
もしかしたらガフールさんのような魔人なのかな。
グレンツェンはおろか、数年前の魔族との戦争でそういった種族は絶滅してしまったと聞いているけれど、もしかしたらひっそりと暮らしてるのかもしれない。
4つ目の席は廃墟の街。長い蔓が壊れたレンガの壁にまとわりついて、相当な年季を感じさせる。
寂しいけど、どこか懐かしさを思い出させた。郷愁に耽るにはもってこいの景色。
しかしここにも先客がいる。優しそうな目元が印象的なおばあさん。テーブルには沢山の手紙が山と積まれ、ひとつひとつ丁寧に目を通しているようだ。
ヘラさんを筆頭に実年齢が見た目と不一致な人は多けれど、歳を重ねてもなお、これだけの手紙を送ってもらえるというのは羨ましくある。
それだけ彼女が魅力的な存在ということの証明だ。今は電子機器ひとつですぐに言葉のやりとりができるのに、それと比べて手間のかかる手紙を作って送ってもらえる。
見知らぬ人だけど、なんだかそういうのって憧れちゃうな。
さて、リリスさんがここに決めたと落ち着いた場所の景色はなんと空。
真っ青な青空に浮かぶ白雲が螺旋状に天と地へ伸びている。
窓は開かないようになっているのでへばりついて見える範囲まで見てみる。
しかしやはり空しかない。
陸も海も何も見えない。
これはどういうことなのか。
どうなっているのかと女主人に尋ねても、企業秘密の一点張り。
魔法によるものなのか、魔導工学なのか、それとも物理現象の応用なのか。問うも『いわゆるひとつの奇跡です』とミステリアスな回答が返ってきた。
気になる。気になりすぎて眠れない自信がある。
いっそここでアルバイトをしながら謎を解き明かしたい。残念ながらアルバイトの募集はしていないらしい。くぅっ!
「ごめんなさいね。それで、ご注文は何になさいますか? オススメはハニートーストと烙燿山で採れた豆を使った、当店オリジナルのブレンドコーヒーです」
「烙燿山のコーヒー豆ということは甘露豆か。ここでも飲めるとは思わなかった」
「まぁっ! 甘露豆をご存じなのですか。この辺では非常に珍しい種類だと思っていたのですが」
「甘露豆? 甘露茶じゃなくてか?」
なんと、グレンツェンにも烙燿豆があったのか。
これはよいことを聞きました。
「ええ、甘露茶の茶葉を肥料にして作られたもので、甘味が強く非常にフルーティーなのが特徴的なんです。あたしは緑茶派なんですが、これは特別好きなんですよ」
紅茶派のシェリーさんも暁さんのオススメに沿ってコーヒーを選択。
桜は己を貫いてオレンジジュース。
アルマは最近ハマっているコーラを注文。
メリアローザには炭酸飲料というものはなく、初めて飲んだ時はしゅわしゅわしてびっくりしたものだ。
ペットボトル1本分を買ってしまったので飲み続けていたのだが、途中からなんかアリだなって思って、おやつの時間にはコーラをお供に付けている。
まず先に飲み物が来た。かぐわしいコーヒーの香りが鼻をくすぐるものだから、暁さんのティーカップに目が泳ぐ。
甘露豆を使ったコーヒーならば薔薇の塔19層【黄金郷】に住む獣人さんたちが栽培しているので、いつでも飲めると思って炭酸飲料にした。のだが、おいしそうに飲む姿を見ると、アルマも欲しくなってしまうのはお子様でしょうか。
そういえばオリジナルブレンドって言ってたっけ。よく考えたらここでしか飲めないものではないか。
どうするか。暁さんも炭酸飲料には親しみがないはず。これを餌に暁さんのティーカップを奪取しよう。そうしよう。
自分が注文したものを飲み終えて新しく注文すればいい、などという考えはおきなかった。
片隅にはあったのかもしれないけれど、暁さんの飲んでいるコーヒーが欲しかったのだ。
本当に子供っぽいと思われるかもしれないが、『暁さんの』だからいいのです。
言葉巧みにかどわかし、コーヒーとコーラをチェンジ。ふぅふぅ冷ましてひとすすり。ふたすすり。そのまま一気に飲み干した。
うまいっ!
