九ノ話「狐憑きと神刀」
「狐憑きの猫、だと……!?」
惣助の言葉に、本村は呆然とした。
「狐憑きは人間だけの現象じゃない、ごく稀に人に飼われている動物に憑くことがあるんです」
そう返した惣助は、帯から新しい紙を取り出し何事か唱えると、その紙を橋之助に持たせた。
「これをしっかり持って離さないでください。そうすれば貴方の周りに張った結界が壊されることはありませんから」
「あ、あぁ……」
「本村さん」
「判ってる。お前さんは俺の後ろでなんとかしろ」
「……助かります」
言うなり惣助は帯に挟んだ紙を全て取り出すと、本村の後ろに回り込んだ。
「少し、お願いします」
「ああ、任された」
顕現した狐憑きは、身体を低くしならせたまま微動だにしない。
本村もまた、刀に手を掛け、いつでも抜ける姿勢になったまま動きが止まっている。
――狐憑き、といった。てぇことは、今この眼の前にいる獣は、半分がお狐様ってことだ。鬼には通じた剣だが、果たして神となるとどこまで通じるか……。
『……お前』
「! しゃべった!?」
『お前、ほんむらという男だな』
「……俺を知っているのか」
『我が社を通るたびに手を合わせておったろう』
「……こう見えて信心深いんでな」
『それだけじゃない』
「!」
『お前の失った親や妹、許嫁を』
「言うなッ!」
狐憑きの声は、落ち着いた女の声とも、高い男の声とも付かない不思議な響きをもっていた。
その言葉を本村は鋭い口調で遮った。
「……なぜその猫に憑いた。殺された、と聞いたが」
『神社を壊された理由を知っているか』
「人の住む土地を増やすのだと聞いている」
『それだけか』
「あやかしが力を取り戻すために、てやつのことか」
『そうだ。……そしてその手先が、ここの子供を使って儂の宿る像を打ち壊した。さらにそやつは子供の可愛がる猫を殺した。まだ成猫にすらならぬ、人で言えば10代半ばの頃合いよ。それを不憫に、身を借りたというところだ』
「……吉太郎様は亡くなったぞ」
『知っている。元より子供は使われただけだ。儂が狙ったのはあの鬼と、もう一人』
「鬼は、俺が斬った」
言った瞬間、本村の顔が歪む。相手がなんであろうと殺生をしたことは事実だという後悔の念があからさまである。
『なに、まだ生きておるよ。……斬った後、砂のように崩れたろう』
「ああ」
『確かにそれで肉体は滅んだことになるが、あやかしの魂は普通の刀では斬れぬのだ。崩れたのは魂が抜けたからよ』
「なんだと……」
『とはいえ無傷でいるわけでもない。今頃は瘴気の淀む地を見つけそこで魂を癒やし、新たなる身体を手に入れようとしているだろうさ』
「……そうか」
『安堵したか。面白い男よな』
「うるさいな。もう一人ってのは誰だ」
バツが悪くなったのか、本村は強引に話を変える。
『それ、そこで札を持って震えておるだろう』
それを聞いた本村は顔色を変えた。
「何っ!? 牛込様をっ!?」
『なにしろ、お社の打ち壊しの首魁だからな』
「なん……だと」
『表では擁護派を謳っておいて、裏では打ち壊しの糸を引いていたのよ。自分の評価を下げぬままに、土地の値を下げるためにな』
「嘘をつけっ!!」
「……本村さん、残念ながらお狐様、というか神仏というのは嘘をつかない」
「惣助……」
本村が惣助を振り返る。正座した彼の前には札が五枚ほど、綺麗に横並びにされていた。その肩越しに、今も惣助に渡された札を持ってぶるぶると震える橋之助の姿があった。
「牛込様……」
「し、仕方なかったのだ! あの土地は元々宿場町の地主のものだ。奴等はあの場所が絶好の地だと判っていて、異常な程に値を吊り上げたのだ! 絶対に買い上げられぬ額にまでな!」
「……つまり、奪われたくなかった、ということなんですよ」
惣助が暗い声を出す。
「貴方のような、金でしか価値を判断することが出来ない下衆とは違う。彼らにとってあのお社は大切な場所なんです。……それを金に任せて無理やり買い上げようなんてするから、だったら買えない額まで吊り上げて諦めてもらおうとしたんでしょう。知っていたんですよ。貴方がご自分の腹を太らせるためだけに土地を安く買い上げようとしたことをね」
「くっ……! 貴様、岡っ引きの分際でっ! 吉太郎と同じことを言うなっ!!」
「え……?」
『ここの子供は賢い子でな』
「じゃあ、もしかして鬼を屋敷に入れたのは……!」
「……く、く、く。あーっはっはっはっはっはっはははは!!」
急に狂ったように笑う橋之助に、本村達は呆気にとられていた。
「そうよ。あのガキ、無駄に頭が回るからなぁ! 元服前に始末しねぇとこっちの身が危ねえからよぉ!! たまたま拾ったあの鬼に、頭から喰わせてやったのよ!!」
そう叫ぶと橋之助はおもむろに立ち上がる。
そして、両手を大きく上に突き出した。
「だがぁ! あの鬼が全てだと思うなよぉ!! 悪鬼顕現! 急急如律令ぉ!!」
「なんだとっ!?」
「陰陽術!?」
『……いや、あれは違う。あれは……ただの合図だ』
「合図?」
『やつはとうに人であることを辞めている。……あれは、鬼憑きだ』
橋之助、いや橋之助だったモノは、今や様々な色に淀んだ靄に包まれていた。その全てが毒々しく、まるで地獄を切り取って置いたようなものにも見える。
「牛込……様……」
「本村さん、気持ちはお察ししますが今は」
「! ……わかっている」
『ほんむら』
狐憑きが本村に話しかけた。
『お主の意気、気に入った。……我を使うが良い』
「どういうことだ?」
「! ……なるほどっ! 本村さん!」
聞いていた惣助は、自分の前に並べた短冊の一枚を本村に渡した。
受け取ったはいいものの、本村には何のことだかわからない。
「私が手伝います! 本村さんはただ、“神刀顕現”と唱えて下さい。自分の思う神刀を思い浮かべながら! 早くっ!」
彼らがそうしている間に、ついさっきまで牛込橋之助だったソレは、天井まで届きそうな青黒い肌の鬼と化していた。分厚い筋肉に覆われ、額に大きな一本の角をそびえ立たせた青鬼は、人間としては大柄、筋肉質な本村をも子供の様に小さくみせている。
「本村さん!!」
「くっ! ……“神刀顕現”っ!!」
「急急如律令っ!!」
この作品は秋月忍先生主催の「和語り企画」参加作品です。
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