春風の妖精 11
風呂――――全身を湯舟に沈め、1日の疲れを癒す至福の時間。
なのだが……思ってたのと違う。ヘラさんの家の風呂はシャワーから流れるあったかい温水を頭から浴びて全身を洗うタイプのもの。
湯舟らしきものは外へ水を出さないためのものであって、水を溜めて浸かるということはそうそうしないらしい。
なんてこった!
風呂に入った気がしない!
グレンツェンでは一般的にスチームサウナかシャワー。アルマたちがシェアハウスで使ってるような、湯舟に水を溜める方式のものは殆ど存在しないらしい。
くっそぉ~…………明日は風呂だけ借りにアルマたちのところへ行ってみようか。
距離的にはここから近いらしい。彼女たちの暮らしぶりを見るついでに乗り込んでやろう。そうしよう。
「お風呂の様式がメリアローザとは違うからどうかと思ったんだけど、どうだった?」
「率直に申し上げますと、なんかちょっと物足りなかったです」
「そうよねぇ、メリアローザはギルド直営の大きな公衆浴場だもんね。私もまた入りに行きたいわぁ~」
ぜひともお越しいただきたい。ヘラさんにはもっともっとよいしょさせていただきたいものです。
風呂上がりの一杯に飲み物をどうぞと促されて椅子に深く腰をかける。と、桜がまたいらんことを言い出した。
「こじんまりした空間でシャワーを浴びるというのは画期的です。あの狭さがちょうどいい感じです。参考になります」
「参考になるの?」
桜の言葉に疑問符を浮かべるローザ。続けようとする言葉をぶった切ろう。
「なんの参考になるかは聞かないほうがいいよ。ギャップで死ぬかもしれないから」
「死にませんよ。私をなんだと思っているんですか。それよりリリスさんと琴乃さんは?」
旗色が悪いと察した桜が話題を変えた。
「2人は明日のためにもう寝たよ。わくわくして眠れずにくたくたで祭りに飛び込むより、さっさと寝てしっかり楽しむスタイルなのがリリス姫だから」
「いやぁ、しっかりしてますね。超行動的だけど堅実派です」
ローザはあたしと桜、母親、自分の分のホットミルクを作ってみんなでひとすすり。
ほっとひと息ついて天を仰ぐ。リリスの千鳥足に楽しく付き合った思い出を反芻し、明日もまた楽しい1日になるだろうと想像が広がる。
明日は今日とは違った賑わいを見せるはず。
屋台の活気も客の歓声も膨れ上がる。
グレンツェンを巻き込んでの大騒ぎ。楽しみですなぁ。
リリスたちを見失わないようにしないと。
さぁ、ここからがあたしの正念場。作戦会議です。
例年のフラワーフェスティバルを知り尽くすヘラさんに、効率的なお祭りの歩き方を教えてもらうタイムの始まり始まり。
右も左も分からない土地。
知らずに飛び込むは愚策の極み。
情報こそが戦の生命線。
であれば知ってる人に教えてもらうが超大吉。そういうわけで、初日はどんなふうに回るのが良いか。各所のトイレの場所はどこか。昼時はどのタイミングから行列ができ始めるのか。
全て把握し、リリスたちに楽しいお祭りを満喫してもらわなくては!
