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成長とは、恐怖を乗り越えること 3

 開店時間になり、雪崩れるように店内に吸い込まれていく人の波。

 メニューを言い渡したのちに渡されたアルファベットの書かれた札。この位置が私たちの座る場所。

 これも初めからスムーズなスタートダッシュを切るための工夫の1つ。

 誰がどのメニューを頼んだのかを再確認しなくても、アルファベットの場所に座る人へ料理を出す。一目瞭然の流れを作り出していた。


 店内は想像してたよりも綺麗ですっきりとしてる。

 こじゃれた装飾品もない。ある意味では味気ないともいえるけど、どこの世界にもなく、どこの世界でも共通する何か本質的な質素感を感じた。

 シンプルすぎて落ち着かない。なんかそんな印象。


 私たちが流れ着いたテーブル席もシンプルそのもの。椅子。机。メニュー表。調味料。各種アメニティが機械的に整然と置かれてる。

 全ての席が同じ様相。きっちり仕事をしていると言えばそれまでなのだが、なんだか顔のない芸術品を見てるようで少し怖い。

 従業員の生真面目さが表れてるのか、理路整然としすぎて恐ろしい。


 ただ1つ、飲食店にそぐわぬものを除いて個性的。ある意味これも個性的?

 壁にひっかけられた――――――ヘッドフォン。

 音楽を楽しみながらご飯を食べるということなのか。

 斬新な気がするけど、カウンター席(一人席)だけならともかく、テーブル席にまであるというのは妙。倭国の文化なのかな?

 見ると線がない。どこにも繋がってないのではなく、本体へと繋がる配線そのものがない。

 ワイヤレスなのか。それにしもこのヘッドフォン。消音機能があるだなんてなかなかに高級品。


 物珍しいので手に取ってみる。と、グリムさんから忠告が飛んできた。


「もしかしたらレレッチさんにはそのヘッドフォンが必要かもしれないので、準備していて下さい」

「え、どうして……?」

「麺をすする音がですね、もしかしたら不快に聞こえるかもしれませんので」


 不快な音ですか。

 黒板をキィ~ってするのとか、メガホンがハウリングしたりする音は嫌いだなぁ。

 他には特に嫌いな音ってないのだけれど、麺をすするだけで不快な音が響くものなのだろうか。それほどまでの音がこの世に存在するのだろうか。


 疑問に思い、いまいち真実味もなく悠長に構えていた私の耳を、ソレらは悉く粉砕した。

 先に並んでいた客の料理がテーブル席の横を通りすぎた時の残り香の、なんと独特で心引き寄せられる匂いだろうか。

 楽しみが膨らみ、誰かが箸を手に取って、口に入れた瞬間、耳が爆死する。


 まるで豚小屋の畜生が餌を食べる時に出す音のような、言い知れぬ鈍く響く不協和音。

 次の人も、その次の人も同様、私の耳と脳を絨毯爆撃した。

 牧場育ちの私は豚の飼育だって経験がある。鶏や牛の世話も日常茶飯事だった。彼らが鳴き声を上げて食事を楽しむ風景はそれこそ日常。なんの違和感もない。


 それを!

 人間が!

 同じような音を出して!

 ご飯に食らいつくという!

 事実が!

 まるで人間が家畜のように餌に食らいついてるような!

 そんなイメージが!

 脳裏を!

 ――――――爆撃しているッ!


 声にならない悲鳴を掻き消すほどの爆撃音。私のストレスを最高潮に押し上げた。

 すかさずグリムさんが私の頭に(on)(the)・ヘッドフォン。

 パニックになってヘッドバッドをする私を、ルクスアキナさんの柔らかいウォーターメロンが包み込む。


 それでも脳裏を残響して離さないあの不協和音の大合唱が私の意識を蝕んだ。

 正気を保つために、心の安心を得るために、おばけが怖くてどうしようもない子供のように、ルクスアキナさんを抱き返して、涙まで浮かべて彼女の胸の中で物理的に啼いた。

 なんて叫んでるのか自分でも分からない。

 脳内で繰り広げられる狂気のダンスが終わるまで。

 人目もはばからずに私は哭いた。


「す、すみません。あまりに、なんというか、なんとうかぁぁぁああああああッ!」


 本気の絶叫!

