理想郷:シャングリラ 3
木漏れ日の差す森を進むと強烈な緑色の風が吹く場所に出る。
開けたその場所は人の手が加えられたわけではないのに、芸術的な美しさを描き出していた。
中心には底が浅く面積の広い湖。
輝く湖面を囲むようにまっすぐに伸びた大木。
木々の間を行きかう小さな動物たち。
神秘的な雰囲気に包まれたここは龍穴。龍脈の流れの中で、その息吹が噴き出す場所。
通常であれば地中奥深くを流れるはずの龍脈は、極めて稀にその魔力を地上に露わにする場所がある。
龍穴は龍脈の内部と同様に強い魔力の流れを持ち、魔術師が修練場として使ったり、高度な儀式を行う場として利用された。
しかしその穴は通常、非常に小さく、すぐに閉じてしまうため、発生地点を特定することは不可能に近い。
それがこんな森の中に、それも素人でも簡単にそれだと分かるほどに大きく広がっている。
これが理想郷たる所以。もしもこんなものが世に知られてしまえば、世界は大混乱に陥るに違いない。
彼女はそうならないように、この地を収める主人だということなのだろうか。
この力を借りれば、たしかに魂の外殻に触れることができるかもしれない。
2人は湖の中へと進み、ハティさんはすみれを抱いて心を研ぎ澄ます。
まるで神々と対話する巫女のよう。静謐な空気と静寂に流れる時間は、彼女たちを神秘の世界へ連れていった。
ハティさんが湖に入ると同時に、クレアちゃんが自分の仕事にとりかかる。
「それじゃ、クレアとフェインはお昼ご飯のキノコを探して行って来るね♪」
龍脈よりお昼のご飯が大事なクレアちゃん。意気揚々とフェインの背中に飛び乗った。
「気を付けていってらっしゃい。さて、ハティさんの用事が終わるまでしばらくかかることでしょうから、みなさんが住む場所のお話しを聞かせていただいてもよろしいでしょうか。お恥ずかしながら、わたくしはあまり外の世界のことを知らなくて (メアリ)」
「メアリさんはずっとシャングリラで暮らしてるんですか? (ベレッタ)」
「いいえ、元々はアン・グリザイユ国で巫女をしていました。お役目が終わったので、今はシャングリラで暮らしています。近いうちに世界を見て回ろうと思ってます。まだ見ぬ土地を巡って、いろんなものを、景色を、人々を見て、感じて、知りたいんです。それが当面の目標です。ペーシェさんたちの夢を聞いてもいいですか? (メアリ)」
「あたしは舞台作家を目指してる。なかなか芽が出ないけどね。でも絶対諦めない (ペーシェ)」
「まぁっ! 舞台というと演劇ですね。どのような題目がお好きなのですか? (メアリ)」
聞かれ、ペーシェは恥ずかしいのか視線を逸らした。
逸らしたのは恥ずかしいからではない。内容がエグくて、お姫様みたいな美人さんに話す内容ではないことを客観的に認識してたから。
なので、オブラートを100枚包む。
「一応、コメディをやりたいんだけど…………友人からは趣味全開で書いてるダークファンタジーの方が面白いって言われる…………」
「まぁ、それはぜひとも見てみたいものです」
ダークファンタジーを?
とは聞けなかった。
聞き上手で話し上手なメアリ・ニアーニャ。地面から浮き出た太い木の根に腰掛ける彼女は、まるで絵本の世界のエルフのよう。
滑らかな金の髪は水面に触れ、広がる風に揺れてさらさらと音を立てるかのように清廉潔白。肌も白く、この世の穢れの一切を知らないような笑顔をしている。
でも彼女の手のひらを見て分かった。この人は苦労人だ。働き者の手をしている。
だからこそ彼女の声色は優しく、大人びたものなのだろう。巫女の仕事がどんなものだったのかなど推し量る術もない。
きっと耳障りの良い職業名よりずっと多くの苦難を超えてきたに違いない。そんな印象を抱かせた。
体を前後に揺らして驚いたり笑ったり。彼女の思い出と夢を楽しんで次はティレットの番。
ティレットは家督を継いで実家の仕事を手伝い、ゆくゆくは頭首として偉大な祖先たちの意思を受け継いでいくと決意している。
彼女の家は有名な騎士の家系。近代において貴族の地位は下がりつつあるものの、一家秘伝の秘術のおかげで、現在、父親は世界を股にかけて働くフリーの魔獣ハンターとして名を馳せている。
国際魔術協会の傘下で傭兵登録し、有事の際に各地に赴いて仕事をする人たちは多くいるけれど、一個人で活動できるほどの人は世界にひと握りしか存在しない。
彼女はそんな父をもつ稀有な家の出なのだ。
2人の知られざる一面に感嘆のため息を漏らし、遂に花冠が渡される。
夢。キッチンに参加する前の自分であれば、たどたどしくして会話を逸らしていたかもしれない。
物心ついた頃に教会で過ごし、どす黒い笑顔に怯え、ただのうのうと、このままシスターになって子供たちの世話をして、時間の流れるままに生きていくんだと思っていたわたしなら答えられないでいた。
でも今は違う。すれ違うみんなの背中を見て、カッコイイなって思った。
アルマちゃんの情熱に焦がされて、わたしの心は輝き始めた。
誰かと一緒に手を繋ぎ、誰かの為に何かをする楽しみを知った。
世界はこんなにも豪華絢爛で、キラキラしていて、わくわくしてるんだって気づいたんだ。
憧れる大人たちに背中を押され、心通わせる友と笑い、しっかりと前を向いて歩きだせる。
今なら胸を張って言える。
大好きな魔法で誰かを幸せにしたい。世界中の人々を笑顔にしたい、って。
「素敵。素敵ですっ! ベレッタさん、とっても輝いていますっ!」
メアリさんが前のめりになって褒めてくれる。
正面きってそう言われると赤面必至!
