ぴちぴちの魚が如く 1
ついにすみれがバイトを始めます。
今回は使用期間的なやつで触りです。
スーパーの鮮魚コーナーです。時々、総菜コーナーに行くと思います。
作者はスーパーでアルバイトの経験がありますが、人にもよりますが鮮魚はレジに次いで大変なところだと感じました。人が出入りするたびに開く扉からかほるかほりがふぁっふぁっふぁ……って感じでした。
以下、主観【小鳥遊すみれ】
指紋認証で入れる扉をくぐり、在庫の積まれた台車の林をかき分けるように進み、ロッカールームへと向かう。
道中、きちんと並べられた小道具の棚を過ぎると、早朝から出勤している社員さんに挨拶を投げた。
生鮮野菜を担当する彼の朝は早く、朝の5時には市場へでかけ、その日の新鮮野菜を直接見て仕入れに行ってる。
ほとんどはバイヤーからの大量発注だけど、グレンツェン近隣で採れる地元の野菜はまた格別なのだと信じているのだ。
畑から採取して食卓に並ぶまでの時間が短いほうが良いというのは、野菜や果物に限らずナマモノを扱う上では常識である。
だからそういう信念を持って情熱的に仕事に取り組む人は見ていて頼もしく、胸の熱くなる思いになった。
そんな私は総菜コーナーを中心に仕事をさせてもらっています、グリム・クレール。
グレンツェンではスーパーでアルバイトをしながら内緒のお仕事をこなすミステリアスレディです。
『総菜コーナーを中心に』というのは、ここのアルバイトは出勤時に好きな部署を選んで働けるという制度があります。その日の気分や自分の好きな場所と時間を選んで働けるというわけ。
でも人数が偏りすぎないように定員制が設けられているので、日によっては思った通りの場所で働けない時もあるのはご愛嬌。
とはいえ働いたことのない部署でも社員さんがしっかりサポートしてくれるし、新しい出会いや発見もあって楽しい毎日を送らせてもらっています。
まさに今日なんかは新しい出会いの日。
近年のヘルシーブームに乗っかろうと、店長が鮮魚の取り扱いを始めました。
それまでは総菜コーナーでフィッシュ&チップスを作ったり、家庭で焼くだけ簡単白身魚のムニエルを作ってたりしただけだった。だけど、今年から本腰を入れて生魚を売り出すようです。
しかしそこで大問題が起きました。
魚を捌ける人間が確保できなかったのです。
驚きの無計画!
内陸のグレンツェンでは生魚を食べる文化も、鮮魚を扱う経験もない人ばかりなのでした。
世界中から人が集まってるのだから、魚を扱える人だっているだろうと、括った高がぽっきり折れたのです。
しかし先日、こいつは困ったと腕を組む店長の前に一筋の光が見えてきました。
店長は元ハイラックスの軍人。退役軍人の集まりなんかが定期的に催されてるそうなのです。そこであのバティックの英雄にして後輩のサンジェルマン氏に耳よりな情報をいただいたそう。
なんでも最近、倭国から引っ越してきた女の子が魚を扱えるというではありませんか。しかもシラスからマグロまでいけるというハイスペック少女。
これはなんとしてでも人員確保だと勇んで土下座して紹介してもらったのが、小鳥遊すみれさん。
ぴょんぴょんはねた三色髪がトレードマークの小柄な女の子。
こんなひ弱そうな子にマグロの解体ができるのだろうかと疑いを持ちながらも、まぁやってみないと分からないということで、まずは新品の厨房へとむかいます。マグロはともかく、中型魚以下が捌けるならなんでもいいです。
緊張しながらもやる気満々な彼女は、なんだか、そう、水を得てピチピチ跳ねる魚のよう。
休憩室に私とすみれさんと筋肉で武装した店長が集まり、簡単な挨拶が始まった。
「やぁよく来てくれたね。わたくしはこのスーパーの店長でサイドチェスト・アーリーと言うんだ。サイドさんでもサイド店長とでも呼んでおくれ。今日はよろしく頼むね。それから彼女はグリム・クレールくん。総菜コーナーが大好きで料理好きなお姉さんだよ」
「ご紹介に預かりました、グリム・クレールです。料理も好きですが基本的に食べ専です。私もお魚の調理ができるようになりたいと思いまして、手ほどきのほど、よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いしますっ! 小鳥遊すみれです。よろしくお願いしますっ!」
あらあら、随分とまた緊張しちゃってかわいらしい。
彼女は故郷倭国では陸から離れた孤島で過ごしており、グレンツェンに来るまで他人を見たことがないほどの超箱入り、もとい超島入りの女の子。
得ることのできた外の世界の情報は、育ての親の3人の言葉と、連絡船でやってくる本の中の文字だけ。だから何から何まで新鮮で、驚きの毎日なのだと頬を赤らめている。
今日ここにいるのはその延長線上。自分自身、何ができるのか分からなくて、今は流されるまま、どんぶらこ~どんぶらこ~としているけれど、いつかは自分の意思で船を漕ぐのだと張り切っていた。
それならグレンツェンはとてもよい経験ができる場であろう。
なにせ世界中の人が生活をしてるのだから、様々な物や経験に溢れてる。
かくいう私もその1人。だから彼女のこと、応援したいと思います。
