春風の妖精 7
場所を移してメゾン・デ・エキュルイュ。今年新たに手に入った鯨の骨を使った家具やカトラリー。花の彫刻が目を引く写真立。普段使う木材の色合いとは違う景色が広がった。
一般向けの販売所に並ぶ薄橙色や茶色の、例年並ぶ暖かい木の温もり。
正反対に、涼やかな色合いの青や白のグラデーションが美しい鯨の骨。
相反する性質の素材で作られた商品が、お互いの魅力を最大限に引き出しあえるように配置されている。
まるで不思議の国に迷い込んだよう。秋と冬が同居してるような錯覚さえさせられた。
ひとつ残念なのは、鯨の骨の製品はお祭り当日になってから販売開始とのこと。
つまりお祭り前日入りした我々はまだ眺めるだけ。今日できることは、目星の商品を下見することのみ。
それでも工房の職人によって作られたハンドメイドの作品群は見るだけで楽しめる。来て損することは何ひとつない。
物欲やら収集癖の無いあたしですら買い物心をくすぐられる。
ブーケを模した花束の置物もいい。
グレンツェンを代表するすみれの花とミツバチをあしらった写真立てもかわいらしい。
カトラリーは……食堂で食事をする我々には無用の長物。しかし引き出物とかいざという時の贈り物には最適か。
食卓セットはお皿とスプーンとフォークがワンセットになっている。さっちゃんとジャンヌとあたし用に3つは買っておこうかな。
カトラリーの単体販売だけは無料で1つだけ刻印のオーダーができるサービスを提供予定。
職人がその場で希望の彫刻を彫ってくれるらしい。名前を入れたりハートを刻んで、その中に色付きの樹液を注いでワンポイントを加える。そうすれば、あっという間に世界でひとつだけの宝物の完成だ。
100ピノを加えれば追加で刻印を増やせる。販売所と工房が一体になっている施設ならではのサービス。
これは龍の工房に来た旅行客相手にも使えそうだな。
「あれ、暁じゃん。おっひさ~♪」
「覚えていて下さったんですか。光栄です」
カラフルな色合いの、あたしたちの世界観からすると、素っ頓狂な格好をした彼女はエリザベス・サイモン氏。
エキュルイュの若手職人。新進気鋭のホープのひとり。
明るく社交的な彼女の声色には人を元気にする力がこもっている。そう思わせるようなハツラツとした張りのある声の持ち主だ。
「いやぁ、多分一生忘れないよ。あんな大きな牛を一刀で解体するなんて見たことも聞いたこともなかったし。正直、いまだに信じられない。で、そっちはお友達? 随分と……高貴そうなお嬢さんだね」
目の肥えたレディはお忍び王女様をロックオン。
高貴なオーラが駄々洩れしてるらしいぞ?
「え、私はただの町娘ですよ? 普通の女の子ですぅ~」
「普通の女の子が空を跳んで春風になるなんて芸当はできないとおもうけど?」
「どうしてそれを!?」
「いやもう今、グレンツェン関連の動画で話題になってるよ。『春風の妖精、現る!』って」
あれだけ派手にやりゃ、人づてにも話題に上がる。
上がらないほうが無理というもの。
「春風の妖精だなんて、そんな大層なものじゃありませんよ。困っている子の顔を見たら、体が勝手に動いてしまって」
「それはそれでまた凄いけど」
呆れ1割、感心と好意と興味9割の笑顔を向けた。
笑顔の裏に狩人の顔を隠してる。
リリスは話題を遮るように白鯨の話題を打ち込んだ。
「あのあの、もしかしてキッチン・グレンツェッタに置いてある白鯨の机と椅子はこちらで作られているのですか?」
「そうだよ。良かったら完成品を見てみる? 工房はさすがにスタッフオンリーで立ち入り禁止だけど、商談スペースに用意してる分だけなら見せられるよ。特別にね♪」
エリザベスさんはリリスがどこぞかのお嬢様であると確信する。お金持ちと懇意にしたいという強かな商魂のおかげで、お得意様にだけ公開しているスペースに案内してもらえることになった。
基本的に貴族や富裕層。王族を相手に商売をするエキュルイュの仕事は超一級。
最低でも6桁からの仕事をこなす玄人の職人芸は見ただけで人の心を震わせる。
鍛冶師のはしくれであるあたしでなくとも、感嘆のため息をついていた。
艶やかな表面に洗練されたデザイン。寸分の狂いなく研ぎ澄まされた家具たちは、使われる時を待ちながらも、立ち居振る舞いは誇り高き貴婦人のそれに相違なし。
木彫のタンスはどっしりとして美しく、重厚感のある佇まいは歴戦の執事のよう。
青白く輝くテーブル。冷たい色合いながらも暖かい雰囲気を纏っていた。時に厳しく、時に優しい母の心を映しているようだ。
異世界の職人技を見渡して、リリスのお姫様アイが発動。