黄金郷で飲ませてもらったものは鼻を抜ける芳醇な香りと、舌に残り続けるほのかな甘みが特徴的だったのを脳裏が覚えている。
これはそれにくわえ、心地よい苦味と酸味がいい具合に調和されて、なんていうか凄いおいしい。
こんなにおいしいコーヒーは飲んだことがない。
対して暁さんの反応はいかに。珍しく眉をへの字に曲げて目をしぱしぱさせている。
これはかなりレアな暁さんではないでしょうか。
笑顔の印象が強い暁さん。苦虫を噛み潰したような表情をして何かを深く考え込むように黙りこくって停止した。
思考速度の速い暁さんをフリーズさせるとは。
コーラ、恐るべし。
「…………これはなんていうか。なんなんだろう? 辛い?」
「え、辛い?」
辛味成分なんて入ってないはずなんだけど。
もしかしてクラフトコーラだった?
「辛い……ですか。もしかしたら炭酸のしゅわしゅわする刺激が苦手なのかもしれませんね。しゅわしゅわが苦手で、炭酸飲料を飲まない人って結構いるって聞きます」
ベレッタさんのしゅわしゅわのジェスチャーがかわいい。
目をきゅ〜っとしぼませて、体を縮こませ、体を左右に小さく回転させる。
これが天然かわいいというやつか。
アルマがやったらお笑い種にされそう。
「それはよく聞くな。暁は初めて飲むようだが、もしかして親御さんに止められてたとか。子供に炭酸飲料を与えたくないって親も結構いるらしいが」
「炭酸飲料……というものは初めてです。親に止められていたとかではなくそもそも………………………………いえ、とにかくあたしには合わないみたいです。っと、コーヒーは全部飲んでしまったか。どうだアルマ、おいしかったか?」
「あ、はい、すみません。おいしくて全部飲んじゃいました」
本当においしい。
コーヒーが愉しめるというだけで、ちょっぴり大人になった気分。いや、がぶ飲みしてる間はおこちゃまかな。
「このコーヒーは本当においしいですね。さすがオーナーさんのオススメなだけあります。もう1杯頂いてもいいですか?」
かわいくおねだりするリリスさん。
仕方ないなと肩を落として笑顔を向ける暁さん。
「奢ってもらうのが前提なんだな。勿論いいよ。好きなだけ堪能しなさい。でも、体を壊さないように適度にな」
「暁さんだぁ~いすきっ♪」
話しをコーラから逸らしてリリスさんの頭をなでなでする暁さん。シェリーさんもベレッタさんも、些細なことと思って気にも留めていない様子で安心した。
はぁ~~~~………………っぁあぶねぇッ!
今、暁さんが、メリアローザにはそもそも炭酸飲料なんて存在しない、とかって口を滑らせようとした。
そんなことになれば大惨事。奇異な目で見られること間違いなし。
肯定はしていないものの、メリアローザ、つまるところアルマたちの出身は倭国ということになっている。
そこにコーラがないなんてことになれば、おかしいと疑われる可能性大。
ひと通り倭国のことについて調べてはいた。過去に島国独自の発展を遂げ、一時は他国との国交を分断していた時期はあれど、近代は国際交流の盛んな国のひとつ。
そんな国に全世界で親しまれている物が存在しないはずがない。場所によっては本当に知らない人もいるのかもしれないけれど、コーラの認知度は一般的に常識の範囲内。
くわえていえば暁さんはギルドマスター。彼女らの中ではベンチャー企業の社長的な位置付けでいる。そんな立場の人が浅学菲才なわけがない。
信じてもらえないだろうけど、異世界人だなんて知られたら勉学に励むどころではなくなってしまう。
ここはぐっと我慢ですよ、暁さん。なによりそれっぽい話題につっこむのはやめて下さい。
アルマがコーラを押し付けたのが原因ですけど。