月刊グレンツェンなる雑誌を借り、お祭りのパンフレットと見合わせながら突き詰めていく。
現地の人は抜け道として、チャレンジャーズ・ベイの住宅街を通るとか。
実は公衆トイレ以外にも、店舗内のトイレも使用可の施設が存在するとか。
隠れ家的なカフェやバーが営業していて、ひと休みするにはうってつけとか。
知ってると便利な情報が出るわ出るわ。さすがヘラ市長。勉強になります。
「――――と、まぁ知ってると便利な情報はこんなところかな。旅行客の動き方も例年通じて同じだから、この時間表を見ればどこが空いてるとか丸わかりよ」
「ありがとうございます。持つべきものはヘラ様です。あ、そうそう忘れるところだった。ヘラさんたちにお礼の品を持って来たんです。よかったら受け取って下さい」
「あらまぁ何かしら。わざわざありがとうね♪」
まずは快くホームステイを受け入れてくれたヘラさんに石鹸のプレゼント。
手のひらサイズの卵型。カラフルな色合いとお花の香りが大人気。箱に入った状態は四葉のクローバーを思わせる配置になっている。見た目にもかわいいおしゃれアイテムです。
ひとつひとつ香りがついており、ラベンダーやバニラ、バラの香りなどなど、香料として好まれる8種類の詰め合わせ。
真ん中のつまみを外すと外まで貫通する穴が空いており、水場で使っても水がたまらないようにすり鉢状になっている。つまり箱ごと風呂場や洗面台で使える。
機能的で美しい。贈答品にはもってこいの逸品です。
「まぁ素敵! 毎日の手洗いが楽しくなっちゃうわ」
「本当にかわいいデザインです。もしかして暁さんが手掛けたんですか?」
「いや、これはセチアとリィリィの合作。箱はメリアローザの職人さんが作ってくれたやつ。旅行客から普段使いまで人気の商品なんだよ」
「あっ、あの歌の超上手な金髪の女の子? すごい良いセンスしてるなぁ。女子力高っか」
「で、それはあたしから2人に。それでこっちはセチアからローザに。どうかアルマをよろしくって」
セチアはアルマのことを実の妹のように気にかける。
本当はアルマと一緒に留学をしたかったけど、自分の持ってる工房や農園をほったらかしにすることができず、やむなく留学を断念した。
アルマのことを心配しながら信用していても、やっぱり心配になるのがセチアの性格。
だからグレンツェンで仲が良く、面倒を見てくれそうな人にターゲットを定め、自分の代わりに気にかけて欲しい。と、恥ずかし気もなく説明してくれたセチアはいいお姉さんになれるよ。
いい母親になれるかは怪しいかも。
ある種の賄賂にも似たそれは、とても薄汚い賄賂という言葉からほど遠いほどにカラフルなバスボムセット。
こじゃれた木箱に整列した16個のハイキートーンのボールは、本来の役目を全うする前から女子の心を鷲掴みにした。
蓋を開けた瞬間からいい匂いのワンダフルパレード。
レモンハーブにバニラの香り。ジャスミン、スイレン、月下美人。既に芳香剤としての役割を果たしているそれを消耗品として使い切ってしまうにはもったいない。
キラキラしたローザの目がそう言ってる。実際にその通りの言葉を口にした。
気持ちはすごくよくわかる。だって見た目がかわいいもん。香りもすごくいいもん。1回使ったら消えてなくなると思うと使えないもん。なんかすごいもったいないことをしてるような気がするもん。
娘の気持ちとは裏腹に、さっそく明日使いましょうと興味津々のヘラさん。
綺麗な笑顔で拒絶する娘。
絶対に勝手に使うなと釘を刺す娘。
母親が怯んでいる間に部屋へ走り、鍵付きの引き出しに封印する娘。
そんなに気に入ってくれたのか。今度来る時はもうワンセット買っておこう。
せっかくだから使って欲しい。
何よりヘラさんの背中が切ない。
戻ってきたローザは満面の笑みで感謝の言葉を述べてくれた。落胆する母親を後目に。