 これを聞いて、グリムさんが両の手を合わせて謝罪した。


『無理しないで下さい。それとごめんなさい。まさかこれほどまでの反応になるとは。実は私はグレンツェンに来るまでは麺をすする習慣のある場所にいたもので、西欧人と一緒にラーメンを食べたことがなかったのです。なのですすり音を忌避するというのは本当かなと疑っていました。しかしそんなにまで嫌がられるものとは思ってなくて、本当にごめんなさい』

「ぐ、ぐおおぅぅぅ…………いえ、私こそ、取り乱してしまって、申し訳ございません。自分から食べに行きたいと言ったのに、こんな失態、ごめんなさい…………」

『大丈夫大丈夫。まわりのみんなも、多分こうなるだろうなって思ってたみたいで、驚いたりしてないみたいだよ? それよりほら、ラーメン来たよ。めっちゃおいしそうだね!』

「え、ええ……しかしどうやって食べましょう。消音しているとはいえ、あの豚の鳴き声(不協和音)を自分で奏でていると思うと…………って、消音をしてるのに、なんで2人の声が?」

『声で会話ができないので、我々はレレッチさんの頭に直接、言葉を送っています。ちなみになんですが、レレッチさんの言葉は普通にみんなに聞こえていますので、気を付けて下さい』


 また、叫びたくなった…………。


 なんだか自分だけ醜態をさらしてるようで恥ずかしい。でもまだそんな恥ずかしい言葉は使ってないはず。普段からそんな言葉は使わないけど。

 でもなんか、自分だけ声が漏れてるって、独り言を言ってるみたいでやっぱり恥ずかしい。

 この店はそうだったんだ。1人で来づらいじゃなくて、1人で来るのが正解だったんだ。

 はぁ~~…………なんということでしょう。朝から今まで恥ずかしさの連続。

 だれかころしてぇっ!


 自分の声が聞こえないとは奇妙なもので、自分が出した声を自分が認識できないものだから、今言ったことが相手に伝わったかどうかの確認がとれなくて不安になる。

 同時に、意識せずに言葉にしたものは認識に至らず、口から漏れたため息なんかも認識しない。

 だから今、人知れず余計なことを言ったり、いらぬ愚痴を漏らしてるということを、当の本人は気づかない。

 自分の気づかぬところで、私は延々と布石を打っていたのだった。


 気を取り直して料理に目をやる。

 綺麗な赤みがかったスープ。

 キラキラと輝く油分が水面にひしめいて、湯気の香りが私を極楽へと誘おうとした。

 トッピングには煮卵、メンマ、チャーシュー、刻みネギ。

 サイドメニューの角煮丼は白米に甘辛角煮が鎮座ましまし、真ん中に黄色く居座る黄身が1つ。

 ふわぁ……ちょーおいしそー。

 フォークを手に取り、いざ参る!


 はふはふふぅーふぅー……ぱくり。

 スープを蓮華にごくり。

 ――――うまいっ!


