理想郷:シャングリラ 1
以下、主観【ベレッタ・シルヴィア】
陽の光が窓の淵を照らし始める頃、セットした時計の音よりも先に目が覚めた。
心が待ち遠しくしてるらしく、わたしは顔を洗って歯磨きを終え、着替えてすぐに教会を飛び出す。今日はなんと、あのハティさんの故郷へお邪魔することになったのです!
彼女がどんなところに住んでたのか。
どんな出会いが待ち受けるのか。
お声がかかったその時から、わくわくがとまりません。
朝一番の電車に乗ってハティさんたちの住まう街へ踊り出す。
お気に入りの春色ワンピースを翻し、カラフルに彩られたモザイクの石畳をこつんこつん。
空は快晴。まるでわたしの心を描き出してるよう。
頬を撫でるそよ風が柔らかい。あたかもフェアリーが通り過ぎたかのような優しさを感じた。
スキップするように歩み出て、止まる先は明るい土色のレンガの壁の前。右奥には紅葉の木の成る広い庭。秋になると真っ赤に色付く紅葉の葉がついて、おいしい季節を報せてくれる。
見上げるとシェアハウスの目玉、屋上テラスの一部が見えた。星の瞬きを一身に受けられるその場所は、星空に一番近い場所を思わせた。
呼び鈴を鳴らして、元気いっぱいのすみれの笑顔がお出迎え。
「おはようございます、ベレッタさん。わぁ、とっても素敵なワンピースですね」
「おはよう、すみれ。すみれのベレー帽もかわいいね。赤のチェック柄が似合ってる」
えへへ、と嬉しそうに笑顔を作る彼女は頬を紅潮させた。料理が上手で頑張り屋さん。誰の目を気にすることなく感情を表す彼女は、誰からも好かれる愛嬌をもっている。
自分を出すのが苦手なわたしと比べると、少し羨ましく思ってしまった。誰かと比べるものじゃないのは分かってる。けれど、羨ましいものを目の前にすると意識してしまう。
玄関には靴が3つ。てっきりアルマちゃんたちも参加だと思ってた。
彼女たちは故郷のメリアローザに一時帰国してるとのことで不参加だった。残念と思いながら、いつかアルマちゃんたちの帰る場所にも行ってみたいと思います。
少し時間が経つと、ハティさんの故郷へ行ってみたいと手を挙げた面々が集まってきた。
ティレット、レレッチ、ペーシェ、それからアーディ。
「これで全員かな。それにしても、なかなか珍しい組み合わせだね」
ペーシェが全員を見渡して、面白いことが起こりそうだと笑顔を作る。
「みんなで行きたかったけど、急なことだったし仕方ないよね。シルヴァさんもいきなり大勢で行っても困るかもってことだったし」
レレッチは残念そうに呟いて、仕方がないと諦めた。
「大丈夫。みんな、そういうのは慣れっこ」
ハティさんは全員連れて行って大丈夫だったらしい。
きっとたくさんの友達がいて、よくホームパーティーをするんだろうな。
楽しみだなぁ。どんな出会いが待ってるんだろう。
「今日の予定は、すみれさんが魔法を使えるようになる訓練をなさるのですよね? (ティレット)」
「うん、そうだよ。私もきらきら魔法を使いたい。キラキラ~って! (すみれ)」
「訓練というか、調整? かも。すみれはちょっと特別。人の少ないところでやりたい (ハティ)」
「特別? そう言われてみれば、すみれって一切魔力が漏れてないよね。色も見えないし (ベレッタ)」
「色ですか? (すみれ)」
「ベレッタは生まれつき、魔力の色を見ることができる。いわゆる共感覚というやつだ。その人の得意な属性に寄った色が見えるらしい (アーディ)」
「なるほど。あ、あたしのは見ないで。だいたい何色か分かるから (ペーシェ)」
見ないでと言われても、漏れ出る魔力に色がついてるわけで、なので彼女を見ただけでどんな色なのかが分かってしまう。
でもそれは誰にも言ってない。ので、見てないことにしてやり過ごそう。
「ルーィヒさんがいらっしゃらないようですが (ティレット)」
「ルーィヒは急用ができて不参加になっちゃった。講義の助手を頼まれたって (ペーシェ)」
「そうなんですか。では仕方ないですね (ティレット)」
「レレッチさんのそれはフルーツの盛り合わせですか? とってもいい香りがします (すみれ)」
「こ、これは……かき氷で余った果物。手ぶらじゃ申し訳ないでしょ、やっぱり (レレッチ)」
「さすがレレッチです。私は紅茶のティーパックの詰め合わせです。喜んでいただければよいのですが (ティレット)」
「わぁ、ありがとう。みんなきっと喜ぶ。それじゃあ、外へ出て準備しよう (ハティ)」
促されるままに紅葉の庭へ出て、瞬間、時空間移動。
相変わらずというか、カウントダウンも無しにマイペースに行動を起こすところなんかはハティさんらしい。心の準備をする間もなく、我々は彼女の故郷へと到着した。
雲一つない快晴の空。
田畑独特の湿った土の香り。
潮風に乗って新鮮な野菜の放つ緑の匂い。
元気な鶏の挨拶が耳に響く。
ここは理想郷。
人が心に望んだ最果ての地。