「本当にありがとうございます。セチアさんにお礼を言っておいていただいてよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだとも。それとまぁ、アルマが困ってたら助けて欲しいっていう意味があるんだけど…………いいかな?」
「是非もありません。わたしもアルマちゃんともっと仲良しになりたいです。治癒系の魔法と攻撃系の魔法はベクトルこそ違えど、同じ魔法職として尊敬してます。特にアルマちゃんの想像力と行動力、何より魔法で人々を笑顔にしたいという信念に共感しますッ!」
それは心強い。
アルマの信念は多くの人々の共感を得ているようだ。
「それにアダムのこともあるしね。アルマちゃんにとられないか心配だよねぇ★」
ヘラさんまたそんな余計なことを……。
「ちょっ! まっ! 何を言ってッ!」
「アダム……あぁ、あのちょい背が低めでアルマと同い年の。【神童】って呼ばれてる男の子か。なるほど、ローザはアダムにほの字なのね。それは多分大丈夫だよ。アルマの頭の中は『人々を魔法で幸せにする』ってことと、『トカゲ野郎をぶっ倒す』ってことしかないから。その辺はどうなんでしょう、桜先生」
アルマのことをよく知る桜。
即答で断言してみせる姿は自信満々。
「アルマが色恋に現を抜かすなんてありえませんね。もしもアルマが恋心を抱くような事態になっているなら、私は金輪際、公共での下ネタを封印します」
「公共での下ネタは永遠に封印してくれ」
「でも、やっぱり、不安になります。ただでさえ同い年って特別感があるじゃないですか」
「考えすぎでは?」
桜の自信もむなしく、心配性のローザは不安をぶちまける。
「しかも2人とも魔法適正が高いし攻撃色の強い魔法職。アルマちゃんとアダムが楽しく会話をしている姿を見ると……内心、嫉妬の業火でアルマちゃんを燃やしそうになるんです…………ッ!」
「あたしはアルマが燃えてるところもローザが燃やしてるところも見たくないから我慢してくれ!」
「それにそれに、アダムはわたしにはため口で話してくれないのに、アルマちゃんとは同い年ってだけでため口なんです。それを見たらもう……なんだか悔しくて羨ましくて妬ましくてヤバいんですッ!」
思った以上に患ってるな。
そんなに心配することはないと思うが。見たところ、アダムはローザに一直線。よそ見なんてしないだろうに。
「本当にヤバいわね。さすが我が娘。恋愛になると闇深くなるところは私とそっくり。子供って親の似なくていいところばっかり似るのよねぇ…………」
ヘラさんもなんか不安になるようなことを言わんでくださいな。
「そ、そうかぁ……ローザが安心できるように、今度アルマに直接話しを聞いてみるよ」
「それで黒だったらどうするんですかぁッ!?」
「その時は……アダムの判断に委ねよう」
ローザの本気の目が怖い。
これはチャンスとばかりに桜がライブラからお土産のひとつを取り出した。
「そんなローザさんにセチアさんからのプレゼントです。これを嗅いで落ち着いて下さい」
「これは…………もしかしてッ!?」
それは前祝の時、うっかり入ったトラウマ地雷で倒れたセチアが、みんなに迷惑をかけたお詫びにと持たせられたもの。
乾燥された黒い棒。
変なものではありません。
とってもいいものです。
セチアたちが丁寧に管理し、苦心の末に実を結んだ努力の結晶。バニラビーンズ。
芳醇なあまぁ~い香りを鼻の前に突き出されて脳が蕩ける女の子。
妬みと嫉妬を忘れておんにゃのこの時間を楽しむ姿はいつものかわいいローザ・ヴォーヴェライト。
ナイス、桜。ファインプレー。
セチアとしては迷惑をかけてしまったキッチンと空中散歩のメンバーに渡して欲しいということだけど、これを全員が全員、扱えるとは思えない。
グレンツェンの情報強者たちは、レシピを見れば簡単に使いこなすことができるだろう。ただそれはやる気が湧き起こってのこと。そうでない人もいるに違いない。
なのでその辺の塩梅をローザにとってもらおうと思います。
丸投げだと思いますか?
