表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
126/1087

理想郷:シャングリラ 2

 深いため息をついて、でもまぁ仕方ないかと諦める。義兄は魔導工学が大好きで、若くして魔導工学の第一人者と呼ばれるほどの地位にまで上り詰めた。

 望んでというよりは、気づいたらそこにいたという類のもの。

 純粋な動機であるがゆえに、こういう時にも趣味の会話を優先させてしまう。

 わたしはそういう義兄の背中に憧れると同時に尊敬もしていた。

 だからここは理解ある義妹として見届けることにいたします。


 もやもやした気持ちを朝食と共に飲み下し、すみれの秘密特訓を見学するためにハティさんたちの後ろをついていく。

 降り注ぐ太陽の光は暖かく、透き通るほどに快晴の空。

 森から延びる小川は、丁寧に育てられた畑に流れ込んで静かな音を奏でる。

 野菜の成る畑はどれも生き生きと輝いて、ぷっくりと大きな実をつけた。

 土、空、光、水、どれも素敵な香りを放っている。

 胸いっぱいに息を吸い込むと、嗅ぎ慣れない磯の姿が脳裏によぎった。

 大地の先に広がる青い海。内陸のグレンツェンでは決して聞こえない波の音。

 アイザンロックの冷たく厳しい海とは正反対の姿。

 シャングリラの海はとても暖かく、優しい印象を受ける。


 物珍しい波打つ音に惹かれ、海岸沿いのフェンスに走り出す我々の心は童心に戻っていた。

 ざっぱんざっぱん。岸に打ち付ける青い波は、白く泡立つ泡沫に姿を変えては消えていく。

 わたしやペーシェは珍しい光景でとても新鮮。すみれにとってはとても懐かしい景色だそう。

 故郷に残した大事な人たちを描いて、懐古の気持ちに心を溶かした。

 島育ちの彼女の心にはいつも快晴の海がある。

 しばしの別れを告げた過去に思いを馳せ、そして未来の自分にまだ見ぬ可能性を求めて胸躍らせた。


 ひとしきり満足したところで歩を進めるため、すみれはハティさんに向き直って疑問をぶつける。


「そ、それで、魔法を使えるようにっていうのはどうすればいいのかな。やっぱり、厳しい修行とか?」

「ううん。すみれの魂の外殻に触れて、少しだけ調整してみようと思う。多分、すみれの外殻が隙間なく閉じてて、内側から魔力が漏れ出ないようになってるんだと思う。だから少しだけ開けてみる」


 …………ハティさんがとんでもないことを言い出した。


「魂の外殻に触れるって、そんなことできるの!?」


 魔法専科でもないペーシェでも、ハティさんがありえないことを言ってると理解した。


「もしそんなことができるのだとしたら、それはもう神代の業では?」


 魔法専科のティレットは目を丸くして口を開ける。


「理論的には可能らしい。だけど、とても実用できるような物じゃないって聞いたことある……けど…………」


 わたしは神父様から、それらしい話しを聞いただけ。だけど、それがどれだけ困難なことかは理解できた。


 魂の外殻に触れられないはずがない。いや、当然できる。

 ハティさんの表情は困難に立ち向かうような険しいものではない。息をするように、足を出せば前へ進むくらい当たり前のように、緊張のない様子で言葉を続けた。


「それじゃあ場所を移動しよう。龍穴のある森の奥に行く」


 呆気に取られるわたしたちを置き去りに、ハティさんは歩を進める。

 最初に歩き出した言葉を繋いだのはペーシェ・アダン。


「ああ、なんていうかもう、できるかどうかを議論するんじゃなくて、『やる』んだね。さすがハティさんですわ」


 ペーシェの乾いたため息が耳に響いた。


 魂の外殻に触れる。言葉にすればたったそれだけのこと。

 だけど、それを行うのにどれだけの魔術師が頭を悩ませ、挫折し、夢諦めてきたことかを彼女は知ってるのだろうか。

 魔術史を遡れば、魔力の窮極こそ魂の中にあり、魂と無限に溢れる魔力を制御する魂の外殻を解き明かすことができれば、魔術の神髄にたどり着けるとされている。

 全ての人が追い求め、誰一人として到達することのできない領域。

 それを彼女は平然と“触れてみようと思う”と言う。出会った時から不思議な人だとは思ってた。今ほど彼女が何なのかを疑問に思ったことはない。


理想郷(シャングリラ)の女主人】

 ユーリィはハティさんをそのように形容した。

 ハティさんは過去にどんな生活をしていたのだろう。

 何を思い、どんなことをしてきたのだろう。興味が尽きることがない。

 深淵で、不思議で、強くて優しくて、なのにまったく奢ることなく、時々子供っぽい表情さえ見せる。きっと心のままに生きてるのだろう。羨ましい生き方だな。

 わたしも強くなれたら、彼女のように自由な心のままでいられるだろうか。

 遠い世界を見るように、わたしたちはハティさんの背中を追った。


「それじゃあ、クレア。フェインを呼んでくれる?」

「はぁ~い。フェイン、こっちおいで~っ! ハティお姉ちゃんが呼んでるよ~」


 クレアと呼ばれた少女の声が森の奥に木霊する。


「フェインって何でしょう?」


 ティレットが当然の質問をメアリさんに投げかけた。


「わたくしたちの大事な家族です。こーんなに大きくて、もっふもふの毛皮が素敵なんです。換毛期になったら毛を貰って、子供たちのお布団に使うんです」

「というと、羊さん?」

「いいえ、フェインは狼の魔獣です」


 こーんな大きな魔獣の狼が家族。狼が家族なのは分かる。だけど、魔獣とはこれいかに。

 我々の常識の中では、魔獣は体内で暴走した魔力によって自我を失った獣の総称。鳥や獣に関係なく、それら全てを魔獣と呼ぶ。

 仮にそれが家族だというならば、シャングリラは哀しき獣たちを救う夢の土地に違いない。


 クレアと呼ばれた女の子の視線は森の中。メアリさんもそっちを見てる。だからてっきり大きな体をゆらしてのっそり出てきたり、かっこよく颯爽飛び出してくるのかと期待した。ちょっとわくわくした。