厨房に入るなり、少女の第一声が響き渡る。
「おおぅ、なんていうか、すっごくてらてらしてます」
文字通りの銀世界。スーパーの厨房はだいたいステンレス。
「業務用の厨房に入るのは初めてかな。清潔を保つためにステンレスの厨房だから、あまり見慣れない景色だと思うけど、きっとすぐに慣れるよ」
「言われてみれば、ある意味で銀世界ですよね。狭い空間なだけあって異世界感が半端ないかもしれません。言われてみれば日常にはない景色です」
右に左にきょろきょろするすみれさんの姿は、さながら不思議の国に迷い込んだアリスのよう。
「それじゃあさっそく何か捌いてみてもらおうかな。市場で仕入れた魚があるから、なんでも調理してくれたまえ。今日のところは様子見だからいくらでも失敗していいよ。それから、ここでは捌いてパック詰めしかできないから、料理するなら総菜ブースに移動しよう。とかく好きなようにやってみておくれ」
「はいっ、頑張りますっ!」
わくわくしながらスキップを踏みそうな勢いで冷蔵庫の中を見る目は、まさに宝石箱を覗くお姫様のよう。
引き出しを開けるたびに感嘆の声が漏れる姿は愛らしいのひと言に尽きる。
まず彼女が取り出したるは鱚。
鱗を曳いて頭を落とし、内臓と血合いを取り除いて流水で洗い、下処理が完了。
ここまでの所要時間なんと1分。早い。迷いなく包丁で処理していく様はずっと反復してきた経験を物語っていた。
それをあっという間に20匹。次に背開きを行い、背びれと腹骨を抜いていく様は素人にはできないように思える。
特に身を2つに割ったあとの背骨の取り方。包丁の根本を差し込んで滑らせた。どういう力加減で刃が入っているのか不思議でならない。
骨を断ち切っるカリカリという音が聞こえるということは、意外に力を入れているに違いないのだが、刃先や力の加減を間違えると余計なところを切り落としてしまうものだ。
彼女にはそれがない。まるで機械のように正確に射抜いていく。
次に丸々と太った鯖。
栄養価が高く大量に安価で手に入るということもあって、港街や周辺のご家庭ではよく好まれるという青魚の1つ。
これをまた迷いなく三枚に開いてしまう彼女には素晴らしいの言葉しか出てこない。しかも早い。素人目では早くて何をやってるのか分からない。
何をやってるのか分からないので、次は説明つきで解説してもらうことに。
鱗を曳いて頭を落として、腹を割いて内臓を寄せて、血合いと一緒に内蔵を取り出して…………最後に頭と身と身の付いた中骨のできあがり。
ここで疑問が浮かんだ。同じ魚なのに、捌き方が微妙に違う。大きさの問題もあるのだろうけど、内臓の処理の仕方が少し違った。
それに三枚おろしって、先に背びれを切り取るんじゃないのだろうか。ネットに上がっていた動画にはそうなってたけれど。
答え、魚による。
魚によって体の作りが違うから、捌き方も違ってくる。
彼女からしたら当然なのだろう。だけど、魚を捌いたことのない私からしたら驚きでしかない。
全部同じなわけじゃないんだ。しかも料理にするものによっても扱いが変わってくるとか。これは覚えることが多そうだ。
今回はフライにするために三枚おろしだった。甘露煮にする時は筒切りにするからぶつ切りにしてしまう。腹は割かず、押し出すようにして内臓を取り除いた。
甘露煮は骨まで柔らかくしてしまうので骨を取り除く必要はない。
骨を食べる。衝撃の事実です。
解凍した烏賊。
まずびらびらから手を突っ込んで足と胴体に切り離した。
こんな気持ちの悪い軟体動物の体に手を突っ込むなんて…………しかも力づくで引っこ抜いちゃうなんて。この少女、恐ろしい子ッ!
足は天ぷら。胴体はイカ焼きにしようと殆ど包丁を入れただけで身は解体された。覚えれば一番簡単だと言う。
しかし、それ以上に見た目のハードルが高い。タコなんていよいよもって無理。
彼女はタコの炊き込みご飯が作りたかったらしく、今度仕入れて欲しいと店長に相談する。曰く、甘辛い味付けと吸盤のぷちぷちとした食感がたまらないのだとか。
マジか…………倭国人はなんでも食べると聞いてたけど、ここまでとは。
極めつけは鮟鱇。
ナニコレ。エイリアン?
仕入れに行った際、漁師から勧められた巨大な深海魚。
なんでこんなに口が大きいの?
頭の上についてる触覚はなに?
なんで目玉が上についてるの?
なんでこんなものを捌けるか確認してないのに、仕入れてきたのっ!?
『すごいおいしいから買ってってよ。これ買ってくれたらオマケしちゃうよ』
と、そそのかされて即決したらしい。明らかに押し付けられてるじゃないですか。
さすがにこんなもの…………ッ!
え、なにこの子の目。めっちゃキラキラしてるんだけど。
「今日のお昼はアンコウ鍋ですッ! やったぁー!」
テンションマックスでお鍋の材料にされていく奇怪な魚もきっと喜んでるに違いない。
漁師に疎まれ、無知な人間に拾われ、おいしく食べてあげると合掌してくれる料理人に出会えたのだ。きっと彼 (?)は幸せに違いない。
アンコウ鍋とやらがおいしいのかどうかはともかく。
とりあえず、これを捌く練習はしなくていいや。




