春風の妖精 10
以下、主観【紅 暁】
陽もすっかり沈んで夜7時。我々はグレンツェンで最も素晴らしい景色を臨める場所、大図書館の屋上テラス【ブーケット・デ・シエル】へディナーを楽しむために訪れた。
ヘラさんの厚意でディナーを予約してくれている。多忙を極める彼女の姿はまだ見えない。あと数十分で到着ということなので、それまで夜景を楽しむこととしよう。
北側は大きく広がる針葉樹の森。
そこから小高い丘が連なって海が見え、地平線を挟んで夜空に変わる。
丘のところどころから見える灯りは、そこに住む家々から漏れる人々の光。
酪農と農業が盛んな北部には、郷愁を誘う小さな星が輝く。
西部に見える大きな柱は全て人の手で作られたもの。近代的な高層ビル群が立ち並ぶ最新トレンドの宝箱。
グレンツェンの中で最も世界と繋がって情報を発信するカラフルな町並み。
色とりどりのネオンの輝き。
格子状の外壁から漏れる光は消えることのない不夜城の音色。
対して東側はグレンツェンに住む多くの人々の居住区画。2階建てや3階建ての建物が規律正しく居並んだ。
夜になるとあまり分からないが、明るいうちだと個性的な外見の家屋が並ぶお菓子箱のような景色が見られる。
世界を広げるグレンツェンを代表するような色合いだ。
南側は路面電車を隔て、西側が昔ながらの風情を残すカントリーロード。古くからの農業従事者や養蜂家が軒を連ねて住んでいる。
駅の近くにはお店も開かれていて、特に有名なのが熟成発酵を売りにしたパン屋さん。イースト菌を使わず、自然にパン生地を膨らませるので時間はかかるがその分、小麦本来の味が楽しめると大人気。
パン屋でありながら一つ星を獲得するほどの評価を得ていた。
対して東側のチャレンジャーズ・ベイは職人街。石畳とレンガ造りの焼き菓子のような家屋の連なりは、どこを覗いても活気に満ちている。
人の寝静まるこの時間でさえ人々は行きかい、温かなガス灯の光を浴びていた。
屋上テラスの景色も壮観。夜とは思えないような光量のライトが敷き詰められて、まるで昼間と変わらないほどに明るい。
夜はランタンや提灯で灯りを得ているあたしたちとは文明レベルが格段に違う。
ローザが連絡を取り合うのに使っていたスマートフォンとやらもメリアローザはおろか、我々の世界のどこにも見られない技術の結晶。
薄い円盤の中に大量の音楽や映像をしまい込むという発想なども当然皆無。
機械文明とは全く恐ろしい。不可能なことなど何もないのではないかと思わされてしまう。
留学を推挙した身でこんなことを思うのは不謹慎なのだが、キキやアルマたちはよくこんな未知の世界に順応できるなぁ。
人は慣れる生き物とはいえ、異世界ってマジパねぇッ!
そんなことをつぶやくと、ローザが白い目であたしを見た。
なぜなら、
「それはきっとお互い様ではないでしょうか。暁さんほどの実力を持った剣士をシェリーさんは知らないと言いました。ベルン騎士団長がそう言うということは、暁さんレベルの実力者はこの世界にはいないということです。アルマちゃんが持っていた魔力保存器も、この世界では実用に遥か及びません。ここは機械に、そちらは魔法に、文明の舵を切った結果なのかもしれませんね」
「そうかぁ……ところ知らねば驚くものばかりだな。それじゃあ今度はローザがこっちに来て驚いてみてくれ。今年の七夕祭りに招待するからさ」
「その時になったらなにとぞよろしくお願いします。わたしも暁さんの住む世界に興味がありますから」
「ローザさんは医療術者ですよね。すると、まさかとは思いますが、病院関連の施設に行きたいとか?」
桜が怪訝な顔をみせる。病院の看護師を思い出して、『まさかこの人も?』と疑ってる。
「そうですね。異世界の技術が身に付くな
「それだけはやめておいたほうがいいよ。異世界人だって知られて捕まったら絶対に大変なことになる。特に初見からブラードに捕まったら最後だ」
「そんなところに行ったらお祭りを楽しむどころか、入院させられてせっかくの旅行がパーですよ。健康な人も簀巻きにされて屋上からバンジーです」
しばし沈黙。のち、アルマのことを思い出して顔が強張った。
「アルマちゃんたちも病院を怖がってたけど、そんなに酷いところなんですか…………?」
「プロフェッショナルの集まりとだけ言っておこう」
返答に困るローザ。それでいい。
あたしもあそこにはできるだけ近寄りたくない。ケガをしても自然に治る不死の体が唯一喜ばしいと感じたのは、病院に行く必要がないと知った時だった。
風邪もすぐに治る。怪我もものの数分で塞がってしまう。
世の理から外れた体質を忌み嫌ってきたあたしだったけど、怪物たちの世話にならなくて済むと思えば安堵のため息もつくというもの。
みんな美人なだけにもったいない。かわいいだけの女の子たちに介抱されるなら喜んで怪我をするものを…………強面の冒険者も、女好きの若人も、病院にだけは近寄らない。
率先して訪れるのは、仕方なしに通院する人かドМだけ。
揉まれるより揉む派のあたしとしては実に残念です。
それに比べてグレンツェンの病院は普通だった。
比較対象がおかしいかもしれないけど、とにかく何も起きない。
敷居をまたいだ瞬間に献血を強制してくる吸血看護師もいない。
癌患者を求めて病院中を徘徊する親子もいない。
リネン室に首を突っ込んで昼寝をする怪人もいない。
きっと夜になるとやってきて、就寝時間なのに寝てない悪い子を屋上からバンジーさせて無理やり失神に放り込む狂戦士もいない。
嗚呼、なんて素晴らしい場所なんだ。
涼しい風に風情ある夜景。四方八方見飽きないグレンツェンは病院も素晴らしいスタッフばかりで羨ましい。
心穏やかな気持ちに浸り、ヘラさんの登場で懐古の気持ちと感謝の言葉が自然と漏れた。
3人を留学させるにあたり、方々手配してくれた恩人。彼女はあたしのことを命の恩人と言ってくれるけど、多分、あたしが声をかけるまでもなく、なんとかしてただろう。
しかしこうして交流ができたのも、あの時あたしが右に左にさまよっていた彼女を見つけたおかげ。
ファインプレーだ、3年前のあたしっ!
