成長とは、恐怖を乗り越えること 2
ひとまず今日の仕事は済んだ。何事もなく。穏便に。
はぁ~……こんなんで本番なんか迎えたら常に失神し続けるんじゃないか?
来てくれるお客さんなんて百人中百人は見知らぬ人。
これで受付とか広報に回ったら緊張で死ぬ自信がある。
表舞台には2人に出てもらって、私は影でせっせとかき氷を作らせてもらおうかな。
いやいや、逃げちゃダメよレレッチ。こんな性格をなんとかしたいって言って故郷を飛び出したんじゃない。
決意を胸に、活路は前に、よ!
ひと段落して安心したらお腹がすいてきた。
ルクスアキナさんもお腹をおさえる。
「ねぇねぇ、もういい時間なんだし、お昼にしない? あたしはグレンツェンって初めて来たから何も知らないの。よかったら2人に案内してもらいたいな」
見ると時計は11時前。
グリムさんはランチに行く気満々。
「私は別に構わないけど、レレッチさんはどうしますか? 一緒にお昼ご飯、食べに行きましょう!」
「えぇ……でも私、邪魔にならないでしょうか」
「そんなことないない。せっかく会えたんだし、もっとレレッチちゃんのことも知りたいな」
「私もです。よかったらお友達になっていただけますか?」
「え、えぇっ!? えっと……………………不束者ですが、よ、よろしくお願いします!」
俯く私に笑顔を見せて、2人は両手を引いてくれた。
本当に優しくて、その優しさが嬉しくて、嬉しくなって涙がこぼれてしまいそう。
これが友達。
夢にまで見たグレンツェン生活の真骨頂。
まさに青春!
立ち込めていた心の暗雲が晴れていく。吹きすさぶ春風が荒野を潤していくような、そんな感覚が胸に宿った。
促されるままに外へ出て、賑わう前の昼下がり。
すでにランチを楽しむ人もいれば、まだ仕事仕事とあっちへこっちへ急ぐ人もいた。
どの店もまだ混んでない。今なら好きなものが食べられそうだと思い、せっかくなので、グレンツェンに初めて来たというルクスアキナさんに食べたいものを聞いてみる。
すると彼女はここに何があるのかも分からない状況だから、私に決めて欲しいという。
私が食べたいものを食べてみたい。
くわえて言えば、どれもこれも物珍しく、何もかもがおいしく見えて迷って、時間を使ってしまうだろうとのこと。
グレンツェン大図書館の1階部分には飲食店が数十件以上連なる。
どの店も個性的で魅力的。異文化を発信してるせいか、似たようなものは殆どない。であれば迷ってしまうのは必定。
迷って時間を使ってしまうと、あっという間に行列に巻き込まれて、お昼を過ぎてしまうに違いない。
味の共有と美味なるものを食べ、その選択をした私を褒めるという戦略を、ルクスアキナさんは考えていた。
それがルクスアキナさんの処世術にして女子の秘奥義。共感して、褒めて、仲良くなる戦法。
そとうとも知らぬ私は、以前から気になっていたお店の前へ足を運んだ。
【ラーメンショップ・雅】
この店には1人用カウンター席もあって、1人で入って1人で食べることもできる。
しかしなんていうか、お店の雰囲気というか、出される料理の性格から邪推してしまう偏見というか、なぜだか1人でラーメンを食べるというハードルが高い気がする。
気がしてるだけで、簡単に飛び越えられるなら苦労はない。そこはなんていうか、周りの目が気になる気がして、今まで入ることができなかった。
雑誌やテレビでたびたび話題になる、倭国出身の夫婦が切り盛りする繁盛店。
毎日開店前から行列を作っては、閉店まで絶えることのない人の波。
意を決して足を運ぼうにも、これらの要因が重なって避けてきた。
しかし今日はどうだろう。
みなお祭りの準備に忙しいのか、開店30分前なのに行列が7つしか作られていない。
私の隣には2人の友がいる。しかもその1人、グリムさんはここの常連。
1人でも入店するという猛者の中の猛者!
ここは即断即決。
大手を振って、いざ参るっ!
「レレッチさんはこの時間帯にラーメンを食べるのは初めてですか?」
グリムさんがアルカイックスマイルをキメて語りかけてくる。めっちゃドギマギするっ!
「この時間帯と言いますか、ラーメンショップに入るのは初めてです。気にはなってはいたのですが、なかなか入る機会がなくて」
「なるほど。一応確認なのですが、『郷に入りては郷に従え』という諺をご存じでしょうか? それから音を出しながら麺をすするという習慣はありますか?」
「えぇと……たしか、その場所に入ったなら、その場所のルールに沿う行動をせよ、とかそういう意味でしたっけ? 音を出して、えぇと、『麺をすする』ってどういう意味ですか?」
「諺についてはその通りです。しかし、そこに疑問を覚えるということは、あとで大変なことになりそうですね。さて、この店でラーメンを食べる際には注意点があります」
「大変なこと?」
「麺をすする音? アジア系とそうでない人で『音』の感じ方が全然違うんだっけ?」
ルクスアキナさんの言葉は聞いたことあるかも。
ヌードルハラスメントがどうのこうのって、海外で話題になったんだっけ。
「その通りです。そういう理由もあって、昼の11時から13時までは、主にアジア系の客が来ます。それ以降はアジア系以外の人が来店します。生活圏によって、来店時間が異なるのです。レレッチさんは西欧人です。つまりここは敵地。もしも死にそうになったら、備え付けのヘッドフォンを装着してください」
「死にそうになったら? え…………ここって飲食店ですよね?」
死ぬって何?
戦場なんですか?
「あ、従業員さんがなんか聞いて回ってるみたい。あぁなるほど。先にメニューの確認をして、すぐに出せるように工夫してるんだ。ナイスホスピタリティ!」
「そうでないと後がつかえますからね。メニューは決まりましたか?」
「看板メニューは何?」
「鶏そばです。醤油ベースで鶏の出汁を足してます。濃厚な鶏の味わいなのですが、あっさり味で女性にも大人気の看板メニュー。他にもおいしいものはありますよ。よければシェアしましょう」
店外の窓にメニューが掲載されてる。鶏そばはラーメンショップの看板メニュー。メニュー表の一番最初に掲げてある。
「わ、私はその鶏そばが食べたいです」
「じゃあ、あたしは鯛ラーメンセットにしよっと。グリムは?」
「ふふっ……私がここで食べるものは一択です」
不敵な笑みを浮かべる美女ほど怖いものはない。
いったいなにが始まろうとしているのか。
悪い意味でどきどきします。
「お待たせしております。それではご注文を…………ッ! 今日も、いつものかい?」
「ええ、いつものを1つ。それから鶏そば角煮丼セット。鯛ラーメンセットを1つずつお願いします」
「あいよ。次のお客さん。ちょっと待っててね」
え…………何、今の意思が通じ合ってる感じのやりとり。
周囲の客がざわざわとざわめきたってるのは気のせいではない。
なんなんだグリムさん。いったいここで何が起ころうとしてるのだ。
グリムさんの不敵な笑みが私の心をまたも搔き乱す。
もしや――――以前に何かのテレビ番組で見たことがある。これは店員さんと仲のいい常連客にのみ許された、『裏メニューのサイン』ではないか。
1人でも来店すると言っていたグリムさん。きっとそうに違いない。
どんなどきどきが私を待ち構えているのかっ!