ダイナグラフに赴いた時も、切り替わる景色と吸い込んだ景色でもって、外国へやってきたんだと実感した。
恐竜の住まう土地は、強烈な生命の躍動と、じっとりとした暑さに驚いた。
アイザンロックに足を運んだ際は、これほど寒い土地があるのかと身を小さくした。肌を突くような冷たい空気。陽の光は注げども、凍えるような海風が温かさなど拭い去ってしまう世界。海の上はもっと冷たく厳しく、青と白の世界は死の地を思わせる。
だけど暖炉のある家の中は身も心も温かくなって、人々の温もりを確かに感じた。
ここはそう、少しグレンツェンに似てるように思う。
安心するような、見ていて飽きないというか、心の原風景をそのまま写し込んだかのような美しい景色。
田畑と海と森。質素だけど、確かな幸せがここにはある。母の腕に抱かれるような心地になる。そんな感覚。
畑を目の前にして、ハティさんは背を向けた。
振り返るとそこには大きなお屋敷。どっしりと構える。まるでハティさんの堂々とした立ち居振る舞いの様相を思わせた。
扉には鍵はついておらず、引くと誰にでも簡単に開けることができる。セキュリティは大丈夫なのだろうか。田畑に防護柵などがないところを見ると治安はいいらしい。
だとしても、ここまで無防備だと心配になってしまう。
グレンツェンも治安が良いとはいえ、多くの人間の集まる場所。犯罪件数が諸外国に比べて圧倒的に少ないだけで、全く無いというわけではない。
しかも話しによると、シャングリラに住んでるのは子供ばかり。より心配になってしまう。
現在では島の北部と南端に港町を建設中。街や田畑、その他諸々が立ち並ぶ予定だという。
扉をくぐると異様に高い天井が目についた。ハティさんの身長が190cmを超えているとはいえ、それにしたって高い。これほどの施工にする必要があるのだろうか。潮風が強いから換気の関係だろうか。
よく見ると、天井にも壁にも床にも、細かな小さな傷がある。何か硬くて大きなものでこすったような跡。脚立を使ってパーティーの飾りつけをした名残なのかな。
廊下には幾枚もの絵画が所狭しと飾られている。殆どは風景画。柔らかなタッチで温かみを感じる絵。ため息をついてほっと安心してしまうような安堵感を感じる。
壁伝いに歩き、しばらくすると厨房に出た。キッチンの目の前には長く伸びるテーブルが1つ。椅子がたくさん。子供たちのものと思われる丸椅子が並んでいた。
使い込まれた椅子とテーブル。ところどころ欠けてる。だけど、大事に使われてるとわかる傷は見ていて愛おしく感じるもの。
台所には1人の女性が鼻歌混じりに朝食の準備をしてる。
綺麗なストレートの黒髪。若草色の上着とスカートに花柄のエプロンがよく似合う。
両側の側頭部にはぐるぐる巻きの角が生えている。角は磨き抜かれ、黒曜石のような輝きを放っていた。
足音に気付いた女性は振り返り、満面の笑みでお出迎え。
「あら? ハティさんじゃないですか。しばらく戻って来られない予定では…………それにそちらは、お友達ですねっ! ようこそおいで下さいました。朝ごはんはまだですか? 今日はバゲットとクリームシチュー。それからユーリィからもらった紅芋があります。あ、そうだ。今日はチーズを出しましょう。今日もチーズの日です♪」
気持ちのよい笑顔で迎えてくれた彼女の名はエリストリア・ダリア・フューエル。
シャングリラで子供たちのお世話と、主に料理を担当する魔族の女性。
ハティさんを本物の姉よりも姉のように慕って尊敬している。
自己紹介もそこそこに、雪崩れるように寝起きの子供たちの挨拶の嵐が吹きすさぶ。
十数人の笑顔が咲き乱れ、快く我々の訪問を受け入れてくれた。
その中に1人、成人女性がいる。ハティさんとハイタッチして再会を喜んだ。
「おっはよう。しばらく帰って来ないって言ってたけど、何か忘れ物?」
「ううん。すみれが魔法を使えるようになるために、また戻って来た。ユーリィがくれた紅芋、すっごくおいしかった」
「そりゃよかった。品種改良に苦心した両親も喜ぶよ」
「品種改良? 紅芋? その話し、あとで詳しく聞かせて下さいっ!」
農家の娘がユーリィと呼ばれた女性に食いついた。
たしかレレッチは農家の家の出。果物畑の改良と品種改良による、病気に強い植物の研究と知識の深化をするためにグレンツェンに来たんだっけ。
夢は家督を継いで、もっと良い田畑を目指すと決意していた。
情熱を胸に抱き、物怖じすることなく、人に話しかけていくレレッチの姿にも憧れのようなものを感じる。
人見知りが激しいと聞いてたのに、そんな様子は全くない。やっぱり好きなものになると、そんなことなど壁とも思わないのだろうか。
子供たちのお腹の虫に急かされて、一同は席につく。客人用の椅子まで用意してもらい、みんなと並んで食事を始める。と、ここで密かにわたしの出番。お義兄ちゃんの横にペーシェが来るように仕向けるのだっ!