 濃厚な鶏の旨味なのに、後味はさっぱりで食べやすい。

 噛み切ればぷっつんと切れる麺もスープに負けない小麦の味がある。

 各種トッピングと合わせて食べると、また違った味わいを演出した。

 角煮丼も絶品のひと言。

 肉厚でとろとろの豚肉はもちろんのこと、噛めば噛むほど甘味が増す白米とコクの強い卵黄が絡めば、おいしさのスパイラル。

 お互いがお互いを活かし合い、うまさを強調してるではないか。

 特にこの黒っぽく粘り気のあるタレ。白米とだけでいくらでも食べられそう。


 ルクスアキナさんが注文した鯛ラーメンは、私のものとは一風違った雰囲気に包まれている。

 麺が見えないほどに、そぼろ状に崩された鯛の煮付けが敷き詰められた。

 それ以外には何もない。メンマも刻みネギも何もない。チャーシューの代わりに散りばめられた煮付けのみ。

 この甘辛い煮付けと、あっさり上品な鯛出汁。溜まり醤油のスープの組み合わせが病みつきになると評判らしい。

 添えられた鯛チャーハンもおいしそう。鯛の旨味と白ごまの香ばしさが鼻を抜ける。

 これだけをテイクアウトして帰る人もいるほどの人気商品。海を泳ぐ優しい鯛のスープを纏い、お米はふっくらふわふわに仕上げられている。

 青い海と黄金の稲穂が心に映る素敵なひと皿。


 黄色く輝く卵チャーハン。

 ホアジャオ香る麻婆豆腐。

 お肉の旨味を最大限に引き出したニラレバ炒め。

 メインのラーメンに負けないくらい、サイドメニューも充実してる。

 子供向けの料理もいくつか用意されていた。量が少なかったり、辛い料理が食べやすくなっていたり。老若男女に愛される工夫がそこかしこに施された。


 舌で感じるおいしさに頬を緩ませると、目の前に衝撃の景色が飛び込んでくる。

 グリムさんの料理が運ばれてきた。

 メインは私と同じ鶏そば。

 サイドメニューは麻婆炒飯。

 ――――――なのだが、涙で目がかすむのか、縮尺がおかしいのか、どう考えても量がおかしい。器の大きさがおかしい。

 大ぶりのウォーターメロンほどの器が2つ。

 グリムさんが、食べるために立ってるんですけど。

 大人かわいい顔立ちに似合わぬフードファイター。

 これか周囲がざわめきたっていた理由!


 きらきら女子がすい~つを目の前にしたが如く、満面の笑みで割り箸を割き、食らいつく。

 呆気にとられる私たち。常連さんは前のめりになってその雄姿に感銘を受ける。

 ただならぬ気配と思っていると、窓の向こう、扉の外で並ぶ人々まで彼女を見ていた。どうやらグレンツェンで、その筋の人にはかなり有名人らしい。

 またやってるぞ、とか、さすがグリム氏、とかなんとか聞こえる。

 心の声が。

 ヘッドフォン越しに。

 どういうわけか。

 聞こえる。


 麺は10人前。

 具も10倍。

 麻婆炒飯も10倍の量。しかもセットメニューとして、通常、半分で提供される量ではない。単体で注文している。

 つまり合わせて20人分。

 腹に溜まるスープも問答無用で平らげていく。

 とてもおいしそうに…………とてもおいしそうな量ではないのに。


 料理を先に出された私たちと同じタイミングで食べきった。

 上がる歓声。

 連なる拍手。

 これは祝福に値するものなのか?

 分からないけど、郷に入っては郷に従え。私たちも例に倣い、拍手を送っておきましょう。


 最後にデザートのアイス。1リットルですかと期待したけどそこは普通の小さくてかわいらしいまぁるいアイス。

 両隣に仁王立ちしている巨大な器のせいで、余計に小さく見えるのは気のせいではない。し、なんかすごい、グリムさんがかわいい系美人なせいか、とてつもなくシュールに見える。これほどまでにかわいくないアイスがあるものなのか。

 笑いもでない。ドン引きもしない。これは突っ込んだら、何にかは分からないけど、何かに負けてしまう。そんな気がした。


 ため息をついてルクスアキナさん。グリムさんの健啖家ぶりに呆れ果てる。


『あんた、ここに来る前に2人分くらいのかき氷を食べてきたくせに、よくそんなに入るわね』

『そんなことより、食べたらさっさと撤収。それがここの暗黙のルール。さぁ去りましょう。一服するなら外のベンチで』

『えっ、ちょっ、もう少しゆっくりして行きましょうよ。お腹いっぱいで動きたくない』

『ダメよ! ほら、ハリアップッ! レレッチさんはヘッドフォンを外したら耳を塞いで出口へダッシュして下さい!』


 急かされるままに猛ダッシュ。食後の余韻もままならないどころか、音爆弾で脳を爆撃されたくないと、一心不乱に安全地帯へ。

 これほどまでに忙しいランチは初めてです。

 まさに群雄割拠のお昼ご飯。

 あとに残した2人は無事だろうか。


 当然だけど無事だった。

 ベンチに腰掛けて背伸びをひとつ。

 それからグリムさんが、急かしてしまって申し訳ないと頭を下げる。

 理由を聞くと、このラーメンショップはいわば戦場。従業員も、利用客も、ここでは等しく兵士。と前置きして、単に行列を作って待つ人たちのため、席を渡すのがマナーであるということからだった。