顔が熱くなって火が出そう。
「本当に、なんか日に日にいい顔になってるよね。正直なところ、最初に会った時はおとなしそうな人だなぁって思ったけど、今はすっごく溌剌としてこっちまで、『おっし、やるぞっ!』って気分になる!」
ペーシェまで、そんなことを言われると恥ずかしくて俯いてしまう。
「ええ、とっても素敵です。アルマさんと出会ってから特に (ティレット)」
「そ、そうかな? 素敵かな。えへへ、ありがとう。わたしもアルマちゃんみたいにキラキラしたいなって、羨ましくて、憧れて、あんなふうに笑顔でいたいって、そう思って (ベレッタ)」
「ベレッタさんならなれます。できます。叶いますっ! だって本当に、夢を語る姿は、そう、まるで恋をしてるようでした。夢に焦がれる乙女の顔ですっ! (メアリ)」
「お、乙女ッ!? (ベレッタ)」
「なるほど、その表現はしっくりくる (ペーシェ)」
「言語化しにくかったのですが、たしかにその言葉です。それで間違いありません (ティレット)」
「2人まで、そんな、なんだか恥ずかしくなってきちゃったよぅ (ベレッタ)」
「でもさ、魔法でみんなを幸せにしたいって夢、いまんところ叶ってるよね。すみれはベレッタさんが作ったきらきら魔法を使いたくって、今まさに頑張ってるところだし (ペーシェ)」
「そうなの? (ベレッタ)」
「きらきら魔法? ってなんですか? (メアリ)」
メアリさんの疑問に答えるべく、指を立てて先っちょからきらきら魔法を放ってみる。
燐光を纏った光が若草色に輝き、小さく明滅したのち静かに消えた。
いつもなら誰がやっても白く光るだけなのに、ここではなぜかわたしの魔力の色と同じ色の光になって現れる。
龍脈の影響を受けたのか、森林の中にいるからか、すぐに理由は分からない。
ともかく、メアリさんは光る指先を辿って目を輝かせた。
同じようにティレットの光にも色がついている。彼女はしっとりとした橙色。彼女の持つ魂の色と同じもの。
ペーシェは自分の色を影でこそっと見て隠した。もし発現した色が魂の色になるのだとしたら、ペーシェの色は…………。
メアリさんの放つ光は彼女の魂の色と同じく純白。
物珍しく美しいとあってメアリさんは空を指先でなぞり続ける。
踊るように走り回る姿は天真爛漫。まるでフェアリーのよう。翻すスカートの乱れなど気にする様子もなく、新しく体験する魔法に胸躍らせた。
「気に入ってくれたみたいでよかったです。簡単な魔法ですけど」
「とってもキラキラしていて、とってもすっごくわくわくする魔法です。こんなにも素敵な魔法を教えてくださって、本当にありがとうございます。みんなにも教えてあげなくっちゃ!」
「よかったですね、ベレッタさん。また1人、笑顔になりましたよ」
面と向かって言われると恥ずかしい!
でも、本当に、嬉しいですっ!