何を隠そうベレッタ・シルヴィア。意外にも女性に免疫のない義兄のために、恋のキューピッドを買って出たのです。
義兄には小さい頃からお世話になりっぱなし。ここで恩を返さねば、女がすたるというものです。
何気なくペーシェの横に座ろうと並び、横に義兄を引き連れ、座り込む瞬間に片思いのアーディをペーシェの横に座らせる。
義兄にも段取りは相談済み。阿吽の呼吸でいち、にの、さ…………んッ!?
「ねぇねぇ、あなたの左腕って義腕だよね。ちょっと見せてもらっていい? あたしはユーリィ・サッドマッド。サリアバックス国で魔導工学の技術者をやってるの。鋳造なんかも手掛けてる。このチーズの入った小鍋もあたしが作ったんだよ。魔力を流すと鍋底の温度が上がって、ちょっとした料理を作るのに便利なんだ」
「なるほど、こいつは便利そうだな。俺はアーディ・エレストイ。グレンツェンで魔導工学の研究をしている。この腕は俺が作ったものなんだ」
「へぇ、すっごく緻密で綺麗。ほむほむ……これだけ細かい駆動だと、生身の腕と手と同じくらい正確な動きができるね。それにメンテナンスし易いように最小限のパーツをパージするだけで丸洗いできるようになってるのか。外見の機械的な美しさもさることながら、効率的で実用的な構造だね」
「なんとっ。見ただけでそこまで分かるのか。ユーリィは相当な技術者だな」
「アーディこそ、あ、ため口でいい? いいよね。でさ、あたし、今、土木作業用のゴーレムを作ってるんだけど――――――」
ふふぁっ!?
突然現れたユーリィと名乗る女性がタイミング悪く、ペーシェの隣に滑り込んでしまった。
お義兄ちゃんもお義兄ちゃん。魔導工学の話しとあって、仲良くおしゃべりを始めてしまう。
こんな予定じゃなかったのにっ!
今日ここに来たのだって、半分はハティさんの故郷見たさだったけど、もう半分は義兄の恋のお手伝いをするため。
ペーシェと一緒の時間を作りたい。仕事でキッチンの作業から外れてる自分が、他のイベントに参加するのは気が引けると言うから、自然な流れを作って参加にこぎつけたのに。これじゃあ何のために苦心したのか分からない。
まさかこのまま、魔導工学の話しにうつつを抜かしてどっか行っちゃう気じゃないよね?
悪い予感というのはどういうわけかよく当たる。
義兄は趣味と仕事の会話を弾ませて、朝食が終わるとユーリィと共にどこかへ消えていってしまった。
――――怒ですっ!
滅多に感情を表に出さないわたしだけど、今日に限って露骨に表情に出します。
これは後でお説教です。
「あれ、ベレッタさん? どうしたの、顔を真っ赤にして。もしかして何か怒ってる?」
よりによってペーシェに指摘された。
「怒っています。義兄の不甲斐なさに怒ですっ!」
わたしが珍しく怒るから、ペーシェの隣に座るすみれに驚かれてしまった。
「ベレッタさんが怒り心頭だなんて。アーディさん、一体どんな恐ろしいことを!?」
続いてペーシェが冷や汗たらり。
「普段怒らない人が怒ると怖いなぁ。でもそんな変なことをしたようには見えなかったけど?」
貴女には気づいて欲しい。彼の恋心。わたし以上に怒って欲しい。
しかし現実はこんなもの。想い人に心の内が伝われば苦労はしない。物語など生まれはしない。




