恋の悩み 1
以下、主観【ワン・ハイジー】
今日も電車はガタンゴトン。夢と希望を乗せて行く。
きっと明日もガタンゴトン。素敵な未来を運んでく。
今までだってガタンゴトン。昨日の轍を踏みしめる。
今日の良き日に友人宅へ招待されたあたしは、セントラルステーションから延びる路面電車に乗り、しばし木漏れ日の中を移動中。
あたし自身の居住地はチャレンジャーズ・ベイの南側。世界中から職人さんや挑戦者が移住してきた際に開拓された地域であり、駆け出しの見習いが集まる場所として志しを同じくする同士が集る場所。
そこはまさに世界の縮図のような様相。芸術肌の人間が集まることを承知している大家さんは、部屋や庭、玄関や廊下などに各々の作ったものや好きなものを置いてよいとした。
だから思い思いに描かれた街は、グレンツェンで最もユーモアに溢れたユートピアになっている。
調和と混沌を愛でる街。日々変化する光景は見ていて全く飽きがこない。
電車の窓から見える景色も同様、その時代を反映した建造物がグラデーションのように様変わりしていく。
北に進めば進むほど古く、伝統的な方法で建てられた家々が立ち並ぶ。電車に揺られながらグレンツェンの歴史を感じられる時間は、実に優雅で心穏やかにさせた。
対して反対側、西側は古くからの人が住むカントリーロード。野菜をはじめ、沢山の農作物が生る畑は、収穫時期になるとカラフルな色に包まれる。
秋の小麦のシーズンは黄金の稲穂が風になびく姿を見て感嘆のため息が出てしまう。
あたしは海育ちだから郷愁の念というものを抱いたりはしないのだけど、それでも秋風に揺れる美しい金色の絨毯は、あたしの創作意欲をかき立てるものがあった。
さて、それではセントラルステーションに到着したので、フュトゥール・ストリートへ向かう電車へ乗り換えましょう。
幾億と踏みしめられた石畳。
朝日に照らされて色を落とすステンドグラス。
行き交う人々の喧騒。
ホームから流れる案内音声。
個性豊かな売店。
足元を縫って踊る猫の親子。
夜になると灯るガス灯。
どこを見ても愛おしい。連綿と受け継がれ、守られてきた昨日の景色は明日を描く。
当然のように感じる世界がどうしようもなく心躍る。そう感じるのは、あたしがすっかりグレンツェンを好きになった証拠かな。
「おっす、ハイジ。時間ぴったしだな。ま、寝坊したりダイヤが止まったりしなければ当然か」
「そこは『待った?』でいいんじゃない? そういうところは気が利かないねぇ、スパルタコ」
「そうかい? じゃ改めて……待った?」
「それじゃあスパルタコが遅刻だよ。指摘される前に言わないと」
相変わらずの談笑を終えて石畳を踏み越えた。
今日の予定はティレットの趣味であるフェルト人形作りを体験しようというやつです。
先日、プレオープンの打ち合わせの最中に上がった話題。本筋の話しから少しそれて槍玉に挙がったのが、ティレットの作ったウサギのぬいぐるみ。
ゆきぽんを題材にしたそれは、遠目には本物のウサギにしか見えないほど精巧に、丁寧に作られた。
前祝に参加したシェリーさんやマルタさんなんかも、それを見るなり売ってくれと前のめりになるほど。
結局、ディスプレイ用として作ってるし、カウンターの前に飾っていて少し汚れてしまってるかもしれないということで断った。
しかしそんなに気に入ってくれたのならと、彼女は2人分のぬいぐるみを新たに作る約束をする。
そのついでにといってはなんなのだが、せっかくなので一緒に作って覚えようと思います。
詩集作家志望のあたしとしては、手芸スキルはいつかどこかで役に立つはずと飛びついた次第。
それは当然そうだよね、とみんな頷いた。他の人はみんな用事があって不参加だったのは至極残念。