 続けて、グレンツェンの殆どの飲食店、ことさら大図書館の1階の店舗は野外の飲食スペースを持っていて、ランチの『時間』を楽しむように設計されている。

 しかしここは違う。ただ『食べる』ことを楽しむことが本質。

 だから食べたら終わり。

 すぐに退場。

 それがこの店の最大のルールにしてマナー。


 たしかにその通りだ。席が空かないと行列なんか減りはしない。くわえて、この店は倭国の文化を踏襲。野外スペースを設けていない。

 運ぶ際にスープがこぼれる危険があるというのもあるかもしれないけれど、とにかく他の店舗に比べて客の座れる椅子が少ない。となれば悠長になんかしてられない。

 回転を上げて人を入れる以外に術がない。

 となれば客の自助努力に期待するしかない。

 この点において、他の店舗にはない、もの言わぬ一体感というか、同じ物を好きな者同士が持つ同族であるという団結力というか、何か見えない糸で繋がろうとする計り知れないエネルギーが発生してるようにも思える。

 客も店も、そういう見えない不思議な縁で出会っていた。

 一期一会を大事にする文化が根付く。そんな関係性もどこか面白く感じた。


 お腹いっぱい、胸いっぱい。

 おいしいものを食べたあとはゆったりしたい気持ちになるなぁ。

 特にグリムさんはあれだけ食べたのだ。しばらくは動けないでしょう。


「さて、ルクスはグレンツェンが初めてだし、親睦を深めるためにも、食べ物巡りといきますかっ!」

「もう動くんですかッ!?」

「今、お昼ご飯を食べたばっかりなんですけどッ!?」


 大食漢のグリムさん。腹三分目と指を3つ立てて満面の笑み。マジか。


「エリアリーダーがソーセージ屋さんっていうのを聞いて思い出したんです。あそこの自家製ピクルスがおいしくて、買いだめした分がもう切れそうだったってことを。王道のピクルスもいいんですけど、蜂蜜を混ぜて漬けた甘酸っぱいピクルスも絶品なんですよ!」

「人の話しを聞いて!」


 嫌がるルクスアキナさんの手を引いて、ソーセージ屋さんへ足を運んだ。

 豚から始まり牛、羊、鳥。どんなひき肉もハーブと合わせておいしくしてしまう魔法のお店。

 グレンツェンでも有数の老舗で、店内は昔ながらの雰囲気を保ちながら、常に革新的な商品の開発に余念がない。まさにグレンツェンを体現したかのような店である。

 特徴的なのは、注文を受けてその場でソーセージにしてくれること。その日に仕入れた新鮮な肉を調理してくれるので鮮度は抜群。

 知識も抜群。どんな料理になんのソーセージが合うかを熟知してるから、知識のない素人でもおいしい料理が食べられる。


 グリムさんのお目当てであるピクルスも何種類か置いていた。スタンダードなものから変わり種まで数種類。瓶詰にされたガーキン (短小のきゅうり)にトマトやニンジン、インゲン豆。いろんなものが詰まっていて、まるで漬物の博覧会。

 最近は倭国のピクルスである紫蘇と梅干しのピクルスも作っている。これがとてつもなく酸っぱいのだけど、風邪を引いた時に食べるシンプルなリゾットに、ひと粒入れるだけで食欲増進効果もあって元気になる、らしい。

 噂では、倭国人は梅干しを想像するだけでよだれが口の中に溜まるそうな。

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