「本当に、ベレッタさんは素敵な方です。同じキッチンで時間を共にする者として誇りに思います」
「そんな、あぁ……えっと、喜んでくれて、わたしも嬉しいです」
「そんなに謙遜しなくても。本当にベレッタさんは奥ゆかしいなぁ。あ、ほら、すみれとハティさんが帰ってきたみた―――――――――なんか秋色の風がぶわっと吹いた!?」
途端、柔らかく温かな風が全身を包んで吹き去った。
「あ、本当だ。すみれの体から魔力が漏れてる。なんていうか、とっても綺麗な朱色の魔力。透き通っていて、実りを告げる秋の風のように優しい色をしてる」
まだ寝ぼけ眼といった様子で抱きかかえられたすみれからは、今まで彼女から感じなかった魔力の波動を感じる。
透き通った輝く朱色。なんていうか、こう言っては失礼かもしれないけれど、実りの秋を思わせるおいしい色をしていた。本当に彼女らしいと思う色。
どうやらハティさんは本当にすみれの魔力の外殻に触れたらしい。
あいかわらず当然のように非常識を成す彼女の底が知れない。驚きと尊敬と、思ったことをやってのけてしまう彼女の生き方に憧れを抱いてしまう。
強くなれば想い描く未来が実現できるのだろうか。もし彼女のように、なんでもできるようになったなら、それは素敵な人生を歩むための力強い礎になるに違いない。
すみれの意識がはっきりしてきて、魔法が使えるようになったと聞くなり目が覚めた。
やったやったと飛び跳ねて、さっそくきらきら魔法を教えるために彼女の手をとる。
小さくて暖かい。料理が大好きな両の手がわたしの手のひらに重なって輝いた。よほど待ちきれなかったのか、教えてすぐに魔法を放つ。
広げた手の中に朱色の瞬きがひとつふたつ。どんどん増えてこぼれて消えていく。湧き出る水のようにぴかぴかと現れてはぽろぽろと溢れていった。
「わぁ、これが魔法! なんだかすっごくキラキラしていてドキドキします。とっても素敵です。やったぁーっ!」
すみれは飛び跳ねて、足元の水たまりがスカートに触れるのも気にしない。
「朱色のきらきら。すっごく綺麗。私のは金色のきらきら」
ハティさんの魂の輝きが眩しすぎる。
「金色とかなんかずるい。ちょーきれい!」
「ペーシェさんのきらきらは何色なの?」
「ぐえッ!? あたしのは……あんまし綺麗じゃないから気にしないでー…………」
「えぇ~っ! すっごく気になる。きっととっても綺麗な色だよ。みせてみせて♪」
せがまれて、すみれの頼みならと渋々ながらに発動させたペーシェの魂の色は黒。
漆黒の暗黒。
光学系魔法なのに黒色の光というのもなんだか変な表現ではある。が、とにかく黒色に光り輝く。
経験上、その人の魔力の色は性格にも反映されていた。彩度や明度、微妙な色具合によって、ある程度、性格の類似は確認されている (ベレッタ調べ)。
しかし黒という人は見たことがない。基本的に濁った色をしている人は性格が悪い傾向にある。
だけどペーシェの性格は悪くない。社交的で誠実な言動を心掛けていることは知っていた。
ということは、むしろ黒は純粋な色なのではないだろうか。純白とは最も遠く、しかし性質において漆黒と同義。見様によってはそう考えられる。
「わぁ~、とっても綺麗な夜色。一番きらきらしてるっ!」
「夜色となっ!? まさかそういう見方があるとは、さすがすみれ。でも黒ってどうなん?」
ネガティブな印象の黒。本人はあまり良い印象がないみたい。
「夜のお星様は夜色の中でしか輝いて見えないんだよ? だからペーシェさんの夜色はみんなに必要な色なの。それにすっごくきらきらしていて綺麗!」
「そ、そう? そうかなぁ~ (照)」
夜色ときたか。その発想はなかった。
たしかにすみれの言葉には一理ある。星が輝くためには空が澄んでいて、周囲が闇に閉ざされてないといけない。
いつだってそこに星はあれど、昼間に輝いて見えないのはそういう理由。
なれば彼女の言う通り、ペーシェの魔力の色は夜色が正しい。そういうことにしておこう。
そっちのほうがなんだか、ロマンチックで素敵だから。
~~~おまけ小話『メルヘンに迷い込んだ』~~~
メアリ「よければきらきら魔法を作ったきっかけなど、教えていただいてよろしいでしょうか?」
ベレッタ「きっかけ? えっと、雨の日に妖精図鑑を見てて、窓に流れる雨粒を眺めてたんです。いつも雨の日はブルーな気持ちになってしまうのですが、もしもフェアリーだったら、こんな日にも素敵な世界を見つけて楽しんでしまうんだろうなぁ、と。だから雨粒がカラフルでキラキラしたら、きっと素敵なんだろうなと思って、なんとなく指先で窓をなぞったんです。実際に雨粒に色はつかないので、光で照らしてきらきらできたらな、って。それで、気づいたらきらきら魔法が生まれてました」
ペーシェ「カラフルな雨粒! メルヘンすぎる!」
ベレッタ「す、すみません! もうそんな歳でもないのに分不相応なことをっ!」
すみれ「そんなことないよっ! とっても素敵です! おかげで私はわくわくしてるんです。ありがとうございますっ!」
メアリ「そうですよっ! 自分にもっと自信を持ってくださいっ!」
ベレッタ「うぅ、みなさん、ありがとうございますっ!」
ペーシェ「(メルヘン死にしそうとはとても言えんッ!)」
ティレット「ベレッタさんはレナトゥスに赴かれた際には、きらきら魔法を研究なさるのですか?」
ベレッタ「まだそこまでは考えてない。でも、いろんなことを学んで、アルマちゃんみたいに立派な魔術師になりたい。もっと多くの人を魔法で笑顔にしたい!」
ティレット「素敵な心意気です! 私ももっと励まなくては! ところでペーシェさんの顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
ペーシェ「ぜんっぜんだいじょうぶ! もうぜんっぜんだいじょうぶだから!」
すみれ「全然大丈夫そうじゃないっ!?」