さすが目の肥えた本物の女王。値札より先に、視界の中で最も高いテーブルに目をつけて『欲しい!』とひと言。
柔らかなグラデーションの丸机。縁には鯨のひげがあしらわれていた。アイザンロックでも最も高価な家具にのみ施される装丁。濃い色をした鼈甲のように透き通るひげは細かな彫刻がなされ、そこには四季の花々、動物、昆虫が飛び回っている。
テーブルを支える支柱にはリスの親子が住んでいた。彫り抜いて彫刻を置いたものでなく、1つの骨の塊から彫り出されたそれはまさに職人技。
支柱は幹のように彫刻され、テーブルの裏側はまるで大樹を下から覗いたかのように立体的な彫り込みがなされている。
小さな子供がテーブルの下にもぐりこんで見上げたなら、それこそ大樹に抱かれたような光景を臨むだろう。
机ひとつで世界を創造する。
これがメゾン・デ・エキュルイュ。
細部に至るまで一切の妥協無し。
職人として、人として、商人として、全ての側面において尊敬の念が絶えない。
「これは凄い。世界樹に抱かれているようだ」
「凄いだろ。これがエキュルイュの工房長の仕事だよ。基本的に木材を商材にしているけれど、彼はなんだって扱いきる。知識と経験と、それから情熱の成せる業さ。ちなみにこれは6400万ピノで販売予定だよ。セットの椅子は四脚。それぞれ1200万ピノね」
「全部で1億1200万ピノ。シエル換算で……約1億3440万シエルですか。ヤバいですね」
「買いますッ!」
桜の暗算で数値を弾き出すと同時に、リリスの楽しそうな声が響く。
「即決ッ!?」
侍女が狼狽。
「ちょっと待てぇいッ! 当然だが、そんなに持ち合わせて来てはない。諦めろ」
財布役のあたしが止めに入った。
だってそんな大金、用意してないもん。
「一応、予約は受け付けてるよ?」
待ってましたとエリザベスさん。
満面の笑みがにくらしい。
「リザーブします。大丈夫です。今進行している街道建設の発案と責任者は私ですから、そのロイヤリティと自前のお小遣いを合わせれば余裕で買えます」
「いやちょっと待って。まだ確定してない収支をアテにするのはよくない。しかもまだ計画書の作成段階で、会議とかすり合わせすら行ってない。まだ発案段階じゃないか」
満面の笑みで振り返るお姫様。
これはもう止まることができないでいる。
審美眼が正しいことは素晴らしいことだ。しかし、現実問題として、持ち合わせがないんですよ!
「大丈夫ですよ。両者の商人も待望の企画だって張り切っていますから。ほぼほぼ間違いなく実行されます。だから大丈夫です。買いましょう! 即断即決ですっ!」
衝動にかられるリリスを嗜めようとするエリザベスさん。まさかこれほどの熱量とは。火力が強すぎて焦げつきそう。
「おおぅ……なんていうか、リザーブをしてくれるのは嬉しいけど、お金の用意が無い段階で購入を決定するのはやめたほうがいいと思うよ?」
「嫌です。絶対欲しいです。暁さん、立て替えておいてください」
「億単位の立て替えは勘弁してくれ。無理じゃないけど」
「無理じゃないんだ!」
無理ではないです。
こんな時のため、現物資産を用意してますからね。
あんまり使いたくはないんだけどね。
「私なら8000万シエルまでなら貸せますよ。利子付きですけど」
桜、姫様に高利貸しすな!
「しっかりしてるな。てか、そんなに持ってるの!?」
エリザベスさんが桜の懐事情に狼狽。そりゃそうだ。一般的な少女のポケットマネーの額じゃない。
「それは店の開業資金だろう。分かったよもう。誰あろうリリスの頼みだ。しかし今は本当に持ち合わせがない。リザーブをするにも頭金がいるだろう。いくらですか?」
「一応、一律で1割を貰うことになってる。リザーブの権利は1年間。それ以降は権利が消滅する。リザーブに使った頭金は消滅するから気を付けて…………って、本当に買うの?」
勧めておいて腰が引けてるってどういうことですか。
最後まで突っ張ってくださいな。
「買いますっ!」
再びの即決。
「リリスはこう言い出したら聞かないので、買います。頭金を作ってくるので、しばらく別行動にしましょうか」
「急いで。急いでください。誰かに買われてしまう前に早くっ!」
急かすリリスを背中に置いて、あたしは彼女たちと別行動を余儀なくされる。
念のためにヘラさんから宝石商のある店の位置を聞いていてよかった。
さて、問題は持参した貴石が頭金の額を超えるかどうかだが、ダメだったら諦めてもらおう。
それかハティが持ち合わせてる物を借りよう。多分それで足りるだろう。
3時にショコラで待ち合わせとだけ約束して、あたしはオーロラ・ストリートへ姿を消した。