 森に視線を向ける最中、視線の端に何か大きな影がちらつく。小川の上流から何かが流れてきた。

 昔話に出てくるような大きな桃か。否、金色の体毛をぴっちりと濡らして、水面の下で犬かきをする狼さんの姿だ。

 それもただの狼ではない。体長3mはあろうかという巨大な獣。

 泳いで登場というシュールな出会い。ちょっとかわいいかも。


「この子がフェイン。とっても大きいんですね。本当に……」


 水浴びした獣あるある。体毛が水分を含んで異様な姿でほっそりしてしまう。大きさのせいもあって笑いが、笑いを堪えるのが苦しい…………っ!


 こんな姿にも慣れたクレアちゃんは、ファインが小さかった時のことを教えてくれる。


「そうだよ。出会った時はこーんなに小さかったんだけど、どんどん大きくなって、こんなんな、あッ! ぶるぶるする時はもっと離れて。びしょびしょになっちゃうから!」


 クレアが制止すると、金色の狼はぽたぽたと雫を垂らしながら森の中へ入っていった。

 木々に隠れて見えなくなる。きっと我々に飛沫が飛ばないように工夫してくれたのだろう。


「賢い。ちゃんと言葉が分かるんだ」

「そうだよ。フェインはね、すっごく賢いの!」


 えっへんと胸を張るクレア。フェインはクレアにとっても懐いていて以心伝心の仲。どこへ行くのもいつも一緒。血を分けた兄弟のような存在。

 わたしたちは彼の背中に乗って森の奥へ向かうらしい。が、その前に、もふもふの胸毛に魅了されてしまって少しの間、もふもふを楽しむ。

 ふわふわのもふもふ。これを布団にしてしまったら、もう幸せな夢以外を見られる気がしない。これはたまらないっ!


 十分に楽しんで背中に乗る。つやつやふわふわの背中。触れる肌は呼吸のたびに上下して、生き物独特の温もりを感じた。

 本当に、動物の背中に乗っている!

 まるで御伽噺のヒロインにでもなったような気分。これほど大きな狼の背に乗って森を散歩するだなんて、子供の頃に夢に見た限り。

 それが、まさか、こんなところで実現するとはっ!


 馬とも牛とも違う乗り心地。背中の大きさゆえに安定感は抜群。揺れはしてもお尻を痛めることもない。背の高い木の枝が目の前にある。地上を歩いていては決して見られない景色。小鳥たちが物珍しそうにこっちを見てる。

 わっ、リスがこっちに向かってきてる。


「ベレッタさん、めっちゃ楽しそう。こういうの好きなタイプ? (ペーシェ)」

「え、えぇっと、うん。まるで御伽噺の世界みたいで、なんだか夢を見てるみたい。すっごくふわふわしてる (ベレッタ)」

「私もベレッタさんと同じ気持ちです。やっぱり女の子なんですから、こういうメルヘンな世界にはうっとりしてしまいますね。ペーシェさんもそうでしょ? (すみれ)」

「えッ!? あぁうん、そうだねー。やっぱいいよね、こういうの (ペーシェ)」

「ペーシェって、もしかして (ベレッタ)」

「ぐぐぅッ! (ペーシェ)」

「高いところ、苦手? (ベレッタ)」

「へ? あ、いやそういうわけじゃなくて、なんていうかその、面食らってるっていうか、本当にこれが現実なのか混乱してるというか。外国を旅するのもいいかもって。は、ははは…… (ペーシェ)」


 そうか、よかった。高いところが苦手じゃなくて。

 ほっと胸を撫でおろすと、好奇心旺盛な金髪碧眼の少女が瞳を輝かせて振り向いた。


「おねーちゃんたちは外世界にいるんだよね。いいなー、クレアも行ってみたいなー」

「それだったらいつでも大歓迎だよ。ぜひ遊びに来て。案内するから」

「ほんと? わぁ、ありがとう!」


 外の世界に興味深々のクレアも、すみれと同じようにまだ見ぬ未来に胸躍らせて笑顔を見せる。

 まだ見ぬ未来か。お祭りが終わったら、わたしはユノさんの助手をするためにベルンを離れる。

 ずっと暮らしてきた故郷。大切な人たちがたくさんいるグレンツェン。正直言って、離れるのは怖いし寂しい。


 放った矢は戻って来ないことは分かってる。新しい自分になるんだって気持ちは本物。多くの人たちに背を押されて、わたしはもっと素敵な自分になるんだ。

 今日だって、『魔法で誰かを笑顔にしたい』っていう夢を叶えるための勉強になるかもって参加したんだもん。

 ハティさんの近くにいれば何か掴めるかもって手を挙げた。だったら何か1つでも探さなきゃ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