特にアルマちゃんのお洋服を間近で見たいと思い、彼女に参加を促してみたのだが、留学の中間報告をするために故郷に戻るらしく、2日ほど留守にすると聞いた時は肩を落とした。
それであたしとティレット、ガレットの3人で遊ぼうということになると思ったら、意外なところから伏兵が現れる。なんとスパルタコが声を上げたのだ。
手芸に興味など一切なさそうなメンズが参加を表明した時は固まった。よりによってタコ野郎か。かしましガールズの中に飛び込もうとするなんて、相変わらずどんな心臓してんだこいつ。
もちろん、人のいいティレットは大歓迎と言って迎え入れた。のだが、正直言って何を話したらいいのかわからなくて困る。
キッチンの時はお祭り関係の話題を振ればよかった。だけど、プライベートとなると難しい。
彼はヘイターハーゼで給仕のアルバイトをしていて、SNS巧者。
うぅむ、それ以外の素性を知らぬ。しかもどっちも門外漢だから会話の弾みようがない。
路面電車の中は静かだ。子供たちがきゃっきゃとはしゃいでいること以外は、みなマナーよく静寂を作っている。しかし今はそれが逆に気まずい。
何か共通の話題でもないものか。とりえず参加の理由でも聞いてみるか。
「こう言っちゃあ失礼かもだけど、スパルタコって手芸に興味なさそうだと思ってた。意外に家庭的なの?」
「家事はするけど、趣味で手芸とかはしないな。俺んちって農家でさ、親父に家業を継げ継げって言われて育って、逆に継ぎたくなくなったんだよ。母親には好きなことをすればいいって言われてんだけど、それで親父と仲が悪くて。おしゃべりが好きだからヘイターハーゼでアルバイトやってっけど、結局、俺がしたいことってなんだろうなぁって思ってさ。だからできるうちに色々しておこうと思ったんだ」
「あぁ~、押し付けられると嫌になるやつね。その気持ちは分かる。親の気持ちは分かるけど、強制されると息苦しくなっちゃうよね。親の心、子知らず。子の心、親知らず。ってね。それでフェルト人形か」
「おう……あとは――――」
あとは、と短く切って、そういえば、と切り返した。
SNSでキッチンの様子をアピールしている最中、ティレットが作ったウサギのフェルト人形に注目した人たちからの声が殺到したらしい。
『この人形、本物みたい。かわいい。1匹欲しい!』
『工芸品の食器と一緒にフェルト人形の販売もあるの?』
『表情がめっちゃかわいい。癒される』
『軽く紹介されてるだけだけど、いくらで販売するの?』
などなど、だいたいこういう感じの投稿があったという。
たしかによくできている。あたしも欲しいと思った。最初に見た時は本物のゆきぽんかと思ったほどだ。
日に日に増えていく雪うさぎの群れは壮観そのもの。しかも表情豊か。そして1つ欲しいと思った。1つ欲しいと思って、別ポージングのゆきぽんが陳列されるとそれも欲しくなった。欲望のスパイラルである。
にしてもスパルタコにしては随分と歯切れの悪い顔を見せた。
なんか妙に落ち着いてるというか、悩んでるというか、どこか明後日のほうを見て心が右往左往している。そんな感じ。
世間話をしているうちにティレットの家へ到着。4人暮らし用の立派なアパート。
天井が高く作られていて、中は凄く広く感じた。実際、かなり広い。二世帯が済んでも余裕で暮らせる。さすがお嬢様。お金持ちですな。
扉を開けてすぐ、玄関にスリッパが用意されていた。グレンツェンでは珍しい様式を採用してるようで、ここで靴を脱ぎ、室内はスリッパで入るように促される。
先月の月刊グレンツェンの内容に、西欧と東洋の文化の違いを紹介したコラムが記載されていたことを思い出した。
そこには靴で部屋を歩き回る文化と、玄関で靴を脱いで部屋用の履物に履き替えるのとでは、泥の中に入っているウィルスに感染するリスクが段違いであると紹介されている。
