まるで幸せな夢のよう 3
ランチのあと、マリオさんにもう一度、みんなでお礼を言って今日は解散。
キッチンに戻って当日の動きを確認する人。
追加で作るものがあるといって帰宅する人。
散り散りになって去って行く。
私はヴィルヘルミナさんたちのあとについていって、ホールの動きの再確認をしよう。
支配人と言えど、トラブルが起きない限りはホールに混じって雑務に励む。休憩回しが厳しそうだったら、私かハティさんが穴を埋めるべく仕事を代わる。
だから全てを知っておかなくてはならない。全てができるようになっておかなくてはならない。
しばらく時が過ぎ、今日はこのくらいだとヴィルヘルミナさんの号令で解散となった。
3時のおやつを誘われたけど、どうしてか分からない。私は彼女の言葉を断って、ふらりと1人、歩き出す。
なぜだろう。いつもならみんなと一緒の時間を過ごしたいと願うはずなのに。今はなんていうか、1人で考え事をしたい。そんな気分なのかも。
パスタン・エ・ロマンの近くの公園まで彷徨って、木陰の落ちるベンチに腰を落ち着かせた。
何をするわけでもなく、ただ、ぼーっと空を眺めるだけ。ランチで騒いでいた時間の流れとは真逆。ゆっくり、ゆっくりと流れていく。
虚空を心に沈めて揺蕩い、何を考えることもなく、何を思うこともなく、ただ茫然と静かに進む時間を感じた。
雲が千切れて小さくなって、流れてどこかへ消えてった。
空を飛ぶ鳥は群がって、やがてどこかへ消えてった。
このままどこかに消えてしまいそうな自分がいる。
ここではないどこか。
微睡む夢の中へ旅立ってしまいそう。
グレンツェンは素敵なところだ。
お嬢様たちと一緒の時間はかけがえのないもの。
すみれさんたちと一緒にいるのもとても楽しい。
キッチンのみんなは優しくて、頼もしくて、憧れてばかりいる。
もっとずっとみんなと同じ場所にいたい。そう願う自分がいた。
なのに今はなぜだろう。
1人でいたい気分というやつなのかな。
あるいは体の熱を放射したいような、冷却期間。マインドフルネスをしたいのかも。
みんなといる時間も楽しいけれど、1人でゆっくり過ごすのも、存外悪いものではない。
嗚呼、このまま全てが止まってしまえば、心地よい気持ちのままでいられるのかも。
それはそれで、いいのかもしれないな。
思い返せば幸せな人生だった。
物心ついた頃には孤児院に預けられ、ティレット様と同性で歳が同じということで召し上げられ、2人のお世話をするようになって従者として、友として、それ以上の絆を描く。
ウォルフとも出会い、グレンツェンに来てからはもっと多くの出会いを体験した。
灰色の世界のまま、消えて行く命と悟った幼い頃の自分がバカみたい。
グレンツェンに来てまだ数週間しか過ごしてないのに、数年は暮らしたかのような感覚さえある。
木漏れ日も、頬を撫でる風も、子供のはしゃぐ喧騒ですら愛おしい。
目を閉じて、しばし幸せな夢へ旅立とう。
「―――マ――――――エマ――――――こんなところにいたのか。随分お疲れのようじゃないか」
「…………ウォルフ? どうしてここに……私は…………」
「おいおい。まるでぽっくりイッちまった後みたいな言い草じゃないか」
「なんていうか、幸福すぎて、このまま行けたら、幸せのままでいられるかも、って」
心の、本当に思った言葉をそのまま口に出した。出してしまった。
それが彼女に対する裏切りとも気づかず。
怒った様子のウォルフは、私の頬っぺたをもにもにと持ち上げて語気を強めた。
「おいおいおいおいおいおいおいッ! エマが冗談言うだなんて珍しいな。でもそういう冗談は好きじゃないな、あたしは!」
隣に並ぶティレット様もガレット様も、珍しくご立腹であらせられる。
「そうです! こんなもので満足してもらっては困ります。素敵な殿方と恋をして、結婚して、子供を産んで、そういうセリフはあと80年後ぐらいまでとっておきなさい!」
「ですです! これからだって、みんなでスイーツを食べに行こうとしてるんです。疲れた心と体には糖分です。甘いものが必要不可欠です。手を引いてでも連れて行きますよ?」
「エマさん、とっても幸せそうな笑顔で寝てましたけど、今日はまだまだこれからですよ?」
すみれさんは相変わらず、今日に続く明日を思ってきらきらしている。
「ケーキケーキ! 花びらを使ったケーキがおいしくって綺麗なんだって!」
「そういうわけで、エマも一緒に行こう。1人でゆっくりする時間も必要かもだけど、今はみんなでいたいなぁ?」
「…………みんな、ありがとう」
ウォルフたちはスイーツを食べに行く前に、小腹を空かすために雑貨屋さんに立ち寄ったらしい。物見遊山と入ったものの、面白いものに目移りして、小一時間ほど過ごした。
かくいう私もすっかり寝ていて、つい数分のことかと思っている。時計の針を追いかけて、ようやく日の傾きを理解した。
自分が思ったよりも、ぼーっと空を見上げていたらしい。
ウォルフに声をかけられていなかったら本当に昇天していたかも。起き上がろうとする体は自分のものではないような気さえして、ふわふわとして夢心地。まだ頭が働かない。
あれ、これって本当にぽっくり逝ってしまいそうだったのでは?
かなり危険な状況だったのでは?
そんな意識が脳裏によぎると一気に汗が噴き出す。
かなり危ないところだった。ウォルフに揺り起こしてもらえなかったらどうなっていたことか。ちょっとエクトプラズムしていたような気もする。
「ど、どうした、エマ。なんか急に呼吸が荒くなってるけど、大丈夫か?」
「なんていうか……本当に、死にかけてたかも……」
本気で心配するみんなを横目にウォルフは大爆笑。
そんなに簡単に死ぬわけないだろ、とお腹を抱えて笑い飛ばす。
もう本当に、笑いごとじゃないんだってばッ!
でもこうして、つまんないことで笑っていられるのは生きているから。
あまぁ~いスイーツに舌鼓をして、幸福に身を包んでいられるのも生きているから。
さよならを言って家路について、お風呂上りにホットココアで一服つくことができるのも、生きているから。
嗚呼、素晴らしきかな、人生っ!
危うく主要キャラが死んでしまうところでした。
しかし親友のウォルフが呼び戻してくれました。さすがウォルフ。義勇の獣人。
次回は久しぶりに猫ちゃんが出てきます。