その通りです。
でもこういうのは丸投げしたほうが上手くいく気がする。
元々、お菓子作りが好きな人は重宝する代物。反対に、興味のない人からしたらただの芳香剤。
それはそれでいい。だけどやっぱり、大事に使ってくれる人に渡って欲しいと思うのが商人です。
ウキウキ気分で小躍りをするローザ。
クッキーにシュークリーム。ショートケーキにアイスクリームと、妄想が歌声に乗ってふわふわ浮かぶ。
思ってた以上に喜んでくれたようでなによりだ。まぁでも、あくまでキッチン全員に向けての詫びの品。使い方は全員で決めて欲しいと念を押す。
夢心地のまま返事をして、おやすみなさいと夢の中へダイブした。
明日になったら忘れてそうだな…………大丈夫か。
「ごめんなさいね。ローザったら結構腹黒いの」
大丈夫です。それはなんか分かってました。
とは言わない。大人だから。
「いえいえ、女の子はちょっと黒い部分があるほうがかわいらしいですよ。それよりちょうどよかった。実はセチアからアルマのことを良くしてくれる人に配ってくれって頼まれたものがたくさんあるんですよ。ヒくほどに」
「あらまぁ、そんなに彼女のことを大事に想ってるのね。たしかにアルマちゃんはかわいいし人懐っこいから」
「詳しくは聞いてないんですけど、どうもそれだけじゃないっぽいんですよね。まるで生き別れた妹のように大事にしてるというか、もはや過保護すぎるというか。そんなわけで、ヘラさんにも贈り物です。キッチンのメンバーと空中散歩の子供たち。それからアルマが共同制作を依頼したっていう工房の人たち分のプレゼントも渡されてます」
「過保護を通り越して脅迫じみた狂気を感じるわ。ただ、私は立場もあるから贔屓はできないよ?」
「その点はもちろん承知しています。ヘラさんとはそれとは別に……アルマが多大な迷惑をかけてしまったということで、誠に申し訳ございません。手紙では1回とあったんですけど、話しを聞くと2回もやってしまったそうで…………」
机に額をこすりつけての土下座。
本来なら腹を切るレベルのやらかしである。
苦笑いのヘラさん。貴重な情報を得られたという側面と、住民を危険にさらしてしまった責任の板挟み。
「あぁ~……あははは。とりあえず頭を上げて。そのことなら気にしないで。彼女もしっかり反省してるから。むしろ防殻の作成時にお手伝いをして欲しいわ。アルマちゃんの攻撃力でも壊れないものを作るからっ!」
「そう言ってもらえると……助かります…………。それでも、彼女の後継人としてお詫びを――――こちらをお受け取り下さい」
チックタックさんの作ったチーズ。
龍の工房で作られる生醤油と赤味噌。
フレナグランのモーニングメニューで愛用されているアイシャ厳選ジャムの詰め合わせ。
燻製肉もたくさん用意した。
どうぞお納めください。
そんなに気にしなくてもいいのに、と言って全て受け取ってくれるヘラさん、優しい。
ヘラさんにはもう本当に頭が上がらない。贔屓しないと言いながらもローザを通して、ある時は直接手助けをしてくれるとアルマも言っていた。
留学先を勧めてくれたのも彼女だ。お祭りを楽しむことができるのもヘラ市長のおかげ。
だからどれだけあたしが感謝してるかを知ってもらえてほっとした。
世間ずれしすぎていて一番問題視していたハティも、本人曰く楽しく暮らせてると言う。
本人曰く。
ハティに関しては、多少他人に迷惑をかけていても、本人では気づかない癖があるから後日確認しなくては。
それにしても、なにはともあれ皆、楽しく過ごせてるならそれでいい。
留学を薦めた3人も、子供たちに褒められたい一心で勉学に励む友も、彼女たちと関わる全ての人々も、本当に素敵な笑顔を見せてくれた。
ヘイターハーゼ。
春風の妖精。
桜吹雪の少女。
ケーキ大好き女の子たち。
街行く人々も楽しそう。
なるほどそうか、そんな素敵な笑顔を向けてくれる人々がいるからこそ、みんな楽しく過ごせるのだろうな。
本当に、本当に素晴らしい場所だ、グレンツェン。
正直に言って異国の地。どんなところか心配であったが安心した。
前祝の時はあまり街を見て回れなかったから判断できなかった。
だから、この4日間でしっかり歩いて吟味するつもりでいる。
歩いて、出会って、話して、心配は安心に変わっていくだろう。
嗚呼、今日はいい夢が見れそうです。
お祭りの準備期間と開催期間には違った色の熱気というものがあると思います。内側に向かう熱と、外側に向かう熱。どちらも素敵だと思わせられますね。特に準備期間の熱気というものは、当事者だけの特権ではないでしょうか。
グレンツェンのフラワーフェスティバルは街を上げてのお祭りという性質上、訪れた人たちもその熱気に触れることができるお祭りです。
また、その熱気にあてられて、お祭りに参加してみたいと思ってもらえるならこれ幸いと考えています。強かなヘラらしい作戦ですね。
次回は、ついにフラワーフェスティバル開催です。すみれが頑張って頑張りまくる回です。しかし、お祭りの最中、すみれは大切なバッジをなくしておおわらわ。大切な友人との絆を取り戻すことはできるのかっ!?