土の中に含まれるウィルスを部屋に持ち込み、乾燥した塵が舞い上がって吸い込み、体の中に入る量が増えるからだと記載されていた。
だから家に入る前に、しっかり土を落としたり水で洗ったり、あるいはスリッパなどに履き替えて感染予防をしようという呼びかけがされている。
このへんはさすがグレンツェン。学術的論文を引用した注意喚起は、『うわぁ、グレンツェンっぽいなぁ』と感じさせられた。
投稿者はヘラさんというところも、まさにそれっぽい。元々高名な医療術者である彼女は、健康に関してとても敏感なのだ。
「なるほど理由は分かったが、寝る時と風呂に入る時以外に靴を脱ぐ習慣のない俺は、なんだかそわそわする」
実際、スリッパ越しにつま先をごにょごにょさせてる。
ティレットも最初は慣れなかったみたい。
「私も最初はそうでした。でもすみれさんたちの家にお邪魔するようになって、やっぱり健康のことを考えたら靴で部屋を歩くのはよくないかもと思いまして。慣れないかと思いますが、お客様にも協力をしていただいています。ハイジさんは特に抵抗はないようですが、バティックも倭国と同じで靴を脱ぐ習慣があるのですか?」
「地域にもよるけど、海辺が近いあたしの家は靴を脱ぐよ。元々両親が華国人ってのもあるだろうけど」
世界中の人が集うグレンツェンには家主独自のルールがある。ただの個人的なこだわりというのもあるけれど、こういうモザイクなところもグレンツェンの醍醐味。
これはグレンツェンに限った話しではないが、家というのは個人の空間。自分が自分の好きなように飾り付けられる場所。
だから人の家に入る時はとてもわくわくする。何があるのか楽しみになる。大きな宝箱のようなものだ。
彼女たちが住む空間は明るいトーンを基調として落ち着いた雰囲気。物が多くあるものの、きちんと整理されていてすっきりしている。
本棚もゆったりと並んで無理がない。背表紙の前に物が置かれてるだなんてこともない。
机の上も何がどこにあるのかわかりやすいように整頓されている。
ソファーもカーテンも清潔感を優先してか、こってりとした柄物はない。
貴族貴族したゴテゴテハデハデなデザインは垣間見えず、ティレットたちの清廉な心がそのまま映し込まれているような、さっぱりとした雰囲気があった。
部屋の中はそこに住む人の心を表してるとよく言われる。まさにその通りといった美しさ。
テーブルにはご丁寧にも、我々がフェルト人形にすぐさま取り掛かれるよう準備がなされている。そわそわするティレット。よほどこの時を楽しみにしていたようだ。
っと、その前にお礼の品として持参したケーキを渡しておこう。
クイヴァライネン兄妹の実家のケーキ屋さんで売ってる一番人気のチョコレートケーキ。
チョコレートが大好きだというウォルフを筆頭に、彼女たちは甘いものが大好き。というわけで、喜ぶ笑顔が見たくて買ってきました。
中身を見て大喜びするガレットのなんと微笑ましいことか。深々とお礼を告げるティレットの横で、スパルタコも同様にお土産を持参したことを告白する。真っ白な四角い箱。ケーキ箱特有の取っ手。
これは、まさか被った?
「スパルタコさんもチョコレートケーキを? わざわざありがとうございます。ウォルフはチョコが大好きだから、きっと喜びます」
「いやぁ……この前は申し訳ないことをして……お詫びと言っちゃあなんなんだけど…………あはは…………」
お徳用ビーフジャーキーのことか。いつもニコニコして、怒りとは無縁と思っていたティレットがマジギレしたからな。
さすがのスパルタコも懲りたのだろう。チョコレートケーキをホールで買ってきた。あたしは1人1個と思って4つしか買ってない。
たしかにスパルタコとあたしの状況は違う。違うけど、なんか負けた気がする。
どうしてくれよう、この敗北感。