「ふふふっ。不思議な感覚だわ。私の時間軸では、あなたと出会ったのは18年も前なのに、そっちでは3年しか経ってないなんて――――――いえ、私がうっかり未来へタイムスリップしていた、と言ったほうがいいのかしら」
あたしも不思議な感覚ですよ。
ヘラさん感覚で18年の時が過ぎてるって言ってるのに、3年前に出会った時の容姿と同じなんですもん。
でもそれは言葉にしないでおこう。フィジカルな話題はデリケートですからね。
「どうやらそのようですね。しかし留学の件の連絡をしてから、ヘラさんとあたしたちの世界の時間は並行して時を刻んでいるようです。ですので、どちらかの時間の流れが速い遅いはないようで安心しました。グレンツェンで18年、メリアローザで3年だとすると6倍の時間差が生まれますからね」
「へぇ~そうなんですか。奇妙なこともあるものですね。でもヘラさんは3年前に会った時から姿が変わっていないように見えますが」
言わないようにしてたのに、桜ってばもうしょうがないんだから。
「それはね、私の体質が他の人とちょっと違うの。若さを司る細胞が劣化しにくい体質なのと、意図的に【老化】の遺伝子スイッチをオフにしてるの」
「ちょちょちょッ! 色々と初耳案件がぶっこまれたんですけどッ!?」
どうやらヘラさんは娘にすら秘密の事柄をたくさん隠しているようだ。
隠し事は誰にでもある。役職柄もあって、ヘラさんの隠し事はいっぱいありそう。
だけどあたしたちの水先案内をしてくれるというから、【うっかりタイムスリップ】のことは話してるものだとばかり思ってた。
唖然とする娘。
てへぺろを炸裂させる母。
ヘラさん、変わってないなぁー。
今年で40になったって聞いてるけど、感性も若いままだ。こうなると娘はさぞかし大変だろう
2人を知らない人と挨拶をすると、よく姉妹に間違われたりするらしい。ヘラさんのほうが少し身長が低いから、ローザのほうが姉に見られることもあるそうな。
頑張れ、ローザ。
めげるな、ローザ。
さてさて、ヘラさんも到着したことだし、屋上テラスの花々を愛でると言って姿を消してしまったリリスと琴乃を呼び戻すといたしますか。
全長1.8kmのグレンツェン大図書館。その殆どの屋上部分が花壇で埋め尽くされている。
超上流階級に生きる姫様も、これほど空に近い場所で花と景色と星空を楽しんだことはないだろう。
いったいどこまで行ってしまったのか。彼女たちは心赴くままに自由を満喫していた。それはいい。人生の中でも数少ない、自由を謳歌できるひと時なのだから。
だが、人が来る手前、目の届かないところにまでは行かないでほしかったなー。
桜の通信魔法に応答した自由な姫様は、自慢の【羽化】と【追い風】の魔法を使って颯爽登場。
花びらとともに舞い降りたるは春風の妖精が2人。
それはそれはご機嫌な笑顔で着地する。
「まぁ! 彼女が噂の春風の妖精さんね。まさかとは思っていたけど、リリスさんだったなんてね」
両の手を胸の前でぱたむと閉じて頬を紅潮させるヘラさん。グレンツェンを盛り上げてくれたと喜んで、感謝の気持ちでいっぱいのよう。
「いやぁ、お恥ずかしい限りでございます。兄からはもっとおしとやかにと言われますが、なにぶんこれが性分なもので。えへへ」
照れながら、褒められて嬉しいリリスは身を縮ませて微笑む。
きっとおしとやかになったらなったで、兄は妹の変貌ぶりに驚いて胃に穴をあけるだろう。
なのでそのままの貴女でいてください。
「アグレッシブでバイタリティ溢れる女性は素敵だと思います。ヘラさんもそのような方であると暁さんから聞き及んでおります」
「あらまぁそうなの? たしかに【一生青春】をモットーに掲げる私としては、常に攻め手でいたいわね」
「攻め。いいですね、攻め!」
「桜の攻めはヘラさんの攻めと性質が違うだろ。まぁまぁそれはそうと、せっかくのディナータイムですから、お話しは座ってからゆっくりしましょう」
それからはディナーを楽しむよりも、リリスのマシンガントークが炸裂。
丁寧な挨拶と感謝の言葉から始まり、初めて自由に外を出歩けたことから切り出して、今日あったことを秒単位とも思えること細かさでヘラさんにぶつけていく。
聞き上手なヘラさんは相槌を打っては小さく言葉を繋いで話題を促した。そうしてリリスは最後のデザートが終わって、路面電車に乗ってホームステイ先のヘラさんの家へ着いてもずっとしゃべりっぱなし。
それほど彼女にとって、今日のこの日がどれだけ素晴らしかったかがうかがえる。
これは土産話を聞かされる兄とメイドたちがたいへんな目にあいそうだ。




